N's
秋澤景(RE/AK)
第1話
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映画上映まで三十分をきると、どれぐらいの人間が押し寄せるのか。流行りものを上映するなら期待があるだろう。ポップコーンやジュース、駐車場、座席を確保できるか心配もするだろう。しかしキミはそんな映画館を毛嫌いしていたんだ。
キミはできるだけ客の少ない映画館を探し続けていると、いつしか故郷のカリフォルニアを飛び出し隣のアリゾナ州南端にある、名も知らない町へ行き着いた。
夏。二十歳のキミは名物も何もない、この田舎町に住み着いた。ホームステイは不可能だった。キミの口といったら不快感以外の何も与えない。出てくる言葉は下品で、病院を抜け出した患者と間違われることが六回もあったね。ときには福祉施設を紹介されることもあった。それでキミは他人に頼るのを止め、客のいないこの映画館を寝床にした。
キミは考えた。映画館は観賞料金を払えば何をしようとも自由なのだから、ホテルと変わらないじゃないかって。
キミは昼間、メキシコへ続く道の端に隠れ、通りがかった高級車の前にコヨーテのごとく飛び出し、人を脅して金品を奪うという人間として最底辺の生活を二十歳の秋まで続けた。警察に現行犯で捕まり裁判まで時間はかからなかった。どういうわけか突然釈放されたのは、この冬の始まりだった。
雪がちらちらと降り出した夜にキミは帰宅した。はげ頭の老支配人は、いつもどおり観賞料を要求する。キミの財布には十ドルあった。毎度、帰宅するたびに八ドルを払う……キミは、なんという上客なのだろう。一日に客が三人も来たなら盛況という田舎の映画館に毎日、必ずやってくるのだもの。キミは何も言わず躊躇うことなく八ドルを差し出した。老支配人は前歯がない口を大きく開けて言ったね。今日の演目は「エレファント・マン」だって。キミはがっかりした。性描写がないから。
椅子が横に十脚、縦に三列並ぶ部屋。客はキミとボクだけだった。
主人公のジョン・メリックが聖書を暗唱する頃、キミは眠たくてたまらなくなった。何十回目かのあくびをかくと、キミの真後ろにいるボクを見た。映画ではなく、現実世界でキミが触れることの出来る本物の子供だ。上品な服を着た少年……いや、少女か。よくわからない。赤いカップのポップコーンを持っているボクをキミは舐めるように見た。と、ジョン・メリックの声がする。
「たまらなく怖かったのです」主人公のエレファント・マンこと、ジョン・メリックはその風貌から人に嫌われていた。そして、ブルジョアの見せものにされていた。
映画はジョン・メリックのもう見せものは嫌だ、という意思が垣間見える場面だった。トリーブス医師の家で、ジョンが人妻の手を握った。
現実世界のキミはボクから、金を巻き上げようと考えている。
ジョンが「こんなに素敵な女性から親切にされたことはない」と涙する科白にキミは下卑た笑いをこらえていた。
そりゃあ、そうさ。お前なんか誰も相手にしない、と心で思っただろ?
俺もそうだったから、お前も不幸にならなきゃ不公平だとね。
キミはぎくりとした。思わず声に出してしまったのかと慌てて口を塞いだ。
すごく分かりやすい人だね。
ボクだって映画の主人公、ジョン・メリックと正反対、一般的な顔だろう? 裕福なのに翳のある顔だろ?
お金が欲しいのなら、あげるよ。でも、すこしだけ、聞いて欲しい話があるんだ。
ボクはちょっと、変人だけどね。それを踏まえて聞いてほしい。
退屈にはさせないよ。
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