第32話 第十章 死闘②

 代弁者は、両手を広げ、天井を仰ぎ見る。石の天井以外何か見えているのだろうか? 代弁者は、尊いものを見る目をしており、満ち足りた表情を浮かべている。

「グアアアアア」

「ああ、よしよし。その方々に見せて差し上げなさい。先に人間としての大きな一歩を踏み出した先輩として、あなたの力を」

 代弁者の言葉を合図に、ニコロは弾けたように黒羽達へ迫る。猛烈な速度を伴ないながら、槍を乱暴に突き出す。

「うわッと」

 黒羽は半身になって避けると、つぶさに相手の動きを観察する。

 四肢の動き、呼吸、体のねじり。それらを読み取れば、たとえ攻撃が見えずとも、予想ができる。予想ができれば、

「そこだ」

 反撃ができる。黒羽は攻撃の合間を縫って、的確に攻撃を加えていく。

 ニコロの攻撃は暴れ馬のように激しいが、ただ激しいだけだ。

 技のキレ、気配を読ませぬ身のこなし。つまりは、人間が培った英知が備わっていない。

「そんな単調な動きで、俺を倒すのは無理だぞ。普段のお前の方が、遥かに手強いな」

 一振りで壁を壊し、二振りで床を抉る一撃も、当たらなければ意味がない。

「凄い。では、私も」

 キースは剣を自身の後方へ向け、走り出す。鎧を着ていることを感じさせない軽快さで、ニコロへと近づくと、

〈炎よ、炸裂せよ〉

 斬撃の速度を倍増させて切り込む。

「グ? アアアア」

 ニコロは辛うじて直撃を避けるが、剣によって砕かれた床の破片が飛び散り、数瞬目を瞑る。

 黒羽はそこに付け入った。

 肩からぶつかるようにニコロの懐に入り、腕に組みつき肩を外す。

「ガアアアア」

 ニコロの手から槍が離れ、床へと落ちて鳴る。

「まだだ」

 その僅かな時間のさなか、黒羽はニコロの腹部に当て身をくらわせて、背後へと踊るように回り込む。

「ニコロ、我慢しろよ」

 腕を首に巻きつけ、力を込める。

「ガ、ア、アアアア」

 ニコロは宙を泳ぐように、腕をばたつかせ、懸命に抵抗する。体勢から見れば、黒羽が有利だが、表情に余裕はない。

 腕からつたわる膂力が、あまりにも桁違い過ぎて、気を抜けば腕ごとへし折られそうだ。

 汗が顔中びっしりと溢れ、筋力と魔力を総動員してニコロの抵抗を抑えつける。

 静かだが激しい濃密な戦いは、徐々に決着へとシフトしていく。

(ニコロの力が弱まっていく。……もう、少しだ)

 燃えれば燃えるほど減っていくロウソクのように、抵抗する力が衰え、やがてニコロは意識を失った。

「ゼエ、ゼエ。どうだ」

「おやおや、あっけない。ウロボロスを操れる総量が少なすぎましたかね。仕方ない」

 代弁者が壁に手をかけた。

「キースさん! トラップかもしれない」

「お任せを」

 キースは、手を地面にかざし〈水よ、吹き出せ〉と唱えた。

 地響きが鳴り、床に亀裂が走っていく。

「ニコロ、逃げるぞ」

 ニコロを担ぎ、黒羽は外へと全力で走る。亀裂から水が猛烈な勢いで溢れ出し、建物を内から壊していく。

 黒羽は、崩れゆく天井の破片を横っ飛びで躱し、揺れる地面に足を取られそうになりながら出口へ近づいていった。

(間に合え)

 黒羽は転がるように、外へと飛び出す。

 背後をサッと振り向いた時、轟音を響かせて建物が崩落した。トラップを潰すための策なのだが、予想以上に凄い威力で、黒羽は口を開けて固まった。

 ※

「ム? あちらも派手にやっているようだな」

 派手に物が崩れる音が、遠くから響いてくる。地面の揺れは物凄く、木々が狂ったように踊った。

「そのようね。だったら、こっちも負けてられないわ」

 彩希は心の中でこっそりと舌打ちした。

 状況は芳しくない。相手は、カリムが一目を置く戦士だ。

 馬鹿正直に戦って勝てる相手ではない。

「フッ」

 彩希はフェイントを織り交ぜて攻撃を繰り出すが、鎧に掠りさえしない。

「相変わらず、すばしっこいわね。能力が二つあるなんてずるじゃない。変身能力と風の操作能力なんて」

「ずるだと? 生まれながらの能力を活かしているだけだ。カリム様は、貴様と違ってそのようなことは言わない。あの方は、変身能力を極め、私などでは話にならんほど、お強いぞ」

 ――ああ、もう本当にこの女は変わらない。兄に対する盲目的な愛。それが、アネモイと呼ばれる女の中身だ。

 彩希は、こんな時だというのに、懐かしさを感じた己を笑った。

「何がおかしい?」

「いいえ、何も。さあ、まだまだ相手をしてあげるわ。早くかかってきなさい」

「強がりを。貴様、異種契約をあの男と交わしているな。フフ、それでその様か。ウロボロス量の半減。愚策だ」

(消え?)

 アネモイの姿が消失した。

 どこから来るのかまるで予想ができない。

 だから、彼女は全身を瞬時に鋼鉄の体へと変化させた。

 金属同士がぶつかる甲高い音が、三度鳴る。

 音は森の中にこだまし、地に折れた刃がつき刺さった。

「小癪な。見ろ、貴様のせいで私の剣が折れてしまった」

「そんな安物の剣を使っているからよ。さて、お互い武器がない状態になったわけだし、殴り合いでもしましょうか」

「フハハ」

 小馬鹿にしたような笑いに、彩希は眉をひそめる。

「殴り合いなどするものか。本当は代弁者を殺すための切り札だが、貴様を嬲り殺すために使うのも良いだろう」

 アネモイは右腕を水平に真っすぐ保つと、「リメイク・聖剣製造」と呟く。

 ――それは、一体いかなる魔法か。

 彼女の手には、先端が矢じりのような形の長剣が握られている。

 吸い寄せられるような魅力と、威圧感のある剣だ。どう見ても一般に出回っているような代物ではない。

「その剣は……何?」

「フフン。コレはな、聖剣フラガラッハだ。性能は折り紙付きだ」

「どうやって作ったの? 変身能力は、己の体のみしか変化させることができない。でも、その剣はあなたの体から独立している」

 アネモイはため息をつく。その顔は、呆れたと言外に物語っていた。

「全く、駄目な女。己の体を変化させることができるのであれば、髪の毛や爪を使えば良い。は、何だその顔は。よもやその程度のことも出来ぬとは」

 やはり、この女は戦いの天才だ。

 彩希は、ジワリと冷や汗が頬を伝ったのをやけにはっきりと感じた。

「お喋りはそこまでだ。私は、代弁者を殺しにいかねばならない。ああ、そうだ。お前がお気に入りの男も念入りに殺しておこう。宿の前で見たぞ。何だ、あの顔は。もしや、人間如きに恋愛感情でも抱いているのでないだろうな」

 彩希は、己の心臓が高鳴った気がした。

「あの人は……私の相棒だわ。この気持ちが、恋愛感情かどうかなんて知らない。でも、礼を言うわアネモイ。おかげで、気合いが入ったわよ」

 体中が燃えるように熱い。

 ――不利だとか、勝てないとか考えるのをやめよう。

 アネモイを止められなければ、全員が死んでしまう。

 それは、彩希にとって許容できる話でない。

 そんな彼女の様子を知ってか知らずか、アネモイは静かに剣を構え、横一文字に斬った。

「?」

 剣が届く距離ではない。では、何がしたいのか? 

 彩希の疑問は、頬に走った痛みで氷解する。

「痛いじゃない」

「今のはほんのあいさつ代わり。これから始めるのが、本番よ。貴様の、解体ショーのね」

 アネモイが次々と届かないはずの斬撃を振るう。

 だが、届く。離れた距離はゼロに。振るった空間に彩希がいるように。

 全身が鋭い痛みを訴え、赤い血が漏れ出ているさなか、彩希は舌打ちをした。

 ――理屈は知らないが、早くあの女を倒さないと死ぬ。

 彼女は全身を鋼に変えながら走った。

「無駄だ。いかな素材に変化しようが、この刃はお前の命を切り刻む」

「クッ。その前に、あなたを捻り潰す」

「面白い。やってみろ」

 アネモイは力任せに剣を振るった。彩希は咄嗟に、真横に飛ぶが、回避できずわき腹を切られ、地面へと落ちた。

 けっこうな深手を負ってしまった。

 鋼の状態すら保てず、体が元通りになってしまう。

「終わりだ。あっけないが、カリム様には伝えておく。妹君は立派な最期でしたと」

「フ、フフフ、アーハハハハ」

「気でも狂ったか?」

「いいえ」

 彩希は心底おかしいかった。なぜなら、

「気付いているかしら? 代弁者とあなたの表情。まったく同じよ。己の目的のためなら、狂えるあなたの狂気はまるで代弁者のようだわ」

 アネモイの表情から余裕の笑みは消え失せた。代わりに、醜い殺意が心の奥底から溢れ、表情に張り付いた。

「き、さま。侮辱するのも大概にしろ。私は正常だ。貴様さえ、いなければ。カリム様はずっと私を見てくださる。そのために、一途にお前を排除しようとする私は、女として正常だ」

「いいえ、異常よ。独占欲にまみれて、綺麗さなど微塵もない。汚らしくて、恐ろしいわ。あ、気付いてしまったわよ。あなたのその狂気は、カリムが嫌う人間の負の部分そっくりね。兄さんより、代弁者の方があなたにはお似合いよ」

 アネモイの頭の中で、何かが切れた音がした。言葉にならない声を上げ、アネモイは彩希に襲い掛かる。

 ”貴様だけは殺す”

 アネモイの心にその文字だけが埋め尽くされ、一切の情報が耳に入らなくなった。

 迫る殺意に、彩希は恐れる……のではなく、不敵に笑った。

「頭の沸点が低いのも、相変わらずね」

 ――雷光。

 そう表現するにふさわしい動きで、彩希はアネモイの懐に潜り込んだ。

「ガハ、え?」

 アネモイは、気付く。己の腹部に深々と拳がめり込んでいることに。

 速さには自信があった。ドラゴンのなかでも、随一の速さだと。

 だが、コレは何だ? 見えなかった、どうして。

 答えを探すように、薄れゆく意識で彩希の目を見た。凛とした瞳。嫌いな女の瞳と交錯する。

「な、な」

 せめてもの抵抗とばかりに、怨嗟を込めた瞳で見つめ、アネモイは意識を失った。

「何故ですって? 簡単な話よ。ウロボロスが半分しか使えないなら、使い方を工夫すれば良いの。初めは足に全ての魔力を、次に腰と腕に回して、拳が当たった瞬間に、全身に行き渡らせる。お分かり? って気絶しているわよね」

 ぐったりとするアネモイを、ゆっくりと地面に寝かせ、額にデコピンを叩き込んだ。

「兄さんと違った意味で純粋な女。あなたのそういうとこ、嫌いじゃないけど。だからって私を殺そうとしないでよ。これでも私、あなたを気に入っているんだから」

 殺す気など起きない。甘い、と自覚しながら彩希は、そのまま立ち去ろうと身を翻そうとした。が、

(ん? 紙が。何だろう)

 アネモイのひしゃげた鎧の隙間から、手の平サイズに折りたたんである紙が見えた。遠慮なく、手を突っ込んで紙を取り出し、そこに書かれている文字を読む。

「こ、これは。じゃあ、さっきの剣は」

 目を見開き驚く彼女は、紙をポケットに押し込むと黒羽のもとへ急いだ。

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