第14話 『姉の方針と妹の決意』   1/4



 14話 『姉の方針と妹の決意』








 しばらく頭がぼんやりとしていたが、学校を出るとひづりは気持ちを切り替えて真っ直ぐ《和菓子屋たぬきつね》へと向かった。


 この日の朝、ちよこから『話したいことがあるから学校が終わったらお店に来てね』と連絡が入っていた。今回こそこそと根回しをして夜不寝家から金を巻き上げようとしていた姉の企ては全て失敗に終わったはずだったが、しかしまだ腑に落ちていない、まだ分かっていない事があったため、姉の話したいこととは恐らくそれについてではないか、とひづりは思っていた。


 店に着くと宣言通り中も外もすっかり以前の老舗和菓子屋らしい風体に再改装された《和菓子屋たぬきつね》のフロアでちよこは珍しく余所行きのちゃんとした服を着て一人ひづりを待っていた。


「じゃあ行こう」


 ひづりを見るなり彼女は俄かに立ち上がって財布くらいしか入っていなさそうな小さなバッグを肩に掛けた。


「行くって、どこに?」


 問うたがちよこは答えず、そのまますたすたとひづりの脇を抜けて店を出た。天井花イナリ達が留守番をしているだろうとは思いつつ念のためにと戸に鍵を掛け、ひづりは駅前へ歩き出した姉の後に続いた。


 乗り込んだ電車の中でもちよこはほとんど口を利かず、目的地すら教えてくれなかった。しかし新宿駅で山手線の外回りに乗り換えた時、姉の足が向かっている先と自分が聞きたかった話とはやはり無関係ではないのだとひづりは悟った。


 降り立った池袋駅は仕事や学校を終えた利用者で溢れていた。沈み始めた眩しい西日がビルの隙間から射し込む中、ちよこは迷いの無い足取りでひづりを先導した。


 やがてちよこは寂れた商店街の一角で立ち止まり、一棟の建物を見上げた。ひづりの予想は当たっていた。《めいどぱにっく☆る~む》。そのテナントの在る場所だった。


「あれ……?」


 実際に来た事は無く天井花イナリの《過去視》で見たばかりであったその無骨な外観の建物をしげしげと眺めたところで、ひづりはふとある事に気づいた。


 二階以降のテナントに入るための階段の踊り場、そこに『立入禁止』と書かれた黄色と黒のテープが貼り付けられ、暗がりの中ひっそりと風に揺れていたのだ。それはよく刑事ドラマなどで事件現場保存のために張り巡らされているのと同じ物の様に見えた。以前天井花イナリの《過去視》で見た時には無かった物だった。


「何かあったの、ここ?」


 事情を知っているのではと思い隣の姉に訊ねると、彼女は振り返って首を傾げた。


「お姉ちゃんがここで何してたか、イナリちゃんの《過去視》で見てたんじゃないの?」


 ひづりは言葉に詰まった。バレている。天井花さんが話したのだろうか? 見ていた、と頷いていいものだろうか。この話題は天井花さんの《過去視》があの時急に使えなくなった事にも繋がってしまう。天井花さんの身に起きた《過去視》の不調を、自分だけの判断で勝手に姉さんに話してもいいのだろうか。


 言うか言うまいかひづりが迷っていると、ちよこは徐に一人納得した様子で頷いた。


「でもまぁ、そっか。火曜日からひづりはお仕事お休みで、イナリちゃんともあまり会ってない訳だから、今週ここで何があったのか、イナリちゃんの《眼》を使って見られてなくても仕方ないよね。じゃあやっぱりちゃんと話さないとだね」


 そう言って彼女は《めいどぱにっく☆る~む》に続く階段を上り始めた。


 ひづりは訳が分からなかった。姉のその口ぶりはまるで自分が《認識阻害魔術》を使ってこの店に忍び込んで何かやっていたのを天井花イナリの《過去視》で見られていても全然問題無かった、むしろ『見ていて欲しかった』、という風に聞こえたからだ。


 階段を上り終えるとちよこは躊躇いなく『立入禁止』のテープをくぐり、ひづりにもそうするよう促した。ひづりは落ち着かなかった。周囲は酷く静かで、姉妹の行いを叱責するような者は居なかった。ちよこが事前に《認識阻害》で人払いをしていたのかもしれなかった。


 《めいどぱにっく☆る~む》のプレートが貼られた扉をちよこは開けた。






 ガチャリ──。






「…………」


 思った通り店内には誰も居らず、照明なども点いてはいなかった。窓は三面にあったが今はそのどれもが厚いカーテンで覆われており、また日の入りにくいビル群の中とあってフロアは真っ暗だった。泥棒でも入ったのか床には物が散らかっていた。ひづりは思わず息を呑んだが、ちよこは迷わず店内に歩を進めた。


 手近にあった客席の一つに腰を下ろすとちよこはテーブル脇に転がっていた小さな卓上照明に触れて明かりを点け、ひづりに手招きをした。扉を閉め、ひづりはちよこの正面の席に座った。広い店内を照らすのに卓上照明の明かりだけでは心許無かったが、それでも次第に目は暗闇に慣れ、いくらか周囲の様子を窺える様になっていった。


「マトリが入ったのよ」


 全て取り外されている棚やレジスターの引き出しをひづりが眺めていると、ぽつり、とちよこが言った。


「マトリ……?」


 って、なんだっけ、聞いた事ある気がする……と記憶を辿ったところで、ひづりは先日天井花イナリの《過去視》で見た姉の行動を思い出し、ハッとした。


「麻薬の……取り締まり……?」


 ちよこは頷いた。


「このお店の店長が麻薬を買っていたらしくてね。それを知った麻取が今週の月曜日にここへ入って、捜査して、証拠が出たの。立ち入り禁止のテープはそういうこと」


 彼女は淡々と説明した。しかしひづりは信じられなかった。


 この店の店主の麻薬売買行為が、ではない。


 姉の行動が、だ。


「もしかしてこの二週間姉さんが《認識阻害魔術》を使ってこのお店で何かしてたのは……ここの店長が持ってる麻薬の証拠を見つけて、通報するため、だったの……?」


 するとちよこは困ったように笑った。


「証拠や隠し場所を捜してたのはそうだけど、でもお姉ちゃんがやってたのは、ひづりが今想像したような事じゃないよ」


 それから彼女は徐に右手の方を見た。その視線の先にはこの《めいどぱにっく☆る~む》の従業員室へと続く扉があった。


「各務康介。ここの店長の名前。彼と面識は無かったんだけど、彼の親友の松山さんって人とお姉ちゃん知り合いでね。この間お見舞いに来てくれたとき彼がなんだか顔色が悪いみたいだったから、《認識阻害》を使ってちょっと喋らせてみたの。そうしたら、ここの店長の事を教えてくれた」


 恐らく今はもう誰も居ないであろうその従業員室の方をじっと見つめながらちよこは続けた。


「松山さんと各務は小学校からの幼馴染で、そこに大学で仲良くなった友達二人を足した四人で、つい最近まで《ある遊び》をしていたらしいわ。その《遊び》って言うのが、海水浴場やキャンプ場で一人で行動してる女の子を標的に、人気の無くなった所でまず三人がガラの悪いナンパ役で近づいて、それから残りの一人が女の子を三人から救って惚れさせる、っていうものだったらしくてね。皆で役を交代しながら場所を変えながら、これまで何度もやっていたそうよ。特に各務は背が高くて顔もウケが良かったから、一番成功率が高かったんだって」


 何の話が始まったんだ? とひづりは眉をひそめた。聞いていてあまり気分の良い話では無かったが、とりあえずそのまま黙って姉の話に耳を傾けた。


「半年前、各務は池袋でメイド喫茶を始めた。このお店だね。松山さんも友達二人もお祝いしたそうだよ。でも、それから二か月くらいした頃、各務と二人で飲みに出た松山さんは彼からとんでもない話を聞いちゃったの。この間皆でいつもの《遊び》をやって付き合い始めた女子大生があんまりに良い子だったから、ホテルでヤる前に睡眠薬入りのお酒を飲ませて眠らせて、その間に裸の写真を撮ったり、クスリを注射したりして、それらをネタにその娘をゆすって店で無償で働かせて、今は店に来る客相手に売春もさせてるんだ、って、各務は得意げに言ったそうなの。一月前には『経営が苦しいんだ』って愚痴っていた彼がどうして最近急に羽振りがよくなったのか松山さんたちは不思議に思ってたけど、それが真実だったみたい。松山さんも友達二人も心配になってそれとなく各務を止めたらしいんだけど、元々各務はグループのリーダー的な存在だったし、声も大きくてよく暴力を振るう人だったから、誰も強く言えなかったんだって。月曜日に麻取が入って閉店した時点でこの《めいどぱにっく☆る~む》のメイド従業員は合計十一人で、その半分以上が松山さん達との《遊び》で各務がツバをつけておいた女の子たちだった。だから松山さんは犯罪に加担してしまっている罪悪感や、親友がそうした麻薬を使った犯罪行為に手を染めているのを止められない事に気を病んでいたんだね。ちなみに各務が従業員として引き入れていた女の子たちっていうのは、受かるのが難しい大学に両親のお金や借金で通ってるような子だったり、自分が麻薬をやったなんて世間に知られたら家族の職場に迷惑が掛かってしまうから、なんて思いつめて言いなりになってくれそうな気弱で優しい子が選考対象だったらしいわ。店では週に一回、必ずVIPパーティーっていうのが開かれていて、その日は定休日としてホームページには記載されてるけど、実際は店のメイド従業員全員とお得意さん達をカーテンを閉め切ったこのフロアに集めて──」


「もういい! ……もう分かったから……」


 聞くに堪えずひづりは思わず立ち上がって姉の言葉を遮った。


 座って話を聞いていただけなのに呼吸が酷く乱れていた。いきなり告げられたそのおぞましい事件内容と、そして自分たちが居る此処がまさにその犯罪に利用されていた場所であったという事実に、ひづりは腹の底からぐらぐらと吐き気が込み上げていた。


 少しの沈黙があった。ひづりは深呼吸をし、姉に訊ねた。


「それで、何でなの。姉さんは何でその……そんな事件が起きてたこの店で、犯罪の証拠を捜してたの? 誰かに頼まれたの? それと、何で私を今日ここに連れて来たの?」


 正義のためなんて理由ではない、と先程ちよこは自身で否定した。なら、なんの得があってこんな店に関わったのか。何故こんな話を自分に聞かせたのか。


 ちよこは一つ息を吸って、それからはっきりと答えた。


「イナリちゃんを殺すためだよ」













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