『あんたのそういうところが』



「じゃあ紅葉お姉さん、アサカちゃんたちと遊んでくるね~!」


 ひづりが泣き止んで「そろそろ仕事の準備しますので……」と《フラウ》を座布団に戻すと、紅葉は名残惜しそうにもう一回だけひづりをぎゅうと抱きしめてから、フロアに出て行った。


 さて、仕事だ。不在の姉夫婦に対する糾弾はひとまず隅に置いておくしかない。店がどんな有様に変わろうと、今日が夜不寝リコの初勤務日であることに変わりはないのだ。今朝になっていきなり出て行った姉のせいで働き詰めの天井花さんたちには休憩なり昼食なりちゃんととって貰わなくてはならないし、店の前の人だかりもおそらく手が足らず入店制限されたままの客だろう。出勤にはまだ三十分ほど早かったが、ひづりは手早くエプロンと三角巾を身に着けて畳部屋を出た。


「…………?」


 気持ちを整えながら休憩室の前を通ったところで、ひづりはふと視界の端に妙なものを捉え、足を止めた。


 休憩室の隅っこに、こちらへ背を向けてうずくまっている女学生が居た。夜不寝リコだった。何やってるんだあいつ。


「夜不寝さん、そろそろ着替えて準備しなよ? 一人だと着替えにくいんでしょ、あの服」


 ひづりが後ろに立って声を掛けると、彼女は両手で頭を抱えたままこちらをゆっくりと振り返った。青い顔をしていた。


「なんで……百合川くんがここに居るの……!?」


 それはもう恨めしそうな顔と声で言うものだから、ひづりは思わずちょっとたじろいで喉が詰まってしまった。


「はあああああ~……! もう、もう……っ!」


 夜不寝リコは流し台と冷蔵庫の間に挟まったまま、また部屋の隅へと視線を落として小さくなった。


「そりゃ聞いてたよ、奈三野さんとか味醂座さんがお店に来るってのはさぁ!? でも百合川くんだけは来ないって話に……そういう話になってたでしょ!? なんでこうなるの!?」


 話が違うじゃないか、と彼女はもっともらしい非難を漏らした。


 ああもう本当に面倒くさい事をしてくれたな……とひづりは姉のとぼけた笑顔を思い出しながらため息を吐いた。こういう不平不満をぶつけられたくないから、あの女は今日店から逃げたのだ。本当にたちが悪い。


「百合川のことは私のせいじゃないよ。姉さんが勝手に呼んだみたいなんだ。百合川って……ほら、うちの姉さんみたいな、線が細いタイプが好きでしょ? 去年授業参観で姉さんが学校来てたの……は知らないよね。その時百合川、すごい姉さんに話しかけてて──」


「あああああそういう事かっ! クソがよぉっ……!」


 夜不寝リコはその綺麗な髪をがしがしと掻き毟りながら呪いでも唱えるように押し殺した声を上げた。


「……そんなに百合川にメイド服姿見られるの嫌だったの? でも、《火庫》ちゃんほどではないけど、夜不寝さんも似合ってると思うよ、私は。百合川も笑ったりはしないと思うけど」


 ひづりが時計を気にしつつ言うと夜不寝リコはこれ以上開いたら目玉が飛び出してしまうんじゃないかというくらい白目を大きくして睨んで来た。しかしそれから何を言うでもなくにわかに立ち上がると体をしゃんと伸ばし、ひづりの脇をつかつかと抜けて、ちよこが用意したメイド服に着替えるのだろう、胸元のリボンを解きながら無言で畳部屋へと消えた。


「……なんなんだよ」


 ため息を一つ休憩室に置いて、ひづりも暖簾をくぐった。








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