第23話3日目 ごあいさつ

 ラシュ姉様の差し出した左手に自分の手を乗せ、左手でドレスのスカートを摘んで一歩一歩と歩き出す。


 ぐんにゃりと曲がった階段を転ばないように気をつけながら、私は沢山のお客様が集まるグランハインド別宅の大ホールを見渡した。


 キラキラと輝く光は貴婦人たちが身につける豪華なアクセサリーなのか、それとも貴族さんたちが身に纏う高貴なるオーラなのか。


 兎にも角にも大混乱中の茹だった頭では答えが見つかりそうもない。


 やがて階段途中の踊り場に辿り着いた。


 ミレイ姉様が冷たい––––––でもどこか優しい表情で私を見ている。

 ラシュ姉様の手がゆっくりと離れていき、同時に心の隙間に心細さが風となって入り込んだ。


 お、置いてかないで。

 私をここで一人にしないで。


 パーティーの前に『お澄まし顔』をたっぷり言いつけられていたから、私は少しだけ俯きながら勤めて冷静を装う。


 装っているけれど、やっぱり一人は怖い。


 スカートを摘んだ指に限界まで力を入れて、緊張をおくびにも出さないように頑張るけれど、奥歯がガタガタと震えているから、口を開けば簡単にバレてしまう。


「––––––大丈夫」


 ふわり、と。

 ラシュ姉様のいい匂いが鼻の奥をくすぐった。


 場所を変えて私の左側に立ち、ラシュ姉様は背中に手を添えて小声で耳元で呟いた。


 ぱっかーんと背中の開いたドレスだから、その手の暖かさがダイレクトに脊髄まで伝わり、思わず泣きそうになる。


「––––––落ち着きなさい。私たちの可愛いカイリ。大丈夫よ。貴女はとっても可愛いし、とっても綺麗。ほら見て」


 お客様にバレないように、ドレスの皺の影に隠した指でラシュ姉様が指を指す。


 指した方向は大ホールの左側。


 まだ小さな子供––––––でもとっても豪華な服の赤毛の男の子が、大きく口を開けて私を見上げている。

 頬の色はその赤毛と同じぐらい真っ赤に染まっていて、左手に掲げたグラスが危なげにゆらゆらと揺れている。


「––––––ほら、あの子ったら貴女に見惚れているみたい。あれだけ小さくてもちゃんと男の子なのね」


 そ、そうなのかな。


 私の真上にあるシャンデリアが眩しすぎて、よく見えないだけじゃない?


「––––––手を振ってあげなさいな。そうね。うすーくで良いから、笑ってあげても良いかも。そうそう、そんな感じで––––––うふふっ、あーあ。これであの子も貴女の虜ね。ほんと私の妹は罪作りな女の子。可哀想に、あの子もう貴女のこと忘れられなくなるわよ?」


 そ、そんな馬鹿な。

 私はただ言われたとおりにしただけだもん!

 悪いのはラシュ姉様だもん!


「お嬢様方」


 私の後ろで他のメイドさん達と一緒に並んでいたアネモネさんが、一歩前に出て耳打ちをしてきた。


「お戯れはそこまでですよ。ミレイシュリー様が見られております」


「おっと、いけないいけない。どうカイリ。落ち着いた?」



 あ……。


 さっきまでガタガタと小刻みに震えていた奥歯が、今はもうスンと大人しくなってる。


「う、うん––––––じゃなかった、ハイ」


「うんで良いのよ。私やミレイ姉様にはね?」


 そう言ってラシュ姉様––––––私の新しいお姉さんは子供っぽく笑う。


 綺麗だなぁ。

 良いなぁ。


 もし私が男の子のままだったら、今すぐ告白しそうになるぐらい綺麗だ。


 ……今日の夜も、一緒に寝てくれるんだよね?

 ようし、今日は私も遠慮せずにいっぱい甘えてやろう。

 あのふっかふかなお胸に抱きついて、もうぐんにゃぐんにゃしてやろう。


 だって私も女の子! しかも妹になりました!

 誰にも憚ることないんだもんね!


 と、私がよこしまなる謎の決意を固めたと同時に、ミレイ姉様が両手を広げて一歩前に出た。


 階段の踊り場のど真ん中に私。

 右手にミレイ姉様、左手にラシュ姉様。

 後ろにはメイドさん達がいっぱい。多分十五名ぐらい。


 大ホールにいる沢山のお客様が、みんな一斉にミレイ姉様を見た。


「グランハインド家当主、アムリガウル・レイ・オストレイ・グランハインドに代わって––––––私ミレイシュリー・レ・グランハインドが皆様にご紹介致します。当家の新しい家族、イセトの軍神グランハインドの新しい末妹」


 やけに芝居がかっているのに、そんなの気にならないぐらい綺麗で透き通った声が大ホールに響く。


 音の一つ一つが心臓にトスットスッと刺さるような、スルっと入ってくるような。


 ミレイ姉様の言葉が、耳ではなく身体の中心にジンと波紋を立てて––––––そして私の腕をゆっくり引いた。


「カイリシュリー・レ・グランハインド。私の可愛い妹。皆様にご挨拶を」


「は、はいお姉様」


 心の波紋は穏やかに、でもとても大きくうねり私の身体を勝手に動かした。


 全てはミレイ姉様の思うがままに、それでも嫌な気持ちなんか一切なく、私はまた一歩踏み出して階段踊り場の手すりの前に立つ。


 目を閉じて、唇はゆるく引き締める。


 どちらも閉じすぎたり締めすぎたりしたら顔が怖くなっちゃうから、ちょうど良い力で、あくまでも自然に。


 そして練習したとおりにスカートの裾を両手でひと摘みずつ摘んで、左足を下げ、腰からゆっくり頭を下げる。


 何度も何度も注意されたから、もう大丈夫。

 できてるはず。


 頭だけ下げたらみっともない。

 だから背中と首と頭はまっすぐに、そして腰だけそそと折り曲げて、片足を引くことで姿勢は崩さず、曲げすぎず、下げすぎずを意識して。


 それからいち・に・さんと数えて、またいち・に・さん・し、のタイミングで足を戻す。


 ピンっと姿勢が戻ったら、今度は目をゆっくり開ける。


 ふわぁ……。


 眼前に広がるのは人・人・人・あとちょっぴりテーブル。


 うごごごご。

 の、呑まれてはいけない。がんばれ私! 負けるなカイリ!


 自分に叱咤激励を飛ばして、今度は唇を開く。


 声もまた、大きすぎても小さすぎてもダメ。


 喉からじゃなくて、お腹から息を吐くようにして––––––。


「ご紹介に預かりました。カイリシュリー・レ・グランハインドと申します。この度は王陛下のご統治賜るこの王都で、皆さまにご迷惑をお掛け致しましたこと、深く深くお詫び申し上げます」


 ––––––一言一句間違えず、練習通りに述べて、私はまた左足を後ろに下げて、ゆっくり腰を折って頭を下げた。


 えっと、今度は長くいち・に・さん・し・ごとゆっくり数えて、またいち・に・さん・しのタイミングで身体を戻す。


 よ、よし!

 できた! ちゃんとできたよ私!


 おっと、まだ喜ぶのは早い早い。


 お澄まし顔しなきゃお澄まし顔。


 すーん。


 ど、どうだ?

 なんの反応も返ってこないけど、私間違えてないよね?


 なんでミレイ姉様何も言わないんだろう。

 不安になるから早く何か言って欲しい。


 うう、ラシュ姉様の顔を見て安心したいけど、言い終わったら良いって言われるまで動くなって言付けられてるから顔も動かせない。


 どっち?

 どっちなの?

 間違えたの? それともちゃんとできたの?


 早く教えてくださいっ!


 と、内心しどろもどろのばっくばくになりつつも私はすーんとお澄まし顔で踊り場から大ホールの一点を凝視する。


 誰も居ない場所。

 赤いカーペットのその一点だけ、他は目に入らないように。


 だって誰かの顔を見ちゃったら、また緊張で頭が真っ白になりそうなんだもん。

 時間の経過がキリキリと音がするかのように、か細くそして遅く感じる。

 幻聴なのか耳鳴りなのかはわからないけれど、耳のずっと奥でキーンってなり続けて、さらに心臓の鼓動まで聞こえる始末。


 もう、吐きそうです。


「お、おお……」


 ん?


「––––––あれが銀天女」


「––––––まさしく天女のように可憐であるな」


「––––––か、可愛いわ」


「––––––カイリシュリーさま……お綺麗」


「––––––ミレイシュリー様やラシュリー様とはまた、違ったお可愛さ」


「––––––なるほど。あの輝く銀の御髪は、間違いなく銀の天女様」


「––––––我が身を顧みず、赤子の命を救った貴きお方。まさしく貴族の本懐」


「––––––と、とうさま。とうさま僕、カイリシュリーさまにお目通りがしたいです」


「––––––ま、任せろ! 父の全てのコネを使ってでも、あの方とお前を婚姻させてみせる!」


「––––––リブリシュ候……それは今声を大にして言っていい言葉じゃないでしょう」


「––––––カイリシュリーさま……」


「––––––カイリシュリー様!」



 お、おおっ!?


 なんだなんだ!?

 なんでざわつき始めたんだ!?


 あんまりにもざわざわしすぎて、みんなが何言ってるのかさっぱりだよ!?


「はっ!?」


 右肩に暖かさを感じ、思わず目を見開いて振り向いてしまった。

 あ、あかん! お澄まし顔が崩れちゃったやないかい!

 怒られ––––––。


「よく出来ました。カイリ」


 ––––––なかった。


 ふんわりとした柔らかく、そしてぽかぽかの太陽のような––––––暖かい光のような顔で、ミレイ姉様が私に笑いかけている。

 右肩に乗っているのは、ひんやりと冷たい––––––でもとっても心地良いミレイ姉様の白くて綺麗な手。


 誇らしいものを見るような、まるで始めて掴み立ちをした赤ん坊を見るような顔。


 なんていうか、お母さん。


 ていうか。


 えっと、あの、その。


「ええ、上出来よカイリ」


 左肩に置かれたのは、ラシュ姉様の手。


 ミレイ姉様のと違ってとっても熱くて、でもやっぱり心地良い––––––安心させてくれる白くて綺麗な手。


 その顔はやっぱり、どこか誇らしげ––––––っていうかなんかドヤってて、どうだ見たか! って感じの顔。


 なんていうか、お姉ちゃん。


 ていうか。


 私、あの、その。


「お披露目としてはこれ以上ない合格点です。これで貴女は名実共にグランハインド家の者。私とラシュリーの、可愛らしい妹」


「ええ! とっても可愛くて自慢しちゃいたくなるぐらい勇敢で、そして気高きグランハインド! イセトの末姫としてどこに出しても恥ずかしくない私の妹よ!」


 よ、良かったの……かな?


「や、やったぁ」


 ぐんにゃり、と。

 私の膝が落ちる。


 身体中から一気に力が抜ける感覚。

 やばい。緊張が解れたからなのか、なんだか急に目眩が。


「おっと」


 ラシュ姉様が背中を支えてくれた。


「どうしたのカイリ。疲れちゃった?」


「つ、疲れたのもあるんですけど––––––あるんですけどぉ」


 それより何より。


「––––––お、お腹、苦しいんですぅ」


 コルセットが辛いんですぅ!


 いつの間にやら鳴らされていた拍手の海の中、私はラシュ姉様の胸に勢いよく倒れ込んだ。




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