第31話 第十章 死闘①

「ここらで、一度休憩しましょう。全軍停止」

 キースの指示で、騎士達は動きを止めた。

 重い鎧で森の中を歩くのは、予想以上に体力を使う。貪るように、空気を吸い込む騎士達の鼻腔は、涼やかな森の匂いに満ちた。

 ここは、テントから四時間ほど歩いた場所にある森の真っただ中だ。木々の間隔が広く、二列で歩けば、黒羽達を含めた五百三人でも、何とか座れるくらいの面積はある。

「彩希殿。アジトまであとどのくらいで着きますか」

「そうね……それほど遠くないと思うわ。ほら、アレを見て」

 彩希が指差した木の幹に、大きなバツ印の傷が付けられていた。

「目印として、いくつか付けておいたの。この印は、アジトから五回目に付けたものだから、結構近いわよ」

「分かりました。では、騎士達はここで待機させ、私達のみが敵地へ向かいましょう」

 キースは副官に指示を出し、どっかりと原っぱに腰を落ち着けた。

「キースさん、暑いでしょう。このお飲み物をどうぞ」

 黒羽は、紙コップに入ったアイスコーヒーを手渡す。

「コレは?」

「コーヒーノキと呼ばれる木から採れる豆を使って作った飲み物です」

「ほう。それは興味深い。さっそく、頂くとします」

 グイッとコップを傾けたキースは、急に鋭い目つきとなった。

「こ、これは……」

「キースさん? もしかしてお口に合いませんでしたか」

「美味い」

 コント中の芸人のように、ズッコケそうになった黒羽はホッと息を吐いた。

「良かった。不味いと言われるかと思いましたよ」

「とんでもない。独特な風味があって、クセになりそうですよ。フム」

 キースは紙コップをまじまじと見つめた。

「黒羽殿、このコップの材質は何ですか?」

「それは、紙でできています」

「紙? 信じられない。では、この飲料は何故冷たいのですか? 魔法を使えないはずでは」

「あ、それは、この水筒と呼ばれる入れ物に氷と一緒に入れておいたんですよ。時間が経っても、この入れ物でしたら、氷がゆっくりと溶けますし、ある程度冷たさを保てます」

 何度もキースは頷く。

 黒羽はその様子を見て、問いかけた。

「不思議ですか?」

「あ、はい。魔法がない世界というだけで驚きですのに、魔力なしでこれほど精巧な品を作れるとは。いやはや、御伽噺のような世界ですな」

 黒羽は吹き出してしまった。魔法を使えるあなた達がそれを言うか、と思ったからだ。

「黒羽殿?」

「ああ、いや。気にしないでください。それより、ここからアジトまでは、鍵を使って移動しましょう」

「鍵……ああ、あの異世界を渡れる鍵ですか。そういえば、なぜ、今まで使わなかったのですか?」

「僕がこの地点を通った時は、彩希に運ばれながら気絶をしていたからですよ。この鍵は、僕が一度来た場所をイメージして初めて使えます。

 アジトに直接行くことも考えましたが、キースさんの技を使うためには、どうしてもこの地点に来る必要があるとのことでしたので」

「あ、そうでしたか。ならば、戦いの際は一騎当千の働きを見せねばなりませぬな」

 キースは、気合いが入り過ぎて紙コップを握りつぶし、コーヒーを派手に手に零してしまう。

「冷た!」

「おわ、大丈夫ですか」

 黒羽から受け取った布で、慌ててコーヒーを拭ったキースは、恥ずかしそうに笑った。

「あははは、本当にお恥ずかしい」

「いえ、アイスコーヒーで良かった。ホットコーヒーなら、やけどしてましたよ」

「ほう、温めて飲むこともできるのですな」

「ええ、そうなんですよ。コーヒーは本当に奥が深くて。他の豆同士を混ぜ合わせて、未知なる味を作り出すこともできるんですよ」

「興味深いですな」

「ハイハイ、そこまでよ。これだから、凝り性の男は」

 彩希に言われ、黒羽は気まずそうに咳をした。ジーと見つめてくる彼女の視線から察するに、早く救出の話をしろと言っているらしい。

「……キースさん、アジトには天井から入ろうと思います」

「て、天井ですって」

「はい。僕の鍵を使えば、どこにでも出入り口を作れます。天井から突入して、代弁者の隙をつき、ニコロを救出します」

「奇襲を仕掛けるわけですな。フ、腕が鳴ります。ヤツが行った悪逆非道のツケを払わせてやりましょうぞ」

 黒羽は頷き、具体的な段取りを話しはじめた。

 正午の日差しを受けて、嬉しそうに葉を風に揺らす木々の下で、何度も確認をして、彼らは腰を上げた。

「よし、こんなところだと思います。用意が良ければ、すぐにでも行きましょう。キースさん、あなた方の準備はどうですか?」

「お前達、準備は? ようし、良くやった。黒羽殿、問題ありません」

「かしこまりました。彩希、大丈夫か?」

 相棒の肩をポンと叩く。彩希は、その手を軽く叩き、

「そこは大丈夫か? ではなくて、行くぞって言ってほしかったわ。……ここで、必ず終わらせましょう」

 頷いた一同は、騎士達を残し、移動した。しばし歩いて、木々がカーテンのように視線を遮る場所に入ると、黒羽は鍵を取り出し、扉を出現させた。

「ニコロ、すぐに助けてやる」

 黒羽は代弁者のアジトをイメージする。

 冷たい壁と薄暗い室内。そして、鎖で繋がれた死体。

「行きます」

 鍵を捻り、扉が開く。黒羽達は、すぐさま扉をくぐり、アジトへと突入した。

 手筈はこうだ。まず、黒羽と彩希で代弁者に奇襲をかけ、キースはその間にニコロの相手をする。

 代弁者はバーラスカを服用しなければ、それほど脅威ではない。その弱点を、突いた策なのだ。もちろん、絶対に上手くいくとは限らない。黒羽達は、予備プランもいくつか考えていた。

 しかし、

「来たな、サンクトゥス」

「な、アネモイ」

 アネモイがいたのは、まったくの想定外だった。

 彩希が地面に着地する前にアネモイは、彼女を殴り飛ばしてしまった。

「彩希!」

「ゲホ、あ、秋仁。前」

 黒羽がハッと前を向くと、ニコロが雄叫びを上げ、迫ってきている。

 突き出される槍の一撃。黒羽は避けれないと覚悟し、歯を食いしばった。

「黒羽殿!」

 キースが真横から剣を叩きつけたおかげで、どうにか直撃を免れた。

「助かりました」

「なんの。それより、どうしたことか。まさか、ドラゴンである彩希殿を殴り飛ばせるほどの仲間がいたとは」

 彩希は腹部を押さえながら立ち上がり、絞り出すように声を出した。

「その女は、ドラゴンよ。まさか、代弁者と協力しているなんて、どういう風の吹き回しかしら」

 アネモイは、剣をスラリと抜き放ち、凍えるような瞳で彩希を居抜く。

「貴様を殺すためだ、サンクトゥス。私は貴様が嫌いだ。カリム様の愛情を受けてなお、彼の理想と想いを理解できない裏切り者が」

「あら、相変わらず恋仲になれていないのね。このままじゃ一生、腰巾着のままだわ」

「黙れ、サンクトゥス」

 アネモイの斬撃から逃れるように、彩希は後退していく。

「彩希」

「この女は私が抑えておく。ウロボロスを半分譲渡するから、ニコロをよろしく」

 遠ざかる足音に、黒羽は心配になったが、危険度で言えばこちらの方が高いだろう。

 槍を握りしめ唸り声を上げるニコロの背後には、壊れた笑みで代弁者が君臨している。

「どうもいらっしゃいませ」

「貴様、ニコロをどうするつもりだ?」

「おや、あなたは第五騎士団の隊長さんではないですか。嬉しいですね、あ、握手してもらっても?」

 代弁者は仰々しく頭を下げ、手を前に突き出す。キースは吐き捨てるように右手を横に振り、あらん限りの大声で叫ぶ。

「貴様のような輩に差し出す手などない。覚悟せよ。ここで、貴様を捕らえる。洗いざらい話してもらうぞ」

「捕らえる? おかしいなことを。狂乱の殺戮事件の時、私の存在すら察知できずにいたくせに何を言っているやら。ああ、でもお待ちください。我々が、きっとあなた方をこの不完全な世界から解放して、人間らしい高みへと昇らせてあげます。そうすれば、無知なあなた方も素晴らしい人生を送れる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る