『小さな我侭』




 部屋は二つだった。元々二家族、計十人までの旅行チケットだったのを《認識阻害魔術》でズルして滑り込んだものだったので、すでに埋まっている有限の部屋数自体はどうにもならなかった。


 なので部屋は男部屋と女部屋、という具合に別けたのだった。大まかにだが。


 男部屋には、吉備サトオ、凍原坂春路、《フラウ》、《火庫》。


 女部屋には、吉備ちよこ、官舎ひづり、天井花イナリ、和鼓たぬこ、花札千登勢、となり、なので残念ながら女部屋の方は少々狭くなってしまっていた。


 どちらの部屋もベッドは三つだった。けれどこれがずいぶん大きな物で、大人二人が一緒に寝ても問題ないくらいに広く、子供なら三人寝ても平気そうだったので、誰かが床で寝なくてはならない、という事態にはならずに済んだ。ひづりはその場合の第一候補者を姉に絞っていたが。


 天井花イナリと和鼓たぬこは互いに一緒のベッドで眠りたがった。実際、普段《和菓子屋たぬきつね》の三階にある彼女達の寝室でも二人は同じベッドで丸まって寝ている、というのをひづりは聞いていたし、和鼓さんには天井花さんと一緒に寝て欲しい、とも思ったので、そこは誰も反対せず、決定とされた。


 しかし、事無く運んだそちらとは違い、『ひづりのベッドでどちらが一緒に寝るか』という争いは、ちよこと千登勢の間で、必然か、突如として発生してしまった。


 その戦いの火蓋は、当然のようにひづりと一緒に寝るつもりの態度で居たちよこに対して発された千登勢の一言によって、切って落とされた。


「わっ わ……わたくし……ひづりちゃんと眠りたいですわ……」


 先に一緒のベッドに寝転がった天井花イナリと和鼓たぬこをちらちらと見つつ、千登勢は顔を少々赤くしながらもそう主張したのだ。


「あら~他所のご家庭の女の分際で私の妹と一緒に寝たいだなんて、一体全体、どういう頭のご構造してらして?」


 一方、目的が目的だからだろう、返したちよこの発言は驚くほど遠慮と大人気が無かった。それからひづりの腕にぴったりとくっついて、にわかに顔を明るくし、嬉しそうに訊ねた。


「ひづりはあんな知らないおばさんよりぃ、お姉ちゃんと一緒のベッドで寝たいよね~?」


「私は姉さんとは寝たくない。嫌」


 ……姉のあれほどまでに絶望に染まった顔を見たのは初めてだったし、たぶん今後も忘れないだろうな、と思いつつ、嬉しそうに顔色を良くして姪と共用になったベッドの棚の所に携帯電話の充電器やポーチなどを並べ始めた花札千登勢の横顔をひづりはちょっと気恥ずかしい想いで眺めた。


 ただ、一人ぼっちで隅のベッド、というのも少々哀れに思えたので、ちよこのベッドは並ぶ三つのうち真ん中にしてあげた。入り口に近いベッドに天井花イナリと和鼓たぬこ、真ん中のベッドにちよこ、そして窓際のベッドにひづりと千登勢、という具合となった。


 ちよこはベッドの上でひどく駄々をこねつつも、元々運動が得意でなく、ダイエットに励んでいる訳でもなく、また日々真面目に働いている訳でもないからか、六時間に及ぶ旅の疲れと温泉で体力を使い果たしたらしく、誰より先に寝息を立て始めた。それが部屋の電気を消す前だったというのだから、部屋に居た一同は思わず小さく笑い声を漏らしてしまった。


 途中、部屋を覗きに来たサトオや凍原坂と少し話などしたあと、明日は朝から食べ歩きをする計画らしいので、両部屋共に二十一時には消灯がなされた。








 ――ふと、おもむろにひづりの意識は覚醒した。それから目の前にある見覚えのある寝顔をぼんやりと眺めてから、しかしやがて頭がはっきりとしてそれが花札千登勢のこちらへ向けられた寝顔だと気づくとひづりは思わずドキリと心臓を跳ねさせた。


 和鼓たぬこと同じくらいの背丈がある花札千登勢の顔は、普段ひづりからは少しばかり見上げた位置にあった。だから、同じベッドで向かい合った事で身長差が無くなり、真正面から見ることになったその叔母の年齢を思わせないほどに整った綺麗な肌はひづりを少々どぎまぎさせた。


 けれどそれはそれとして、千登勢は瞼を閉じているが眠っている訳ではないらしい、ということにひづりは気づいた。何度も鼻を啜って、喉がこくんと動いていた。眠っている人間は嚥下をしないとひづりは本で読んだことがあった。


 少しためらったが、やはり声を掛けてみる事にした。


「……千登勢さん、どうしましたか。どこか痛みますか? 鎮痛剤、持ってますか?」


 たとえこっそりとした声であっても、周りが寝静まった小夜に、それが目の前で掛けられたものであれば充分な音として届く。千登勢はにわかに瞼を開いて、暗がりの中、驚いたようにひづりの顔を見た。


 彼女の眼と鼻は赤く、長い睫毛は濡れているようだった。ひづりを起こしたのは、やはり彼女のそのすんすんと時おり啜られる鼻の音だったらしい。


「……ごめんなさい。起こしてしまいましたわね……」


 眼を伏せるようにして千登勢は謝った。


「いえ、それより痛みは? どこか悪いのですか?」


「あ……あぁ、いえ、そうではないのでしてよ……」


 少しだけ声を大きくして慌てるように千登勢は答えた。


 それからおもむろに縮こまるように肩をすくめて枕に横顔を少し埋めると、ぽつりと言った。


「……きっと、迷惑だと思いましたの。でも、ひづりちゃんが……その……」


 歯切れ悪く、どうにも言いにくそうに視線を泳がせていたが、やがて千登勢は白状した。


「……いざ近くで眠ってみて、そうしていましたら、その……姉さんと同じ……同じ匂いがすると気づいて……。それでつい、懐かしくて……。それでこうして近づいてしまうと、やっぱりひづりさん、あの頃の姉さんと雰囲気がとてもよく似てらっしゃるから……どうしても……その、思い出してしまって……」


 確かに最初、二人はこのベッドで仰向けに、個人の領域を確保できる程度に離れて眠っていた。けれど現在の位置は、横向きに眠るひづりの方へ、かなり彼女の方から近づいて来ていた。


 また、すん、と彼女の鼻が鳴った。


 ……そうだよな、と、ひづりは思った。先日、彼女と店で一悶着あり、そのあと二人で一緒にたくさん泣いて、そして彼女が帰った後、ひづりは一つ気づいた事があったのだ。


 ひづりの父、官舎幸辰にはひづりが居た。妻が二十二年の結婚生活のほとんどを国外で過ごしていても、……そしてその死後も、彼のそばにはいつも妻の面影が強く残るひづりが居た。だからきっと父はあれだけ強くいられるのだろう、とひづりは捉えていた。


 けれど、この人には。母の妹のこの人には……。


 ひづりは重なった互いのタオルケットの中でおもむろに手をそっと滑らせると千登勢の頭を自分の胸元に引き寄せ、それからゆっくりと撫でてあげた。


「……あなたの姪は、きっと長生きします。少なくとも、あなたが生きているうちはきっと、元気でいますから……。私は、あなたと旅行に来られて嬉しいです。明日、きっと大きな観光施設がたくさんあって、美味しい物もたくさんあって……。それらを、一緒に回りましょう、ね。ですから、今日はもうお休みになってください。千登勢さん……」


 母とほとんど歳の変わらないその叔母をひづりはまたつい愛おしく感じてしまって、まるで子供をあやすかのように優しく、優しく、なだめすかした。


「……うう、ぐすっ、ひづりちゃん……」


 千登勢はずびずびと鼻を鳴らしながら、ぎゅぅ、としがみつくようにしてその顔をひづりの胸に押し付けた。


 しょうがない人だ、母も、千登勢さんも。……母にもこれくらい可愛げがあれば良かったのだが……いや、それはちょっと気持ちが悪いか……。


 胸元に押し付けられた柔らかい髪束を撫でながらそんなことを思っているうちにやがてひづりの意識もまたゆっくりと眠りの中へと溶け込んでいった。









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