5 出陣直前
ナガレはハンガーに向かった。
足場を歩んでゆくと、スタッフたちが次々に「
それらに片手を上げて応えながら、ハッチが開いたままのコクピットの手前にたどり着いたナガレは感慨深げに愛騎を見遣った。ガンメタリックのエイマス。
胸部のコクピットへ乗り込む。深々とシートに腰を下ろす。圧縮空気が排出される音と共にハッチが閉ざされる。スクリーンは点きっぱなし、表示にエラーはなくエンジンの暖機は十分。完璧な仕上がりと言えた。
「フゥー……」
深く息を吐く。強張っていた肩が少し弛緩する。酒もタバコもドラッグもやらないので、緊張を紛らわす術は呼吸くらいしか知らない。そしてみっともなく緊張している姿は、スタッフには見せられない。
様々な思いが脳裏を渦巻く。
期待が重い。すぐに逃げ出したい。ナガレは自分がそこまで強くはないと思っている。今まで生きてこれたのは運が良かったからだ。しかし幸運はいつだって不運や悪運に裏返り得る。
……いい仲間に会えたことは幸運だ。
口に出せば恥ずかし過ぎるが、フェレットの
逃げ出さなかったのは仲間がいたから。ナガレは鼻でフンと息を吐く――いや、それだけじゃないだろ。
ナガレ自身がイクサを求めていたからだ。
惨めに敗北を喫するのが怖くて仕方ないし、闘うのが楽しみでならない。恐怖心他のあらゆる戦わない理由と戦意を
対戦相手のことを考える。
ヤギュウ・ハクアは理想のサムライ・ガールかも知れない。彼女にも、似たような思いはあるのだろうか。来たるイクサに恐怖し、歓喜することが。技を
「ヨッコラセ、と」
ナガレは首と肩を回す。イルカ・レザーのグローブを嵌めた両手にT-グリップを握る。やや暗くなっていたスクリーンが本来の明るさを取り戻す。
十分に思い悩んだのだ。もういいじゃないか。コトワザにも言うではないか、後は
「サスガ・ナガレ、〈エイマス〉
ハクアは打ち倒してくれるのだろうか。それとも打ち倒されてくれるだろうか――その思考は一瞬だけ泡のように浮かんで消える。
オート駆動で騎体が強化セラミックの床を踏みしめて歩む。エイマスの通信機器を通してスタッフが激励の言葉を寄越してくるが、最早耳には入らない。
ゲート前で立ち止まり、準備された得物を握る。サムライのメインウェポンとして広く使われるヒロカネ・メタル製ロングカタナでは危険性が高いため、試合では共通規格の教練用バイオ竹製シナイを用いる。これで打たれると騎体装甲のナノウルシ・ペイントが被撃箇所のダメージを表示し、更にシナイからのデータも判定席に送信する。判定は教官側で行なわれるので、少なくともイクサバでの公平さは保証されていた。
入場音楽が奏でられる。フォー・ファー…爽やかにして鮮やかな超弦ショー・リードの音色に輻輳する電子雅楽。実力派作曲家サカモト・ヒダリが編曲したことで話題になった、映画「ファースト・ショーグン」の主題歌「越天楽~ヤマト・アレンジ・ヴァージョン~」だ。
電子雅楽の調べと共に西側ゲートのアーチから姿を現したのは〈テンペスト〉。三〇〇年続いた銀河戦国時代に於いて最良の量産騎の一つと呼び声高い名騎である。ドライバーは無論ヤギュウ・ハクア。装甲のナノウルシ・ペイントは彼女のパーソナルカラーの白と薄紅色に設定されている。
ドッドッドッドッ…シューシューシューシュー…フィフィフィフィ…コーコーコーコー…騎体内部からエンジンやジェネレーターやラジエーター、関節などいくつものパーツや部位の発する輻輳音が際限のない「イクサ・コーラス」を奏で、ともすれば音楽を圧するほどの
音楽が切り替わる。ナガレはモードをオートからマニュアルに切り替える。
フェーイ、フィーファー…フォーフォフォンフォフォーン…Eアルミ製の古めかしい
イントロが終わると、隠喩に満ちた謎めいた歌詞をヒラサカが荘厳と呼ぶに相応しい声で歌い上げる。この手法を用いるミュージシャンは掃いて捨てるほどいるが、本当の意味で使いこなしているのはヒラサカ唯一人だ。豊かな声に量子シンセが唱和し、聞く者の胸を掻き立てるハーモニーを紡ぎ出す。
ガンジの選曲にニヤリとしながら、ナガレは〈エイマス〉の歩みを進め、東ゲートのアーチを潜らせる。ズンズンズン…ゴウゴウゴウ…トコココ…イクサ・コーラスを鳴らし、地面を踏みしめながら歩行する全長二〇メートルの巨体。
白と黒、対象的な二騎が、距離を隔てて対峙する。この瞬間、あらゆる音がナガレの聴覚から消える。心臓の音は今やイクサ・フレームのカルマ・エンジン音と同期している。主観時間が泥めいて遅滞する。血を巡るカルマがアドレナリンの過剰分泌を促し、
永遠に近い十数秒後、ヒラサカがシャウトした――『ヒア・カムズ・マイティ・ブッダ!』
音楽がフェードアウトし、直後、審判役の教官がゴングが打ち鳴らす。
『
イクサ・ドライバーたちの主観の泥が拭い去られた!
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