第32話 準備面接

準備面接




「今日はね、色々と聞きたい事があるの。だから貴方が今、本当に思ってる事を聞かせてくれる?」


ヤケに甘ったるい節回しで女の面接官が僕に言った。


入所の時の分類面接もそうだったが、何故か刑務所で働く女の職員は、皆一様に話し方が優しい。


まあ、女子刑務所に行けばまた違うのだろうが…。


「工場の担当先生の方で、貴方が真面目に頑張ってるからそろそろ仮釈放の準備をしてくれませんかって推薦が有ったの。だから今日はその準備の為にお話を聞かせて欲しいの」


年の頃は50前後だろうか…異性など無縁な生活を送って来ただけに、化粧の匂いとその穏やかな喋り方だけで、僕の頭の中に良からぬ妄想が浮かんで来そうだ。


「仮面接って事で良いのでしょうか?」


僕は一応の確認をした。


面接官は僕の問いかけに「うふっ」と小さく笑った。


「仮面接って言うのは貴方達の言葉でしょ?これは準備面接です。今日、貴方からお話を聞いて、その上で仮釈放の委員面接に推薦するか如何かを決めるので、まだ貴方を仮釈放で出所させるか如何かは何も決まってないの。それだけは理解しておいてね」


「分かりました」


僕はそう返事をしたが、仮面接に掛ると言う事は、ほぼ仮釈放が確定してるのと同じ事だ。


「体の調子はどう?」


「特に悪い所はありません」


答えを言う度に、面接官は僕と目を合わせニコリと笑う。


うっかりすると、僕に気が有るのでは無いかと勘違いをしそうな柔らかさだ。


「帰る場所は決まってる?」


「知り合いの会社の社長にお世話になります」


「そう…内妻の方とは連絡は取れてるの?」


面接官の問い掛けに、僕はなんと答えたものか困ってしまう。


「僕からは毎月手紙を出してますが、返事は有りません。ただ、僕の友人や柄受けの社長の所には頻繁に連絡は有る様です」


「それはどう言う事?貴方の帰りは待ってないけど、貴方のお友達とは連絡を取り合ってるって事?」


そんな事は僕の方が聞きたいくらいだ。


だからと言って面接官に悪い印象を与える訳には行かない。


「多分ですけど、僕の帰りはちゃんと待っててくれてるんだと思います。柄受けの社長が言うには、今は凝らしめる為に手紙も面会もしないって事のようです」


「そう、でも実際に待ってるかどうか本人の意思は聞いてないんでしょ?」


「そうですけど…」


僕は少しだけムキになり掛けている。


「もし貴方の思ってる事と、社会に帰ってからの現実が違ってたら、貴方はまた悪い事を始めるんじゃ無い?」


ドキリと心臓が波打った。


毎日の様に沢山の受刑者と話をしている面接官だ。


こちらの思惑など手に取るように分かるのかも知れない。


「今回が初めての刑務所では無いので、実際にそう言う経験も有りますし、ダメになるかも…と言う事は入所した時から覚悟して居る事でも有るので、その点は心配有りません」


まあ、これくらいが優等生的な発言だろう。


「でも、以前は違う女の人と中でダメになって、また刑務所に戻って来ちゃったんでしょう?今回はそうならないって言える?」


そんな事、誰が分かるんだよ…腹の中ではそう毒付いても、おくびにも出さず「大丈夫です」と僕は爽やかに答えた。


「なんでそう言えるの?」


物腰の柔らかさとは違い、クドクドと同じ事ばかりを言う面接官に僕は苛立ちを覚えた。


「今回お世話になる柄受けの社長が自動車の整備工場をやっていて、先日二級整備士の資格も取れたので今度こそちゃんとやれるんじゃ無いかと自分では思っています」


「それは大きな前進だと私も思うわ」


やっと面接官との意見が噛み合った。


「今ね、貴方にとって、もの凄く大切な時期なの。貴方の為に何人もの人が動いて貴方を仮釈放で出せるかどうか審査をするのよ。だから絶対に問題を起こして欲しく無いの…分かる?」


「はい」


「仮釈放で出られそうな人を妬む人も居るわ。貴方が中にいる人とトラブルを起こせば、今日の話しも全部無かった事になるの…それも分かるでしょ?」


「はい」


「もう少しだから、頑張ってね」


面接官はそう言って僕との話しを打ち切った。


「ありがとうございます」と言って僕は調べ室を退室した。


工場に戻り古山のオヤジに「ありがとうございます」と頭を下げた。


「今が一番大事だからな」


古山のオヤジはそう言った後「副担にも報告して来い」と言った。


殺してやりたい程嫌いだった佐藤の代わりに副担当となった田端のオヤジにも「仮面接でした。ありがとうございます」と頭を下げると「頑張れよ」と声を掛けてくれた。


釈放が近づくと、刑務官は皆優しい。


それもまたマニュアルなのかも知れないが…。


通常仮面接が終わると12週間ほどで本面接と呼ばれる委員面接が有る。


委員面接が終わると5週ほどで仮上がりとなり、一切の労働を免除され、一般の受刑者とは隔離した「誠心寮」と呼ばれる釈前房に移される。


そこには同じ日に仮釈放で出所する者が集められ、長い者で2週間、早ければ1週間で娑婆に出られる。


5月の終わりの事…こちらの計算通りで行けば、10月の頭には仮釈放で出られるかも知れない。


とは言っても帰住地の受け入れの都合も人によって違う為、それ以上に長く留め置かれる場合も暫しだ。


もしかすると…翠の誕生日の前には出られるかも知れない。


ついそんな事が頭に浮かぶ。


大沢社長との面会の後、火病について色々と自分なりに調べては見た。


親友の吉川和也に頼んでインターネットで抜き取った情報も送って貰った。


確かに大沢社長が言うように、韓国人には先天的な病気が有るようだ。


長きに渡って迫害されて来た歴史が、韓国人の血の中に火病と言う病を植え付けたらしい。


その結果、辛い事を我慢しすぎたり、男女間で有れば相手の浮気などでその病状が深刻化する。


だがしかし…それは韓国人ばかりでは有るまい…。


逆にそんな事が有ってもヒステリックにならない人種が居るなら教えて欲しいくらいだ。


確かに翠は我慢強い。


僕の浮気の事にも寛大だ。


それは僕が勝手にそう思っていた事で、実はその全てをストレスとして溜め込んでいたとしたら…社長が言うように更年期と相まって一気に爆発したとしても不思議ではない。


だとしたら…何故切手やメガネなど頼んだ物はちゃんと送ってくれるのだろう。


普通ヒステリーを起こし、僕に許し難き思いを抱いて居るとしたなら、何事もシカトを決め込んで頼んだ物さえ送っては来ないのでは無いだろうか…。


翠と翔太の為に、もう一度人生を考え直してみようと考えた矢先「貴方とはもう終わりだから」と宣言され、2年間屈辱に近い淋しさを味わい、真面目に成ろうと言う気持ちも消えかけた時、大沢社長との面会で翠の気持ちの一端を知らされた。


「どうすりゃ良いんだよ…」


近頃、そんな言葉がすっかり口癖になってしまった。


職業訓練の最終目的である資格試験が終了し、前年度の訓練生の誰もが浮き足立っている。


御多分に漏れず、僕もそのうちの一人だ。


この一年は、折角職業訓練に参加出来たのだから、せめて資格を取るまではどんな事でも我慢しようと頑張って周りとの対人関係も気を配ってきた者も、いざ資格が取れてしまうと自己主張が強くなり、工場の中も揉め事が増えてくる。


大概が言った言わないの下らない喧嘩ばかりだが、メンツばかりを気にするす輩達が派閥を作り、毎日小さな諍いが起きる。


望むと望まざるとに関係なく、拘束された数少ない人間関係の中で、その諍いの中に僕も何らかの形で取り込まれてしまう事も多い。


一度は満期で出所しようと腹を決めたと言うのに、仮釈放が貰える事が分かると、急に色気が顔を出し自己防衛の為、周りとの接触も避けるようになる。


そうなれば自然と周囲から孤立するようになり、時には陰口も叩かれ、刑務所にいる事が嫌で嫌で仕方ない。


出たくても出られない周りの収容者からの妬み僻みで陰湿なイジメにあい、折角仮釈放のチャンスに漕ぎ着けたというのに、自ら問題を起こし工場から出ていく者さえいるのだ。


過ぎて仕舞えばあっという間の年月も、仮面接に掛かり今日で一週目が過ぎた…今日で二週目が過ぎた…と指折り数え時の経過を意識していると、毎日が長くて仕方ない。


僕が二級整備士の資格を取った事で翠が大喜びをしていたと大沢社長に聞かされ、僕は翠や翔太との将来を再び考え始めていた。


「出てからどうするんですか?」


近頃、誰からも聞かれる決まり文句だ。


真面目になるのか、それとももうひと勝負賭けて悪さをするのか、人の事などどうでも良いだろう…と思うのだが、決まって中に残る人間は出て行く人間の身の振り方を気にする。


意地糞悪いと言えば言葉は汚いが、一度出て行った人間が、再び刑務所に舞い戻って来ると、何故か妙にホッとするのも本当の事で、バカをやって警察に捕まるのは自分だけでは無いと言う安心感に繋がって居るからでも有る。


出てから僕はどうするのだろう…。

翠とやり直せるのなら…もちろん大沢社長の会社で働かせてもらい、いつかは自分の整備工場を持つ為に頑張ってみるのも悪くはない。


しかし、仮面接の面接官が言うように、本人の意思を確認していない以上、いざ出所してみて自分の思惑と違った時…その時の落胆は何かの犯罪を誘発させるほど大きいに違いない。


翠からの連絡さえあれば…翠からの明確な意思表示さえあれば…いや、明確な意思表示は確かに有った。


「私の役目は終わったわ。だから、もうここには来ない」


「待っていると言う約束もう無しだから」


それが僕に対し翠が最後に言った言葉だ。


それはあまりにも一方的で、それ以来僕の手紙や吉川和也、大沢社長に託した伝言にも無しのつぶて…。


つまりはそれが結論で、僕は2年間ストーカーの様に翠を追い回していただけなのだろうか…。


刑務所からの出所が近づくと誰もが不安だ。


当然、喜びは大きい。


だがしかし…再犯を繰り返し、何度も刑務所からの出所を経験して居る者は、時に不安が勝る事も少なくはない。


刑務所ボケ…たった二年と言えども、世の中は確実に変わっている。


警察に捕まった日から時が止まったままの自分が、浦島太郎の様に突然娑婆に帰ったところで、社会の歯車に噛み合うまではそれ相応の時間も必要だ。


出所してからの事を何も決められず釈放される。


それは…もう一度悪事を働いて一儲けしてやろうと決心して出て行くよりよほど悪い。


つまりは路頭に迷い、人を傷つけ強盗に走る一番の原因でもあるからだ。


そして僕は何時迄も翠との関係にこだわり、結局何も決められずに居る。


「どうすりゃ良いんだよ」


そう呟きながら、時は確実に僕の釈放に日に近づいて行った。

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