母の卵焼き

夢遊

誕生

1991年10月7日台風の来る夜中、一人の男の子が産声を上げた。

元気な3000g以上ある男の子だ、二人目だったことからすんなり生まれてくれた、名前は祐磨と名つけた、よくミルクを飲み、すくすく育っていった、小さい頃から大人しく幼稚園に入ると周りより小さくよくいじめられていた、母は家でよく慰めてくれてとても優しい母だった、今思うともっと強い子どもだったら良かったと後悔している、小学生になっても周りより小さくやはりいじめられていた、クラスの女子が味方してくれるときもあるが、その当時はあまり深く考えてなかった、学校が終わるといつものように歩いて家に帰り、母手作りの晩御飯が待っている、一見普通の家庭に見えていたが、当時から母の両親とのトラブルが絶えなかった、結局縁を切る事になるのだが。

何気ない日々を過ごしてユウマも中学生になり、部活は陸上部に入った、やはり中学生でも最初はいじめられていたが、徐々に自分を出せるようになり、クラスの友達が増えた、思春期真っ只中で母や父には反発していたが真面目に育っていった、高校は母が通っていた私立高校に入り、調理専科に入る事を決めた、高校に入るとお昼はお弁当を持って行くようになり、毎日母が早起きして手作りしてくれた、私は冷凍食品が嫌いだったので全て手作りしてくれていた、いつも入っている卵焼きがとても美味しい、母の卵焼きは優しい味がする、調理専科に入ったのも母の料理が美味しいからという理由もある、自分で美味しいご飯を作りたいと思っていた、途中から部活も初め日々頑張っていたがやはりクラスのいじめを受けていた、つらかったが我慢して毎日通っていたが、あるとき喧嘩になり、顔面を殴られてしまい、顔がパンパンに腫れてしまった、そのまま授業を受けていたが先生が異変に気付き、そのまま病院に行く事になってしまった、母もびっくりしていたが、私は皆勤にならないという事ばかり考えていた、病院もおわりそのまま帰宅したが、口が切れてなにも食べたくない、母は怒っていた、相手側の母が謝りに来たが正直母親も母親だ、片親で全く子供に対して興味がない、結局相手側は謹慎処分だけになり、私は氷を当てながら次の日から登校した、内心つらかったが、卒業までの我慢だと、自分に言い聞かせていた、この頃から母の様子がおかしくなっていった、元々ストレスから大病をしていて、いつ再発するか分からない状況だったが、ある日家に帰ると母がいない、父に連絡を取ると緊急入院になったと、私も急いで病院に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る