第6話「ダークサイド・オブ・ユカイ・アイランド」

1 ヤギュウ・ハクアの憂鬱

 ある秋の日差しの穏やかな昼下がり、石畳の道をヤギュウ・ハクアが歩く。ヤギュウ・クラン所属の証たる翡翠色の軍帽をかぶり、ショールを羽織り、タイトスカートの軍服に白いタイツと朱色のピンヒールを合わせた彼女が颯爽と歩く姿は、すれ違う人々が皆振り返らずにはいられない気品に満ちていた。

 怠惰そうに駄弁ってい公邸の門番二人も、ハクアの顔を見るなり過剰に背筋を伸ばした。令嬢の顔を知らぬ者に武家サムライの用人は務まらぬが、ハクアの美貌は忘れようとしても忘れられるようなものではない。

 

「ゴクロウサマ」


 いつも通り穏やかな笑みでハクアは彼らを労いながら、公邸の門をくぐった。執務室の扉をノックし、入室した。


「大公閣下、ヤギュウ・ハクア、失礼します。報告書を持参しました」

大儀ゴクロウサマ、報告書はいつもの場所へ置いてくれ……それにしても今日は白粉の匂いが少々きついな」


 執務室の机上の巻物マキモノに花押を捺印しながら、叔父であるヤギュウ大公ムネフエが言った。ハクアははっとした。体調不良を指摘されたのである。太祖トクガ・ヘスースがバトル・オブ・セキガーラの直後、疲労の色を隠すための化粧までして諸将をねぎらったという故事に倣ったことだ。しかし不自然さは拭えなかった。

 

「このところ、寝ていないのだろう。キムラの祖父じいも、お前の母上も心配しておられたぞ」


 ハクアの祖父であるキムラ・カカシロウはヤギュウの古老である。また母のオユキとも知らぬ仲ではない。


「まだ事件は解決した訳ではありません」


 反論するハクアの口調には、いつもの冴えがなかった。


「……それに、任務に差し支えないと存じます」


 大公は顔を上げてハクアを咎めるように言った。


「そうやって疲労は蓄積するのだ。それに上司が働き詰めでは部下にも伝染るし、休めぬ」


 ヤギュウ・ハクアは怠惰とは無縁だ。個人的な資質としては優れているが、人の上に立つ者となると話は少し異なってくる。


 このところずっと、ハクアは電子海賊〈フェニックス〉の捜索に躍起だった。

 正確には、父であるヤギュウ・ジュウベエ=ハチエモンの。

 ハチエモンの行方はジキセン城の第三天守閣で途絶えている。そして天守閣は焼亡し、炭化した。生死すらわからぬ仕儀だ。尤もハチエモンには死んだと思わせて生きていたという前科がある。十年前の話だ。

 

 ハクアは父が電子海賊〈フェニックス〉に同行しているに違いないと主張し続けている。

 

 このところ、かの電子海賊は神出鬼没だった。ボバタウンのドヤ・ストリートを始めとした違法風俗業者摘発、シュヴァレイクでのバイオイルカ業者乗っ取り、オラヌ・タウンでのヤクザ・クラン抗争を隠れ蓑とした要人誘拐未遂、そして先のジュスガハラ高原に於ける傭兵団全滅――それはヤマト全土に根強く巣食うトヨミ系犯罪組織の資金源を片っ端から潰しているように見えた。ジキセン城で目撃された黒鋼色のイクサ・フレームと、それを駆るサスガ・ナガレの姿も確認されている。ハチエモンは未だ確認されていない。

 

 ハクアは時間さえあれば列車襲撃事件から始まる一連の資料を首っ引きで読み漁っていた。それは父の影を探しているような行為だった。最近ヤギュウ・ハイスクールにサスガ・ナガレ直筆の休学届が届いたが、その写しの無味乾燥な文面さえ、隅から隅まで精読している有様だった。


 叔父としては、この美しい姪が精神を徐々にすり減らしてゆく様子は、正直見るに堪えない。

 

「お前の性格上、ここで強引に家に帰しても無意味なのは知っておる。そこでだ」


 大公は携帯通信端末インローを見せた。ヤギュウの家紋エンブレムなどの所属を示すものはどこにもない、一般仕様の端末だ。画面には電子招待状の文面が表示されていた。

 

『豪華客船〈シラナミ〉号でゆくユカイ・アイランドツアー! 4泊5日の旅!』


 画面をスワイプさせてゆくと、青い海と純白の客船を鮮やかに写した写真広告が現れた。下部に記された文面は華やかさや楽しさを謳い、このツアーに参加出来ることの特別さ、素晴らしさがこれでもかとばかりに強調されていた。サービスは共通であるものの部屋の等級は二つあり、極彩変光カメレオンフォントで記された金額が庶民向けのツアーではないことを明示している。

 

「これが何か?」

 

 ハクアが訝しんだ。いつもの彼女ならばすぐに自分の言わんとすることに気づいただろうな、と大公は思いながら訊いた。

 

「ユカイ・アイランドについて知っておるか?」

「概要だけなら」


〈ユカイ・アイランド〉はアノホシ・エンタープライズ出資の元に作られた。人工島であり、島丸ごとが歓楽街という一大アミューズメント都市だ。その規模は東ヤマト最大の観光地であるアートミ・シティに匹敵しつつある。

 アイランドではおよそ金銭で手に入る快楽は何でもあると言われる。その代わり渡航制限は厳重であり、街中の移動にも身分証明書が欠かせない。アイランドにまつわるキナ臭い噂も数多い。例えば違法ドラッグ、例えば人身売買……。

 

「一種の治外法権が確立され、ヤギュウ・クランのニンジャでも侵入は容易ではない。そう聞き及びました」

「企業法の元の秩序の守護者、殺人すら許可される〈アノホシ・バウンサー〉などは公然の秘密だ。イクサ・フレーム部隊すら駐留しているというな」

「それで、わたしに潜入せよと」

「そうだ」


 大公は顔の前で指を組んだ。

 

「実はな、アイランドの地下でかねてからイクサ・フレームの闘技場の存在が噂されていたのだ。その調査に行ってくれ」

「闘技場、ですか」

「裏イクサと呼ばれているらしい。表に出ることの出来ないイクサだよ」

「生死を問わぬイクサを見世物にしているのですか……?」 


 ハクアが鼻白んだような表情を見せた。命がけのイクサの興行化など、サムライにとって冒涜的行為に等しい。そのような行為を実行する人間がいるということが、ハクアにとっては信じられないようだった。

 大公は続けた。


「その通りなのだよ。そして――最も許しがたいのは、余興に人身売買で売られてきた子供たちを闘わせるということまでしていたのだ」


 ここに来て、ハクアは絶句していた。

 全く、ヤギュウ・ムネフエにとっても許容しがたい話だ。


「驚くべきことはまだある。この闘技場には列車襲撃事件の主犯も関わっているという話でな、拉致された学生たちもそこにいる、という話だ」

「列車襲撃事件――ということは」

「そうだ。〈フェニックス〉も捜査に乗り出している」


 ハクアの眼光が意志の光を灯した。


「――ミッションの内容が内容だから、いざというときにはイクサ・フレームが出撃出来るようにしているが、無理はするな。そしてあくまで付随目標オプションではあるが、お前の父の情報も聞き出して欲しい」

「了解」

「〈シラナミ〉号の出航は四日後、ウラガー港からだ。準備については後で連絡する。サポート要員とは現地で落ち合うように」

「わかりました」

「それと……早く帰って休むが良い。今日ばかりは資料を読むのも禁止だ。オユキ=サンには言っておいたからな。復唱せよ、ヤギュウ・ハクア中尉」

「……ヤギュウ・ハクア中尉、今日は帰宅し、休養に務めます」

「そうだ。退出してよろしい」


 姪の後ろ姿を見届けた後、ヤギュウ大公はハクアが持ってきた報告書を取り、ざっと流し読んだ。各事件の推移、背後関係、調査の進捗状況など、それは綿密と言っていい書き込み具合だが、


「……少々努力の方向性が間違っとるな」


 これらのほぼ全てがハクアが最も知りたい情報――即ち彼女の父の生死とは関わりがないだろうと、大公は思った。無駄だとわかった上でやらずにおられないハクアの内心も、思った。

 

「全く……愛されておりますなぁ兄上」


 今更ながら、娘が欲しくなった。

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