第34話 釈放

釈放



木曜日の朝…検身を終え、自動車整備工場の人員30名が担当台の前に二列横隊で整列した。


「おはよう!」


本担当の古山のオヤジが大きな声で挨拶をし、受刑者に向かって敬礼をした。


「おはようございます!」


受刑者30名が声を合わせ、腹の底から出した大声で朝の挨拶を返し、背筋を伸ばし腰から30度を折り曲げる。


副担当の田端のオヤジが「ナオレ!」と号令を掛け、担当を含めた工場全員が「キヲツケ」の姿勢になった。


続け様に田端のオヤジが「安全十則!」と声を張り上げた。


訓練生の週番が一歩前に出て「はい!」とひと声鳴いた後「安全十則!いつも元気で朗らかに!」と入所時、声出しで習った通りに腹の底からの声でがなり立てる。


続いて残りの29名が「いつも元気で朗らかに!」と声を揃えて唱和する。


「互いに仲良く協力し!」


「互いに仲良く協力し!」


「指示や注意を良く守り!」


「指示や注意を良く守り!」


何時もなら…このまま安全十則を言い終わると同時に、田端のオヤジが「作業位置につけ!」と号令を掛け、一日の作業が始まるのだが、その日はその安全十則を田端のオヤジが遮った。


「ダメだ!お前らまだ寝ぼけてるのか!全然声が出てない。五十嵐!前に出てお前が見本を見せてやれ!」


キチガイ副担当の佐藤とは違い、どちらかと言えば穏やかな田端のオヤジにしては珍しい事だ。


しかし…それには理由が有る。


跳んだ猿芝居と思いながらも、僕たち受刑者はその日を待ちわびているのだ。


僕はご指名の通り「はい!」と力強く返事をし、一歩前に出て安全十則を更に力強く声を張り上げて唱和した。


刑務所は、受刑者同士の個人的な挨拶を全て禁止している。


「おはよう」「お疲れさん」況してや工場を出て行く者に「ご苦労さん、元気でね」などと言う言葉は絶対に掛ける事は出来ない。


受刑者に対し刑務官は仮釈放の出所予定日を教えてはいけない。


それは身元引き受け人にも徹底されており、保護司から面会に行っても絶対に出所予定日を教えない様に指導される。


つまり、この安全十則の唱和は、今日僕がこの工場を出て行くお別れの挨拶で有り、刑務官が規則通りに最後まで受刑者に出所予定日を隠し通したと言う既成事実の擦り合わせなのだ。


僕は2年間過ごしたこの整備工場やそれに関わる全ての人に「ありがとうござました」の意味を込め、力一杯、身を捩りながら安全十則を唱和した。


安全十則を唱和し終わると同時に田端のオヤジが「五十嵐列外、食堂前!それ以外の者、作業位置につけ!」と号令を掛けた。


僕は担当台の横に有る食堂の前で皆に背を向け、キヲツケの姿勢で次の指示を待った。


仲の良かった上野や李、同じ部屋の松崎が食堂のガラスに映った僕と目を合わせ、通り過ぎて行く。


「終わったんだ…死ぬほど長く感じたこの懲役も、しち面倒くさい自分勝手な収容者との人間関係も…やっと終わったんだ…」


僕はそう思うと、全身の力が抜けて行くような虚脱感を感じていた。


各班と各訓練生とに分かれ、工場の正面に整列し、安全旗掲揚、始業点検、始業点検報告と副担当が次々と号令を掛ける。


2年間、寸分の狂いも無く繰り返された朝の決まり事も、自分にはもう関わりの無いどこか遠くの出来事の様に僕の耳を通り過ぎて行く。


頭の中は真っ白だ…この2年間、嫌な事も有った、辛い事も有った…悩み続けた翠の事…死んでしまった葵さんの事…昨日まで…いや、今朝の今までグジグジと考えていた、自分ではどうにも解決することの出来ないあらゆる事が…一瞬にして頭の中から消えてしまった。


「作業始めぇ!」


僕のすぐ横で怒鳴る担当の声さえも、僕の頭の中の静寂を突き破る事はなかった。


「五十嵐」


誰かに呼ばれたような気がした。


それが本当に呼ばれたのかどうかも分からない。


「おい五十嵐、ぼーっとしてんな、こっち来い」


担当台の上から古山のオヤジが呼んでいた。


僕はどこか焦点の合わない眼を前に向け、担当台へと移動した。


古山のオヤジも一段高い担当台から降り「お前、大丈夫か?」と聞いた。


「大丈夫です…なんか一瞬で気が抜けちゃって…」


僕は素直な気持ちを告げた。


「馬鹿者、本当に気を張らなきゃいけないのは社会に帰ってからだろ」


そう言った古山のオヤジも笑っている。


収容者には絶対に見せない笑い顔…。


『この人はこんな風に笑うんだ…』そんな思いが浮かんだ。


「もう分かっていると思うけど、今日これから釈前房に移動するからな。後一週間、頭のおかしいのはどこにでも居るから、出所する瞬間まで気を抜くなよ」


「はい、お世話になりました」


僕は深々と腰を折り、古山のオヤジに感謝の言葉を伝えた。


「母ちゃん、迎えに来てると良いな」


「えっ?」


聞き返したのは、古山のオヤジが言う「母ちゃん」の意味が一瞬掴めなかったからだ


「母ちゃんだよ、お前のな、い、さ、い」


内妻の言葉を古山のオヤジは切れ切れに言ってまた笑った。


工場担当は誰がどんな内容の手紙を書いているのかを把握するのも仕事の一つだ。


その手紙の内容で、自分の兵隊の精神状態を知る為だろう。


翠に宛てた「迎えに来なければ、俺はまた悪い事をするぞ」と言う半ば脅しのニュアンスを含ませた手紙も、古山のオヤジは読んでいる筈だ。


僕は古山のオヤジの言葉に返事が出来なかった。


「心配するな、ちゃんと迎えに来てるさ。どうでも良いと思ってる奴に服なんか送ってくる人は居ない。少なくとも、俺は今まで見た事がない」


そう言われて、僕は少しだけ明るい気持ちになった。


「服、送って来たんですか?」


「ああ、来てる。上から下まで一揃え全部来てる。だから心配するな。お前なら社会に出てもちゃんとやって行ける…だからもう母ちゃんを泣かせるな」


古山のオヤジは、そう言って僕の肩を叩いた。


「ありがとうございます」


僕は返事をしながら、涙が溢れ落ちない様に必死に堪えていた。


「間も無く迎えが来るから、副担にも挨拶して来い」


古山のオヤジは優しくそう言った後、僕の目の前に右手を差し出した。


「ほら、どうした?最後に握手するべや」


口煩い、何を考えてるか分からないと嫌っている奴が多い古山のオヤジだけど、僕はこのオヤジが嫌いでは無かった。


最後まで……僕は古山のオヤジが嫌いでは無かった。


僕はオヤジの手を押し頂き、両手で包み込んだ。


その手をオヤジが、力強く握り返した。


もう二度と会う事もない…しかし僕の人生の2年と言う歳月を権力の力で押さえつけ、僕を虫けらの様に扱った人。


本来なら憎むべき相手…。


でも、最後はちゃんと人間らしく扱ってくれた。


「お世話になりました」


僕はもう一度言って、古山のオヤジの手を握ったまま頭を下げた。


涙がひと雫…僕の手の甲にポツリと落ちた。



釈放前の儀式は適当とは言わないが、何もかもが大雑把で規律、規律と煩く躾けられた身としては、拍子抜けするほど何事も簡単に済まされる。


工場を出た後、一旦舎房に戻り私物を鞄に詰め込んだ。


入所した時に溢れていた消耗品も全て使い果たしたと言うのに、逆に本やノートなど増えてしまった物もあり、いざまとめて見ると一人では持ち切れる量ではない。


入所の時、僕の荷物を持ってくれたばかりに懲罰となったおじさんの事を思い出したが、どんな顔をして居たのかも頭の中に浮かべる事は出来なかった。


「用意出来たか?」


緩い感じで連行の職員が廊下の窓から顔を出した。


「一応は纏めました」


「そうか、忘れ物するなよ」


そう言って連行の職員は舎房の扉を開けた。


扉の前には荷物を運ぶ為の台車が用意されている。


入所と出所ではこんなに待遇が違うのかと思うと、いちいち悩むのが馬鹿らしくさえ思えてくる。


僕はその台車を押しながら、刑務所の居住区を分ける西棟と東棟の中間にある処遇分室横の誠心寮と呼ばれる釈前房に向かった。


誠心寮は三階建ての舎房棟とは違い、コンクリート造りなのは違いないが、平屋の清潔で見るからに田舎の一軒家と言う佇まいだ。


誰もが憧れる場所…釈前房と言っても、刑務所から出て行く者全てがこの誠心寮に入れる訳では無い。


ここに入れるのは仮釈放で出所する者だけ。


つまり、仮釈放を貰えるほど真面目に務め上げた者だけがこの誠心寮に入る権利を得られる。


出所前の一週間、或いは長い者で二週間、自由で規則に縛られずのんびりとテレビを見て過ごし、ご飯も盛り切りの一膳飯では無く、おひつから自分の好きなだけ飯を盛って食う。


出所までの平日、一日二時間ほどの教育と称する教誨師やお偉いさんの講話は有るが、基本好き勝手に時間を潰していれば良い。


布団だって今まで与えられて居たペラペラの煎餅布団とは違い、一般的な家庭にある様なお日様の匂いがするふかふかの布団だ。


部屋も四畳半の個室…もちろん部屋の出入り口に鍵なんか付いて居ない。


自分専用のテレビが有り、窓にはカーテンが引かれ、蛍光灯には紐がぶら下がり真っ暗にして眠る事も出来る。


いきなり娑婆に出て、戸惑わない為の一週間の訓練…それが誠心寮に入る理由でも有る。


仮釈放で出所する者を、刑務所は何事にも優遇する。


この誠心寮を始め、出所後の就職の斡旋、薬物の常習者に至っては月に一度の尿検査など、観察所できめ細かなケアまでしてくれ、場合によっては保護会と言う雨風を凌ぐ住まいまで用意してくれる。


帰る場所もない、迎えてくれる人も居ない…満期出所の者にこそ、手厚いサポートが必要なのでは無いかと僕は思うのだが、刑務所側が手を差し伸べるのは、身元引き受け人が居る、つまりは出所後、力を貸してくれる人が居る、更には帰る場所がある者に限る。


だからこそ満期で出所する者の多くは、再犯を繰り返す者が後をたたないのでは無いか…と僕は思うのだが、刑務所の…いや、法務省のお偉いさんには放り出して仕舞えば、後はどうなろうとどうでも良い事の様に思っているとしか考えられない。


幸いにも今回、僕は大沢社長の協力も有り、帰る家も用意され、仮釈放の恩恵を賜る事になった。


それは刑務所を出た瞬間からご飯を食べる事も、夜寝る事も、全て自力で決めなくてはいけない満期出所の者達より、はるかに恵まれて居ると言える事だった。


一度処遇分室で言い渡しを受けてから誠心寮に入寮する物と思っていたが、連行の職員は直接僕を誠心寮に連れて行った。


「よし、そこで止まれ」


昨日まではどんなに短い距離でも歩調を取り、止まる時には「全体止まれ」の号令に合わせ「いち、に」と声を発して止まらなければいけなかったと言うのに、そんな物は全て省かれ刑務官と懲役と言うギスギス感も何も無い。


僕は言われた通り誠心寮の前で止まり次の指示を待った。


「そしたらな、玄関を入ったら黒板が有るから、そこの後ろにお前さんの称呼番号と名前が書いてあるか確認しろ。名前が書いてなかったらここには入れないから」


何が可笑しいのか、連行の職員は自分の言った台詞に一人で受けて「あはは」と笑って居る。


名前が有るからこそ僕をここに連行したんだろうに、笑えない冗談にとても付き合う気にもなれず、僕は言われた通り入り口に置かれてある職員の言った黒板…正確にはホワイトボードでは有るが、その裏に自分の称呼番号と名前が書かれて居るのを確認した。


「有ります」


僕は短く答えた。


「有ったか、良かったなぁ、じゃあ靴を脱いで中に入れ」


職員はそう言ってまた「がはは」と笑った。


お互いを対等に見れない人間の冗談がいかにつまらない物か、改めて僕は感じながら誠心寮の玄関に靴を脱いだ。


誠心寮は中庭、洗面所、トイレ風呂場を中心に挟んで、片側に四畳半の単独室が9室、15畳程の大部屋が1室有り、全く同じものがその反対側にも有る。


その先に入ると広々とした食堂が有り、四人がけのテーブルが6個2列に並んでいる。


そこには大画面のテレビや本棚が有り、仮釈放予定者は、この建物の中ならどこに居ても良いことになっている。


今朝までの事を考えれば、天国と地獄の差だ。


誠心寮に入ると先客が3名既に居り、手持ちぶたさに食堂の椅子に座っていた。


入所当時の去勢の張り合いもなく、皆一様ににこやかで、初めて会うと言うのに、やけに親しげな笑顔を投げかけて来る。


どんな性格の悪い奴が来たとしてもたかが一週間…お互いを探る必要も無ければ、自分専用の部屋もテレビも与えられた釈放前の共同生活。


挨拶もそこそこに打ち解けた空気が流れる。


矢鱈話しの大きい稲田という五十代半ばの男、胡散臭いオーラを身体中から発している珍と言う在日中国人、おどおどとし、誰とも目を合わせない高木と言う男。


これから一緒に懲役を務める相手と思えばストレスの原因に成りそうな奴らばかりだと言うのに、同じ日に娑婆に帰ると思えば不思議と連帯感も生まれ、誰が何をしていようと気にもならず、僕たち四人はあっという間の一週間を共に過ごした。


聞けば、僕以外の三人は保護会に帰るのだと言う。


保護会とは、身元を引き受けてくれる人もなく帰る家もない人を、本人の申し出により過去の犯歴や所内生活態度を元に審査し、仕事をする事、お金の管理を任せる事、飲酒をしない事などを条件に刑期満了の日まで住まう場所と食事を提供してくれる施設だ。


そこには刑務所より少しの自由があると言うだけで、結局は監視の目が厳しく刑務所の延長線上に有り、出来るなら避けて通りたい場所では有る。


それでも…誰だって仮釈放は貰いたい。


一日でも早く刑務所から出られるのなら、それが保護会だろうがダルク(薬物離脱矯正施設)だろうが、なんだって利用してやりたいのが懲役だ。


例え家族では無く、知り合いの社長だったとしても、仮釈放を貰ったその日から自由を手に入れる僕は、同じ日に仮釈放を貰う同衆よりも恵まれて居る。


今回の事を振り返れば、僕は全ての事に恵まれ過ぎていたのかも知れない。


本来なら5年や6年は覚悟しなければいけない事件を起こしたと言うのに、弁護士や共犯の雄樹の機転も有り、窃盗事件は有耶無耶となり覚醒剤の使用のみで僅かに2年の刑を務めた。


刑務所に入れば、親兄弟親戚、友人なども皆離れて行くと言うのに、親友の吉川和也は毎月の様に手紙をくれ、身元引受け人の大沢社長も定期的に面会に来てくれた。


翠からの面会や手紙が来ない事で神経をすり減らしはしたが、物を頼めば必ず直ぐに送ってくれる。


誰からも面会や差し入れ、手紙さえも届かない収容者が殆どの刑務所の中、僕を見て羨ましいと思っていた奴は必ず居たはずだ。


それが…今になってやっと分かる…。


ただ一途に刑期満了の日を見つめながら嫌々務め上げた二年間…釈前房に来て、初めてこの二年を振り返った。


「俺は恵まれ過ぎている…翠の事にしても…自分勝手過ぎたんだ…」


翠が送ってくれた本や記念切手、メガネや出所の為の洋服…面会に来ない、手紙をくれないなんて事は取るに足らないどうでも良い事だったんだと初めて思えた。


仮釈放の日は毎週水曜日と決まっている。


前日の火曜日…私物の検査が有った。


これもまた入所の時とは違い、実に大雑把で笑ってしまう程だ。


入所した時と同じ検査室に四人全員が集められ、言われる事はたった一言…。


「持って帰るものだけ自分の鞄に詰めろ」


僕は思わず笑ってしまいそうに成るが、明日には居なくなる者に何時迄も構って居られないのもまた刑務所なのだろう。


本が好きな僕は、出来るなら全ての本を持って帰りたかったが、荷物が増えるばかりだと思い、泣く泣く全てを廃棄する事に決めた。


昨日まで使っていた下着や洗面道具も全て捨て、ノートや来信だけを持って帰る事にした。


あれほど持って歩くのに苦労した私物は、サムソナイトのスーツケース一つで充分余裕が有る程度に減ってしまった。


本当に必要な物など、いくらもない事に改めて気が付いた。


「明日の朝着る物は鞄の上に重ねて置く様に」


検査係の担当に言われ、僕ははたと気付く。


「すみません、出所用の服が送って来てると思うんですけど」


古山のオヤジから聞いていなければ気が付かずに出所したかも知れない。


「何?名前と称呼番号は」


「566番、五十嵐です」


そこで担当も思い出したのか「おー、忘れる所だった」と言って奥からクリアケースを一つ持って来た。


「566番五十嵐、間違い無いな」


クリアケースの上にマジックで書かれている称呼番号と名前を再確認し、担当は僕にその荷物を手渡した。


中には「ZARA」と書かれた紺色の大きな紙袋が入っていた。


紙袋を開けると、薄手のタートルネックにセーター、細身のパンツ、革のベルト、下着一式、真っ白なスニーカー…いかにも翠が選びそうな、都会的で洗練された洋服が詰められていた。


僕が頼んだ通り全てが新品で、明日の朝直ぐに着られるよう、ハサミを借りて洋服のタグを切り離していった。


僕の様子を一緒に釈放になる3人がジッと見ている。


稲田は厚い革ジャンにジーパン、珍はネルシャツにジーパン、高木に至っては10月も半ばを過ぎたと言うのに、半ズボンに半袖のTシャツで出所する様だ。


殆どの者が着の身着のまま、捕まった時そのままの洋服で出所して行く。


それに比べ…僕は翠に…いや、周りの全ての人に甘えるに良いだけ甘え、見栄や虚勢を張り続けている。


いっそ一文無しで冬の寒空に着る物もなく、着の身着のままで刑務所から放り出された方が自分の為に成るのでは無いだろうか…。


出所を前に、僕は自分自身を責め始めていた。


だからと言って明日にはもう娑婆の人だ。


もう手遅れだとしても、僕は最後の反省をする機会を貰った様な気がしていた。



翌日、僕たち四人は処遇本部で仮釈放の言い渡しを受けた。


出所後、真っ直ぐ観察所に行く様に厳しく言われ、刑務所のナンバー2で有る処遇部長から仮釈放決定通知を貰った。


「五十嵐、迎えが来てるからお前だけ先に来い。他の者は職員が北府中の駅まで連行する。電車に乗るまで職員が監視しているので、勝手な行動はとらない様に」


連行の職員がそう宣言し、僕だけが先に処遇分室から連れ出された。


刑務所を出る前、出入り口の受付で名前と生年月日を聞かれた。


警備の職員が僕の顔と身分帳の写真を照らし合わせ、本人に間違いのない事を確認した。


大沢社長が一段低い出入り口の歩道で笑っていた。


僕は何を言ったら良いのか分からず、照れ笑いを浮かべ「ただ今帰還しました」と頭を下げた。


「おう、お疲れさん…お疲れさん」


大沢社長はそう言って、サムソナイトのスーツケースを僕の手から取り上げた。


「そこに車が停まってるからよ、先ずは車に乗れよ」


大沢社長はそう言ってどんどんと駐車場の方へ歩いて行く。


嬉しかった…嬉しかったけど…僕にはどうしても確認しなくてはいけない事が有る。


「しゃ、社長、み、翠は…?」


言葉を急きながら、僕はどもりながら一番知りたい事を聞いた。


社長は立ち止まり困った顔を僕に向ける。


それだけで、僕は翠が僕を迎えに来ていない事を想定出来た。


「やっぱ来なかったんですか…」


一瞬の沈黙が流れた。


「近くのファミレスでお前の帰りを皆んなが待ってる。早く車に乗れ」


皆んなって誰だろう…聞いてみたいのに聞かせるものかと言う大沢社長の頑なさも僕には伝わっていた。


皆んなが居るというファミレスは目と鼻の先に有った。


駐車場には翠の白いセダンが停まっている。


窓際の席で然りと外を気にしているのは翔太だ。


たった二年で大人びた顔になっている。


その隣に女の人が座っている。


顔は見えないがそのシルエットで直ぐに翠と分かる。


吉川和也のバイクも停まっていた。


来てくれたんだ…皆んな俺を迎えに…来てくれたんだ。


僕は刑務所を出られた喜びと翠に会える喜びとで、叫びたい程の感激に震えていた。

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