第26話 良い一日

良い一日



なんだそうだったのか…そりゃそうだよな…2年も待たせた挙句に、たった半年でまた捕まって、更には他に女まで作ってたのだから、翠じゃなくたって今度ばかりは何とかして懲らしめてやろうと考えるのは当たり前のことじゃ無いか。


捨てられなかったのが不思議なくらいだ…。


なんだそうだったのか…そりゃそうだよな…大沢社長との面会が終わり、僕は今日一日で何度その言葉を口にしただろうか。


大沢社長にさえそう言う位なのだから、恐らくは吉川和也にも同じ事を言っているに違いない。


ただ、吉川の方が翠とも年が近く付き合いも気安い分、僕には絶対に言うなと翠からキツく口止めされているのかも知れない。


だとしてもだ…そこは男友達なのだから「本当は口止めされているから、俺から聞いたなんて絶対に言うなよ」と、一言前置きしてから僕を安心させてくれても良い様な物では無いか。


もし自分だったらそうするな…と思うと、吉川和也の不器用さと言うのが恨めしくさえ思えて来た。


それが、この懲役という何事にも情報量の少ない、意味も無く不安ばかりが膨らむ暮らし振りを体験した事のない人間の気の回らなさなのかと思うと、それもまた仕方ないと、今日の僕は思えるのだった。


また、今日の面会で大沢社長から言われた事と、吉川和也からの手紙を照らし合わせて考えると、確かに吉川からの手紙には、翠と僕との関係は絶望的だとは一言も書いていない。


それはつまり、大沢社長が言った「今は懲らしめの為に連絡を取らない」と言う事の裏付けにもなるのでは無いだろうか。


漸くこれで枕を高くして眠れる…。


そう思うと自然と顔が綻び「なんだそうだったのか…」と言う言葉が後から、後から口から溢れ出てくるのだった。




「良い面会でしたね?」


舎房に帰ると、開口一番で篠崎が僕に聞いた。


「まあ、女房では無かったんですけどね」


僕は今日の大沢社長との話を、誰かに聞いて欲しくて仕方がない。


「面会から帰ってきてから、ずっとニヤけっ放しですもんね」


篠崎が僕を揶揄う様に言った。


そんな弄りも今日の僕は楽しくて、もっと弄って欲しいとさえ思う。


「なんや、女とちゃうかったんですか?」


李が口を挟む。


大体、李が口を挟んでくると何かしら気分の悪い思いを味わうのだが、それさえも気にならなかった。


「昔から世話になってる車屋の社長だったんですよ」


「なんやねん、知人でも面会さしましたんか?」


「いやいや、柄受けに成って貰ってるもんで」


「それ、先に言わなあきまへんって、そないな所でも大阪もんと東京もんを分けてるんかとヘソ曲げるトコでしたわ」


本気なのか冗談なのか、真顔で捲し立てる関西人のノリにも今日は余裕で付いていける。


「で、どんな良い話が有ったんですか?」


話しの主導権を篠崎が引き戻した。


「それがですよ…」


仮就寝までの手持ち無沙汰な時間帯、舎房に居る僕以外の三人が、身を乗り出して僕の話しを聞こうとしている。


「柄受けの社長が言うには、どうやらうちのヤツはですね、自分を懲らしめる為に今は面会も行かないし手紙も書かないって言ってたらしいんですよ」


「つまり、別れる気は無いって事ですよね」


そう言った篠崎に僕は柏手を一つ打ち


「その通り」


と言って、指差した。


「それは良かったじゃ無いですか」


何時だって篠崎は我が事の様に喜んでくれる。


「まあ恥ずかしい話、何がどう成ってるのかちょっとテンパリ気味でしたからね」


「部屋ごとですよ」と断りを入れる事を忘れず、僕は三人の前で本心を吐露した。


「そんなん、誰も他で言いませんって」


李がすかさず僕の気持ちを汲んで返事を返したが、誰が危ないと言って、コイツが一番危ないのだ。


「五十嵐が女の事で泣きを入れてた」なんて事を工場で話されたものなら、直ぐに広まってヤクマチ(陰口)を聞かれる様になる。


だから何時だって懲役の話しは、笑い話にすり替えながら話さないといけないのだ。


「またまた、李さんが一番危ないからなぁ」


僕はわざとはしゃいで見せた。


「何が危ないことありますの。自分くらい口の固い男、居りまへんで」


そして皆んなで腹を抱えて笑った。


それはつまり、李の事を口の軽いヤツだと皆んなが思って居る証拠でも有った。


本当に今日は良い日だ。


そう思える一日だった。


それに…大沢社長も元気そうだ。


仮釈放にも全面的に協力してくれると言ってくれたし、僕さえ頑張ってどんな事にも我慢出来れば、来年の秋頃にはもしかすると帰れるかもしれない。


僕の帰りを待ってくれている人がいる。


一日も早くここから出る為に、外の社会で団結してくれている人達が居る。


自分は孤独では無い…そう思える事が、刑務所の中では何よりの力に変える事が出来る。


その事が、更に強く意識出来る一日でも有った。



「それじゃあ、良い日だったついでに取って置きの情報を教えましょうか?」


僕の話しが終わるのを待ち兼ねた様に、松岡がこれ以上は無いと言う笑顔で僕に話し掛けて来た。


「おっ、出ましたよ。早耳の松っちゃん」


茶化しを入れたのはもちろん李だ。


「是非聞きたいですね」


僕も合いの手を入れる。


「副担、二月いっぱいで変わるらしいですよ」


得意満面の松岡が言った。


「マジですか?」


「本当かよ」


「うそっ!」


篠崎、李、僕の順番で声が上がる。


「そんなんガセネタじゃ済まんで、松っちゃん」


李が直ぐさま突っ込みを入れる。


「なんで分かったんですか」


その突っ込みに僕の声が重なった。


「ガセな事あるかい」


「ほな、なんで分かったんや」


ここは松岡と李に任せた方が良さそうだ。


僕と篠崎は聞き手に回る事にした。


「今日ランクルのミッション交換したじゃんか」


「それがどないしたんや、俺も一緒にやってたやんか」


「お前ミッションジャッキ取りに倉庫に行ったろ」


「ああ、行った」


「その時な、あのガキデカの野郎が飯山技官の所に来てコソコソ話し始めたんだよ」


「その話し聞こえたんか」


「あいつ俺がランクルのリアゲートの所に居るの見えなかったみたいで、飯山技官に色々お世話になってって言ったんだ」


「それがなんで二月いっぱいって分かるんや」


李の疑問はもっともな事だ。


「人の話しは最後まで聞け」


松岡がやり返す。


「勿体ぶらんと早よ言えや」


李も黙ってはいない。


「飯山技官が何時からですかって聞いたら、三月一日ですってアイツが返事したんだよ」


どうだと言わんばかりに松岡が腕組みをして見せた。


「それはテッパンかも知れませんね」


篠崎が口を挟んだ。


僕もそう思った。


「そやけど普通移動言うたら四月と違うんか?」


言われてみれば確かにそうとも言える。


「いや、1工場のオヤジが変わった時も三月の頭でしたよ」


そう言った篠崎は、小型建設機械の職業訓練の為に1工場から転業してこの29工場に来ていた。


刑期も既に1年半が終わって居り、一度担当の移動を経験して居るらしい。


「これはもしかするともしかしますね」


僕が言うと


「テッパンですよ」


と篠崎がもう一度言った。


これは僕にとっては朗報なんて物では無かった。


新入でこの工場に来た日から、何かにつけて僕は副担当の佐藤に目を付けられて居る。


何が悪かったのかも僕には分からない。


分からない事は直し様も無いと言う事で、僕は毎朝工場に出役する事さえ憂鬱に思う事が多かった。


「五十嵐はんも、これでやっと芽が出るんとちゃいます?」


李の言葉に、僕自身大きく期待するものがあった。


二月いっぱいと言えば、後一週間足らず。


「だと良いんですけど」


僕はそう言いながら、今日一日で今抱えて居る二つの大きな悩みが消えていく事に、深く安堵して居るのだった。



二月の最終日、松岡の情報が正しかった事が証明された。


その日の作業が終了し、何時もの様に古山のオヤジが整列した全員に向かって「ご苦労さん」と声に出し敬礼をする。


その声に続き、僕達受刑者は「ご苦労様でした」と頭を下げる。


「ナオレ」の号令で頭を上げ、その後検身所に向かうのだが、その日は「ナオレ」の号令の後「休め」の号令が続いた。


「えぇ、今日まで君達を指導してくれた副担当の佐藤先生が、明日から別の工場の担当になる。一言挨拶が有るので聞く様に」


古山のオヤジはそう言って「キヲツケ、礼、ナオレ、休め」と立て続けに号令を掛けた。


副担当の佐藤が列の中央で向き合い、受刑者に対し敬礼をした。


「二年間お世話に成りました。初めから一緒に頑張って来た人。まだ日の浅い人とそれぞれですが、私は君達に対し感謝の言葉しか無い。ただでさえ犯罪傾向の進んだ人間ばかりが収容されて居る府中刑務所で、君達は将来に向けて資格を取る為に一生懸命努力して居る。その姿を見て居るだけで私も二年間、刑務官として一生懸命努めなくてはいけないと毎日思っていました。どうか皆さん、無事故でこの工場から出所出来るよう頑張って下さい」


副担当はそう言って僕達に頭を下げた。


目には涙まで浮かべて居る。


一体この三文芝居は何だろうか…。


その副担当の姿を、僕達全員がシラけた気持ちで見つめて居た。


だってそうだろう。


何が「全員がこの工場から出所出来る様に」だ。


気に入らない奴を手当たり次第にいびり倒し、挙句には居直る所まで追い詰め、最後には工場から排除して来たのは当の本人では無いか。


「刑務官としての努めて?」なんだそれは…と出来る事なら聞いてみたいくらいだ。


どの口で言って居るのか、呆れて物も言えない。


何はともあれ、副担当はこの工場を去る。


それはつまり、僕の憂いが一つ消えた事でも有っるのだった。


二月いっぱいで状況が変わったのは副担当だけでは無い。


小型建設機械科の職業訓練生も全ての授業が終わり、訓練生の身分から一般の受刑者と立場が変わった。


通常、訓練生は卒業すると元居た自分の工場へと戻って行くのだが、このまま自動車整備工場に残りたいと願い出れば、稀に認められる事がある。


僕は唯一自分の本心を話せる篠崎に、出来る事ならこの29工場に残って欲しかった。


職業訓練に参加できると言う事は、元居た工場でも成績が良かった証拠で、況して最後まで厳しい訓練を全うして帰って来た自分の兵隊を、工場担当と言うのは特に可愛がる傾向が有る。


大抵の場合、立ち役に指名され担当の右腕として雑務をこなし、楽な受刑生活を約束されて居る。


ところがどっこい、そのまま自動車整備工場に残ると言う事は、整備士免許を持たない小型建設機械科の訓練生は、整備や板金塗装の仕事に就く事は出来ず、出所まで洗車ばかりの毎日になる事が多い。


そもそも職業訓練に参加する動機はふた通り。


本当にその資格が欲しいか、或いは逃げ込み訓練と呼ばれる、元いた工場で虐めにあい、その場所から逃げたいばかりに訓練に参加し転業してくる奴だ。


後者の場合、訓練終了後も居残りを希望する奴が殆どだが、担当もその辺は目が厳しく、敢えて居残りを許さない場合が多い。


篠崎の場合、性格も良く人付き合いも上手な所を見ると、逃げ込みで訓練に参加したとはとても思えない。


つまりは元居た1工場に戻れば、楽な受刑生活が約束されて居ると見て間違いない。


僕はそんな篠崎に、このまま工場に残って欲しいとはとても言えなかった。

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