ビスケットをとめて

芝楽みちなり

ポケットを叩くと

 びょうと冷たい風が吹き、僕は首をすくめた。

 古着屋で買った緑色のジャージは首元まできっちり覆ってくれているにも関わらず、その薄さと隙間の多さから防寒対策にはまったくといっていいほど適していなかった。


 季節は十一月。

 日本に定着しつつあるハロウィーンという名の仮装大会を終え、次なるイベントであるクリスマスに世間が一気に目を向けるこの季節に、僕は桜の木の下に立ち尽くしている。


 埼玉県某所にある三流大学キャンパス正門前。

 樹齢百年とも二百年とも言われている大ぶりの桜の木が、世間の荒波へ漕ぎ出すことを躊躇ちゅうちょし、人生のGWゴールデンウィークとも言うべき安穏あんのんたる大学生活へ一時避難した僕たちを生暖かく見守っている。


 地元民でもなければ名前も知らぬような三流大学には似つかわしくない立派な桜の木なのだが、しかし桜というものは冬に見るものではない。

 春ともなればその天高く広げた枝いっぱいに見事な花弁をつけ、この世のものとも思えぬ素晴らしい立ち姿を見せてくれるのだけれど、いかんせん寒風吹きすさぶ今の時期では、葉を落とした枝が身を震わせるばかりである。


 暇を持て余す僕はなにか面白いものでもないかと天を仰いだ。

 パズルのように入り組んだ枝の隙間から見上げた空はまるで海のようだった。

 突き抜けるような青に、波頭を思わせる雲の白。

 あの波間を抜けていまにも一頭の巨大なクジラが顔を覗かせて――。


 と、いけない。

 僕は頭の中に広がりかけた光景を強制的にシャットダウンする。

 危ないあぶない、また変な妄想をするところだった。


 脳裏の映像を振り払うように頭をぶんぶんと振っていると尖った声が僕の脳天に降ってきた。


「なにしてんだよ、胡桃田くるみだ。変な行動はしないでくれ、みさき先輩がきたらびっくりするだろ」

「ごめん」


 素直に詫びた僕を髑髏どくろパーカーを着た彼が睨みつける――いや、別に僕を睨みつけているわけではない。


 彼、門田くんは目が非常に悪いのだ。

 磨硝子すりがらすのごとくぼやける視界で生きている彼は常に世界を睨みつけざるを得ない。

 視力矯正器具を使用することを推奨したのだけれど、コンタクトレンズは怖いし、眼鏡は舐められるから嫌だという。


 そんな彼は陽光に輝く金髪と短く鋭角な眉に派手な色をした髑髏どくろパーカーと、どこからどう見てもヤンキーそのものなのだが、実は大学進学を機にイメージを大胆に刷新したばかりのなんちゃってヤンキーくんだ。


 見た目こそ田舎のコンビニの前でしゃがみこんで出入りする客を誰彼構わず睨みつける出来るだけ関わり合いになりたくない人種ではあるが、彼は高校時代体調を崩しながらも這いずりながら登校し出席を続け三年連続皆勤賞を獲得したことを輝かしい経歴として誇り、三年時には他薦から風紀委員長を務めたほどの真面目っ子なのである。


 そして現在その「見た目はヤンキー、根は真面目っ子」の彼が苛立たしそうにポケットをトントンと人差し指で叩いているのにはちょっとした理由わけがある。


 まず、彼は苛立っているわけではない。

 あれはなにかに不安を感じているときの彼の癖なのだ。

 試験の前などによく机をトントンと叩いており、その音は講義室中に響き渡り試験対策をバッチリと施してきた者たちすらも不安の渦の中へと引きずり込んでいく呪詛のような効果を持っている。

 

 もちろんいまは試験に対して不安になっているわけではない。

 彼はいまからここで「愛の告白」とやらをするつもりなのだ。


 どうしてそんな場面に僕がいるのかと言われても僕にもわからないが、どうしてこの場所が選ばれたのかということについてはわかる。


 ここ、正門前の桜の木の下は伝説の場所なのである。

 

 いわく――桜の木の下で愛の誓いを交わすと、その愛は永遠のものになる――とかなんとか。

 眉唾まゆつばどころの話ではないのだけれど、生粋の真面目っ子である門田くんはこの話を真にうけたらしかった。

 耳から首元まで茹でダコのように真っ赤にして、僕に告白の段取りをお願いしてきたときはなんの冗談かと思った。


 しかも、相手が相手なのだ。

 まさか、三咲先輩だとは……。


 三咲先輩は僕と門田くんが所属するB級映画同好会の先輩である。

 つややかな黒髪は清廉せいれんな滝のごとく流れ落ち、目尻のスっとあがった形のよい目の中心では意思の強そうな黒い瞳が爛々らんらんと輝く。血色のよい唇をいつも微笑みの形に固定して、なにを受けても楽しそうにコロコロと笑う、こんな田舎ではUMAみかくにんせいぶつ並に遭遇率そうぐうりつの低い美人である。


 そんな、都会に出ても道行く人々を残らず振り向かせることのできる悪魔のごとき魅力の持ち主である三咲先輩が門田くんの告白を受け入れるとも思えないが、しかし三咲先輩だからこそ「面白そうじゃん、いいよ」と受け入れてしまいかねず、それが僕には恐ろしかった。


 ――恐ろしい?


 僕はひとり首をひねった。

 門田くんの愛の告白を三咲先輩が受け入れる。

 その美しき場面のどこに恐ろしさを感じたのだろうか。


 僕は真っ先に見つけそうになった答えから目を逸らした。

 相変わらず真っ青に広がった空の端っこに、グループからはぐれた雲がひとつぽつねんといた。


 そうだ、僕はあの雲のようにはなりたくないのだ。

 門田くんは僕の数少ない友人のひとりである。

 基本的に大学内では彼と行動を共にすることが多く、それ以外の時はひとりである。

 

 だが、その門田くんに恋人ができたらどうだろう。

 しかも、前世でどんな得を積んでれば与えられるのかわからぬほどの美人の恋人だ。

 きっと愛の前に友情ははかなく崩れ去ることだろう。

 門田くんは恋人と過ごす時間を優先し、必然僕は大勢の中でひとり過ごす事になる。

 それはどれだけさみしいことか。

 想像するだに恐ろしい。


 そういうことなのだ。

 僕は誰しもが納得しうる答えを見つけひとり頷いた。


 門田くんはその間にも落ち着きなくポケットをトントンと叩いていた。

 時刻はもうすぐ正午になる。


 時間を認識した途端にお腹が鳴った。

 そういえば朝寝坊してしまったために朝食を抜いてきたのだった。

 カロリーを消費するばかりの主人に腹の虫が抗議の声をあげ、脳から食べ物を探すように指令が出され、僕の目は自然と門田くんのポケットへと向かった。


 彼はいつも小腹が空いた時用にポケットの中にお菓子を入れているのだ、お前は女子か。


 今日はあのポケットになにが入っているのだろう。

 普通に考えれば飴玉くらいが関の山だが、彼のポケットはドラえもんのそれのように空間がねじ曲がっているようで、どうみても入らないだろう大きなものをひょいと取り出すことがあるからわからない。

 さすがにバームクーヘンは無理だとしても、クッキーやビスケットレベルならば割らずに取り出して見せるだろう。


 ――と、「ポケット」「ビスケット」というふたつのキーワードに刺激され、僕の脳裏にある曲が流れた。

 

 ポケットの中にはビスケットがひとつ。

 ポケットを叩くとビスケットがふたつ。


 ひとつがふたつに。

 一回叩くと数は倍になる。

 

 門田くんはあのポケットを何回叩いただろうか。

 あのポケットにビスケットが入っていたとしたら、いったいいまは何枚に――。


 ボコボコと音を立てて、急激に門田くんのポケットが形を変え始めた。

 あっという間に小さなポケットの許容量を大幅に超え、ポケットの中でコピー&ペーストを続けたなにかが彼の足元にこぼれ始める。


 ベージュ色のそれはまさしくだった。


 しまった――!


「門田くん! ポケットを叩くのをやめて!」


 僕の声が門田くんに届かないうちに、彼のポケットからベージュ色の柱が猛然と吹き上がった。

 ポケットの中で数を増やし続けたビスケットが、思い切り振ったのち栓を抜いた炭酸のように飛び出したのだ。

 ポン、と音がしたような気さえする。


 門田くんは自分のポケットから天高くに突き上げるビスケットの間欠泉かんけつせんを驚いたように見上げながら、指だけは別の意思を持ったようにポケットを叩き続けていた。

 

 吹き上がったビスケットは空から雨として降り、門田くんの足元をベージュ色で埋め尽くしていく。

 ビスケット同士が擦れ合い削れているのか、甘い香りの粉が風に舞う。

 門田くんの指は疲れを知らず、どころか徐々にスピードをあげ、ポケットの中のビスケットを増やし続けていた。


 このままでは世界がビスケットに覆われてしまう――!

 僕は声の限りに二度と言うことのないだろう言葉を叫んだ。

 

「ビスケットをとめて!」

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