インタールード――side:ネイン・スラート

第29話  心優しい窃盗と、巡る因果の第一歩――ボーイズハート・ガールズハート


・まえがき


■登場人物紹介


・チェルシー・グリン  14歳(今年15歳)

            ネインの幼なじみの少女。

            家族を亡くしたネインを心配して、あれこれ世話を

            焼いている。

            茶色い髪をお下げに結った、明るく元気な女の子。

            母のダリアと一緒にパン屋を経営。

            ネインが受け継いだ宿屋の裏庭にある菜園を手入れ

            している。その菜園では野菜がなぜかよく育つ。


            戦いの中に生きるネインにとって、チェルシーは

            穏やかな日常を与えてくれる大切な存在――。



***



 はるか高い青空の下、年季の入った荷台を引く1台の郵便馬車がアスコーナ村に到着した――。


 村の入り口の馬車止めの近くには、村人たちが5、6人ほどベンチに座って郵便物を待っていた。その中の1人、茶色い髪をお下げに結ったチェルシーは、近隣の村で買い付けた小麦粉や重曹などの請求書と一緒に、今日は2通の手紙を配達人に渡された。


 宛名を見ると、どちらもネイン・スラート宛て。差出人は王都のワインショップと冒険職アルチザン協会で、しかも両方とも速達指定だ。


「なにこれ? ワインパレスって、ワインのお店? あいつ、ワインなんか飲まないのに……?」


 チェルシーは思わず首を左右にひねりまくる。それからとりあえずネインの家に足を向けた。


 以前は『宿屋ハーブリング亭』の看板を掲げていた大きな一軒家についたチェルシーは、建物の横にある勝手口から中に入る。そしてネインの部屋をのぞき、家中を軽く見て回ったが、どこにも人の気配は感じられない。それで再び外に出て、小高い裏庭に続く石段を登っていくと――ネインの姿が見えてきた。


 ネインはひび割れたレンガ道の左右に生えた雑草を、額に汗を浮かべて抜いていた。手押しポンプの井戸の方に目を向けると、新しいレンガとその下にく砂利、それと石灰石の粉などが既に用意されている。どうやらチェルシーに言われたとおり、朝からレンガ道の交換作業に精を出していた様子だ。


「どうやらちゃんとやっているみたいね。感心感心」


「……チェルシーか」


 チェルシーがすぐそばで立ち止まると、ネインは手を止めて顔を上げた。


「どうかしたか? 昼飯はさっき、コナーが持ってきてくれたぞ」


「そんなことはわかってるわよ。あたしが届けさせたんだから。ついさっき、あんた宛ての手紙が届いたからわざわざ持ってきてあげたの。とりあえず手を洗ってきたら?」


「そうか。いつも悪いな。で、誰からだ?」


 ネインはおもむろに立ち上がり、井戸の方に足を向けた。


「えっと……冒険職アルチザン協会と、ワインパレスっていうワイン屋さんみたい。どっちも速達ね。あんたワインなんか飲んでるの?」


「いや。オレは酒は飲まない」


 ネインは手押しポンプを押して水を出し、手と顔と、ついでに短い黒髪の頭もざっくり洗って水を飲む。それからポンプにかけていた手ぬぐいで頭を拭いて、手紙を受け取る。


「じゃあなんで、ワイン屋さんから手紙がくるの?」


「たぶん、頼んでいた情報についての連絡だと思う。その店の店長には仕事のことでいろいろと世話になっているからな」


「仕事? あんた10歳ぐらいからちょくちょく王都に行ってるみたいだけど、あれはなんかの仕事で行ってたの?」


「まあな。父さんと母さんが遺してくれた金だって、いつまでももつわけじゃない。働かないと食べていけないだろ」


「それはまあ、そうだけど……」


 ネインは先にワインショップからの手紙を開けて、目を通す。そのネインの横顔を見ながら、チェルシーは渋い表情を浮かべて言葉を続ける。


「じゃあ、なんの仕事をしてたの?」


「別に大した仕事じゃない。困っている人の手伝いをたまにするだけだ。オレにはそれぐらいしかできないからな」


「ああ、つまりお手伝いさんってことね。それならたしかに、あんたにでもできそうね。それじゃあ、悪いことはしてないのね?」


「悪いこと?」


 ネインはふと顔を上げてチェルシーを見た。


「悪いことって、たとえばどんなことだ?」


「え? たとえばって、そんなの……お金を盗んだり、ものを盗んだりすることよ」


「ああ、それならつい最近、1個だけものを盗んだぞ」


「はいぃぃ!?」


 あっさり罪を告白したネインに、チェルシーは思わず詰め寄った。


「盗んだ!? あんたいま盗んだって言ったの!?」


「うん。駄目だったか?」


「そんなのダメに決まってるでしょーっっ! 人様のもの盗んじゃダメーっっ! ぜったいダメーっっ! このバカーっっ! ネインの大バカーっっ!」


 チェルシーはネインの襟を両手でつかみ、激しく前後にゆさぶった。しかしネインは淡々とした表情のままチェルシーに言う。


「オレはたしかにものを盗んだが、悪いことをしたとは思っていない」


「はあっ!? なにそれっ!? 人様のものを盗んでおいて開き直るつもりっ!? あんたいったいいつの間にそんな悪い人間になっちゃったのよっ!」


「チェルシーはオレが悪い人間だと思うのか?」


「思ってないわよっ! そんなこと思うわけないじゃないっ! でも盗んだんでしょ!? だったら悪い人間じゃないっ!」


「理由があっても盗んだら駄目なのか?」


「はあっ!? 理由っ!? なによそれっ! たとえどんな理由があったってねぇ――」


 その時不意に、それまで怒涛どとうのように声を張り上げていたチェルシーが口をつぐんだ。そしてネインをまじまじと見つめてから手を離し、一歩下がって腕を組む。それから、じろりとにらみながら口を開く。


「……つまり、あんたにはあんたの言い分があるってことね。いいわ。聞いてあげる。その理由とやらを話してみなさい」


「いや、そんな不愉快そうな顔をするほど嫌なら、無理して聞かなくていいんだぞ?」


「無理するわよーっ! いま無理しないでいつ無理するのよーっ! いいからとっとと話しなさいっ! そしたらその人のところまで一緒に謝りに行ってあげるからっ! ほらしゃべれーっ! いますぐしゃべれーっ! このバカネインーっ!」


「はいはい……。チェルシーは本当にいつも元気いっぱいだな……」


 ネインは軽く息を吐き出し、手押しポンプの脇に腰を下ろす。そしてチェルシーが隣に座ってから、おもむろに話し始める。


「……あれは先月のことだ。オレはいつもどおり手伝いに呼ばれて足を運んだんだが、オレを待っていた人は病気で先が長くなかったんだ」


「え? 先が長くなかったって、まさかその人……」


「ああ。命を奪う病気だったらしい」


「そうだったんだ……」


 ネインの横顔を見つめていたチェルシーは悲しそうに顔を曇らせ、足下に視線を落とした。ネインは首に提げた水晶クリスタルを握りながら言葉を続ける。


「それでオレは、その人と少しだけ話をした。その人はとても悲しそうな顔で話してくれた。――自分には子どもがいたんだけど、育てることができなかった。だからとても辛かったけど、他の人に渡してしまった。自分はその子のことをとても大切に思っているのに、親らしいことをしてやれなかった。だから毎日後悔して生きてきた。だからいつも会えないその子のことを想ってカメオを彫った――」


「カメオ?」


 チェルシーが首をかしげたので、ネインは炎を宿した水晶クリスタルをチェルシーに向けた。


「その人は、この水晶クリスタルと同じくらいの大きさの白い石に女性の顔を丁寧に彫っていた。子どもの母親の顔だと言っていた」


「ああ、そういうことね……」


「その人は、子どもを手放してから毎年1つのカメオを彫っていたらしい。オレが見た木箱の中には14個の完成品と、作りかけが1個入っていた。その人は自分の子どもにそのカメオを渡したいと言っていた。しかし自分にはそれを渡す資格がないとも言っていた。それで結局その人は、子どもにカメオを渡すことができないまま死んでしまった」


「そうなんだ……。それじゃあ、最後の1個は完成できなかったのね……」


 チェルシーは瞳をにじませながらそっと呟き、ネインの上着の裾を軽く握った。ネインは青い空に目を向けて、続きを話す。


「だからオレはそのカメオを一つ盗んだんだ。その人は、子どもが自分を許してくれないだろうと恐れていた。だから子どもに会いに行くことができなかった。だけどオレがその子どもなら、カメオを受け取りたいと思う。生まれてから一度も会ったことがない父親でも、自分のことを心から大切に想ってくれていた人なら、せめて一目だけでも会ってみたいと思うはずだ。だからオレはカメオを盗んで、その子どもに渡そうと思ったんだ」


「そう……。そういう理由だったのね……」


 チェルシーはぽつりと呟き、わずかに濡れた目元を手で拭った。


「そうね。そういう事情なら仕方ないわね。で、そのカメオは、その人の子どもにちゃんと渡せたの?」


「いや、まだだ」


 ネインは少しだけ肩を落とし、首を横に振る。


「その人は子どもを誰に渡したのか誰にも言わなかったらしい。それに子どもを手放したのは10年以上も前のことだから、今から探すのはほとんど不可能だ」


「じゃあ、どうするの?」


「だから、そういう情報に詳しい人を探していたんだ」


 ネインはワインショップから届いた封筒をチェルシーに向けた。


「この手紙は、その連絡だ。いろいろな情報を知っている人がどうやら見つかったらしい」


「そうなんだ」


 チェルシーはホッと一つ息を吐き出し、嬉しそうに微笑んだ。


「つまりあんたは、見知らぬ他人のためにわざわざカメオを届けようとしているわけね。まったく。とんだお人好しね」


「そうかもな」


 ネインも軽く微笑み、肩をすくめる。


「だけどオレは、会えなくなった子どもを想うその人のために何かをしたいと思ったんだ。家族に会えないのは、本当にさみしいものだからな……」


「大丈夫よ」


 不意にチェルシーがネインの腕に腕を絡め、肩を寄せた。


「今のあんたの家族はあたしなんだから、あたしがいればさみしくないでしょ? だから大丈夫。元気出しなさい」


「……そうだな。ちょっとばかり口うるさいけど、家族ってのはそういうものだからな」


「口うるさいはよけいよ」


 チェルシーはネインの腕をぎゅっと抱きしめ、幸せそうに微笑んだ。


「それで、もう1通の手紙はなんだったの?」


「ああ。どうやら昇任認定の通知らしい」


 ネインは冒険職アルチザン協会からの手紙を広げてチェルシーに見せた。


「この前潜ったダンジョンで、誰かの個人認識票タグプレートを拾ったから協会に届けたんだ。その功績でランク2の赤銅カッパーに昇任するから協会まで顔を出せって書いてある」


「へぇ、そうなんだ。落とし物を届けただけでランクが上がるなんて運がよかったわね。でも、ランク2って大したことないんでしょ?」


「まあな。下っ端に毛が生えたようなものだ」


「だったらもっと頑張らないとね。せめてランク5の灰銀アッシュシルバーにならないと、いつかソルラインに行った時、おじさんに怒られちゃうわよ?」


「それはそうだけど、灰銀アッシュシルバーはかなり厳しいな。普通の人間はランク4の紫鋼スティールが限界なんだよ。父さんや母さんみたいな天才じゃないと、灰銀アッシュシルバー明金ライトゴールドにはなれないからな」


「あら。だったら大丈夫よ」


 チェルシーはネインの鼻を指でつつき、得意気な顔で言う。


「あんたはその2人の血を受け継いでいるんだから絶対になれるわよ。あと20年ぐらい頑張ればね」


「20年か……。そうだな。たしかにそれぐらい時間をかければ何とかなるかもな」


「そうそう、そのとおりよ。あたしはこの5年で、もう一流のパン屋さんになったけどね」


「たしかに。チェルシーのパンは美味うまいからな」


 ネインはチェルシーに軽く微笑み、手紙を封筒にしまう。それからゆっくりと立ち上がり、決意を秘めた声で言う。


「……それじゃあチェルシー。オレはまた王都に行くよ」


「カメオを渡す相手を探すためね?」


 チェルシーも立ち上がり、渋い表情を浮かべてネインを見つめる。


「まあ、そういう事情なら仕方ないか。それで、いつ出発するの?」


「今から準備をして、明後日あさっての朝だな。レンガ道の交換は戻ってからでもいいか?」


「あー、はいはい、そうくると思ったわよ。その代わり、最長でも5月までには絶対に戻ってきなさい。約束できる?」


「5月?」


 ネインはふと、首をかしげた。


「なんで5月なんだ?」


「あんたの誕生日があるでしょうがっ!」


「なんだ、そんなことか。別にオレの誕生日なんて毎年祝わなくてもいいんだぞ。けっこう面倒くさいだろ」


「あたしが祝いたいのっ! 家族ってのはそういうものなのっ! 文句あんのっ!?」


「いや、別に文句はないけど……」


「だったらちゃんと帰ってきなさいっ! 約束だからねっ!」


 チェルシーは頬を膨らませながら右手の小指を突き出した。その仕草にネインは思わず苦笑い。そして自分も小指を出して絡ませて、チェルシーと約束を交わした。


「はい、よろしい」


 チェルシーは満足そうに一つうなずき、ネインの家の小高い裏庭をざっと見渡す。


「それじゃあ、ここの野菜畑はあたしがまた面倒見ておくから、あんたはその子をちゃんと見つけてカメオを渡してきなさい」


「ああ、そうしてくる。いつもありがとな」


「そうよ。あんたはもっとあたしに感謝するべきなんだからね」


 そう言って、チェルシーはにっこりと微笑んだ。


「それじゃあ、あたしはそろそろ店に戻るから。あんたも日が暮れる前にうちに来なさい。今日もお夕飯用意しておくから」


「わかった」


 ネインがうなずくと、チェルシーは軽く手を振って歩き出す。ネインは幼なじみの細い背中が消えるまで見送った。それから小さな息を一つ漏らし、ぽつりと呟く。


「あの様子だと、ダンジョンで人を殺しまくったなんて言えそうにないな……」


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