4 きっとヤツならば

 焚き火を囲んでの食事だった。料理はゴチソウ・フーズ製のレーションだ。床几ショーギ・チェアに腰掛け、梅干ウメボシの乗った白米ゴハンを咀嚼する。不味くはないが高品位粗食と学生たちから渾名されるだけあって少々味気ない。ナガレは決して好きではないキンピラ・ゴボウを箸先でいじり回しながら、焚き火を見つめた。

  

「なんつーかハクア=サン、こうやって二人で食事するのは初めてだな」

「初めてではありませんよ」

「エ?」

「父が、あなたを連れて家に来たときです」 


 思い出した。2年近く前。倒れた師匠センセイハチエモンは病院に運び込まれ、タジム・シティの大病院へ転院した。病も小康状態に落ち着いたので、一時帰宅を許されたのだ。いや、許可というよりはヤギュウ大公ムネフエによる請願あるいは強制だったのだろう。


 駄々をこねる師匠センセイをなだめすかして、たどり着いたヤギュウの屋敷。そこで二人を出迎えたのは、ナガレと同じ年頃の、長い黒髪の美少女だった。ナガレは人間の美醜にこだわるタチではなかったが、白地に金の丹頂鶴クレインの織られた和服キモノ姿の少女の姿は、彼をはっとさせるには十分だった。


 黒髪の少女はナガレなど気にも止めず、じっとハチエモンを見つめていた。父様、お帰りなさいませ。そう言って頭を下げたことで、ナガレにも彼女が誰か理解した。ハチエモンの次女、ハクアだ。ナガレは名前を名乗った。彼女も挨拶を返した。

 

 しかしそこまでだった。ハクアは以降は黙り通し、しかもナガレを存在しない者のように振る舞った。会食の最中も、家族が様々な理由で食事の席を離れて、ナガレとハクアが二人きりになった。そのときもハクアは剣呑な雰囲気アトモスフィアを発し続け、結局二人は何も話さなかった。

 

「交わした言葉は挨拶だけ。次にいつ会話したのか、わたしも思い出せません」


 珍しいな、という言葉をナガレは飲み込んだ。

 ハクアは記憶力に優れている。ハイスクール時代は生徒や教官のみならず、関係者の殆ど全員の名前と顔を記憶していたという。しかし、それが何だというのだ。ハクアの記憶力は、先天的なものではなく後天的な努力により手に入れたものではないのか。

 そもそもナガレはハクアのことは殆ど何も知らない。彼女の趣味や愛読書、好きな映画なども。


 けれどもそれは今回は関係のない情報だ。ナガレは余計な想念を慌てて振り払い、話題を変えた。

 

「そう言えば、コージロー=サンは?」

「今日の分の事情聴取は済みました」


 ハクアは一拍置いてから、反応を伺うようにナガレの方を見た。


「ミズタ・タニヘイが自害を図りました」


 ナガレの眉根が思わず寄った。


「自分の爪を尖らせ、監視の隙を衝いて頸動脈を切断したのです。一命は取り止めましたが、事情聴取は当分の間不可能です」

 

 敵ながら天晴アッパレ! ナガレは思わず天を仰いだ。ハクアは続けた。


「拘束した科学者も、なかなか口を割りません。コージロー=サンは協力的なので、彼の手を借りねばならないことが多くなりそうなのです」

「ヒト電脳、か」


 ナガレの言葉に、ハクアは顎を引くようにして頷いた。


「量子脳ネットワーク構築システム〈ア・バオア・クゥ〉――その実用のために、ヒト電脳を用いていました。そしてヒト電脳の実証実験のために、多くの市民を拉致していました。その犠牲者には、列車襲撃事件で拉致された研修生も含まれているようです」


 ナガレはきつく目を瞑った。あの列車〈し-1333〉に関わったこと、それ自体が不幸だったとしか思えない。


 眼を開き、ハクアを見た。彼女はいつも通り至って冷静だ。しかし、その眼の奥には紛れもない怒りのカルマが燃えている。理不尽な不幸をもたらすものへの、敵愾の意志を。

 

「ナガレ=サン、ヤギュウ・クランは列車襲撃事件を始めとする一連の事件を『イノノベ事変』と命名しました。これらに於いて、あなたの存在と関与は無視し難いものがあります」


 ハクアは語を区切った。

 

「我々は、手を結ぶべきだとは思いませんか?」

 

 ナガレは言葉の意味を吟味した。黒い煮豆を箸でつまみ、口の中に放り込む。それをゆっくり咀嚼して30秒後、ようやくこう口にした。

 

「……俺の一存では決められないな」

「かの電子海賊ですか? そう言えば、彼女は?」

「さてね。ミズ・アゲハには謎が多い」 


 実際ナガレはコチョウが今何をしているのか知らされていない。いつもはナガレをウェアラブル端末などで監視し、示唆や冗談を口にするのだが、今日に限っては何も言ってこないのだ。


「だけど、前向きに検討するよ。俺たちは手を結ぶべきだ、という意見は俺も同意だ」

「安心しました」


 ハクアが右手を差し出してきた。

 ナガレはその手を握り返す。

 一応の約定成立。

 

「ところで、幼馴染ということですね」


 主語を省いてハクアが単刀直入に訊いてきた。


「ああ。テンリュー。まさかトヨミにいたとはな」

「そして、プリンセス・トヨミ・ミサヲ」


 ハクアの眼が、ナガレの眼を見つめてきた。

 一つ、大きく息を吸う。ナガレも、挑むように彼女の眼を見つめ返した。


「先代公王トヨミ・ヒデヨとトクガ・センヒメの血を継ぐ唯一の嫡孫。争いの種みたいな女さ」


 テンリューから聞いたことであった。

 かすかにだが、ハクアがニガムシ・バイティングめいた顔になる。彼女のこんな表情をスクールでお目にかかった生徒は、多分一人もあるまい。


「……わたしたちはとてつもないことを聞いてしまいました」

「ヘスース・〈ザ・トクガス〉直系の子孫は、片手の指で数えられるくらいだからな」


 ナガレが右手を軽く上げた。ハクアはその不敬な態度に対して意味ありげな視線を向けたが、何も言わなかった。


「ハクア=サン、アンタの懸念を当ててみせようか。タイミングが合えば、そしてその気になれば、ミサヲはショーグン位すら請求出来る。そういうことじゃないか?」


 沈黙が肯定の代わりだった。


「面倒なものを掘り当ててくれちまったな、トヨミも。優しいだけのただの娘に、余計なものを背負わせてくれる……」


 ナガレは、また嘆息する。その声には怒りが滲んでいた。

 

「ナガレ=サン、プリンセス・ミサヲとは、どこで知り合ったのですか?」


 予期していた質問。淀みなく答えることが出来た。

 

「俺たちは全員孤児で、同じ施設の育ちだった。俺、テンリュー、ミサヲ。俺たち三人はいつも一緒だった」


 過去形で語るナガレの口調にはいくらかの韜晦とうかいが含まれていることに、ハクアならば気づくだろう。

 

「内戦に巻き込まれて、施設はなくなっちまった。三人とも無事ではあったんだが、それから俺は二人とはぐれてしまってさ。ミナクサ市で……全くなんたる運命だ」

 

 ハクアは何も言わなかった。

 

「ハクア=サン、ミサヲは殺させねえぞ」


 ナガレは剣呑そのものの目つきでハクアを見た。それこそスクールではついぞ現すことがなかった、殺気の籠められたナガレの眼だった。

 

「……気が早いことですね」


 ハクアは言った。

 

「今のところ可能性は低いと見ていいでしょう」

「何故?」


 ナガレは殺気を消した。


「プリンセス・ミサヲには利用価値があります。例えば、現ショーグン閣下イエヒラ=サマに嫁いで頂く、とか。イエヒラ=サマは現在御正室ミダイドコロがいらっしゃいませんから」

「……結局政治に利用されるのかよ」

「幼友達を亡くすよりは遥かにいいでしょう?」

「ああ、ずっとマシさ……最善は、利用されないことなんだがな」


 トヨミも、決してトクガの好きにはさせまい。ミサヲの存在は切り札に近い。最大限に効果的な局面で切ってくるはずだ。それがミサヲの幸福に繋がるとは、必ずしもナガレには思えない。

 

 いずれにせよ、一介のイクサ・ドライバーには踏み入れることの出来ない領域だった。

 だからナガレは、こう釘を差した。

 

「――ハクア=サン、いざとなったら俺とアンタは敵同士だからな」

「ご随意に」


 ハクアが頷いた。

 殺すとまでは言い切れないのが、ナガレの限界なのかも知れなかった。

 きっとテンリューならば言っていただろう。そして、躊躇いなく殺してしまうだろう。

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