インタールード――side:ハルメル

第32話  黒の天使と清純な管理人――ブラックエンジェル・ソリッドメメン


・まえがき


■登場人物紹介


・ホローズ・ホロブラック

天使たちのトップである、五熾天使ごしてんしの序列5位。

黒髪お下げのスーパー美少女天使。

子どもじみた言動が多いが、仕事は早い。

だけど基本はナマケモノ。

絶対神ベリスマンの居城、浮遊城ハイマグスに

専用のホローズタワーを所有している。



・フロリス・フラウロゼ

天使たちのトップである、五熾天使の序列3位。

ロゼ色の長い髪を持つ美人天使。超美人。

真面目に仕事をこなす性格。

真面目すぎて、絶対神にすらダメ出ししちゃう。

浮遊城ハイマグスに、専用のフロリスタワーを所有。



・ハルメル

全知空間イグラシアの管理人であるメメンの一人。

メメンとは、イグラシア管理人の総称。

見た目は16歳。長い黒髪の、おとなしい少女。

12人のメメンの中では、唯一魔法が使えない存在。

しかしそれには特殊な事情があるのだが、本人はまだ気づいていない。



・ララチ

全知空間イグラシアの管理人であるメメンの一人。

見た目は12歳の、金髪ボブの女の子。

好奇心旺盛で理屈っぽい。

五熾天使のホローズにすら平気でタメグチを叩く怖いもの知らず。

第1部のラスト付近でスーパー魔法をぶっ放す。……かもしれない。



***



 そこは広大な白い空間だった――。


 床は滑らかな白一色で、前後左右のいずれを見渡しても地平線以外は何も見えない。顔を上げて天に目を凝らしても、白い世界だけがどこまでも果てしなく広がっている。そこはまさに白い無の世界だった――。しかしその広大すぎる空間の中に、大きなベッドがぽつんと一つだけ置いてあった。


 それは大人が数人並んで横になっても余裕があるほどの巨大なベッドだ。そのベッドの上には長い黒髪をお下げに結った少女が大の字で仰向けになっている。そしてその少女の黒い瞳は、ベッドの上の空間でドーム状に展開している無数の映像画面に向けられていた。


 空間に直接投影された映像群は巨大な傘のように広がり、様々な土地で生きる様々な人間たちが映し出されている。その半数以上は戦争や殺し合いの血生臭ちなまぐさい光景だ。しかし細身の少女は興味がなさそうにすべての映像を呆然と眺めながら、大きなあくびを何度もしている。さらにいきなり半分白目をいたかと思うと、小さな口から疲れ切った声を漏らした。


「……あ~、ほんっとダルい。まじダルい。ほんともぉ、まじ死にそう。こんなクソダルい仕事、まじめにやってらんないっつーの……。ちょっと部屋に戻って1億年ぐらい眠りたいわぁ……ふわ~ぁ……」


 少女は再びあくびをすると、そのまま力尽きたように顔を横に倒した。するとその時、大きなベッドの脇に黒い空間が発生した。その空間はすぐに黒い扉となって開き、中から銀色のローブをまとった少女が姿を現した。


「……ホローズ様。大変お待たせいたしました。ご要望のお茶というものをお持ちいたしました」


 ベッドで転がる少女よりいくぶん年上に見えるその若い女性は、長い黒髪をわずかに揺らしながらベッドに近づく。そして突如として現れた小さなテーブルに、湯飲みと急須をのせたお盆をそっと置く。


「おー、サンキューサンキュー、ありがとねん。えっと……」


 黒髪のやせた少女――五熾天使ごしてんしホローズはゆっくりと体を起こし、ベッドサイドに立つ女性に目を向けた。その視線を受けて、若い女性は白い手を胸に手を当てながら穏やかな声で淡々と答える。


「……私は、この全知ぜんち空間イグラシアの管理を担当しております12メメンの1人、ハルメルと申します」


「あー、そうだった、そうだった。ハルメルちゃんだったね。お茶ありがと」


 ホローズは軽い調子で礼を言うと、湯気の立つ茶をゆっくりすする。さらに急須を手にしてお代わりをいれ、満足そうに2杯目を飲み干した。それから小さな息を吐き出し、再びベッドに倒れ込む。


「あぁ~、生き返ったぁ~。やっぱお茶は熱いのに限るよねぇ~。……というかハルメルちゃん。よくお茶なんかあったね。自分で頼んでおいてなんだけどさぁ、けっこうムチャぶりしちゃったかなぁ~なんて思ってたんだけど」


「はい」


 ホローズの何気ない質問に、ハルメルはベッドの脇に立ったまま感情のない顔で口を開く。


「実はお茶というものがわかりませんでしたので、たまたまいらっしゃったフロリス様にお尋ねしたところ、知識と道具を与えていただきました」


「うげっ。まじで?」


 その瞬間、ホローズは思わず渋い表情を浮かべた。


「もうフロリス来ちゃったの? うっひゃー、まずいなぁ。もうすぐここにも来そうな感じだった?」


「――もう来ています」


 黒髪の天使の言葉が終わると同時に、不意に涼やかな声が漂った。ホローズとハルメルはそろってベッドの反対側に顔を向ける。すると再び黒い空間が扉のように開き、中から美しい女性と背の低い少女が現れた。1人はロゼ色の長い髪を持つ五熾天使フロリスで、もう1人は金色の髪を小さな肩の上で切りそろえた女の子だ。そしてその金髪の少女を見たとたん、ホローズはバツの悪そうな表情を浮かべて声を漏らした。


「うーわ、ララちゃんじゃん。まーたフロリスに告げ口されたかぁ~」


「ううん。ララチは告げ口してない。報告しただけ」


 イグラシアの管理領域までフロリスを案内してきた金髪の少女は、ホローズをまっすぐ見つめて淡々と言葉を続ける。


「ホローズさまは仕事しているふりをしながら、ほとんど寝てた。ダルくてねむい~、こんなつまんねー仕事なんかやってられるかぁ~、っていいながら、この7年間のうち半分以上居眠りしてた。ララチはそれを正確に報告しただけ。それがダメだというのなら、納得できる理由をおしえて」


「うむ、よかろう、ララちゃん。ならば理由を教えてしんぜよう。その理由とは――フロリスにグチグチ文句を言われたくないからだぁーっ!」


 まっすぐな瞳で質問したララチに対し、ホローズは寝っ転がったままこぶしを握って声を張り上げた。その瞬間、淡い金色のローブをまとったララチはホローズを真似して小さなこぶしを握りしめ、真剣な表情で力強くうなずいた。


「なるほど。ものすごく納得した」


「ララチ。そこで納得してはいけません――」


 横で黙って聞いていたフロリスは思わず呆れ顔で息を吐き出し、ララチの小さな頭を優しくなでた。


「ホローズの言葉は詭弁きべんです。文句を言われたくなければ真面目に仕事をすればいいだけのこと。怠けた自分を棚に上げて言い訳する方が間違っているのです」


「どうして言い訳する方がまちがっているの?」


「時間が限られているからです」


 再び疑問を口にしたララチをフロリスは優しく見つめ、穏やかな声で答える。


「怠けた言い訳を口にするのも、それを聞くことにも意味はありません。ただでさえこのイグラシアの中は時間の流れが緩やかです。真面目に働かない怠惰たいだな天使の相手をする時間など、1秒たりともありません」


「あーはいはい、どーもすみませんねー。どーせアタシはダメダメなスーパー美少女天使ですよ~」


 ホローズは――よっこらしょ――っと細い体を起こし、新しい茶をいれてすすり始める。


「……それでフロリス。何の用? ちょっと来るの早すぎない? このまえ頼まれた例の仕事はまだまだ時間がかかるってわかってるっしょ。いくらこの宇宙で一番かわいらしいアタシでもねぇ、イグラシアから削除された情報を抽出して、逆に異世界種アナザーズを特定するなんて、そう簡単にできるわけないんだから」


「……ねぇ、フロリスさま。どうしてかわいらしさと仕事の進捗率しんちょくりつが関係するの?」


 ホローズの話を聞いたとたん、ララチの口から反射的に疑問が飛び出た。


「何の関係もありません。今のはただの言葉遊びです」


「それじゃあどうして、ホローズさまは自分のことを宇宙で一番かわいらしいなんて言うの? 別にそれほどかわいくないのに」


「それはただの願望です。ホローズは自分の容姿に自信がないから強がっているだけなのです」


「……よーし、おまえらぁ。言いたいことはそれだけか、コノヤロー」


 ホローズは思わず顔面を強張らせながら、ひびが入るほど湯飲みを強く握りしめた。しかしフロリスはホローズの怒気を軽く受け流し、淡々と声をかける。


「さて、ホローズ。そろそろ本題に入りましょう。今日はあなたに頼みがあって来ました。ネイン・スラートについてです」


「……ああ、あのネインくんね」


 言われたとたん、ホローズは細い腕を軽く横に振り払った。するとベッドの脇の空間に1つの映像が現れた。それは5人の人間がテーブルを囲み、楽しそうに食事をしている光景だ。その内の1人、黒ゴマのパンを黙々と食べている黒髪の少年を見つめながらホローズは言葉を続ける。


「おー、ネインくんはお食事中かぁ~。いいなぁ~。アタシも久しぶりに何か食べたくなってきちゃったかも。……ンで、ネインくんがどしたの?」


「つい先ほど配下の天使から連絡がありました。ネイン・スラートがガルデリオン・ファイアを入手し、異世界種アナザーズとの戦いの準備を整えたそうです」


「へぇ、それはすごい。あんな何にもできないショボイ子どもが、を倒せたんだぁ。しばらく見てなかったけど、どうやらずいぶんと成長したみたいだねぇ。……ま、どうせすぐ死ぬだろうけど」


 ホローズは冷ややかな目でネインを見つめ、鼻で笑った。その態度を見てフロリスはそっと息を吐き出した。


「……ホローズ。あなたが選んだ者が絶対戦線アグスラインの控えに回されたからといって、ネイン・スラートに八つ当たりしてはなりません」


「べっつに~。アタシはただ、ネインくんの実力から予想できる未来を口にしただけで、八つ当たりなんかしてないじゃん。というかあの子、アグス様から授かった力をぜんぜん使い切れてないんだけど、あんなんでほんとに役に立つの? ぶっちゃけ、絶対戦線アグスラインの中ではぶっちぎりのダントツで弱っちいんだけど」


「それでも、アグス様が御自分の魂をお与えになったのは彼だけです。役に立つかどうかは我々が判断すべきことではありません」


「ふーん。ということは、フロリスもネインくんが役立たずだって思ってるわけだ。あは。なんかウケるんだけど」


 ホローズはニヤリと笑い、ロゼ色の髪の天使を見上げた。その意地悪そうな笑みをフロリスは淡々と見下ろし、口を開く。


「とにかくホローズ。あなたはネイン・スラートの能力値を、実際よりも低く見えるようにイグラシアの情報を改ざんしてください」


「はい? 能力値を低く見えるようにって、どゆこと?」


「ネイン・スラートからの報告によると、異世界種アナザーズはどうやら、他人の能力値を見抜くスキルを所有しているようです。ですので、彼の希望どおりに能力値を改ざんしてください」


 そう言いながらフロリスは、白い指先からロゼ色の光線をホローズに向けて放った。その光線をホローズは小さな手のひらで受けて、一瞬だけ思考を巡らせた。


「……へぇ。異世界種アナザーズはそんなスキルを持ってるんだぁ。なるほどねぇ。ネインくんみたいな弱っちい人間が相手だと、あっちも油断して情報を漏らすってことかぁ。たしかにそういう意味では、ネインくんにも使い道があったみたいだねぇ」


 ホローズは軽く肩をすくめてそう言うと、空中の画面に映っているネインに向かって指を向けた。するとフロリスと同じように指先から黒い光線が放たれて、映像のネインを照射した。


「――はい、完了。これでご要望どおり、ネインくんはさらに弱く見えるようになったから」


「そうですか。手間をかけましたね、ホローズ」


「ま、仕方ないっしょ。今のイグラシアに安全に接続できるのはアタシだけだからね。次くる時になんかお土産持ってきてくれたらチャラにしてあげるから」


「土産ですか……。まあ、考えておきましょう。それでホローズ。は終わりましたか?」


「ぎくり」


 フロリスに淡々と訊かれた瞬間、ホローズは反射的に首をすくめた。その仕草を見たフロリスは思わず小さな息を吐き出した。


「その様子ですと、どうやらまだのようですね。あれほどアグス様から最優先で処理するように言われたというのに、あなたという天使は……」


「え~、だってしょうがないじゃ~ん。を、アタシ1人でそう簡単にできるわけないっしょ」


「それでもやるのが我ら五熾天使の務めです」


 フロリスはじっとりとした目つきでホローズを見据えながらさらに言う。


「いいですか、ホローズ。ネイン・スラートはこれから本格的に活動を開始します。つまり、これで絶対戦線アグスラインが全員そろったということです。そして異世界種アナザーズを1匹残らず殲滅せんめつするには、がどうしても必要なのです」


「そんなことはわかってるけどさぁ~、はたぶん異世界種アナザーズも制御できていないと思うよ?」


「だからこそです。既に侵攻を受けている我々が勝利するには、異世界種アナザーズの想定を超える方法で徹底的な反撃を仕掛けるしかありません。そしてそれが可能なのは、現能世界リアリスに存在する異世界種アナザーズが少数勢力である今のうちだけです。つまり、我々のタイムリミットはもうすぐそこまで近づいているのです」


「だったらフロリスも手伝ってよ。そしたらたぶん2、3年で解析できるから」


 ホローズは不満そうに軽く頬を膨らませたが、フロリスは首を小さく横に振る。


「それはできません。私はこれから人間の協力者に指示を出しに行かねばなりませんし、そのあとも予定が立て込んでいます」


「え~、そんなこと言って、ほんとはフロリスタワーのお花畑の手入れとかするつもりなんじゃないの~?」


「そんなことをするはずがありません。それは配下の天使たちに任せています」


「ふーん。ま、フロリスはまじめちゃんだからねぇ~。お仕事をサボッたりするはずないか」


「当然です」


 手のひらを上に向けたホローズに、フロリスは淡々とうなずいた。


「それではホローズ。ネイン・スラート以外の絶対戦線アグスラインのメンバーについても、各人の能力値を適切に調整しておいてください。異世界種アナザーズに彼らの正体が知られることのないよう、最優先でお願いします」


「あー、はいはい。それぐらい言われなくてもわかってますって」


「……ねえ、フロリスさま」


 ホローズが面倒くさそうに返事をしたとたん、ララチがフロリスを見上げて口を開いた。


「ホローズさま、ぜったいサボるよ?」


「そうですね。私もそう思います」


「おいこらおまえら、ちょっと待て」


 ホローズは思わず2人をにらんだ。しかしフロリスはホローズを軽く無視して、無言で控えているハルメルに目を向ける。


「それではハルメル。ホローズ1人では心配なので、あなたもこの管理領域に常駐し、ホローズの仕事を手伝ってください。そしてもしもホローズが居眠りするようなことがあれば、いつでも私に報告してください」


「はい、フロリス様。ご命令、たしかに承りました」


 ベッドサイドに立って話を聞いていたハルメルは、フロリスに向かって丁寧に頭を下げる。その長い黒髪の頭にフロリスは一つうなずき、渋い顔をしているホローズに目を向ける。


「それではホローズ。私はこれで失礼します。あなたは自分の務めをきちんと果たしてください」


「うぇ~い……」


 ホローズは半分白目を剥きながら、ふてくされた声で返事をした。それを合図にララチは黒い空間ドアを開き、フロリスと一緒に姿を消した。


「……ぃよし。いったな」


 2人がいなくなったとたん、ホローズは再びベッドに寝転んだ。そしてすぐに8つの画像をベッドの上の空間に呼び出し、それぞれに映し出された女神や界竜、悪魔や人間たちに指を向けて黒い光線を照射した。


「……ほい、これでよしっと。お仕事おわりっ。それじゃあ、ハルメルちゃん――」


「はい」


 ホローズは不意にベッドから立ち上がると、今度はハルメルをまっすぐ見つめて口を開く。


「アタシはちょっと疲れたから、自分のタワーに戻って休憩してくるね」


「え? お仕事の続きをされるのではないのですか?」


「うん。疲れたままダラダラ働いても仕事の効率は落ちる一方だからね。つまりアタシは仕事のために休憩を取りにいくわけで、それはすなわち仕事をしていることと同じってわけ。わかる?」


「いえ、よくわかりません」


 訊かれたとたん、ハルメルは素直に首を横に振った。


「休憩でしたらここでもじゅうぶんに取れると思います。それにその方が時間の無駄にならないと思います」


「ちっちっち、それが違うんだなぁ~」


 真面目な顔で答えたハルメルに、ホローズは指を左右に振って言葉を続ける。


「実は五熾天使っていうのはね、自分のタワーで休憩しないと疲れが完全に取れないのよ」


「え? そうだったのですか? それは知りませんでした」


「うんうん、実はそうだったのですよぉ~」


 素直に信じた様子のハルメルを見て、ホローズはニヤリと笑ってさらに言う。


「そういうわけでハルメルちゃん。アタシがいない間はキミがこの管理領域の責任者だ。そしてフロリスに言われたとおり、キミにはアタシの仕事を手伝ってほしい。お願いできるかな?」


「はい、ホローズ様。ご命令、たしかに承りました――。ですが仕事と言いますと、具体的には何をすればよろしいのでしょうか?」


「あ~、それはだねぇ~」


 ホローズは周囲に浮かぶ無数の画面をざっと見渡してから、近くの映像を指さした。そこには短い黒髪の少年――ネインが映っている。夕食を終えたネインは自宅に戻り、部屋のカーテンを閉めているところだった。


「それじゃあ、ハルメルちゃんにはネインくんを担当してもらおうかな。実はアタシ、あの子あんまり好きじゃないから、能力値の改ざんも適当だったんだよねぇ。そういうわけで、ハルメルちゃんはネインくんをしっかり観察して、必要に応じて適当になんかしてあげて」


「はい、かしこまりました。あの人間をしっかり観察して、必要に応じて適当に何かをします」


「そうそう。いやぁ~、ハルメルちゃんは素直でいい子だから助かるよぉ~」


 ホローズは満面の笑みを浮かべ、素直にうなずいたハルメルの細い肩を軽く叩いた。


「そいじゃ、アタシはちょっくら自分のタワーに戻って休憩してくるから、ホリビスの泉まで送ってちょうだい」


「はい、かしこまりました。それでは、行ってらっしゃいませ――」


 ハルメルはすぐに片手を前にかざして黒い空間ドアを作る。同時にホローズはスキップを踏んで黒い通路へと飛び込み、姿を消した。その背中を見送ったハルメルはゆっくりと振り返り、大きなベッドに腰かける。そしてネインが映った画面を目の前まで引き寄せ、じっくりと見つめ始める。


「この管理領域に常駐して、この人間をしっかりと観察する……。それがフロリス様とホローズ様に命令された、わたしの仕事……わたしの仕事……わたしの仕事……」


 ハルメルはぶつぶつと呟きながらネインの姿を凝視する。画面の中のネインはいきなり尋ねてきた若い女性と勝手口で少し言葉を交わしたとたん、いきなりドアをそっと閉めた。そして呆れ果てたような表情でため息を吐きながら部屋に戻り、ベッドに入った。


 そのランプが消えた暗い部屋で眠るネインの顔を、ハルメルはただひたすら無言のまま、いつまでも見つめ続けた。



 そしてその頃――。


 黒い空間通路を通り抜けたホローズは、アグスタワーの上層階にあるホリビスの泉に飛び出した。そしてすぐに、少し離れたところに立つロゼ色の髪の天使に足を向ける。1人佇んで蓮池はすいけの花を眺めていたフロリスは、近づいてくるホローズに気づくと、顔を向けて口を開いた。


「……ご苦労様です、ホローズ。首尾はどうですか?」


「ま、たぶん大丈夫でしょ。あの子はララちゃんみたいに理屈っぽくないし、メメンの中でも一番素直だからね」


 黒髪お下げの天使は肩をすくめながら淡々と答えた。そして蓮池の縁石えんせきに腰を下ろし、大きな息を吐き出した。


「……だけどさあ、いきなりやってきて、いきなりあんなって言われてもほんと困るんだけど」


「それは仕方がありません。アグス様のご命令です」


「だからってさあ、って、どゆこと? 意味がまったくわかんないんだけど」


「それは私にもわかりません。ですが、アグス様にはきっと何か深いお考えがあるのでしょう」


「それはどうかなぁ~」


 再び美しい蓮の花に目を向けたフロリスの横で、ホローズは軽く呆れた声を漏らした。


「あのゴールデンなおっさんは、たまぁに何も考えてないからなぁ~」


「まあ、それはたしかに否定できませんね……」


 ホローズの言葉にフロリスも思わず小さなため息を吐いた。それから蓮池の奥に見える安息神域セスタリアの美しい星空を眺めながら言葉を続ける。


「とにかく、私はそろそろ現能世界リアリスに出立します」


「ああ、人間の協力者に会いに行くって言ってたっけ。それじゃあついでに、絶対戦線アグスラインのヤツらの様子も見てきてよ。特に魔女と大賢者を念入りにね」


「それはかまいませんが、あの2人がどうかしましたか?」


「まあ、たぶん大丈夫だとは思うんだけど、あいつらって勘は鋭いくせに覚悟がちょっと足りないような気がするんだよねぇ~。だからさ、ように釘を刺しておいた方がいいかなぁ~、ってね」


「なるほど。そういうことですか……」


 ホローズの言葉に、フロリスはわずかに表情を曇らせた。


「たしかに我々の計画をすべて説明したら、臆病風に吹かれる者が出るかも知れません。ですがそれは仕方のないこと――。いいでしょう。私の方で今一度、彼らの覚悟のほどを見極めておきましょう」


「うん。悪いけど、そうしといて」


 ホローズは気安い感じで片手をひらひらと左右に振る。その仕草を見ながらフロリスは一つうなずき、すぐにロゼ色の光の柱を作って姿を消した。そして神泉しんせんに1人残ったホローズは、おもむろに立ち上がり、背すじを伸ばす。


「……さぁ~てと。それじゃあアタシも、としますか。イグラシアを管理している12人のメメンのうち、いったい誰が異世界種アナザーズの手先なのか――。それを早く突き止めないと、おちおち仕事もサボれないからねぇ~」


 そうぽつりと呟き、ホローズはゆっくりと歩き出す。そしてすぐに黒い光の柱を作り、その中に姿を消した。


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