『おかえり』




 あの後、病院に運び込まれたちよこはすぐに輸血を受けて無事一命を取り留めた。肩の怪我は《白蛇の神》であった時の天井花イナリの強力な《治癒魔術》のおかげで傷自体綺麗に塞がってはいたが、粉砕骨折した上腕骨と鎖骨は上手く復元されておらず、こちらは改めて手術して繋ぎ合わせる必要があると診断された。……何故どこにも傷口が無いのにこれほど血を失っていたのか、また何があれば打撲の痕もなく骨だけが粉々になるのか、などなど医師が抱いた疑問に対しては、輸血を終えて多少体調の良くなったちよこ本人が《認識阻害魔術》を用いて受け答えしたという。


 動かさなければ痛み自体はほぼ無いそうだがやはり変に骨がくっつくといけないので岩国の病院でギプスだけするとちよこはサトオと共に一度宿へ戻り、今日一泊だけ安静にした後、翌朝東京行きの新幹線に乗って帰宅、都内の病院で改めて入院と手術をする運びとなった。


 同じ病院でひづりも検査を受けたが傷らしい傷は無くなっていた。《治癒魔術》を掛けてくれた天井花イナリいわく『お主はあの時右側の肋骨が三本折れ、頭蓋骨にはひびが少々入り、脳は衝撃でひどく歪んでおった』とのことだったが、どうやら姉ほどひどい割れ方はしていなかったらしくひづりの骨は全て綺麗に繋がっており、脳の歪みにしても元通り問題なく完治していた。輸血を受けると天井花イナリと共に姉夫婦より一足先に宿へと戻り、翌朝すぐに出られるよう姉と自分の荷物をまとめ始めた。


 天井花イナリの《転移魔術》によって最初に宿へと戻されていた《フラウ》と《火庫》は三時間ほどして眼を覚ますなり凍原坂が用意していた食事にありついて、それからすぐまた眠ってしまったという。さすがに《悪魔》と《妖怪》の混血である彼女達を病院へ連れて行くことは出来なかったが、付き合いの長い……それこそ何千年単位の知己である天井花イナリいわく『《フラウロス》があの程度で駄目になるものか』とのことだったうえ、実際《二匹》は痛みを訴えることもなく、《治癒》は完璧だったようで、あとは《二匹》の自己回復力を信じることとなった。


 《ヒガンバナ》は一番傷が酷そうだったが、しかし本人も言っていたように本当に頑丈な体をしていたらしく、『骨折どころかヒビすら入っておらんかったぞ。あやつは傷だけ塞いで終いじゃった』と天井花イナリは言っていた。ただやはり失った血が多く消耗も激しいため、しばらくは《魔方陣》の内側に入って休んでおけ、と天井花イナリに命令され、その後はちゃんと生きている事を知らせるために一時間おきに《魔方陣》を千登勢のすぐそばに現しては消しを繰り返し、彼女を安心させていた。


 サトオと凍原坂と千登勢には幸い怪我らしい怪我は無かった。ただ凍原坂と千登勢はそのそこそこな歳ながらに《魔力》が枯渇するほど《治癒魔術》を使ったため傍目にも分かるほど疲弊しており、なので明日の朝となった出立時間のためにも今日は休んでもらうこととし、帰省する全員分の準備のもろもろは主にひづり、サトオ、天井花イナリ、和鼓たぬこの四名で行うこととなった。ただひづりも途中で「やはりまだ顔色が少し良くない。あとはわしらがやる。休んでおれ」と天井花イナリにベッドに転がされ、しばらく横になって彼女達のせわしなく動く背中を眺めることとなった。


 診察と輸血を終えて宿に戻って来るとサトオはちよこの事が心配でならないらしく「今晩の部屋割りを少し変えてくれないか。ちよちゃんのそばに居てあげたい」と申し出て来たが、しかしひづりは義兄の両肩を掴み、その高い位置にある顔を見つめてしっかりと返した。


「サトオさんは明日、きっと今日以上に忙しく、また慌しくなると思います。姉さんを支えてあげられるのはやっぱりサトオさんです。ですから、今日は昨日と同じくあちらの部屋で何も考えず、頭を空にしてリラックスして、ちゃんとお休みになってください。今晩は、姉さんの事は私と天井花さんが見てます。ですからサトオさんには《明日》をお願いします」


 サトオは少し焦燥気味だったがひづりのその「私はあなたの嫁の妹なんだぞ」という言葉に我に返ってくれたようで、冷静さを取り戻すように眼を伏せて深呼吸するとおもむろに今度はひづりの手を握って言った。


「そうだね……。ちよちゃんはきっと僕の前だと、かっこつけたがるだろうから……。……じゃあひづりちゃん、《今日》は、ちよちゃんを甘えさせてあげてくれるかい……?」


 ひづりは、くしゃり、と眉間に皺を寄せた笑顔で答えた。


「私が一体何年、あの駄目人間の相手をしてきたと思ってるんですか。……ふふっ、任せてください。……じゃあちゃんと寝てくださいね、義兄にいさん」


 そうして当初三泊四日を予定されていた岩国旅行は二泊目を最後に、三日目早朝のチェックアウトを以って一日早い終了となった。








 月曜日であったために席はそれなりに全員分まとまって取れ、無事昼過ぎには東京駅に到着した。


 事前に連絡を入れていた千登勢は迎えに来ていた父親の車で。凍原坂は娘たちを背負い抱え、タクシーで帰宅した。


 新宿駅に着くと、サトオと共に《和菓子屋たぬきつね》へ向かいちよこの入院の準備を手伝おうと思っていたひづりはしかし姉にそれを止められた。


「こっちは大丈夫。サトオくんがやってくれるし、別に私も傷自体は塞がって一晩休んだんだから。それよりひづりは家に戻って。お父さんを安心させてあげて。天井花さんと和鼓さんもひづりと一緒に行ってあげて。もうひづりの《悪魔》なんだから」


 そう言って追い返され、ひづりは《悪魔》二人を連れなったまま官舎家へと帰宅することとなった。


 皆、昨日も今日も疲労困憊の状態にあり、ひづりですらまだちゃんと父の幸辰に今回の件に関する説明を出来ていなかった。ただどうにか昨晩「姉さんが怪我したので月曜に皆で戻ります」と伝えただけだった。


 姉はそれでも父に一応「病院へはサトオくんが付き添ってくれるから平気。それより父さんは家でひづりを待っててあげて」と連絡を入れてくれていたらしく、帰宅すると平日で出勤日のはずの父は家に居て、玄関先で二日ぶりに次女の顔を見るなりおもむろにしゃがんで視線を合わせ、


「おかえり、ひづり」


 と出迎えてくれた。


 ――東京駅に降りた時も、そして家の扉を前にしても平気だったのに、父のその一言でひづりは一度に視界が滲んでこらえきれなくなってしまった。


 ふらふらと手を伸ばして父を抱きしめるとそのままひづりは泣いた。


 生きて帰って来られた。改めてそれを理解したひづりの頭が、体が、本当ならあんな恐ろしい眼に遭うべきではないただの十六歳の少女の心を取り戻していた。


 「ただいま」と言いたいのにひづりは息苦しいほどに泣き乱れてしまっていて、だから嗅ぎ慣れた匂いのする我が家の玄関で父にしがみついたまましばらく動けなかった。





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