第16話 2日目 大騒ぎ

 

「人が落ちてきたぞー! 女の子だ!」


「ワラを積んだ幌馬車に突っ込んだ! 誰か手伝ってくれ!」


 コワールの声と、たくさんの騒がしい声が耳に入る。


 両の手でしっかりと抱いた小さな温もりを感じながら、目をゆっくりと開ける。


「……ほえ」


 ちょっと待って。


 あれ?

 私どうしたんだっけ。


 視界に映るのは突き破ったような布。

 その穴から覗く灰色の空に、薄く雲が張っている。


 えっと、確かコワの背中に乗って地面に落ちていく赤ちゃんを追っていて……、えっとえっと。


「お、思い出せない」


 とりあえず、今の状態を確認しよう。

 頬にチクチクとむず痒く当たるこの感触は、ワラ?

 首を右に曲げると、大きな丸いワラの束がドーンと目に入ってきた。

 その向こうに、天井と同じ色の少しだけ薄汚れた白い布がある。


 なるほど。

 私は馬車に積まれたワラ束の上で寝っ転がってる訳だな?


「ふああっ」


 胸の上で、か細い声がした。


「あっ」


 小さな紅葉のような手を動かしながら、赤ちゃんが私の腕の中で身じろぎしている。


「……よ、良かったぁ。無事だったんだね」


 安堵のため息を一つ漏らして、赤ちゃんの頭を撫でようと手を動かした。


「いっ!」


 痛い!

 なにこれめちゃくちゃ痛い!


 全身に10万ボルトの電気が走ったような痺れの後、今まで感じた事の無い痛みが襲って来た。


「カイリ様っ! カイリ様ご無事ですか!?」


 外からビスティナさんの声が聞こえてくる。


 返事を返そうにも、痛みのあまり硬直した肺や身体のせいで声が出せない。


「あ、あのぉ……」


 ようやく絞り出せた声も、とても小さく弱々しかった。


「カイリ様っ! あぁ、生きておられますか!?」


 ワサワサとワラが掻き分けられて、頭の上の方に淡い光が射した。


 誰かが馬車を登っているのか、ギィギィとした木の軋む音も聞こえてくる。


「カイリ様!」


 視界の上の方から兜を被ったビスティナさんの綺麗な顔がにょっきり出てきた。


 その顔は青白く、大粒の汗をかいている。


「い、生きてますー。赤ちゃん生きてますよぉ」


 誰かお願い。

 この子を抱き上げてください。


 抱いた腕がけっこうがっしり組んじゃってて、赤ちゃんが少し苦しそうなんです。

 動かそうにも隣のワラと痛みに邪魔されて動かせないから、誰かの力を借りないともうどうにもこうにも。


「あ、ああ良かった……。こんなに怪我をなされて、ラシュリーお嬢様になんとご説明したら良いのか……」


 安心で緩んだビスティナさんの顔に色が戻っていく。

 心配かけたかなぁ。

 悪いことしたなぁ。


「お、起こしてくださぁい。赤ちゃんが泣いちゃう」


「赤ん坊のことより自分の身を案じてくださいまし! 酷い怪我なんですよ!?」


 だっ、だって。

 赤ちゃんが苦しそうなんです。


「誰か教会から治癒魔法師を呼んで来てくれ! グランハインド家の客人が怪我をされたと伝えて欲しい!」


 ビスティナさんが馬車の外に呼びかけた。

 私にゆっくりと近づいて、恐る恐る赤ちゃんを抱き上げた。


「ふやっ、ふにぇあああああっ!」


 抱き上げられた鎧の冷たい感触に驚いたのか、赤ちゃんが大声で泣く。


「す、すまない! えっと。こ、こうか? 泣かないでくれ頼む!」


 その泣き声に驚いたビスティナさんが抱き方を変えたりしながらなんとか泣き止まそうと四苦八苦している。


「エント卿! カイリ様はご無事か!?」


 外から野太い声が聞こえて来た。

 えっと、確かティオールさんが連れてきた騎士さんの声……だったかな?


「は、はい! 怪我をされていますが、意識はしっかりされております! 魔物に攫われていた赤ん坊も無事です!」


「わかった! とりあえず私達でカイリ様を外にお運びするから、お前は赤ん坊を頼む!」


「了解しました! さあカイリ様、もう大丈夫ですよ」


 ビスティナさんに頭を撫でられた。

 良かった。赤ちゃんもこれで一安心だね。


「あ、あの。コワール、コワはどこですか?」


 そうだ。

 私と一緒に地上目指して落下していたコワール。


 上に乗ってた私このザマって事は、あの子だって怪我してるんじゃ…………。


「………カイリ様、もしかして覚えてらっしゃらないんですか?」


「は、はい。気がついたらココで寝てて」


 無我夢中だったからなのか、はたまた落下のショックでなのか。

 ちょっとだけ記憶が抜け落ちてる感じがする。


「落下する赤ん坊をカイリ様が掴まれた後、コワールは一気に速度を落としたんです。その制動に耐えきれなくなったカイリ様はコワールの背中から振り落とされて、停車していたこの幌馬車に赤ん坊ごと突っ込んだんですよ?」


「じゃあ、コワールは無事なんですか?」


「ええ、今は心配そうに外でウロウロしてます」


「よ………………」


 良かったぁ。


 まだ小さなコワールが怪我なんかしてたら可愛そうだもの。

 突っ込んだのが私だけで本当に良かった。


「コワール号の事より、カイリ様ご自身の事ですよ!」


「は、はい」


 怒られちゃった。

 しょうがないか。無茶しちゃったもんなぁ。


「カイリ様、申し訳ございませんがお身体を持ち上げさせてもらいます」


「は、はい。お願いします」


 二人の男性騎士さんがいつの間にか鎧を脱いで馬車に乗り込んで来ていた。

 ああ、鎧が固くて私に気を遣ってくれたのか。

 ビスティナさんが入れ替わりで馬車を降りていく。


 幌馬車の中は狭い上にワラが敷き詰められていて、大人が三人も居たら身動き取れないもんね。


「行くぞ。なるべく優しく持ち上げるんだ」


「はい。カイリ様、少し痛むかも知れません」


「あ、あのお気遣いなくどうぞ」


 この怪我に関しては完全に自分の責任だもの。

 少しの痛みぐらい我慢しなきゃ…………。


「いち、にの」


「さん!」


「あぐぅ!?」


 い、痛い痛い痛い痛いいたぁあああああい!!!

 背中が!

 あばらが!

 腕がぁ!


「ふんぐぅうううううううう」


「ああ! 申し訳ございませんカイリ様!」


「おい! 急いで外に出るんだ! 早く楽な所に横になって貰おう!」


「だ、大丈夫でずぅぅぅ」


 とは言ったものの、余りの痛さに耐えきれず涙がポロポロと零れ落ちてきた。


「道を開けろ! そこを通してくれ!」


 全身に響く地獄の痛みに悶えながら、二人の騎士さんに運ばれて馬車の外に出た。

 ざわざわと騒がしいそこは、どうやら交差点の中心の広場のような場所で、たくさんの人で溢れている。

 みんな何があったのか興味深々らしく、野次馬の人だかりを作っていた。

 お年寄りから子供まで、老若男女が私が突っ込んだ幌馬車の周りを取り囲み、泣きながら運ばれている私を見ている。


「カイリ様をこちらへ!」


「治癒魔法師はまだか! 重症なんだ!」


「おいおい、女の子が出てきたぞ」


「さっきの赤子さらいを追っていた騎士様じゃないのか?」


「どうやら貴族様らしい」


「お、俺見たんだ! 赤ん坊を抱いた女の子が幌馬車に突っ込むところ!」


「貴族様が赤ん坊を?」


「魔物に攫われた赤子を助けたってことか?」


「グランハインド家の客人とか言ってたな」


「いくらイセトの軍神様だからってさすがにそこまでしてくれねぇって。さらわれてたのはグランハインド伯爵家のお子なんじゃねぇか?」


「いや、そりゃ聞かねぇ話だ。だとしたら使用人の子か? それにしたって伯爵家の客人がわざわざ怪我してまで助けるかね?」


「そういやあの馬は何だ? あんな綺麗な馬見たことねぇよ」


「ハインド種の仔馬に見えるが、あの炎は何だろうな。グランハインド家の騎士団は馬に魔法覚えさせてんのか?」


「んなアホな。できるわけねぇだろそんなこと」


 野次馬さんたちの声が耳に入ってくる。

 真相がわかんないから、どうやら憶測が飛び交っているようだ。

 でもその事を一々気にしていられる余裕は、今の私には無い。


「そーっと、そーっとだぞ?」


 馬車の外には、ワラに布を敷いた簡易ベッドが作られていた。

 私を運び出す前に作っておいたのだろう。


 騎士さんたちはゆっくりと私をそこに寝かせる。

 横向きなのは、背中に大きな傷があるからだ。


「い、痛いよう」


 堪えきれずに弱音を吐いてしまった。

 どうやら本当に私は重症らしい。

 右手は動かないし、首の後ろは少しでも動かすだけで悶絶級の痛みが走る。

 騎士さんたちの手に付いた血は、私の背中の傷から出た物らしい。


「もう少し、もう少しだけ頑張ってください! 教会から治癒魔法師を呼びい行ってますから!」


 ビスティナさんが私の手を握ってくれた。

 簡易ベッドの横で膝立ちになり、片手には赤ん坊を抱いている。


「だぁ」


「あ……」


 赤ちゃんが私の手を触った。


「あだぁ」


 私を励ましてくれてるのだろうか。

 いかん。

 感極まってきたぞ?


「良かったねぇ。ほんと無事で良かった。すぐにお母さんのところに戻してあげるから、もう少し待っててね?」


 辛うじて動く左手で赤ちゃんの頭を撫でた。

 赤ちゃんは目を細めて、その手に触れる。


「きゃぁい」


「うう、ぐすっ。よがったぁ。ほんと良がったよぉ」


「あ、ああ。カイリ様、泣かないでくださいまし。大丈夫、大丈夫ですよ。この子は私達が責任持って、親の元に送り帰しますから」


「お願いじまずぅ。ふぇええええん」


 食べられなかったぁ。

 赤ちゃん、無事で元気で本当に良かったぁ。


 安堵で解放された感情が、さっきまで痛みで溢れた涙を別のモノに変える。

 鼻を鳴らしながら赤ちゃんの頬を撫で続ける。

 この小さな小さな命が奪われなくて、本当に良かったぁ。


【カイリおねえちゃん、だいじょうぶ?】


「コワぁ」


 テコテコと近づいてきたコワが、私の頭に鼻を擦り付けた。


【ごめんね? ぼく、とまろうとしたんだ。でもそしたら、おねえちゃんたちとんでいっちゃって】


「ううん、大丈夫。大丈夫だよコワ。コワはいっぱい頑張ったもん。ありがとう」


 左手は赤ちゃんが離してくれないから、コワールの鼻先を頭で撫でる。


 まだ赤ちゃんで、本当は空も飛べないぐらい小さいのに。

 コワールは本当に頑張ってくれた。


 私の可愛いコワール。

 すっごい偉いコワール!


【カイリおねえちゃん】


「コワール」


 名前を呼びあいながら、私とコワールはお互いの顔を擦り付ける。

 あれ、なんだか……………意識が…………。


「おい、あれ見てるか?」


「蒼い馬と銀色の少女。すっごい絵になるなぁ」


「お、俺さっき見たぞ! あの女の子が蒼い馬に跨って空から落ちてくるところ!」


「か、可愛い」


「な、なんか神々しいな」


「も、もしかして天女様なんじゃねぇの?」


「何馬鹿言ってんだい。そんなことあるわけないだろ?」


「でも、見たこと無い綺麗な馬に乗って、赤ん坊を助けるために怪我をした銀色の少女……か」


「それすっごい素敵ね!」


「グランハインド伯爵家の、銀天女」


「イセトの軍神に、蒼い馬に跨る銀の天女か」


「銀天女」


「銀天女だ!」


「天女様が赤ん坊をお助けくださったぞ!」


「王都中に知らせろ!」


 なんだかより騒がしくなった広場の真ん中で、私はゆっくりと意識を手放した。

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