冷凍パンツ

アスカ

冷凍パンツ

 五百年前、日本人はパンツを履いていなかった。

 その事実に気がついた時、僕はかなりの衝撃を受けた。

 今、誰もが履いているパンツを、誰一人として履いていない時期があったというのだ。

 その時代ではそれが常識だった。そもそもパンツという概念自体なかったのだから仕方がない。

 けれど、その時代は果たして日本なのだろうか。誰もパンツを履いていないという世界が。

「でも、どうだろうね」

 と、裸のまま彼女は言った。

「これから先、ずっとずうっと先の未来に、パンツよりもいいものができて、誰もパンツを履かなくなる世界が来るかもしれないよ」

 科学は発展し続けている。世界は発展し続けている。

 それは変わるというよりも、更新なのだ。

 一度常識が塗り替えられたら、もう、永遠に戻ることはない。

 彼女は僕の胸を揉みながら言った。ずっと昔から、そうすることが好きなようだった。

 自分には揉む胸がないから、僕のを揉んでいるらしい。

「さすがに、それは」

 苦笑する。

 彼女は冷ややかに笑った。

「ないと思う?」

 言い切れなかった。

 黙っていると、彼女は口をつけた。

 積極性のある力強い舌に、何かを舐め取られた気がした。

「それは……この世界と、同じ世界なのかな」

 苦し紛れに呟くと、彼女は胸を揉みながら言った。

「多分、全く違うと思う」

 世界は更新し続けている。

 一瞬でも乗り遅れた人間は、永遠に過去の世界を彷徨うのだ。

 ひゅう、と風の音がした。

 朝から降り続いていた雪は、夜遅くに吹雪になる、と天気予報士が言っていた。

 どうやら大当たりのようだった。


 締め付けるような寒さに目を覚ますと、彼女はどこにもいなかった。

 一足先に起きて帰ったのだろう。

 布団に包まったまま部屋の中を見回す。

 なぜだか、すべてのものが灰色に見えた。

 壁紙が白いからとか、明かりがついてなくて薄暗いからとか、そういうことではない気がする。

 もっと根本的に、すべてのものから色が抜き取られてしまった。

 世界の更新。

 ふと、言い知れない気持ち悪さを感じた。

 ふらふらと起き出して、夢中になって服を着る。

 机の上に、彼女の忘れ物を見つけた。

 パンツ。

 真っ白な下着。小さなピンクのリボンが、質素ながらも控えめな可愛さを主張している。

 つい、手に取ってしまった。綿の柔らかな感触が、とても奇妙に思えた。

 どうして、こんなものを忘れて行ったのだろう。

 いや、そもそも忘れたのだろうか。それでは、彼女はパンツを履かずに帰ったということになる。

 五百年前、日本人はパンツを履いていなった。

 そしてこの先、遠い未来に、パンツを履かない世界が来るかもしれない。

 その世界に生きる人たちは、きっとそういうものがあったということすら知らない。

 台所でタッパーに水を入れ、その中にパンツを沈める。

 静かな水面が、より柔らかさを引き立てて見える。まるで最初からそのために作られてあったかのように。

 蓋を閉めて外に出る。

 想像した通り、雪が積もっていた。

 空は白く、まだ少し雪が降り続いている。

 僕はタッパーを雪の上に置いた。

 すぐに凍りつくだろう。

 パンツの冷凍保存。

 ずっとずうっと先の未来に生きる人たちへ、伝えたいと思った。

 パンツはあったのだと。

 二十一世紀に生きる日本人は、たしかにパンツを履いていたのだと。

 ふと、彼女はどこへ消えたのだろう、と思った。

 昨夜は、吹雪だったのだ。

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冷凍パンツ アスカ @asuka15132467

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