第7話 第二章 荒れ狂う力③

 部屋の中を、落ち着かない様子で歩く黒羽は、ベッドの下に置かれた剣に目をやる。

(彼女のためと思って依頼を受けたが……俺の馬鹿野郎)

 窓から差し込む夕陽を浴びる黒羽の顔は、憂いを帯びている。

「クソ」

 剣を引っぱりだし、黒羽は駆け出した。

 この町は、漁師が多いからだろう。暗くなれば、眠りにつく家庭も少なくない。

 道行く人々は、こんな時間から忙しそうに走る黒羽を、不思議そうに見つめる。

 ――潮を含む風と港から聞こえる波の音。

 普段であれば心癒すそれらは、焦りによって彼の五感をすり抜けていくばかり。

 走って、走って、走り抜けて。シャツが汗で湿りはじめた頃に、やっと彼は足を止めた。

「ハア、ハア、ここか」

 港の景色が一望できる場所に、大型ショッピングモールのような宿が堂々と建っている。

 圧倒されるのも束の間、黒羽はドアを開け、中央に陣取っているカウンターへと足を運んだ。

「あの」

「いらっしゃいませ」

「こちらの宿に泊まっている方を探しているのですが。名は、ニコロ・セラオ」

「こっちだ」

 ニコロはカウンターのすぐそばにあるテーブルで、手を振っていた。

 黒羽は彼に歩みよると、テーブルに頭をぶつけるほど勢いよく頭を下げ、頼みこんだ。

「頼む、力を貸してくれ。彼女が戻らない」

「ドジったのか? だとしたら、今すぐ出発するぜ。あれだけの美女だ。盗賊どもは、きっと良くないことをするだろうからな」

 金をカウンターに叩きつけると、ニコロは宿の馬小屋へと向かった。様々な馬がいる中で、一際目立つ白馬を手繰りよせた。

「それで、どこに向かったんだ?」

「この地図に、場所をマークしてある」

 黒羽から地図をひったくるように受け取ると、プリウから最も遠い場所を指し、ここだ、と力強く宣言する。

 何故と黒羽が問う前に、ニコロは鼻を鳴らし説明した。

「確証と呼べるほどじゃないが、今回の件は麻薬も噛んでると俺は睨んでる」

「麻薬? そういえば流行してるとか何とか」

「そうだ。詳しくは、アレだ、移動しながらな。チッ、本当は俺の馬に乗せたくないが、愛しの姫君が待ってる。しゃあねえから乗れ。コイツはスペシャルな馬でな、並の馬じゃ付いてこれねえよ」

 白馬に男が二人。

(嫌だ)

 奇しくも、この瞬間だけは二人の感情はリンクした。

「振り落とされないように、しっかりと掴まれ。いや、やっぱり気持ちが悪いから、落ちない程度に気を遣って掴め」

「訳が分からない。いいから、早く行こう」

 不機嫌そうな顔で、ニコロは白馬を撫でた。すると、矢のように馬はプリウの大通りを駆け、あっという間に町の外へ出た……かと思えば、

「飛べ、俺のカワイコちゃん」

 馬の背中から巨大な羽が生え、暮れゆく空へ舞った。

「と、飛んだ!」

「コイツはペガサスだ。ご機嫌な速度で飛ぶ、俺の愛馬だ。どうだ、美しく力強いだろう」

 高笑いするニコロに、返答する余裕は黒羽にはない。今にも落ちそうで、冷や汗がやたら湧き出てくる。

「おい、あんたまさかそっちの趣味があるのか?」

「なわけないだろ! しがみついてないと落ちるんだよ」

「あーあ。美女に抱きしめてほしいものだぜ、全く。それよか、話の続きだ。今、この近辺で、流行っている麻薬は、『バーラスカ』って呼ばれている。古い言葉で意味は、”資格者”だったか」

 風に負けないように、黒羽は大声でコメントした。

「麻薬にしては大層な名前だが、それと盗賊団がどう関係している」

「あの麻薬は、狂乱の盗賊団どものアジトを中心に広がってる。そして、麻薬の症状は、理性を失って暴れることだ。どうだ? 怪しいだろう」

「……確かに怪しいかもしれないが、それが三つの拠点を選択肢から排除した理由とどう繋がる?」

 ニコロは懐から、小さな小袋を取り出すと、黒羽の手に押しつけた。黒羽は落ちないように、慎重に片手で小袋の中身を確認する。

「青みがかった紫色の粉? もしかしてコレが」

「おう、バーラスカだ。この前、盗賊団のアジトを潰した時に見つけた。副作用が色々あって、麻薬のなかでもトップクラスで最悪なもんだ。けどな、強烈な快感を味わえるらしくてよ、中毒者が絶えねえんだ。

 奴らは、これを近隣の村に売り飛ばしていたみたいだ。けど、ウトバルク本国が派遣した騎士団によって、それらの村々は数日前に検挙された。恐らくだが、そのせいで奴らはトンずらぶっこいたな。でなきゃ、今頃騎士団と交戦した話が出ていてもおかしくない。だが」

 黒羽からバーラスカを受け取ったニコロは、手綱を巧みに操りながら、鼻で笑った。

「四つ目のアジトは、最近おかしくなった。元々、あそこは赤布盗賊団ってごろつき共がいたが、気が狂った盗賊団に比べれば、チンケな奴らだった。けど、村が検挙されたすぐ後の話だ。奴らの頭、ファマが狂乱し、圧倒的な力で大勢の人々を殺しまわっているらしい。何でも、他の盗賊団よりも強さと気の狂い方が尋常じゃないって話だ」

「……どこでその話を? 町やギルドで聞いても、そんなに詳細な情報は聞けなかったぞ」

「ウトバルク軍の騎士に友人がいてな。そいつについさっき、手紙で情報を教えてもらった。……すまなかったな」

「はあ?」

 謝罪の言葉に首を傾げる黒羽に、ニコロは暗い笑みを浮かべた。

「この情報を、もっと早く伝えることができれば良かったって意味さ。まあ、つっても」

 ニコロは大声で笑い、自信ありげな声で言った。

「もし、彼女がピンチだったとしても、俺が助けるから問題はない。それに、素敵に助けた俺を見れば、あんたを捨てて、俺に乗り換えてくれるだろう。最高だぜ」

 恋人と勘違いしているようだが、素直に教えるのは癪だ。黒羽は、

「そうなれば良いな」

 と余裕たっぷりの声で返した。

「はあ? 何だその態度。ふざけた野郎だ。チッ、まあいい。そろそろ、この辺りの筈だが、日が暮れちまって見えねえな。〈光よ、闇を照らせ〉」

 ニコロによって放たれた光弾によって、地表は明るく照らされる。

 V字の谷底が、細く長く続いている景色。それ自体は決しておかしくないが、二人は顔を引き締めた。所々地面がはがされ、隕石が落ちたかのようにクレーターが形成されているからだ。

「無事なのか彩希は。見ろ、破壊痕が足跡みたいに続いているぞ」

「ああ、谷底を乗り越えて、どこかに行っちまったらしい。あの方角は……『豊潤の森』がある辺りか」

 ベガサスを操り、破壊痕を辿る。ニコロが、光弾を発射するごとに、黒羽は心にわだかまる不安が、徐々に大きく拭い難いものになっていくのを感じた。そして、ニコロが森に目がけて、魔法を放った時、黒羽の顔は青白くなってしまう。

「早く、急いでくれ」

「分かっている。おい、いつでも戦える用意をしろ。良くねえぞコイツは」

 嘶きとともにベガサスが、森へ急降下する。森はかつての豊かさを半減させ、無残な爪痕が痛々しい。

 ――しばし、低空で飛び続けていると、地獄の入り口のように暗く、深い崖が広がっており、破壊痕はその手前の森で止まっている。

「もしかして、あの辺じゃねえか。降りるぞ」

 崖の手前に着陸するなり、黒羽は素早く飛び降りて大声で彩希の名前を呼ぶ。

 不気味な静けさのある森に、黒羽の声は数度響きわたるが、反応は微塵もなかった。

 木と土の匂いと遠くで聞こえる狼の遠吠えだけが、この世界の全てであるかのよう。黒羽は、そんな世界は認めないと、大声で叫び続ける。すると、ベガサスの鋭い嘶きが聞こえた。

「どうしたカワイコちゃん、見つけたか?」

(彩希、無事なのか)

 駆けつけた黒羽は、絶句する。全身を血と泥で汚した彩希が、地面に横たわっていたからだ。

「彩希、おい、起きろ」

 駆け寄り抱き寄せると、ピクリと動き、ゆっくりと瞼を開けた。

「あら、おはよう。……遅くなって悪かったわ」

 ――馬鹿野郎、ごめんな。

 それだけを呟き、黒羽は彼女を抱きしめた。

 ニコロは愛馬を撫で、その様を眺めていたが、ふいに異変に気付く。

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