第8話 第二章 荒れ狂う力④
地面が……揺れている?
「おい、感動の再開を邪魔して悪いが、ここは危険だぞ。何かが、崖の下にいやがる」
黒羽は、彩希をそっと地面に寝かせると、崖下を覗き込む。四百メートルほどの絶壁の下は、また森が広がっており、そこにもうもうと燃ゆるオレンジ色の光が暗闇に逆らって光っている。
森に住まう獣達が、怯えたように鳴き、一斉に鳥やコウモリが空を舞った。
波動のように広がる圧力と殺意は、離れていてもなお強大で、黒羽は寒くもないのに、冷や汗が止まらなかった。
「やべーぞ。肌がひりつくこのプレッシャー。早くずらかるぞ」
同意しようと黒羽がニコロの方を振り向いた時、猛烈に嫌な予感がして横に飛んだ。途端に、強烈な風が体のすぐそばを駆け抜けていった。
「ウワワワアガアアアアア」
頭に巻いた赤布を風になびかせ、殺戮マシーンと化したファマが黒羽のすぐそばに立っていた。
「あの距離を一瞬で……オワ!」
ファマは叫び、剣を出鱈目に振るう。
乱雑な攻撃は、幼稚とさえ言えた。しかし、一撃一撃が人をバターのように削ぐ威力を秘めているならば、それはもはや災害と変わらない。
黒羽はギリギリで回避すると、手を鳴らし、ファマの意識を自身に集中させた。
「お、おい」
「俺がコイツを食い止めるから、お前は彼女を連れて町へ戻れ」
「馬鹿か、あんた。どう見ても、一人で戦うのはおすすめしねえぜ」
黒羽は剣を構えつつ、ニコロに強い口調で言葉を投げた。
「無事に町まで送り届けてくれ。絶対だぞ」
ニコロは迷った様子だったが、彩希の状態を確認すると頷き、愛馬を呼んだ。
「おい、男が死ぬ分には構わないが、美しい女性を泣かせるのだけは駄目だ。俺が戻ってくるまで、どうにかしのげ」
愛馬の背に乗ったニコロは、彼女を連れて飛び立つ。あの男が、セクハラをしないか気がかりだが、そうも言ってられない。
黒羽は呼吸を整えた。
――異種契約。黒羽は彩希とその契約を交わすことで、彼女のウロボロスを使っている。だが、それは意志がある者からウロボロスを借りる場合の話だ。黒羽の手に握られている剣のように、道具に成り果ててしまったドラゴンは、ウロボロスの譲渡を拒絶することができない。
……だが、黒羽は物言わぬ剣に呟く。
「こんな姿になってしまったあなたと同じように、あそこで苦しんでいる同族の方がいらっしゃいます。どうか、僕に力を貸してください。あなたのウロボロスがないと、僕は死んでしまいますし、あちらで苦しんでいる方の苦しみもここで止めることができません」
「アアアアアアアアア、シャアアアアアア」
迫る脅威に、彼は恐怖する心を勇気で武装し、ウロボロスを扱う己を明確にイメージした。
――一緒に戦ってください。
その言葉を皮切りに黒羽は駆けた。暴風のように荒れ狂うファマの一撃を、剣で受けとめた。通常であれば、間違いなくそのままひき肉になる。しかし、黒羽は紫色の光をその身に宿し、かすり傷一つ付かずに生存している。
「あなたの力を無駄にはしません。……行きます」
剣をはねのけ、懐に突きを繰り出す。ファマは獣の俊敏さで躱し、上段から振り下ろしてきた。
黒羽は水のような柔らかさで、斬撃を逸らす。剣をぶつけて分かったが、剣の重量差があり過ぎる。まともに受け続けると、いずれへし折れてしまうだろう。
「ガアアアアアアアア」
今のファマは獣である。それも、天災の獣だ。
振るう一撃は地を割り、動きは雷の如き素早さで、並の戦士では歯が立たない。
そう、並の戦士ならば。
「ハア!」
最小限の動きで回避し、的確に攻撃し、相手の体力を削っていく。
驚くべき集中力と剣技の冴えで、黒羽は一方的にダメージを与える。
黒羽が、幼い頃から学び続けている真宮一刀流は、実戦思考の剣術だ。
力には技を。抗えぬ力には知力を。いかな状況からも勝機を見出すことを理念としている。
柔らかな受けで、死を受け流し。時には木の影に隠れ、死角から猛攻を仕掛けた。
一見、圧倒しているかに見えた。だが、黒羽の顔には余裕はなく、玉のような汗が止めどなく吹き出して流れゆく。
(クソ、ウロボロスを使った反動がもう。体力が切れるのも時間の問題か)
ファマは理性がない。それは、戦闘において時に大いなる武器となり得る。
危ないから、疲れたから、もう動くのを止めよう。そのように判断できず、体が壊れても動き続ける。
片腕が折れ、鼻筋が曲がろうが、ファマの動きは止まらない。むしろ、激しさが増すばかり。
とうとう、後ろへ、横へ、受け流し続けたファマの斬撃を、完全にはいなすことができず、黒羽は後方へと吹き飛ばされた。
(クッソ。盗賊と言えど、俺は殺しはやらない。だけど、このままじゃジリ貧だ。……あの技を試してみるか)
体中が軋み、疲労が体を鈍重にしていく。乱れた呼吸を整え、額の汗を拭うと黒羽は剣を水平に構え、ウロボロスの濃度をありったけ高めた。
――頭の中では、師から授けてもらった秘技の名前とイメージだけが浮かんでいる。
「ウアア、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
一息で距離を詰めたファマは、黒羽の頭をカチ割るべく剣を振り下ろす。
人間らしさを捨て、その結果得た……いや暴走した殺意が、数瞬後に訪れる未来に歓喜する。
――だが、その未来はただの夢へと散りゆく。
「真宮一刀流、秘技。『風纏い・瞬打』」
上段からの斬撃を、側面からの斬撃で逸らし、返す刃でファマの小手を切り、剣を握る力を奪う。そして、左手の掌打で獣の顎を正確に射抜く。
一秒にも満たぬ速さで、これら全ての動きをやってのけた。
「ア」
地に倒れ伏すファマの心臓に手を当て、生きていることを確認すると、黒羽は深く息を吐いた。
「フウ、どうにかなったな」
獣の手から解放された剣が、悲しげに地面に転がっている。
黒羽はそのそばに手に持った剣を突き出すと、どっかりと座り笑いかけた。
「無事に終わりましたよ。もう、苦しむことはない。どうか安らかに眠ってください。本当にお疲れさまでした」
言葉に呼応するかのように、二本の剣から儚い光が漏れ出ると、黒羽の周りを優しく漂う。
(な、なんなんだ?)
驚く黒羽をよそに、しばらく、その現象は続いたが、やがて水晶が割れるような音が鳴り、光は天へと登って、消え去ってしまった。
※
愛馬の背の上で、彩希を抱きかかえていたニコロは、暗闇を引き裂く光が己の後方から発せられているのに気付く。
振り向いてみれば、紫とオレンジの光が巨大な柱となって天へ注がれていく景色が目に映った。
神々しくて、神話の神が登場する前触れのようにも見える景色に、ニコロは息を呑む。しばらく呆然と眺めていたが、やがて光は収まり、夜は暗闇をその身に取り戻した。
「あの光は……」
過去の記憶が鮮明に蘇る。あれは、いつの頃だったか。代弁者を追い続けた先で、何度か目にした光の柱。
過去と現在の景色が混じり合い、数瞬、ニコロは己がどこにいるのかさえ、曖昧になったように感じた。
「……ハッ、いっけね。そんな場合じゃねぇな。彩希ちゃん、これだけ離れりゃ大丈夫だ。今、魔法を……ん? 〈光よ、照らせ〉」
彼女の右腕が、魔法の光によって露わになる。はじめは、たおやかな女性の腕に似つかわしくないガントレットでも装備していると思ったが、そうではない。腕そのものが鉄に変化している。
驚いてまじまじと眺めていたが、彼女がうっすらと目を開けた瞬間に、鉄は人間の腕に変化した。
「うう、ん? あなたは……確かニコロだったかしら?」
「あ、ああ。そうだよ。黒羽と一緒に君を助けに来たんだよ」
「秋仁と……そういえばさっき、彼を見たわね。アレは夢じゃなかったの。……え? 夢じゃない」
彩希は身を起こそうとするが、痛みのせいで失敗する。
「まだ、動かない方が良い。今、魔法で治療するから」
「魔法……そうか。今の状態なら効果があるわね。申し訳ないけど、お願いするわ。それで、治療が終わったら引き返して、あの男は普通の男じゃない。殺されてしまうかもしれないわ」
「もしかして、黒羽の心配をしているのかい? だとしたら大丈夫だと思うぜ。さっき、ウロボロスの光が天に昇って行ったのを見た。盗賊団の男が使っていたウロボロスの光だ。あの野郎は、倒したらしいよ。どんな奇策か、手品か知らないが全く、出鱈目な野郎だ」
慎重に見極めるような瞳で、ニコロを見ていたが、彩希は安堵しきったように笑うと再び意識を失ってしまった。
「こんな状態でも、心配だったのかい。よっぽど、大事な人なんだな。これじゃ、俺の入り込む余地はねぇかな。〈傷よ、塞がれ〉」
彼女の傷が跡形もなく消え去っていくのを見届けてから、ニコロは黙考する。
――しばしの時間、彼はそうしていたが、愛馬の羽ばたく音と風切り音が、再び彼を現実の世界へと呼び戻した。
町はもう間もなく見えるだろう。やっと落ち着けるかと安堵した時、あっと思い出す。いや、思い出してしまったと言うべきか。
「ハア、今から俺、あの野郎も迎えに行かないといけないのかよ。何で俺が、野郎のために働かなくちゃいけないんだ。いつもなら、この時間帯には美女を口説いてベッドインってのが、俺のマイパターンだったはずなのに、がっかりだぜ」
背中で落ち込むご主人を、愛馬はさもおかしそうに長く嘶いた。
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