9 エピローグ・下

「それでは、サスガ・ナガレ選手の準優勝を祝して」

「乾杯!」

「「「カンパーイ!!」」」

 

 スタッフたちがノンアルコール清酒サケを飲み干すと、簡易テーブルの上に並ぶオコノミ・ガレットやタコヤキ、デリバリー・スシ、エビ・テンプラ、トーフ・クラッカー、ソバ、ウドン、ナットー・ピッツァなど、めいめいが好きなフードを手に取っていく。

 

 バー「8823ハヤブサ」を貸し切っての、チーム・フェレットによるナガレの祝勝会である。トーナメント初登場で準優勝、十分快挙と称すべき結果だった。

 

「オメデト!」

「オメデト!」

「よくやったよナガレ=サン!」

「アリガト、ナガレ=サン!」

「アリガトー!」

「本当によくやってくれたよ。俺はもうホント…」

「アッ、こいつアルコール臭えぞ!」

「教官がうるさいからノンアルにしとけって言っただろ!」

 

 主賓であるナガレに祝勝や労い、感謝の言葉が降り注ぐ。ついでに祝杯もだ。ナガレは眼の前の合成マグロ・スシを注視しながらも、次々にグラスに注がれてゆくノンアル・サケを干してゆかざるを得ない。空腹にはつらい。

 

 総勢五十名、大多数が男のチーム・フェレットである。そこにアルコール飲料が投入されない訳がなかった。祝勝会開始から一時間、飲めや歌えやのドンチャン・パーティの気配をナガレは感じ取った。既にして、カラオケのヒラサカ・シン・メドレーがガンジとアタロウによって開始されていた。ナガレは携帯端末インローを開いて時刻を確かめる。頃合いだ。冷めたソバを啜り、タッパーにガリやグンカン、カッパ・ロールなどのスシの残りを詰め込む。アルコールの摂取はない。

 

「……どうしたの、ナガレ=サン?」

 皆に先駆けて酔い潰されて寝ていたコージローが出し抜けに起きて尋ねてきた。


「俺、寮に帰るわ」

 タッパーとドリンクを手提げ袋に入れながら応える。


「あ、帰るの?」

「みんなにヨロシク言っといてくれ、コージロー=サン」

「わかった…」

 コージローはそのまま再び夢路に着いた。


 店主は既に自宅へ戻っている。顔馴染みなのでフェレットのメンバーは信頼されているが、翌日この乱痴気ランチキの痕跡を見てはどう思うことだろうか。ナガレは己のアリバイのため書き置きだけ残していくことにする。


8823ハヤブサ」のドアを出ると、夜風が快かった。

 

 誰一人として想定していなかったが、決勝の敗着に最も傷ついていたのがナガレであった。あそこでフェンシングスタイルに切り替えたのは間違えだったか。勝負は時の運だ。ナガレは負け、ハクアが勝った。それは受け入れるしかない。

 

 チーム・フェレットの面々は気のいい連中だ。彼らに優勝フラッグを与えてやれないのが心苦しかった。準優勝と優勝とでは天地ほどにも違う。

 

 いつしかヤギュウ・ハイスクールを好きになっていることに気づいた。どうしようもないスカム上級生センパイがいようとも、チームで過ごした日々は忘れがたいものだった。

 

 元は入るつもりのなかったスクールなのに。師匠の病気が快癒していたら縁もなかっただろう。

 

 ナガレは戦災孤児だ。ずっと東方のミナクサ市でスズメサカ・ハチエモンという名のサムライに拾われ、弟子アプレンティスになった。


 都市部から遠く離れた集落で生まれたチャイルド・サムライが国家の目が届かずに取り零される例はよくある話だ。そう言った子供がどのような大人になるかはここでは措くが、大体の場合ロクな成長の仕方はしない。だからナガレは幸運だった。

 

 師匠センセイとの旅は十年近く続いた。修行も兼ねたその旅は決して楽ではなかったが、思い出深い年月だった。しかしセンセイの病と共にそれは終わりを告げた。

 

 病は日に日に篤くなるばかりだった。やがてセンセイは真っ赤な血を吐いた。ナガレは地元の病院に走った。明らかに医者ではない一同がやってきてナガレを囲んだ。ナガレは事情を全部ぶち撒けた。そのまま家に帰された。翌日、センセイはヤギュウ大公領の首都タジム・シティの大病院に入院することになった。ナガレはハイスクールに通うことが決まった。

 

 ナガレはセンセイを裏切ってしまった気がしてならない。センセイは病気の治療が出来る。ナガレは正規の教育が受けられる。役人は義務を果たした。Win-Winだ。それでも後ろめたさは消えない。今でも。


 ナガレは、今の自分は「ロクな成長」をしているのだろうかと自問する。


 サムライとして正規教育を受ければ軍へ入ることが出来る。軍で五年過ごせば奨学金は返済せずに済むようになる。十年ならば年金も付く。その後退役し予備役編入されたら、一般イクサ・フレームメーカーにテストドライバーとして潜り込む。


 ごく一般的で常識的な将来設計。そこに自分自身の意志は介在するのだろうか?

 

 病んだセンセイを救いたいと思い、血眼で病院へ走ったのはナガレの意志だ。しかしそこから先は流されているだけのような気がしてならない。名前の通りに流されていく。

 

 多少の行動の自由があったところでナガレの反骨精神ハンコツ・スピリット醜悪上級生ブルシット・センパイの横行を許さないだろう。またイクサ・フレームは大好きだし、ドライバーとしての資質もある。結局遅かれ早かれトーナメントには参戦することになるのだろう。

 

 軍人になって十年過ごし、一般メーカーのテストドライバーになる。決して悪くない将来設計だ。しかしそれは本当に自分が望んでいることだろうか?

 

 いや、そもそも……

 

「ナガレ=サン?」


 ヤギュウ・ハクアだった。私服のヤギュウ・ハクアを初めて見た。

 

 ハクアのナガレに対する視線は、控えめに表現しても好意的とは言い難い。その理由についてはナガレにも心当たりがあった。正直言って理不尽だと思うが、ナガレもわざわざ口に出したりはしない。

 

「どうしてこんなところに?」

 ハクアが訊いた。本当に疑問に思ったからという、他意のない問いかけだった。

 

 ナガレから自然と憎まれ口が出た。

「祝勝会の帰りだよ。で、アンタは? 俺を笑いに来た?」


 ハクアが半眼でなお大きい目で真っ直ぐ見つめてきた。

「わたしも祝勝会の帰りです。そうされたいのでしたらそうして差し上げます。最後のあのスタンスは邪道です」

 刺々しい言葉の後で、小さく嘆息するように言った。

「……が、追い詰められたわたしにはその資格はありません。認めましょう、あなたは強い。ヤギュウの免許ライセンサーに相応しいかはまだわかりませんが」


「……そりゃどうも」

 ナガレはつまらない返事をするしかない。

「ちょっと座らないか」


 二人は直ぐ側にあるベンチに座る。防虫効果のあるケミカル提灯街頭が周囲を照らしている。


 距離は案外近い。女子とはいい匂いがするものらしいが、他の女生徒たちとは異なり生憎とハクアからその手の嗅覚をくすぐるものを嗅いだことはない。無臭の石鹸でも使っているのだろう。


「アゲル」

 無言に耐えきれず、ナガレは手提げ袋から持ち帰ってきた缶コールド抹茶ラテを渡す。大分ぬるくなっているがそれでも飲めるはずだ。ドリンクというものは、いたたまれない間を潰すにはうってつけである。


「アリガト・ゴザイマス」

「ドイタシマシテ」

 ごく普通の感謝の応酬。


 ナガレはグンマ・コーラの缶を出し、プルタブを開けて飲んだ。

 ドリンクを飲み終えた頃合いで、出し抜けにナガレが訊いた。

 

「ハクア=サン、アンタの望みって何だ?」

「望み?」

 ナガレは相応しい言葉を探した。

「望みと言っても、そうだな。究極的なヤツだ。将来の夢というか」


 ハクアは小首を傾げるようにした。そうすると、大人びた容貌が途端に年齢相応に感じられる。

 

 沈黙が流れる。いたたまれなさをナガレは痛感する。どうしてそんなことを訊いてしまったのだろう。しかも唐突に。

 

 何十秒後かに、ハクアが口を開いた。


「世界平和、でしょうか」

「世界平和」


 鸚鵡返オウム・レスポンスめいてナガレは繰り返した。

 ハクアは首肯する。

「はい。市民を守り、ヤマトを守り、平和を守る。サムライとして当然の望みであり願いです」


 そう語る口調には一切の衒いも羞恥も疑問も、ナガレへの敵意も存在しない。心底からこの娘はサムライだとナガレは思った。高慢で横柄な権門の子弟たちとは自ずから異なる、本当の意味でのサムライ。誰しもが溜め息を吐く美貌も、サムライであるならば無用のものだろうとも。


「ナガレ=サン、そうわたしに尋ねるあなたの夢は?」

 完全に不意を衝かれた。


「……何だって?」

 

 ハクアが立ち上がった。丁寧に一礼オジギをする。

「もうこんな時間ですから、わたしはお暇させて頂きます。抹茶ラテ、美味しかったですよ」


 ナガレはハクアを呼び止めようとした。しかしその理由が見当たらなかった。彼女の去ってゆく後ろ姿を見送った後、ナガレは呟いた。


「……俺の望みって何だ?」


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    第1話「イクサ・フレーム・スキャッター・スパークス」終わり

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