◆5章-2◆魔王の城で新生活




 その女を目の前にして俺は身動きが取れなかった。


頭の中が未だに混乱していて、めまぐるしくいろいろな事を考えてはさらに混乱していく。





何故、ここでその名前が出てくる?





こいつは、


この女は…





いや、この人は…。





「えいゆう君、だよね?」





 それは俺の本名ではない。


だが、俺をそのあだ名で呼ぶ人を、俺は一人しか知らない。





「う、嘘だ…」





 記憶は薄れ、もう外見はほとんど忘れてしまっている。


だから確認のしようもないが、少なくともこんなに若い筈が無い。





「嘘じゃないですよ。やっと…見つけた」





 そう言って、涙が頬を伝いながらも…にっこりと笑ったその人の顔は





確かにあの人と同じ暖かさを感じさせた。








「き、杏子姉なのか…?」





 今までキョウコを名乗っていた俺の目の前に杏子姉が現れるなんて話が出来すぎている。





これがユウジの運なのか?





「よかった…。もう忘れられちゃってるかと思ったよ。それにしてもえいゆう君…しばらく見ないうちに随分、大きくなったね」





 杏子姉だ。


間違いなく、俺の知ってる杏子姉だ。





小さい頃、彼女は俺の唯一の癒しだった。


近所に住んでたお姉さんっていうだけの関係だったが、彼女はいつも俺の事を気にかけてくれて沢山話し相手になってくれた。





彼女が親の都合で引っ越してしまうその日まで…。





と、言ってもそれからしばらくして俺がこの世界に連れてこられてしまったのだからその後杏子姉がどうしていたのか知らないが。





「私ね…何度もえいゆう君に手紙送ったんだよ?なのに全然返事くれないし…心配になって家に遊びに行ったんだ。そしたらね、君の両親が…息子は行方不明になって消えた。今まで育ててやったのに全部台無しになってなんて親不孝な子供だ!って怒っててね」





 なんだそれ。


でも俺は笑ってしまった。





あの両親の言いそうな事だ。


あの親は俺に興味なんてない。


自分の子供だから最低限育てなければいけない。そして、育てたのだからそれなりの見返りがなくてはいけない。…そんな事ばかりを考えているような親だった。





「それで私めちゃくちゃ腹が立ってね、その場でえいゆう君の両親ぶん殴っちゃった」





「…え?」





「ぶん殴っちゃった。てへっ♪」





 …俺が口を開けたままぽかーんとしていると、彼女は照れくさそうに続きを話始める。





「その後がほんと大変でね、あの人たちどうかしてるよ。本気で傷害事件にされちゃって裁判おこされてさー。示談とか無理だし。もう少しで鑑別所行きになるところだったよー。情状酌量とかなんやかんやで一応捕まったりはしなかったんだけどね…あれは大変だったなぁ。うちの親はゲラゲラ笑ってたけど」





 …俺は彼女のマシンガンのようなトークに押されながらも、その話の荒唐無稽というか無茶苦茶なノリに限界を迎えて爆笑してしまった。





おなかいたい。


息が苦しい。


 こんなに笑ったのは生まれて初めてかもしれない。





笑いすぎて涙が止まらない。





いろいろな思いが溢れすぎて涙が止まらない。





 そんな俺を、杏子姉は優しく、ぎゅっと抱きしめてくれた。





「この世界って結構危ないみたいだしさ、なんかそんなところで魔王やってるんでしょ?何があったか分からないけど、今まで大変だったんだね」





 そう言って彼女は俺の頭を優しく撫でた。





もう声が出せない。


何か喋ろうとしても嗚咽しかでてこない。





俺は一時間くらい、彼女の胸で子供のように泣きじゃくった。





「よしよーし。頑張ったね。辛かったね」





「俺…急にここに連れてこられて…すぐに化け物に殺されそうになって…逃げてる間に友達もできたんだけどその後…変なやつに捕まって奴隷として過ごして…。そこで仲良くなった人も友達もまた化け物に襲われて死んじゃったんだ…」





「そっか。大変だったんだね…」





「そしたらっ…俺だけ生き残っちゃって…助けてくれた人と一緒に騎士団に入ったんだけど…騎士団の人も皆死んじゃって…」





 一度漏れ出した言葉は止まらない。





気が付けば、リンに恋をした事。ダレンの代わりとして二人で過ごした事。リンに拒絶された事。リンが自分から死んでしまった事。


そして俺の能力、それから虫や動物や子供や大人や老人を殺して喰った事。


そして勇者を騙してここまで一緒にきて魔王も勇者も殺して喰った事。





全部、自分でも驚くくらい全部をぶちまけていた。





みっともない。


恥ずかしい。





今だけは、僕は当時のままの少年に戻っていた。





「よしよし。もう無理しなくていいんだよ。辛い思いも、嫌な思いもしなくていいんだからね」





 その優しい手に頭を撫でられながら僕はしばらくの間少年でい続けた。





やがて、少し落ち着いてくると急に羞恥心が俺を包み込む。





「も、もういいって。離してよ!」





「あぁん。もうちょっと昔みたいに甘えてほしかったのに」





 ほっぺたを膨らましてぶーぶー言う彼女を見ていると自然と口元が緩んでしまう。





「…そ、それにしてもなんでそんなに若いのさ。それにどうしてこの世界に来て、俺を見つけられたの?」





 そう。ここに居るって事は…


どっち経由で来たのだろう?





「うんー。それがさ、変態に追い掛け回されて犯されそうになったから飛び降りたんだよねー」





 …あ?





笑顔で何言ってんだこの女。





ちょっと理解が追いつかない。


常識が少しズレているような気がする。





…いや、常識に関しては俺に言う資格はないか…。





「んで、私死んじゃう前からずっとえいゆう君の事探してたんだよ?だから変な女神様に異世界転生の話された時にね、探し物を見つけられる能力と、探し物がある場所にびゅーんって行ける能力をもらったのね。若返ってるのはこの外見の方がえいゆう君にもわかりやすいからっていう言い訳~♪若返りできるのにしない奴ぁ女じゃない!」





 さっき飛び降りたって聞いた時にそんな気はしていたが、女神って事はユウジと同じ方向からのようだ。





どちらも一長一短だからどっちがいいとは言えないが、仮に俺と同じルートだと死んでない代わりにハードモード。


女神ルートは死んでる代わりにイージーモード。


 しかし若返りもセットとは女神様と言う奴は懐が深いというか太っ腹というか…。


 俺もそっちがよかったよ。





「いろいろこの世界で混乱が起きてるらしいからそれを調べて報告するっていう条件で転生してきたんだけど、ほら、神隠しみたいに居なくなっちゃったって聞いてたからえいゆう君がもしかしたらこっちに居るかもーって思ってこの能力にしてもらったんだけど大当たりだったね。そりゃあっちでいくら探しても見つからないわけだよ」





 …まてまて。


ちょっと聞き捨てならない事を言ってた気がする。





この世界で混乱が起きてるってのは十中八九俺のせいというか俺の事だろう。


それを調べて女神に報告…?


 面倒な事になりそうな気がする。





「俺の事をその女神に報告する為に来たの?」





 彼女は腕を組んで「う~ん」と唸る。





「ほんとはね、異常を見つけて報告するつもりだったんだけど、さっきの話を聞く限りその原因ってモロにえいゆう君じゃん?だから報告とかもういっかなーって」





「適当だなオイ」





「あ、適当って言葉の本当の意味知ってるー?ちゃんと適切な対応とかそういう意味なんだよ?だからまさに今の私の英断が適当な対応と言う奴なのです♪」





 …なんか腹立つ。





「でもさー。一応お姉さんとして言っておかなきゃいけないから言っておくけど、いくら嫌いな奴やっつける為だからって罪の無い子供とか殺して食べちゃうのはどうかなーって思うのですがね」





 …正論である。


俺は罪の塊だ。





「…ごめん」





「もうしない?」





 杏子姉が少しだけ首をかしげて俺の目を覗き込んでくる。


これには、こう言うしかあるまい。





「…もう、やらない」





「…うむ。じゃーいいや」





 俺はなんだか凄く酷い顔をしていたらしい。





「あれー?なんで許したのにそんなしかめっ面なの?もっとこう、おねーさんっ!ひしっ!!みたいなの期待してたんだけど」





「…いや、あのさ。俺子供とか爺さんとか殺してむしゃむしゃ喰ってるんだよ?ごめんの一言で許される事なの?」





 なんで俺が自分の罪の重さをアピールしなきゃならないんだ。





「でもここ日本じゃないし。こっちの世界の法律なんかしらないし捕まんなきゃいーんじゃない?」





 …マジかよなんだこの女。





「ちょっと、お姉さんの事馬鹿にしてない?」


「してないしてない」





「ならいいけど…あ、でももうやっちゃだめだからね」





「わかったわかった」





「返事は一回!」





「…わかりました」





「よろしいっ!」








 なんなんだこれは…。











俺はもう完全に毒気を抜かれてしまっていた。





なんだか世界を滅ぼすとかぶっ潰すとかどうでも良くなってしまった。





俺という人間はなんと単純なのだろう。





ユウジや魔王を殺す前に出会っていたなら、あいつらも殺さずにすんだのだろうか。





過ぎた事を言っても仕方がないのだが、どうしても気になってしまう。





それから彼女はこの魔王の城で一緒に暮らす事になった。


最初のうちは魔物だらけの環境に若干怯えていたが、「変質者よりよっぽど可愛いわ」とか言って気が付いたら俺よりも魔物達と仲良くやっていた。





そうやって自給自足生活をしながら魔物達と魔王と近所のお姉さんの生活が始まる。








それは、俺の人生の中でわたあめと二人で過ごした時以来の充実した時間だった。





特に何がある訳でもなく、ただ毎日毎日下らない話をしながら笑って、ご飯を食べて、抱き合って眠りに付く。


それだけの繰り返し。





二人で寝ている時だけは悪夢も大人しかった。





いや、きちんと今まで通り毎日悪夢は見るのだが…





俺のテンションが上がりすぎて、あいつらの話を聞かない。


耳に入ってこないのだ。





何か言っているようなのだがそれよりも俺の方から、自分がどれだけ今幸せなのかを聞かせ続ける。





そういう話ができるのが嬉しかったのだ。





ルーイはすぐにげんなりしてもう勝手にしろと俺に近づかなくなった。


ダレンは遠くで体育座り。


リンは未だに俺にブツブツ言っているが気にしない。俺は幸せだ。





新入りもいるが特別問題は無い。


ユウジなんかはお前男だったのかよふざけるなとかなんとか言ってたけど騙される方が悪いんだよばーかばーか。





でもこうやってユウジと気楽に会話できるというのも悪い気はしなかった。


あっちはどう思ってるかしらないが。





いや、俺の頭の中の産物なので実際どう思ってるも糞もないとは思うが。





そして京一に関しては一番の話し相手だった。


のろけ話も今までの苦労話もとても聞き上手なのである。





そしてわたあめも俺の幸せを祝ってくれているようで上機嫌にパタパタ飛び回っている。





この悪夢はいったいどういう原理で毎日みているのだろう。


ただ俺の脳内が毎日こういう幻想を産み続けているだけなのかもしれない。





 大量の虫や動物や魔物、喰った人々は遠くの方で輪になって談笑している。





その様子を見る限り俺の精神状態が安定していれば穏やかな夢になるのだろうか。





そんな単純な物でいいのだろうか。





ならばもうこれは悪夢ではない。





俺の記憶の積み重ねである。








「ねぇねぇ何考えてたの?」





「…ん、あぁ…毎日変な夢見るからさ。今まで知り合った人とか殺した人とかのオールスターズ的な夢」





「それ楽しい?」





「うーん。最近はのろけ話ばかり聞かせ続けてるから俺は楽しいよ」





「うわ、ちょー迷惑な奴じゃん」





「ちがいねぇや」





 そう言って笑い会う。





俺がこの世界でこんな風に笑える日が来るなんて、思わなかった。





ユウジの運のパラメーターって、さすがに都合が良すぎるというかチートすぎる。





こんなに不運続きの俺さえも幸せな気持ちにしてしまうのだから。





だけど、俺はその時忘れていたのだ。





どんなに運が良くなろうと俺は俺である。





俺が手に入れた物は…。





俺の望んだ物は…。





いつもいつも


全て、消えてしまうのだ。

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