第8話 2日目 空を駆けるその姿
ぱっちりと目を覚ます。
視界に映るのはやけに低い天井。
頬に当たるのはなんだかとっても柔らかくて暖かい物。
「……んん?」
身動きが取れない。
足と腰、それと腕の自由が効かない。
「あれ?」
なんとか頑張って首を左に曲げると、ピンク色のサラサラした布地が顔のすぐ側にあった。
「……あ」
これ、人だ。
「んぅ……」
気持ち良さそうな声が頭のすぐ上で聞こえて来る。
ああ、なるほど。
やっと理解できた。
今の私はベッドの上で、ラシュリーさんに抱えられて眠ってるのか。
天井だと思ってたのはベッドの天蓋で、体に巻きついてるのはラシュリーさんの脚と腕だ。
頬に当たってるのはラシュリーさんの胸で、なんだか気持ち良さそうに私の頭に顎をスリスリと擦りつけている。
寝ぼけた頭で昨日の夜のことを思い出す。
ご飯を食べたあとでベッドに横になってたら、いつの間にか眠ってしまったのか。
ラシュリーさんにエリックさんとの思い出を聞かされてたら、ついウトウトしちゃったんだっけ。
さて、どうしたものか。
下手に動くとラシュリーさんを起こしてしまいそうだ。
反対側に首を動かして、カーテンに遮られた窓の外を見る。
ほんのりとした優しい陽光。
冬独特の、鋭くて冷たい朝の光だ。
こういうのは異世界でも同じなんだなって思った。
夏の朝を冬の朝の感じ方が違うのは、なんでなんだろう。
体感気温とかかな。
そういえば、夢もみないぐらいぐっすり寝てしまった。
なんだかんだで疲れてたんだろうか。
違う世界に連れてこられても結構動じてないって思ってたけど、自覚してないだけだったのかも。
しばらく窓の外を眺めていたら、かちゃりと物音が聞こえてきた。
「起きてくださいましお嬢様。カイリ様」
「あ、アネモネさん。お早うございます」
ザ・メイドさんって感じの衣装を身につけた、赤毛のセミロングの女の人がベッドの横に立って居る。
ラシュリーさん専属メイドのアネモネさんだ。
昨日のお風呂では相当危ない表情で私を弄んでくれたけど、今は綺麗な澄まし顔でデキる女の人っぽい。
「あら、カイリ様は寝起きが良いのですね。とっても良い事です。ラシュリーお嬢様なんていつも起こすのが大変でして。ほら、お嬢様、お昼にはミレイシュリー様がおかえりになられますよ。いつまでもベッドに潜っていてはお叱りを受けてしまいますわ」
アネモネさんは優しく微笑むと、ラシュリーさんの肩を揺らした。
抱かれている私も一緒に揺られていると、ラシュリーさんの腕が私の体をギュッとより強く締めた。
「……アネモネ。もう少しだけ。カイリがとっても暖かくて良い匂いがして最高なの」
褒められたんだろうか。
でもラシュリーさんだっていろんな所が柔らかくて良い匂いだ。
正直抱きしめられて嫌な感じはしない。
それに顔に当たる空気が冷たいから、私の体に巻きついたラシュリーさんの体温がとっても温かくて心地良い。
「それは大変羨ましゅうございますが、今起きないと準備が間に合いませんわ」
「でもぉ」
「でもではございません。冬休みとはいえ遅くまで眠ってらっしゃるのは良くありませんわ。お館様や奥様に私達が叱られてしまいます」
「寒いのがいけないの。こんなにカイリが暖かいのもいけないんだわ」
人のせいにされてもなぁ。
でも気持ちは分かる。
冬のお布団って最高だよね。
抜けるには結構な覚悟が必要だもん。
「しょうがないですわね。私が起こしても起きてくださらないのなら、メイド長に起こしてもらいましょう」
「起きたわ! もうすっかり目覚めてるの! エリザは呼ばなくて結構よ!」
ラシュリーさんが布団を跳ね除け、勢いよく飛び起きた。
つられて私も起こされる。
寒い。とっても寒い。
ストーブとかありませんか!
「ほらほら、体が冷えますわ。暖炉の用意をしておりますのでであちらで温まってくださいまし。カイリ様、紅茶をお淹れいたしますか?」
「あ、お願いします」
良いね。紅茶、とっても良いね。
あまーいのが飲みたいです。
レモンとかってこの世界あるのかな。
「うー。ほんと冬って嫌よね」
自分の体を両手でさすりながら、ラシュリーさんがベッドを降りた。
「夏は夏で暑いと文句を言ってらっしゃいましたよね? こちらをどうぞ」
「ありがとう」
ラシュリーさんは見事なボディラインを強調するセクシーな薄手のネグリジェの上から、アネモネさんが渡した厚手のガウンを羽織った。
朝だから髪の毛ボッサボサだけど、やけに色気たっぷりだなこの人。
私も反対側からベッドを降りる。
昨日用意してもらった、ラシュリーさんと似たデザインのネグリジェ。ちょっと着るのに勇気が必要だった可愛らしいけど薄すぎる物だ。
やっぱりこれだけだと物凄く寒い。
「朝食をお持ちしていますので、少々お待ちくださいね?」
「あ、ありがとうございます」
アネモネさんがそう言って、私にもガウンを渡してくれた。
うわ、すごいなこれ。
中がモコモコしててとっても気持ち良いし暖かい。
部屋の奥の暖炉の前に座り、膝を抱える。
あれ? この暖炉、火が点いてない。
そういえば暖炉なのに、煙突も無い。
あ、そういえばここの上にもう一階あったっけ。煙突があるなら造りがおかしいよね?
気になって奥を覗くと、四脚の鉄の網の上に同じく鉄の皿が置いてあって、その上に真っ赤な色の石が乗っていた。
手をかざしてみると、凄い熱を発している。
これも魔法具なんだろうか。凄いな魔法具。
ヒーターみたい。
「朝は体が温まるお野菜のスープと、サラダとパンをお持ちしました。どちらで戴きますか?」
しばらく暖炉とにらめっこしてヌクヌクしていたら、アネモネさんがガラガラとカートのようなものを運んできた。
その上にはいくつかのお皿と、その上に蓋がしてある。
「窓際でいいわ。ここからならカイリが楽しみにしてる牧場も見れるし」
「見えるんですか!?」
なんと! 見たい見たい!
急いで窓際に移動する。
「ど、どこですか? こっち?」
「ほら、ちょっと遠いけれど、あそこ見える?」
私の胸ぐらいまであるチェストが窓の前に置いてあるから、背伸びをしないと外が見えない。
チェストの縁を掴んで一生懸命背伸びをし、冬独特の灰色の空と緑豊かな山々を視界に入れた。
二階にあるラシュリーさんの部屋からの景色は壮観だった。
お屋敷の外は緩やかな傾斜になっていて、遠くの方まで見える。
いろんな小さい建物やお庭の木々の向こうに、木製の囲いが見えた。
放牧地にぴったりな平たい草原になっていて、かなり広そう。
「あら、騎士団の演習でもあったのかしら。何頭か放牧されてるわね」
「カイリ様のために警備体制を強化しましたから、イルグナッハ様の指示で騎士様方が動いてらっしゃるのでしょう」
ラシュリーさんの疑問に。カートからテーブルへとお皿を移しているアネモネさんが答えた。
そういえばそんなこと、あのライルマンっていう執事さんが言ってた気がする。
なんか悪いなぁ。私がこの世界に来ちゃったばかりに、たくさんの人に迷惑をかけてる気がする。
うむ。とは言っても、一番悪いのはエリックさんだし、どうにもなんないか。
今はそれより馬だ!
お馬さん、どこかな?
あっちかな? あそこの建物の影かな?
「ラ、ラシュリーさん。どこですか? お馬、どこにいます?」
必死に放牧地を探すけれど、一頭も見つからない。
隠れてないで出ておいでー。
「カイリ、上よ上」
「へ? 上?」
なんで?
「ほら、あそこの山の峰」
ラシュリーさんが指差した場所は私の視線からずっと上。空と山の間だった。
なんでそんなところに……。
「ほぇ」
変な声が出た。
見つけた。見つけてしまった。
真っ白な翼を悠々と羽ばたかせて、灰色の空を気持ち良さそうに走るその姿を。
「ペガサス……?」
馬、と言えば馬なんだけれど。
私が想像していたお馬さんの姿と違う。
私の知ってる馬は、背中にあんな大きな翼なんて持ってないし、何よりお空を飛ばない。
ヒヒンと嘶いたその姿は、ファンタジー映画やアニメでしか見た事のない、幻想的な物だった。
「あ、あっちからも」
山の裏手から回り込むように、もう一頭が姿を現した。
良く見たら他にも数頭飛んでいる。栗色の体の大きい子や、真っ黒なかっこいい子。
私が知ってるペガサスって全身真っ白なイメージだったけれど、違うんだぁ。
体色と同じ色をした数頭のペガサスが、冬空の下で楽しそうに戯れている。
いいのかな? あれ、逃げちゃったりしないのかな?
人に飼育されてる動物って餌の取り方を知らないから、逃げちゃったら死んじゃうことの方が多いって聞くんだけど。
「あれ、良いんですか? 逃げないんですか?」
「逃げないわよ? 馬は生まれた場所を忘れないし、なにより餌をくれる人から離れたがらないから。たまに逃げてもすぐ戻ってくるわ。ウチの厩務員なら逃げてもすぐ見つけられるしね」
そうかぁ。やっぱり賢いんだなぁ。
馬ってかなり頭が良いって子供の頃に読んだ本に書いてたもんなぁ。
わぁ、素敵だなぁ。
普通の馬でも楽しみだったのに、ペガサスかぁ。
なにそれ素敵すぎる。
異世界だと馬って言ったらペガサスなのかな? それが普通なのかな?
聞きたいこといっぱいあるけれど、後で良いや。
今はあの楽しそうに遊んでいる子たちをしっかりと目に焼き付けよう。
元の世界に戻ったら、ペガサスなんて絶対に見れないし。
「わぁ……」
「カイリが目をキラキラさせてるわ。馬の姿を見るのに夢中になりすぎて、首があっちこっちに動いてるのは気づいてるのかしら」
「危のうございますお嬢様。あの目はとても危のうございます。良からぬ輩に見られては大変です」
「一番良からぬ事を想像してるのは貴女よアネモネ」
「お嬢様こそ、そのうずうずしてる手はなんでしょうか」
「それはもちろん、今からカイリを可愛がるためよ」
「お手伝いします」
良いなぁ。可愛いなぁ。
少しで良いから、触れたりとか……乗せてなんかくれないよね? 危ないもんね。
それにあの子達だって、下手な人に乗られても嫌だろうし。
私が背後から忍びよる不穏な影に気づいたのは、その数分後の事だった。
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