丘じゃなくて、えへん山

イネ

第1話

 あるところに、とても平らな山がありました。地図上ではかろうじて「山」と記されていましたが、中にはそれを「丘」だと思っている人もずいぶんいましたし、その山よりも背の高い木ならいくつもありましたから、秋になると栗のイガが自分の頭に落っこちてくるといった屈辱にも、この山は耐えなければなりませんでした。

 山はすっかり卑屈になって、メソメソ泣きました。

「実際、太陽はひどい。私が一度も雲の冠をかぶったことがないために、ひいきして、今朝も私のことは照らさなかった。それに、ああ、鳥も詩人も毎日、名高い山のことばかりを歌うのだ」


 ある日、一人の神様がそこを通りかかったとき、山はやっぱりメソメソしながら、それでもちゃんとお辞儀をして言いました。

「神様、お願いです。どうか私を高くしてください。名のある山にしてください」

 けれどもその神様はもともと地べたの神様だったので、空の上のほうだとか、天上だとか、高い所のこととなると、まるで無頓着だったのです。ですから山の気持ちもよくわからずに、気楽にこうおっしゃいました。

「あのねぇ、君、お前さん。どこかひとつの方角からばかり見ているから、高いとか低いとか、ぺちゃんこだとかいう話しになるんだ。上に長いのでなくね、横に長いやつ、例えばミミズやヘビね、彼らにとっちゃ、あんたほどのノッポはいないんだがなぁ。実際あんたは、村の東の入口から西の出口まで、どっしりと連なる立派な丘・・・えー、えへん」

 神様はその山のことをつい、立派な「丘」と言いかけて、えへん、えへん、とごまかしました。

「えへん。まぁ、もっとよく君自身の姿をごらん。村の東西に連なる、えへん、君は立派な、山じゃあないか」

「いいえ、神様」

 山は礼儀も忘れて、思わず眉をきっとつり上げました。

「そんなんでなしに、私は高くなりたいのです。なにも世界一にというのではありません。せめて栗の木よりほんの少し、ほんの少しだけでいいのです。それが叶うなら、ああ、今のこの姿などはこれっぽっちも惜しくありません」

 すると神様はじつに退屈そうに微笑まれました。

「そんなら、まぁ、出来なくもない。毎日、お前さんの横っ腹の肉を削り取って、バケツ一杯分ずつ、頭に乗っけてゆくんだね。ただそれだけのことだよ」

 ただそれだけのことが、山にとってはすべてでした。それから毎日、山は自分の肉を削り取って、神様のおっしゃるとおりバケツ一杯分ずつ頭に乗っけていきました。削っては乗せ、削っては乗せ、みるみる山は高くなっていったのです。


 さて十日も経ちますと、栗の木なんて足もとにも及びません。それどころか、頭には雲の王冠がギラギラと輝き、間もなく、鳥や詩人もやって来て歌うようになりました。辺りにはもう、見上げるものは何もありません。

 ところが山は、高くなるのをやめようとしませんでした。名だたる山々を下に見て、それから栗のイガなんて足先で蹴散らしますと、気分がスカッとしてたまらないのです。

 同じ頃、地上ではヘビが一匹ズルズル這ってきて、自分の長さとその山の長さとを比べてみて小躍りして言いました。

「ほっほぅ、俺のほうがこの山より1センチ背が高いぞ」

 それもそのはずです。頭がバケツ一杯分ずつ高くなるたび、わき腹から同じだけ減ってゆくのですから、その姿は今ではまるでひょろひょろのアスパラガスで、なんとも頼りないのです。こうなってはもう誰もこの山に登ることは出来ません。登るどころか前を通りかかっただけでぐわんぐわんと揺れるのですから、危なくて近づくことさえ出来ないのでした。それでも山は、下のほうでヘビがチロチロしているのを見つけると、きっと人々も、そして神様だって自分を見上げて尊敬しているに違いないと信じて、また足を踏ん張り、削っては乗せ、削っては乗せを繰り返すのでした。

 そうして気がつくと、いつしか頭のてっぺんは冷たい宇宙の入口にまで達していたのです。もう鳥の声も届かなければ、雲の冠なんてずっとずっと下のほうですっかりふやけてしまい、陽の光もなく、風もなく、家族も友人も、敵も味方もいない、そこはガランとした淋しい場所でした。しまいには自分さえもいないように感じられるほどです。山は孤独に震え、何度もひっくり返りそうになりました。それでもなお、高くなることはやめられませんでした。もう、なぜなのか、自分でもわかりません。山は泣きながら、削っては乗せ、削っては乗せを続けたのです。


 ところがその足もとに、やっと一匹のミミズが通りかかったときでした。

「どうだ、俺様のほうがこの山より10センチも背が高いぞ。ざまあみろ」

 ミミズが跳びはねてぐにゃぐにゃ喜びましたので、ついに山は根本からポキンと折れてガラガラと崩れ落ち、またもとの平らな山に戻ってしまいました。

 人々と一緒に田んぼの水口を繕っていた神様は、額の汗を拭いながらすぐにやってきて陽気におっしゃいました。

「やあ、おかえり。お前さんが留守の間、ここらはずいぶん淋しかったよ」

 山は、ハッとしてたずねました。

「私はここに居なかったのですか。あんなに高くそびえ、世界中を見下ろしていた間、私はあなたがたと共に居なかったのですか」

「おや、居たのかい? 顔が見えなかったもんで、まるで気づかなかったよ。どうだい、上のほうは楽しかったかね」

「いいえ、ちっとも」

 山は吹っ切れたように笑いました。

「早速だが、人間どもがお前さんの横っ腹でピクニックをしたいと申しておる。なんと言ってもお前さんは、村の東から西までたっぷりと連なる立派な丘・・・えっへん」

 神様はまた「丘」と言いそうになって、えへん、えへん、とやりました。あんまりやったので、それはどこか山の名前のようにも聞こえました。

「えへん、えへん、君は立派な、えへん山なのだから。おや、こんなところでミミズがつぶれているよ。いやはや、かわいそうにこいつはな、生涯、自分と他人とを比べることがやめられなかったのだ」

 そう言って神様は、死んだミミズをご自分の掌にすくいあげ、ゆっくりと歩いて行かれました。

 山は、悪い夢から覚めたような気持ちで、向こうの立派な雲をかぶった名山や、鳥の歌う空や、栗の木などを見上げました。それから今度は自分のわき腹越しに、村の東の入口や、遠く西の果てまで眺めてみますと、もう早速、たくさんの人々があっちからもこっちからもにぎやかに登って来るのが見えます。山は急いでそこらの石ころを退けてやると、みなが歩きやすいようにといっそう頭を低くして人々を迎えました。人々は喜んで、詩人でなくてもかまわず歌いましたし、子供らははしゃいで転げまわり、向こうでは神様がまた「丘」と言いかけて、えへん、えへん、とやっております。

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