ソフト屋さんの日常
@papporopueeee
この先輩は早いところ死んでくれないだろうか
勤務時間終了を報せる鐘の音が聞こえる。
時刻は18時。今日も長い勤務時間がようやく終わった。
「ん~~~~っ!」
伸びをすれば自然と疲労が口から漏れ出し、肩の関節が音を鳴らす。
今日は久しぶりに定時退社だ。PCをシャットダウンし、安定化電源も忘れずに切る。この安定化電源を切って帰るというのが中々に難しく、まだソフト屋として新参の私は何度も切り忘れて上司に注意されてしまっている。
特に今日のような定時退社の日が危うい。早く帰りたいという気持ちが逸りついつい切り忘れてしまう。
「……よし、忘れてることはないかな」
周りを見ると私のように帰り支度をしている人間は少数派だ。しかし仕事を続けている全員が残業というわけじゃない。
そもそもこの会社はフレックス制であり、先ほどの定時を報せる鐘の音もほとんどの社員にとってはただの雑音だ。
だから私は他の先輩方が残業しているだなんて考えることもなく、気持ちよく帰ることができるのだ。
「お先に失礼します」
誰に言うわけでもなく挨拶をして出口に向かう途中、のんびりとした声に呼び止められた。
「シンちゃん、帰り支度してるところちょっといい?」
よくはない。私はこれから帰るところなのだ。
「はい、大丈夫ですよ先輩」
「ごめんね、ちょっとサブマイコンのフラッシュメモリへの読み書きが上手くいっていなくて」
サブマイコンのメモリへの読み書き機能。確かにそれは私の担当だ。動作確認はしたが出来栄えに自信がないのも事実だし、上手くいっていないというのなら私のプログラムがお粗末なせいなのだろう。
「そうなんですか……」
「うん、このままだとメインマイコンのデバッグにも影響が出て、リリース日に間に合わなくなっちゃうかもしれなくて」
リリース日に間に合わなくなるのは良くない。だから先輩が私を呼び止めるのは何も間違っていない。しかしメモリへの読み書き機能は明日にコードレビューを行うと先ほど上司と約束をしている。先輩が心配する気持ちもわかるが、今日はお互いに早く帰るのが良いのではないだろうか。
「だから、今日はもう少し頑張ってもらってもいいかな?」
「はい、わかりました!」
ここで断れる新卒がこの世に一体何人存在するのだろうか。
逆に、帰り支度をした新人に堂々と残業を頼む先輩はこの世に何人存在するのか。
まあこの先輩も悪い人ではない。現に今も申し訳なさそうな顔をしている。少し抜けている所があるし、女同士とはいえコンプライアンスにうるさいこのご時世に新卒をちゃん付けで呼ぶような人だが、技術と知識は確かなものでこれまでも何度も助けてもらっている。だから、私も今日ぐらい先輩に付き合おう。
まったく原因がわからない。
定時の鐘から既に一時間半。社内に残る人間も少なくなってきた。
先輩の言う通りメモリの読み書きはできていない。動作確認のときは確かに出来ていたのだが、今はまったくできていない。
フラッシュメモリというのは消耗品のようなものだ。書き込める回数は無限じゃないし、決まった手順を踏まずに書き込めばメモリを破壊する可能性もある……のかもしれない。まだ未熟な私にはよくわからない。
仮に私のプログラムが、フラッシュメモリへの書き込みを意味もなく何度も行うような構造になっていたとしたら。
もしも書き込みを行う際にしっかりとした手順を踏んでいなかったとしたら。
または何か想定しないような動作をしてしまうような設計になっていたとしたら。
あらゆる可能性を考慮して自分の書いたコードを読んでもまったく原因がわからない。
なぜ、急にメモリへの読み書きができなくなってしまったのか。
「シンちゃん」
「先輩……。すみません、一応私なりにデバッグしてみてはいるんですけど全然わからなくて」
「それなんだけど、ごめんね!」
嫌な予感がした。
「メモリの読み書きができないの私のせいでした! 本当にごめんね!」
話を聞くと、デバッグ用の処理をメインマイコンに入れていたのを忘れていたらしい。
メインマイコンからデバッグの処理を抜いたら無事にメモリへの読み書きができたとかなんとか。つまりはフラッシュメモリを実際に扱っているサブマイコンではなく、サブマイコンに命令を出すメインマイコンに問題があったわけだ。
どうりで私の担当であるサブマイコン側を調べてもわからないはずである。
「そんなに謝らないでください。原因不明のバグが出るよりは全然マシなので」
これは気休めでも嘘でもなんでもない。まだ入社して数か月の私でも、原因不明のバグに泣かされたことは少なくないのだ。
だからこれがいつもの先輩のうっかりで本当によかった。リリースの近いこの時期にバグの解明で作業時間を割かれるなんてことにならなくて本当に良かった。
それはそれとしてこの先輩は早いところ死んでくれないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます