02:理想の軍師・スーリ
わたしはゆっくりとその扉を開ける。
目の前に広がるのは宿屋の食堂。至る所に構えるテーブルにはここに滞在する来訪者がわちゃわちゃと会話しながら朝食に有りついている。
「おはようございます」
「スーリ様、お待ちしておりました。テーブルまでご案内します」
フォーマルな服装を徹底した親切な従業員に案内され、わたしは景色が一望できる窓際の1人用テーブルに着いた。
「ただいまお料理をご用意します。お飲み物はあちらのピッチャーからご自由にお取りくださいませ」
従業員が右手を差し出した先に飲み物の場所がある。赤、茶色、オレンジ、薄い黄色、そして白に透明……様々な飲料がそれぞれのピッチャーにたっぷりと入れられており、その横にはプラスチックのコップが逆さまで積み重ねられていた。
「飲み物、取りに行きますか……ふぁああ……」
不覚にもあくびが出てしまった……あれだけ気合を入れていても、僅かに残る眠気や眠いという気持ちを隠すことは難しいみたいだ。
それもそうだよね、昨日……徹夜しちゃったから。
「眠気覚ましに……ジュースにでもしますか……オレンジとか、ですかね」
わたしにはやるべきことがあると徹夜してでも完璧に成し遂げなければいけない癖がある。だからこうして寝不足になるのは日常茶飯事だ。こんな生活していたら身体に悪いのは分かっているのに。
自分のだらしなさを皮肉に思いながらオレンジジュースをコップに注ぐと後ろから見知らぬ来訪者の会話が聞こえた。
「ねぇ聞いた?また『マヤの兵士』が出たんだって」
「えぇ~勘弁してくれよ!せっかく安全な場所に来られたのに、縁起の悪いこと言うなよな~」
「気持ちは分かるけど。ただ……可愛い女の子の見た目で、人形のように人殺しをするんだってさ。これじゃあ、女の子に会っても安心はできないだろうね」
「もしやあの子も……噂の『マヤの兵士』ってか?おいおい、そんなことを言ったらこの世界は終わりだぜ」
…………っ!
わたしはこの会話をどうしても聞き捨てならなかった。明らかにわたしを見た結果、会話が発展したからだ。
わたしの想いを知らないくせに無責任なことを言うなと、本当はこの場で反論したかった。だけどこんな公の場で怒りをぶつけてしまえばますます疑われてしまうだろう。悔しいけど、わたしは怒りをこらえて自分の席についた。
「分からないわけじゃないけど、わたしだって大変だったんですよ……」
彼らの見えないところで、独り言のように返すしかなかった。
わたしはマヤに誘拐される前の自分を知らないけど、普通の日常生活を送ることに関しては何の支障もない。今はこの世界に馴染むために、わたしは恩人の知り合いが所属する国家の中枢機関に携わり、「軍師」として活動している。簡潔に言えば参謀や顧問のようなモノだ。
有難いことにこの地位や役目は恩人がわたしの努力を認めたうえで提供してくれたものだ。だからこそわたしは誠意をもって、この知識と経験を活かしたい。そして今抱えている「問題」を解決できるように……
「お待たせいたしました!」
従業員の呼ぶ声がした。振り向くと彼はお盆の上から料理をテーブルに置いてくれた。
えっと、今日の朝食は……牛肉と何種類の野菜を炒めた簡単な家庭料理に、黄身が半熟に仕上がった目玉焼き、濃厚なコーンポタージュ。どれも焼き目と色合いが美味しそうに見えて思わず食欲が突き動かされる。
「本日の朝食メニューにはパン食べ放題が付いております。どちらになさいますか?」
「どれどれ……」
トレーを持つ腕とは別の腕に藁で編まれたカゴが下がっている。従業員はそれを腕から外すとその中身をテーブルへと向けた。
クロワッサン、クリームパン、カレーパンにツイストドーナツ……多種多様な一口サイズのパンがカゴの中で山ほど積まれ、どれも焼きたての匂いがする。
従業員を呼べば何回でも頼めるのでまずは控えめにしておく。小さな皿の上にはクロワッサンとクリームパンがトングで移されていった。
「ごゆっくりどうぞ!」
従業員の背中を見送った後、料理がテーブルに集まったのを確認してわたしは一声を挙げた。
「いただきます」
手を合わせて感謝するように言った。円卓の中央に並んである食べ物を次々と取り口に運んで食べていく……うん、さすが出来立てだ。小麦にクリーム、肉や野菜の味をこの舌で味わうことができる。
……この感覚を感じられるのもわたしの中に「心」が戻ってきてくれたおかげだ。その手助けをしてくれた恩人には感謝してもしきれない。
ただ……美味しい料理が食べられて嬉しいはずなのに、どこか物足りなく感じるのは何故なんだろう。
わたしはふと周りを見た。家族や仲間、友人に恋人同士、大人数で訪ねたと思われる見知らぬ来訪者たちは賑やかに喋って楽しんでいる。それが余計に胸の中の空虚感を掻き立てているのだろうか――
わたしが長い間待ちわびていた光景。
そして……わたしがかつて失ってしまった光景……。
嬉しいのもあるけど、同時に虚しく感じてしまった。わたしはかつて……マヤに誘拐される前の本当に幼い頃に、家族だったであろう人たちと一緒に過ごした。そのはずだったのに……わたしの周りには、今はもう誰もいないんだ……手に取ったクリームパンをちょっとずつ食べながら、わたしはそんなことを思った。
すると従業員の1人がカゴを持ってこちらへ駆けつけた。
「パンのおかわりはいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。チョコパンと白パンを1つずつ」
「かしこまりました」
義務的に作業をする従業員……何とも思っていなくても、わたしは話し相手が欲しくなった。
「……あの」
彼に分かるように小さく呟いた。彼は注文したいと思ったのだろう。何でしょうか? と明るい笑顔で快く対応してくれた。
尤も、わたしが注文したいのは「話し相手」なんだけど――
「実はわたし……知らない過去にこんな光景を何度も見てきたような気がします」
「は、はぁ……」
「わたしが『こうなる』前に、あのような時期があったと思います。ですが、それを何とも思うことができない時期もあって……」
今は嬉しいも、悲しいも感じるのに、食事ができる喜びも分かるのに、どこか寂しく感じる自分がいるのだ。わたしの心にはまだ足りないモノがあるのだろうか……時々そう思うことがあるのだ。
「世間では『理想の軍師』と謳われるスーリ様にも、そのように感じてしまうことがあるんですね」
「…………え?」
「かしこまらなくて構いません。僕は貴方のご活躍を知っていますし、この宿は国家軍の方々も休暇でお越しになるのですよ」
空いている皿をお下げしますね――彼はわたしの会話に参加しながら自らの勤務を何気なくこなす。わたしは手際の良さに感慨を抱きながら、無理に引き留めて申し訳なく感じた。
「貴方のことですから、失ったモノは大きいですよね。皆が思っているよりも……」
「ええ、あの女に奪われた大切なモノはもう二度と取り戻せない。自分でもそのくらい分かっています」
「スーリ様がそんな辛そうな顔をするのも納得いたします」
わたしはパン以外の料理を食べ終え、口の周りや指に付いた食べカスを拭く。汚れているモノを全て無くしたい、そんな想いが拭く手を乱暴にさせる。
「でも……取り戻したいんです。取り戻すって決めたんです。わたしたちが奪われた全てを……これはまだほんの一部でしかないんです」
全部取り戻すためなら、わたしはどんな無茶でもしてきた。
今までだって……もしかしたら、これからも。そうすることでしか、わたしがここにいていい理由がない。
そんなわたしに対し、彼らはどう思うんだろうか――
「やっぱり尊敬するなぁ。『心を取り戻したマヤの兵士』は意志の強さが尋常じゃない」
「……いけませんか?」
従業員は優しく目を瞑り「そんなことありません」と小さく顔を横に振った。
「一日でも早く全ての兵士があの魔女から解放されてほしいです。僕の妹もあの時は危うく魔女に誘拐されかけましたから」
「え、そうだったんですか?」
「あ、すみません!恩人である国家軍の方だからつい私情を挟んでしまいました!」
いいんですよ、そんな!わたしとしては軍としてお役に立てられたことが本当に嬉しいんですから!
わたしは笑顔でそう返すと彼は照れ臭さに顔を赤くしながら「ごゆっくりどうぞ!」と業務の言葉を投げかけ去っていった。
…………
「まさか最後の最後で楽しい会話が出来るとは……こんな休暇も、悪くはなかったですね」
窓に映る景色はより青くなり、清々しい朝を知らせる。彼との会話は良い目覚ましとなり、同時にわたしの中で責任感と使命感が昂りを覚える。
わたしは……全ての兵士をあの女から解放する。そのために、軍から与えられたこの役目を徹するんだ――
「そろそろ出ますかね。今から歩けば間に合います」
わたしは席から立ちあがり、丁寧に空っぽの皿を積み重ねて食堂からロビーへと移動した。
「お会計は4800ミッテです」
「はい、5000ミッテ。お釣りは取っておいてください」
「ありがとうございました!」
受付の方に背中を見送られながらわたしは宿屋を後にした。
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