魔法適性ゼロの転移者

白火

第一章 古代魔法師 イチノセトモキ 誕生

第1話 マンションのドアを開けたら、異世界!?

 

「……行ってきま~す」


 いつものことだが部屋の中からの返事はない。

 そりゃそうだ。

 オレ、ひとり暮らしだから。


 はぁ……今週もスタートしてしまったかぁ。

 ホンッと月曜日はだるいよな……あと五日……

 あ、今週は土曜も出勤だった……


 入社三年目。都内のぱっとしないアパレル会社に勤務するオレ、一之瀬知己いちのせともきは、ほかのサラリーマンに負けず劣らず月曜日が大嫌いだ。


「って、しかも雨かよ、梅雨明け宣言してたじゃん……ん? あれ? 傘が──」


 無い……

 またルミのやつ……

 

 オレは、先週の日曜日『借りてくね!』と笑顔で帰っていった幼馴染を恨んだ。


 ルミはオレより五歳年下の十九歳。

 実家がお隣さん同士ということもあり、小さなころから──というよりルミが生まれたときからの知り合いだ。 

 今では都内の女子大に通うルミも、寂しがるご両親と妹を実家に残して、ここから三つ隣の駅にあるマンションでひとり暮らしをしている。

 オレの両親は二年前、旅先で事故に巻き込まれてあっけなく他界してしまった。

 一人っ子のオレが実家を出て、長い子育てから解放されて『さあ、羽を伸ばそう』という矢先の出来事。

 それ以来、ルミのご両親は何かとオレに目をかけてくれ、頻繁に実家で採れた野菜やら、手作りの惣菜やらを送ってくれる。

 有り難いことだ。

 こっちの野菜は高い。


 先週もルミは──


『はい、実家からのお届けもので~す。でもチコも料理できるんだから、たまにはしなきゃだめだよ』


 なんて小言を言いながら、大きなビニール袋二つに山ほど持ってきた果物やら惣菜やらを冷蔵庫にしまっていた。

 オレはといえば、PCのモニターから目を離すことなく、


 毎週ここに来てたら彼氏もできないだろうに……


 オレの面倒を見させられていたせいで『恋のひとつもできなかった~』なんてことになったらご両親になんと言えば──などと益体も無いことを考えていたような気がする。

 もちろん感謝は伝えたが。





「……仕方ない、コンビニまで走るか」


 ん?

 そういや昨日は来なかったな……


 『新しいパスタ覚えたから食べてみて!』とか、『洗濯物溜まってるでしょ』とか、あれこれ理由をつけては毎週来ていたルミが、昨日は来なかったことに気がついた。

 ルミは去年、どこかの大学の学園祭で行われた都内の女子大生を対象にした美少女コンテストで、一年生にしてミスなんちゃらに選ばれたほど容姿が整っている。

 本人は『勝手に応募された』と頬を膨らませていたが。

 

 だから──


 ほほぅ、さては彼氏でもできて忙しくなったか?


 オレとしても、少しはルミの学生生活が華やかになるかな、とちょっとだけ安心した。

 その代わりに、自分の酷く暗い学生時代が脳裏を過ぎってしまい──頭を振り、雨に打たれながらコンビニまで走った。


 学生時代の思い出……

 彼女は無論、友達すらも作らず(作れず?)にオレが部屋に籠り嵌っていた趣味──Web小説の投稿。

 内容はいわゆる「異世界もの」。

 主人公がひょんな事から地球ではない世界へ転送されてしまい、右も左もわからない中、特殊能力を駆使して過酷な世の中を生き抜いていく──という今でも割と人気があるジャンル。

 好き勝手にお姫様やら女騎士やら登場させられ、都合よく主人公を最強にして悪をなぎ倒させる。

 現代社会では想像もつかない世界に現実逃避可能な、個人的にストレス発散も兼ねた貴重な趣味だった。

 下手の横好きで、お気に入り登録数も数えるほどだったが……。

 両親が他界したときも、三日に一回の更新は怠らなかった。

 その世界観に入り込み過ぎて主人公と自分を重ねてしまう事すらある。

 

 ここで主人公だったら会社までひとっ飛び、と満員電車の列に並びながら想像する。

 ここで主人公だったら剣で一刀両断だな、と嫌な上司を前に妄想する。

 そして今も、ここで主人公だったら火魔法の応用で速乾だな、と出社してきたオフィスビルの入り口で安物の傘をたたんだオレは、ビショビショに濡れたスーツに目を落としてそんなことを考えていた。




 ◆




 ん~。今日もコンビニ弁当でいいか。

 そういやルミ、まだ連絡がないけどどうしたんだろ……


 いつものサービス残業を終えたオレは、終電近い電車の中で夕食(ほぼ夜食)のことを考えながらスマホを弄っていた。

 別段、傘のことなどどうでもよかったが、昨日顔を出さなかったルミが少しだけ気にかかり、『暇な時、玄関にでも置いといてくれ』と、昼休みにメッセージを送った。が──いつまで経っても返信がない。

 いつもであれば送ってすぐか、遅くとも1時間以内には返信が来るのだが、この時間でもメッセージが既読になっていない。


 明日にでも電話してみるか……





 適当に弁当を買いアパートへ帰ると、珍しく家の電話の留守電ランプが光っている。


「誰だろう、てかここの番号知ってるの恭介おじさんたちだけか」


 ルミの実家からだろう──と再生ボタンを押すと


『ピーッ、本日22時19分のメッセージです──あ、ともくん? 元気? 琴葉おばさんです、いつもルミがお世話になってま~す。 たまにはこっちに帰ってらっしゃいよ。恭介さんも風薫ふうかも会いたがってるわよ。今年の夏休みこそはルミと一緒にね。で、そのルミなんだけど、知くんと一緒かしら。いつもは荷物が届いたら電話くれるのだけど、昨日はなかったから。もし一緒だったら連絡するように言ってくれると助かるわ。じゃ、夏休み、約束よ~。──ピーッ、メッセージは以上です──』


「ありゃ、荷物昨日届いてたのか。どうしたんだろ……ふむ……これは本格的に彼氏か?」


 琴葉さんが知ったら喜ぶぞ~! 

 早く結婚しろってルミに散々言ってたからな~

 教えてあげようかなぁ!


 まあ、でも本人の口から聞いた方が嬉しいか──オレはスマホに登録された数少ない連絡先から、ルミの実家をタップした。

 使用人から琴葉さんに取り次いでもらうようお願いすると、暫くして電話口にルミの母親の声が聞こえてきた。


「あ、琴葉さん? いつも美味しいご飯送ってくれてありがとう。凄い助かっちゃってます! 伝言聞いたよ。ルミ、昨日はここにきてないけど──」




 男の匂い(?)を隠したまま琴葉さんと電話を終えたオレは、弁当を食べながら会話の内容を整理していた。


『手違いがあったのかと思って宅配やさんに連絡したら、『昨日午前中に届けてサインいただいてますよ』ってことだったから。私も何度か携帯に連絡したのだけれど、コールするだけで出ないのよ。もし一緒だったらと思って──』


 普段しっかりしすぎているほど連絡事はマメに行うルミにしては珍しい。

 そのことにオレは昔の記憶が頭を過り、明日にしようと思っていたルミへの連絡をすぐに実行することにした。


 結果──


 琴葉さんの言うとおり、コールはするが電話には出ない。


 う~ん。

 バイトはしてないから……風呂? トイレ?

 

 時計を見ると深夜一時を回っている。


 もう寝たのかな……


 何度か発信する。が、結果は同じ。


「明日は……お、珍しくアポもない。じゃあ午前中だけ後輩君に頑張ってもらいますか」


 「有給なんて掃いて捨てるほどあるんだけどな~」──手帳を見ながら明日の行動を決めた。

 今時の若い子、一日や二日連絡が取れないなんてこと珍しくないだろう──と思いつつも、お世話になりっぱなしの琴葉さんたちを安心させてやりたいがために、朝一でルミのマンションへ様子を見に行くことにしたのだった。


 まあ、こういった場合に備えてここから近い場所に部屋を借りてるんだからな。

 お兄ちゃんの使命だ。




 ◆




「確か、ここだったよな……902号室……」


 朝一番で会社へ連絡を済ませたオレは、電車に乗りルミ《るみ》のマンションへ来ている。

 だが、ロビーでインターフォンを押しても応答がない。

 七時前ならまだ家にいる時間だろう、との予測を立てて来てみたのだが……どうやら留守のようだ。


 どうするか……

 合鍵を持っては来たものの……これを使う日がくるとは……てか使っていいのか? 

 もし誰かと一緒だったら……

 一応、琴葉さんに断ってからにしようか……


 ちょっとだけへたれたオレは、合鍵を使用しても構わないかどうか、琴葉さんに連絡をとることにした。




 数分後──


 琴葉さんの了承を得たオレは、ルミの部屋の前で念のためにもう一度インターフォンを鳴らしてみた。

 しかし、スピーカーからルミの声が聞こえることはなかった。


 やっぱり本格的に留守っぽいな。

 このままメモ置いて、帰るっていう手もあるけど……

 琴葉さんに部屋も見てきてって頼まれたからな……でも誰かいたら……お、男と一緒だったら……

 やっぱり琴葉さんに報告する義務が生じるのか……? 

 いや、もしルミに『黙ってて』って言われたら……? 

 それを心にしまったまま夏休みを過ごせるのか……?

 なにも知らない恭介おじさんと酒を飲めるのか……?


 同じフロアの住人が不審者を見る目でオレのことを見ている。


 まあ、こんな朝からスーツ着たサラリーマンが女の子ひとり住む部屋の前で頭抱えてたら怪しむのも当然か……


「はぁー! 全く! 妹の奴ったら! 兄貴の傘持ってったっきり返さないんだもんなー! あー、こうしてわざわざ取りに来るのも面倒だったんだからなー! あー、じゃあ、開けますよー! 兄貴が預かってる合鍵で妹のルミの部屋を今から開けますよー!」


 住人が首を傾げながらエレベーターに乗り込む。

 警察か管理人さんが来る前にここを立ち去った方がよさそうだ。


「失礼しま~す……」


 そーっとドアを開けて中に入ると、若い女性特有の甘い香りがオレの鼻をくすぐる。

 奥の部屋には朝日が差し込んでいるところを見るに、カーテンは開けたままか。

 玄関に男物の靴は……なさそうだ。


「し、失礼しま~す、ルミさ~ん……い、いますか~? ……知己で~す。琴葉さんに頼まれて、様子を見に来ましたよ~……ルミさ~ん」


 なぜか声を殺して、泥棒のような格好をしながら抜き足差し足で廊下を進むオレ。


 引越しの手伝いで来たとき以来だな……確かこっちがリビングで……


 古い記憶を頼りに、廊下の先、太陽の光が漏れるリビングへ続くドアを押す。


 ──だが、リビングに人の気配はなかった。

 部屋は綺麗に整理されており、カーテンは開け放たれている。

 出窓に置いてある鉢植えの花も元気に咲いていた。


「ルミ? いないのか?」


 ここには誰もいないことを確認したオレは、リビングともうひとつある別の部屋へ向かい──ドアをノックした。


 が、やはり返事がない。


「ルミや~? いたら返事をしてくれーい」


 もう一度ノックをする。


 返事がない。


 開けてみるか──

 

 いや、この部屋は寝室だ。

 もっと慎重にいくべきだろう。


「おーいルミ。もう朝だぞ」


 もう一度ノックをする。





 待つことたっぷり一分。


 ……返事がない。


「……仕方がない……開けよう……」


 オレはごくりと唾を飲み込むと、緊張で汗ばんだ手でドアノブを回した。


 どうか不埒なことになっていませんように……


 なんの抵抗もなく、すっ、と開いたドアの先に広がる光景は──

 ベッドの上で身体を重ねる若い男女のあられもない姿──などということはなく、几帳面に整頓された、やはり誰もいない寝室だった。


「ルミ~? ルミさんや~、いないのか~い?」


 ふう。なんだよ。


 ここにもいないようだ。

 オレは同様にトイレやふろ場を見て回ったが、ルミの姿はどこにも見当たらなかった。


「いったいどこほっつき歩いてるんだ! 心配させやがって!」


 びくびくしていた枷が外れ、なんか横柄になってしまうオレ。

 幽霊だったと思ったら洗濯ものだった的なあれだ。


「あー、もう喉がカラカラだっ! ルミ! 麦茶一杯もらうぞっ!」


 誰に言うでもなくひとり声を上げると、オレはリビングに戻った。

 一之瀬家もルミの実家も、夏は麦茶と決まっている。

 多分冷えた麦茶があるはず──


「ん? ケーキ? なんだこれ……?」


 飲み物を物色しようと開けた冷蔵庫の中にホール状のケーキが、どん、と冷やされていた。

 ケーキをよく見ると『ハッピーバースデー チコ』のデコレーションが。


「あ、そういやオレ、おととい誕生日だった……」


 琴葉さんが言ってたサプライズがどうのってこれだったのか。

 少し乾いてしまっているが、上手に仕上がっている手作りだろうケーキに少し感動した。

 冷蔵庫の中には琴葉さんの手作りの惣菜も、バースデーカードと一緒にしまわれている。


 琴葉さんのカードも冷やしてんじゃんか……


 そうなるとなおのこと、オレのところへ来ず、連絡も取れなくなったことに違和感を覚える。

 

 なんだろう、この感じ……


 言いようのない不安に襲われて徐々に鼓動が早くなる。


 いったん落ち着こうと、やはり冷やされていた麦茶で喉を潤し、カウンターにグラスを置いたとき


「ん?」


 均等のとれた美しい文字で『チコへ』と書かれたカードが目に入った。

 どうやらオレへのバースデーカードのようだ。


 オレ宛てだから、中を見ても問題無いよな……

 うん、間違いない。オレ宛てだ。


 二度、オレ宛ということを確認したので、可愛いシールで留められた封を丁寧に開けて中のカードを引きだした。

 カードには見慣れたルミの文字が──。

 それを読み始めたオレは文章の途中で、目を見開いた。


 ──ッ!!


 更に鼓動が速くなり、視界が遠くなりそうになるのを歯を食いしばって堪える。

 カードを持つ手が震える。


「ルミっ!」


 オレは思わず幼馴染の名を叫んだ。


「──くそっ!」


 そして、無我夢中で──玄関にあった貸していた傘に気づくこともなく──外に飛び出そうとマンションのドアを開けた。


「──うっ!」


 いったいそのときオレがどんな表情をしていたかわからない。


 なぜなら──


 ドアを開けた瞬間、視界の領域全てを夥しい数の魔方陣が埋めていたからだ。


 その魔方陣ひとつひとつが高速で回転を始め、圧倒的な迫力でオレへと迫って来る。

 やがて全ての魔方陣が強烈な光を発し、手を翳すオレの視界を真っ白に染め──


 どのぐらい時間が経っただろう。

 一分か、はたまた一時間か。

 光が収まっただろうことを閉じる瞼の向こうに感じたオレは、ゆっくりと目を開いた。


「──なっ!」


 するとそこは──


 映像や画像でしか見たことがないような、見渡す限りの草原だった。

 さあっと草を揺らした風が、オレの頬を優しく撫でる。


「な、な、なんだこれっ!!」


 一之瀬知己、二十五歳と二日。


 幼馴染を探していたら、知らない場所に足を踏み入れてしまいました。



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