第14話 『彼岸』






「自覚があるのか怪しいゆえ問うが、《ソロモン》。お主、わしを少々、こき使い過ぎではないか」


 季節は三月の暮れ。各地では羊毛の刈り入れ作業が始まっており、国内でも多くの羊飼いたちがその重労働に汗を流し、そうして刈り集められた羊毛の一部が、二日ほど前から朝と言わず夜と言わずこの王宮に運び込まれていた。


「……気のせいだよ。うん。気のせいだとも。仮にそうだとしても、君が優秀過ぎる故のことだし、それに対価だって、敬意と共にちゃんと払っているじゃないか」


 そう言って《ソロモン》は、玉座の横、山のように積み上げられているその大量の羊毛の中ほどでほとんど埋もれるように寝転がっている《ボティス》に対し少々めんどくさそうな視線とペン先を向けた。


 羊毛の中でまたごろりと姿勢を変えると《ボティス》は《ソロモン》を睨み付けた。


「…………確かに、対価に不服は無い」


 《蛇の悪魔》である《ボティス》にとって、火を用いずにこれほどの体温の確保が出来る羊毛の山は大いに魅力的だった。《魔界》では《人間界》のような気温の変化が生じないが、中には魂が得られず体が凍えている《下級悪魔》も多い。魂の代わりとまではいかないが、衰弱した《魔族》の体を暖めるのには非常に役立つこれら羊毛は高級品と言って差し支えなく、《魔界》の王国民への土産としてそこに一切の不満は無かった。


 しかし。


「だが騙されぬぞ。お主、この一月のうち、すでに一体何度わしを呼び出した?」


 羊毛から体を少し出して《ボティス》は声を張った。


 《ソロモン》はペン先を唇に当てて眼を泳がせた後、瞬きと同時に視線を《ボティス》に戻して答えた。


「…………二回?」


「十一回だ、阿呆。智慧の《ソロモン王》が忘れる訳なかろうが。つまらぬぞ」


「手厳しい……。…………あ。じゃあ、こういうのはどうだい?」


 何か良い事を思いついた、という風に彼は顔を明るくした。


「なんだ」


「…………私が、《ボティス》、君を愛していて、月に十一回も呼び出すほどに恋焦がれている、というのは」


 《人間の王》は、おそらく自身にとって一番の男前の表情なのであろう、そのきらりと輝く眼差しを《ボティス》におくって来た。


「ふははははは! 今のは面白いぞ。よぅ知っておる。数千年前に《天使》共の間で流行った冗談であろう? ふっふふふ、《ソロモン王》には政治どころか冗談の才能もあったとはな! どれ、ここへ《天使》の数人でも呼んで、今のをもう一度やって見せてやってはくれぬか色男」


「手厳しい……」


 引きちぎった羊毛の塊の一つを頭に、ぽこん、と投げつけられ、《ソロモン王》は玉座でペンを握り締めたまま悔しげに悲しげに目を伏せた。


「……しかしまぁ、私が君の事を好きなのは本当だよ、《ボティス》」


 振り返り改めてそう言った《ソロモン》に、《ボティス》は無言で片眉を上げた。


「君の持つ《人の争いを調停する力》は実に素晴らしいものだ。実際に今月、各地で起こるはずだった戦が一時的にではあるが治まって、死ぬはずだった人たちが今もパンを食べ、ワインを飲んでいられる。それがやはり、王として以前に、それが仮に他国のことであっても、私は一介の人間として嬉しいと感じるよ。君と友達になれたこと、たとえ《天界》の加護あっての運命だとしても、私は光栄に思っているよ」


 真摯でありながら妙に柔らかで馴れ馴れしい微笑み。いつも真面目な話をする時の彼の表情だった。


「…………よくわからぬな」


 《ボティス》は羊毛をいくらか体に巻きつけたままその山から降り玉座に歩み寄ると《ソロモン王》の正面に立って机に片肘を乗せ、執務中の彼を真っ向から睨みつけた。


「お主はよく、その《友達》という言葉を使う。意味が分からぬ。いや、概念は分かる。知己ということであろう。確かにお主は人の王で、わしは《悪魔》の王だ。対等と言えば対等だ。対等であって初めて友好は生まれる。実際わしにも《魔界》では対等であり、殺し合うともは居る。だがしかし、どうもお主の言うそれとは違うように聞こえる。ゆえに智慧の王よ、教えよ。お主の言う《友》とはなんだ」


 《ボティス》の鋭い視線を正面から受け止めたのち、《ソロモン》は少しだけ笑みを浮かべ、語り始めた。


「……たとえば、今が越冬の季節だとする」


 《ボティス》は睨みつけたまま彼の話に耳を傾ける。


「君と私だけのこの玉座に、いま君が身に纏っている程度しか手に入らなかった羊毛の外套が一つ、運ばれてくるとしよう」


 《ボティス》は己の体を見下ろす。まさに外套のように羽織っている、今朝にでも刈り取られ運ばれて来たのであろう、香りの強い高級な羊毛の束。


「もちろんそれは、私の物だ。この王宮は私が王様だからね。私がぞんぶんに使って温まらせてもらう。一方で君は凍える。君は寒さに弱く、更に暖を取るものがこの部屋には他に無い。そんな時、君はどうする?」


「お主の体中の骨をへし折って──」


「あ、そういう痛い話はいい。やめよう? ああ……つまり私が言いたいのはだね」


 《ソロモン》はおもむろに《ボティス》の纏うその羊毛の外套を指差して言った。


「私はその時きっと君の事が気になって、それを半分に分けて私と君とで使うのはどうだろうか、と提案をするだろう。そうするとどうなると思うかい? 私と君は、同じ部屋で、同じ羊毛で、同じく暖かい想いをして、互いに『暖かいねぇ』と話すんだ」


 《ボティス》は眉間に皺を寄せたままちょっぴり首を傾げた。


「……いまいち、よく分からぬが……」


「ふむ。では《共感》と言えば良いかな。独り占めするのでもなく、奪い取るのでもなく、はんぶんこにして分かち合い、《共感》する。それだけで《友達》という間柄を名乗って良いんじゃないか、と私は思っているんだ」


 《ソロモン》は《ボティス》の真似をするように机に片肘をついてその顔を近づけた。


「君の《人の争いを調停する力》は、ただ単純な《魔術》ではなく、君という存在……我々の言葉では《人柄》というが、どうもそれによって成し得ている部分が大きいように私は見ている。きっと君は無意識のうちに《共感》を人々に与える……そんな力を持っているんだ。だから君はさっきから、それも無意識だろうが、『この羊毛は全て私の物だ』と主張しながら、私の方に羊毛をぽこぽこ投げつけて来ているだろう?」


 《ボティス》はちらと視線を落とす。この玉座の間に入ってよりここまでの問答の間確かに何度も羊毛を引きちぎっては《ソロモン》に投げつけて遊んでおり、そうして転がった羊毛の玉が今机の上や床や《ソロモン》の衣服の隙間にひっかかって揺れていた。


「まぁ、今の時期、人間の私には少々暑いがね。とにかく問題はそこじゃあない」


 《ソロモン》は羊毛の妖精のようになっている自身の体からそれを一つ手に取ると、机に乗せられている《ボティス》の腕の上に、そっ、と置いた。


「君は強くて、優秀で、美しくて、そして私の《友達》でいてくれる、最高の《悪魔》だ。これからも君が私の手伝いをしてくれる事は、きっと私の人生の幸いをより色濃い、豊かなものにしてくれることだろう」


 空気を包み込む暖かいその羊毛が、《ボティス》のむき出しの腕の上で温度を保つ。心地良い暖かさがじわりじわりと広がっていく。


 《ボティス》は無言で玉座から静かに一歩下がると物ぐさな態度で視線を背けた。


「よくわからぬ。その話はもうよい。……先の話の続きだ」


 そこからまたじろりと《ソロモン王》を流し目に睨みつけた。


「仮にお主の望み通りいくつもの戦がわしの《能力》で調停されようと、戦争になっていた、またなりそうであった、というのなら、すでにそれは手遅れであろう。わしが調停したところでじきに互いの不満は募ろうし、争わず人が死なねば食い扶持ばかりが増え、やはり戦は始まる。単なる時間稼ぎでしかないのではないか? 果たしてわしを使う意味はあるのか? 報酬があるとはいえ、結果の無い無駄な働きをこのわしにやらせておるというなら、お主であっても許さぬぞ」


 《ボティス》はその言葉の端々に強めの圧を掛けたが、しかし《ソロモン》はペンを置くと静かに答えた。


「いいや、その《時間稼ぎが出来る》というのは、実はとても大事なことなんだ、《ボティス》。争いとは一度起こってしまえばもう二度と取り消す事の出来ない双方の汚れとなって永久にその土地に残ってしまう、そういうものだ。それがまた数十年、数百年後の争いの火種として永遠にくすぶり続け、消えることは無い。だからそれを一時的であろうと拡散するのを止め、またそれが再び起きないよう手を打つために、人間は智慧と力とその優しさで以って、それらの解決へと常に乗り出し続けなくてはならないんだ。少なくとも私はこれからの、未来の人類にもそうであって欲しいと願っている。だから君たち《悪魔》にはとても重要なその《未来のための手伝い》をして欲しいと思っている。特に君には感謝の言葉をいくら並べても足りないほど私は頼りっきりになってしまっているし、今後のことにも期待を寄せている。傾かない程度には、国の財産を明け渡すのも良いとさえ思っている。結構高いんだぜ? それ」


 にわかに話の腰を折るように《ソロモン》は茶化した笑顔で《ボティス》のその外套を指差した。


 しかしすぐにまた真面目な顔になって、言った。


「……だが、最後の一手を打たねばならないのはやはり我々人間であり、そしてそれを私が示していく必要がある。……そんな風に頑張っている私に、君はさっきから何度も何度も羊毛をぶつけて来たり、私が真面目に仕事をしている最中に出し抜けに『何か面白い事を言え』とか無茶な要求を平気でねじこんで来るんだまったくひどいと思うよ私は! どうかと思うよ私は! 《ボティス》はもうちょっと私に優しくしてくれてもいいと思うな!!」


 真面目ぶるのに疲れて来たのか、《ソロモン》は駄々をこね始めた。


「気色が悪い」


「手厳しい! 手心を知らない! そういうところだ!! やはり君はもうちょっと《グラシャ・ラボラス》や《ナベリウス》とお話してみるべきだと私は進言させてもらうね!! 『頑張ってるソロモン王には、みんなでもうちょっと優しくしてやろうぜ』みたいな話し合いの席を、《魔界》で週一くらいで設けることを提案させてもらうよ!!」


 きいん、と、広い王の間に《ソロモン》の子供っぽい主張が響いた。


「……甘ったれるな、人間の《王》が」


 《ボティス》はそう言いながら歩み寄ると自分の外套から羊毛を一房、少々大きめにちぎって《ソロモン》の冠の上に乗せた。


「そしてお主は大きな勘違いをしておるな。まずはそれを改めよ。こう見えてもわしはお主をなかなかに気に入っておるのだぞ? だからこそ、無闇矢鱈にわしを《人間界》へ呼び出してはこき使うお主への怒りを、こういった貢物程度で特別に収めてやっておるというのに、そのわしの恩情を理解出来ぬとは、勉強不足はお主の方ぞ」


 そして《ボティス》はその長い人差し指を《ソロモン》の眉間に突きつけ、眼を細めて唇の端を微かに吊り上げて見せた。


「《グラシャ・ラボラス》はお主を愛しておる。《ナベリウス》も少々分かりにくいが、確かにお主に懐いておる。見ておれば分かる。他の《悪魔共》もだ。多くが、お主に呼び出され言葉を交わした後に、……そして《名》を受けた後に、変化を起こしておる。これは《魔族》の歴史にあってあまりにも大きな変化だ。《魔界の王》の身で《人間の王》になびくなど、と《魔界》では非難する声もあがるほどだ。……ふふふ、お主はまっこと、《悪き人間の王》よな。だが、それがわしには実に面白くて敵わぬ」


 だから、と。《ボティス》は再び瞼をはっきりと見開いてその縦割れの瞳で《王》の眼をまっすぐに見つめた。


「《ソロモン》、もっと魅せよ。わしに期待を寄せるというのなら、お主もわしに期待させ続けてみせよ。《ソロモン王》の成す事を、そしてお主が先ほど言うた、今とは違う《人間の未来》というものにもな」


 それからしばらくの沈黙があったが、《ソロモン》はおもむろに姿勢を正すと突きつけられていた彼女の手を握って、それから握手の形をとった。《ボティス》の手は大きく、人間の《王》の手は今にもつぶれてしまいそうな危うさがあった。


「……期待というなら、そこに何の心配も要らないよ。君達と出会えた事で、私の人生も、そして世界も、すでに大きく変わり始めている。それは君達が《人間界》に現れ、私と《友人》になってくれたからだ。そしてそれは数千年の時を経ても止まることはないだろう。君達がくれたものは《人間界》に絶大な影響を与えた。その恩恵が、あらゆる国を、人々を、きっとどこまでも、未来へ向けて進ませ続けて征くだろう――」


 彼は明るく語ったが、しかしそこまで続けたところで不意に顔色を暗くして視線を落とした。その手が少しだけ強く《ボティス》の手を握り締めた。


「――ただ、私はやはり人だから。その遥か未来で、君とは出会えない。君の《思い出》の中にしか私は居られない。……けどね、《ボティス》」


 《ソロモン》は顔を上げ、《ボティス》の眼を見つめて静かに、そして真摯に語った。


「未来にも、君が《面白い》と感じる人類は生まれるよ。君がその人物と出会う日は必ず来るよ。私はこの《指輪》を授かって君たち《悪魔》と出会ってから、それをとても強く願うようになったんだ。人の王としての勤めに加えて、もう一つ、君たち《永久の友達》のために成さなければならないことが私には出来たんだと気づいた。それが私をとても誇らしい気持ちにさせる。だから絶対にそれを成そう、と、この体に、血に、魂に誓う事が出来た」


 寂しげで、けれどそれでも固い決意と暖かな優しさを含んだ笑みを浮かべる《彼》の輝かしい眼差しが、永久とわの《ボティス》の《思い出》に刻まれていく。


「その、今よりずっと良くなった《未来》で生まれた人間の誰かが再び君を……ふふ、そんな素敵な笑顔にしてくれるためにさ。私は今を頑張ろう、と、そう思えるんだよ、《ボティス》――」








「――ふはは。……ではその《約束》、決して違えるでないぞ――」








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