第3話 1日目 ここはどこなのどうなるの?
「さぁ、納得のいく説明をなさい」
「わ、分かってる。分かってるから魔法を練らないで」
いろんなところが焦げたエリックさんが一人用のソファで項垂れている。
「あ、あのラシュリーさん?」
「なぁに? カイリちゃん」
うん。ついさっき自己紹介を済ませたから別に良いんだけど、ちゃん付けはなんかこそばゆいからやめて欲しい。
私の声に返事を返してくれたラシュリーさんはなんかすっごい笑顔だ。
綺麗な顔してるのにその上そんな可愛い笑顔、反則だと思う。
膝の上から下ろして欲しいなんて言えなくなっちゃった。
「い、いえ。なんでもないです」
「そう? なにかあったらなんでも聞いてね?」
エリックさんと対面する大きなソファの上に座る私とラシュリーさん。
正確には、ラシュリーさんの上に私が座っている。
お腹の前でがっちり組まれたラシュリーさんの腕のせいで、微妙に身動きが取りづらい。
「ああ、可愛らしいわぁ」
ラシュリーさんは私の頭の上に顎を置いて、優しくグリグリと動かした。
なんでか知らないけれど、すっごい気に入られてる?
ラシュリーさんとエリックさんの追いかけっこは三十分ほど繰り広げられた。
部屋から出て良いのか分からなかった私がまごまごしたせいなんだけど、エリックさんの前髪がチリチリになる前には止めたかったな。
魔法……かぁ。
目の前で見たからまだ信じられるけど、魔法なのかぁ。
本当になんだろう。
私どこに来ちゃったんだろう。
「まずはカイリ君」
「はい」
エリックさんに呼ばれて返事を返す。
すっごい真面目な顔をしたエリックさんはやっぱりイケメンさんだけど、前髪がチリチリなせいでとっても面白いことになっている。
「えっと、ここに来た時のことは覚えてないのかい?」
「うっすらとなら……突然見たこともない綺麗な場所に引っ張られて、白い髪の小さな女の子に会いました。そしたらここに」
ううん。そこんとこがかなり曖昧だ。
間々の記憶が飛んでて、ここに来るまでの過程がすっぽり抜けてしまっている。
「白い髪の小さな女の子? 綺麗な場所? それはいったいどういった場所だったんだい? もしかしてその女の子って、七歳から八歳ぐらいの女の子?」
「えっと、そうだった……かも」
なんか色々と会話をした覚えがあるのに、その内容が全然思い出せない。
「なんか、キラキラとした場所です。星が目の前にいっぱいあるっていうか……なんて言えばいいんだろう」
自分の語彙に不安を覚えるほど言葉にできない。
「……そうか。これはかなり興味深いな。大マカナ球の安置されていた場所に飾られていた肖像画の女の子の可能性が高い。他の発掘された魔法具でも彼女の姿が映し出されたって報告もあるし……やっぱりマカナにあった魔法具には謎が満ち溢れている。これはアウグスト卿に報告しないと」
「エリック。説明が先です」
また考え込み始めたエリックさんにラシュリーさんが釘を刺す。
「ご、ごめん! えっとカイリ君、簡単に言うとね? 君は違う世界から来たんだ」
「違う世界?」
それは、えっと、つまり?
「この世界とは文化も法則もありとあらゆる物が違う世界さ。本来なら行き来できるような場所ではない所から、僕が引っ張ってきてしまった」
「エリック、意味がさっぱり分からないわ」
ラシュリーさんが首を捻る。
「ああ、僕達もまだその存在を確信していた訳では無かったんだけどね。詳しくは長くなるから簡単に説明すると、異世界って事さ。精霊界や魔界とは違うね。前々から少数の研究家や学者の間ではその存在が噂されていたんだ。」
「簡単と言われても‥‥」
ラシュリーさんが不満そうな顔をした。
安心してください。私もさっぱりです。
「引っ張ってきたって、どうやってですか?」
私の投げかけた疑問に答えるように、エリックさんが右手の人差し指を立てる。
「さっきの部屋に大きいガラス球があったのを覚えてるかい?」
ガラス球って、あの綺麗なやつ?
ピンク色の液体の流れるチューブでグルグル巻きにされてたヤツだ。
「はい、覚えてます」
「あれは大マカナ球って言ってね? 2年ぐらい前にマカナ遺跡って所から発掘された魔法具なんだ」
困った。専門用語が多い。
「すいません……まほーぐってなんですか?」
分からないなら素直に聞こう。
知ったかぶりは恥ずかしいもんね。
「物や道具に魔法を込めた物の事だよ。物によって効果は様々だけど、とりわけ遙か昔の失われた技術なんかが使われてる物はとても強い効果を発揮するんだ」
ほう。
それはなんだかとってもファンタジー。
さすがは異世界だ。
「発掘されてから昨日まで、大マカナ球の魔法効果については解明されてなくてね。魔力を流しても意味のわからない景色を写すだけだったり、球体の中の白い粒が移動できたりするだけだったんだ。だけど今日、僕は気づいてしまった」
エリックさんは胸の前で拳を強く握りしめ、ギラギラとした瞳でそれを見る。
「あの白い粒を移動させることによって、画像が切り替わる。つまりあれは操作器具だ。そして映し出された画像は、どこか遠くの景色に違いない。なぜなら同じ配置にして一つの画像の時間経過を見ると、朝から夜、夜から朝に変わることを確認している」
口の端を持ち上げて、うっすら笑いながらエリックさんは語り出す。
「あのね。エリックは魔法具研究家なの。あんまり成果を挙げれてないんだけどね?」
ちょっとエリックさんが怖かったから、背後のラシュリーさんにもたれかかってしまった。
それを察知してくれたラシュリーさんが私の髪を優しく撫でて説明してくれる。
魔法具の研究家。
今のエリックさんを見ると、なぜだかマッドサイエンティストって言葉が良く似合う。
「それに以前マカナから発見された『境界』と書かれた学術書。その内容とあの大マカナ球を照らし合わせると、ある仮説が浮かび上がる。『境界』の著者によれば、この世界は次元的に薄い膜のような物で遮られていて、その向こうには全く違う世界が存在するとあったんだ。つまり、大マカナ球は境界の向こうを観測するための装置だったのでは無いだろうか!」
ヒートアップしてきたエリックさんが、おもむろにソファから立ち上がり声を上げた。
うん、びっくりするからやめてほしいです。
「その考えに至った僕は閃いた! 観測できると言うことは、座標が特定できていると言うこと! 先日、
「エリック」
「はいっ!」
熱く脱線しかけたエリックさんをラシュリーさんが笑顔で止める。
笑顔なのになんだかとっても怖い。
我を忘れて説明をしていたエリックさんが冷や汗を流して硬直するぐらい怖い。
「話を戻しなさい」
「あ、はい。ーーーーーーえっと、つまり僕が考えたのは、転移魔法で何かしらをこちらに呼べるのであるならばそれは異世界の物品の可能性が高く、それを調べることでもっといろんな事がわかるだろうと、そう思ったんです」
なるほど、そうしたらーーーーーー。
「私が来ちゃったってことですか?」
物を呼び出そうとしたら、人が来た。
なるほど、それは焦る。
「そうなんだ。僕としては色んな情報が欲しいから、ある程度大きな無機物を呼び寄せるつもりだったんだよ。転移魔法で生物は転移できないからね。何よりこの実験は成功する可能性の方が低かったんだ。その証拠に朝から始めて日が暮れるまで成果は何も無かったからね」
ソファに座りなおし、窓の外を見るエリックさん。
窓の外は真っ暗だ。
この部屋に時計らしき物が無いから何時かは分からないけれど、夜なのは間違いない。
そもそも時計ってあるんだろうか。
「もう眠ろうと思って準備していたら、執事のライルマンが貴方の屋敷からとんでもない音がしたって言うんですもの。またなにかしらの実験に失敗して大爆発でも起こしたんじゃないかって心配したのよ?」
ラシュリーさんが頬を膨らませてエリックさんを睨んでいる。
いちいち仕草が可愛らしい人だ。
「ご、ごめんよ。カイリ君が転移した時に異常なまでに膨れ上がった魔力を慌てて屋敷の外に誘導したんだ。あのままだと屋敷ごと吹っ飛ぶと思ってね。上空で爆発させたから、屋根は酷いことになってるけれど」
「本当よ。ただでさえ貴方が手入れを怠ってボロボロになってるこのお屋敷が、まるで廃墟みたい。でもまぁ話を聞く限りじゃ自業自得ね。反省なさい」
お屋敷かぁ。
さっき案内されたこの部屋をじっくりと見渡す。
高価そうな家具に装飾品に敷物。
枯れてしまった観葉植物。
部屋の四隅にある燭台と、天井からぶら下がるこじんまりとしたシャンデリア。
私たちが座るこのソファは立派な物なのに、隣にあるローテーブルはあっちこっちが欠けたりしてボロボロ。
なんだかチグハグな部屋だ。
お金持ちな部分とお金持ちじゃない部分が混ざりあっている。
「あ、えっとね? エリックは男爵なんだけど、とってもお金のやりくりが下手な人なの。国からの給金で収入はあるし、使用人も通いで雇えるぐらいには余裕があるんだけど、支出の方が多いのよね。主に成果の出ない実験のせいで」
私の疑問を察してくれたのか、ラシュリーさんがまた髪を撫でて説明してくれた。
その説明のおかげで、私のエリックさんへのイメージがよりマッドサイエンティストに固定されてしまう。
「亡くなった先代のカウフマン男爵。つまりエリックのお父様はそうでもなかったんだけどね? 領地こそお持ちでは無かったものの、色んな事業を展開なされていて……まぁ、すべてエリックが手放したんだけれど」
「申し訳なく思っている」
深々と頭を下げるエリックさん。
つまり、エリックさんはダメ息子?
見た目はとっても出来そうな人に見えるんだけどなぁ。
「は、話を戻そうか。つまりカイリ君は僕が無理やりこの世界に呼び寄せてしまったって事は理解できたかい?」
「はい」
うん。そういうことだろう。
「それで? カイリちゃんをご両親の元に送り返すのはいつになるの?」
両親?
あれ?
私の両親って、どんな人だったっけ。
さっきからどうもおかしい。
なんでこんなに記憶が曖昧なんだろう。
住んでた部屋の住所も、通ってた学校も思い出せる。
なのに部屋の内装や、学校での生活が思い出せない。
それと一緒で両親の顔もだ。
一緒に過ごしたであろう光景が、モヤが掛かったようにぼんやりとしている。
なんだろう。これ。
なんで私、思い出せないのにそんなに焦ってないんだろう。
「も、戻せない」
「は?」
エリックさんが私やラシュリーさんから目を逸らした。
気まずそうに窓を見つめ、口元がヒクヒクと痙攣している。
「戻せないって、そんなわけないでしょう?」
「い、いや。戻せないんだ。正確には、戻す方法が皆目見当もつかない」
「……エリック?」
ラシュリーさんが私のお腹から手を離し、優しく膝の上から降ろした。
ゆっくりと立ち上がり、エリックさんへと歩きだす。
「い、いや! 1日でも早く元に戻す方法を見つけるとも! うん! 僕頑張る! でもぶっちゃけ、全然わかんなーーーーーー」
「貴方! こんな小さな子供を親元から無理やり引き離すことがどう言う事か理解してるの!? 酷い事よ! 許せる事じゃないわ!」
「いだだだだだだ! 分かってる! 理解してるよラシュ! でもラシュも知ってる通り、転移魔法ってのは一方通行だ! 呼び出す方が座標を特定しないかぎり転移できない!」
ラシュリーさんが摘んだエリックさんの耳がグニっと伸びる。
うわ、あれ痛そう。
「一方通行……」
えっと、つまり。
元の世界側から呼び出さないとダメってことかな。
うん。そりゃ無理だ。
だって私が住んでいた現代日本には魔法が無い。
私が知らないだけでこっそり存在していたのかも知れないけれど、あいにく知り合いに魔法使いなんて痛い事を言う人は居なかった。
「帰れないん……ですか」
そうか。帰れないのか。
でもなんでだろう。そんなにショックでも無い。
そうなんだー。
ぐらいにしか思えない。
どこか他人事のように感じてしまう。
「カイリ! ああなんて可哀想なカイリ! こんなにちっちゃくて可愛いのに! 知らない場所に一人置き去りなんて! ああ神様! 小さなカイリに貴方のご加護を!」
「わぷっ」
ラシュリーさんに勢いよく抱きつかれ、頭をこねくり回された。
いつのまにかカイリちゃんじゃくて呼び捨てになっているけれど、不快感は無い。
でもちっちゃいは余計だと思う。こう見えても高校生なんだけどな。
「エリック! 貴方の罪は重いわ! 一刻もはやくカイリを元の世界に戻せるようにしなさい! その結果次第では私との婚約の件、考えさせてもらいます!」
婚約?
誰が?
エリックさんとラシュリーさんが?
「あ、あの。そんな大げさな」
ダメだって。
私なんかのために結婚をやめるなんて絶対ダメだよ。
あ、ダメだ。
私の話を聞いてない。
ラシュリーさんがまた体からバチバチと雷を出し始めた。
「わ、分かってるともラシュ! 僕の名誉挽回の為にも、カイリの為にも粉骨砕身の気概でこの件の解決に向けてがんばらせていただくとも! だ、だから魔法を練るのをやめてください!」
顔面を蒼白にしてオロオロと狼狽始めたエリックさんが両手を前に出してラシュリーさんを静止する。
うーん。
我ながら大変な事になったぞ。
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