勇者も帰還したらタダの人……でもないな、これ。
高羽慧
01. 決着
白亜の石柱が並ぶ静謐な神殿。その中央にある円形の広間で、やはり厳粛ぶった女が俺の正面に立つ。
まあ、見慣れた顔だ。
「全然変わらんのな……」
この十年、何度ここへ来たことやら。
白ずくめのドレスには滑らかなツヤがある。魔光石の輝きで満たされた空間では、彼女自ら発光しているようだった。
この世界の女神、らしい。
さすがに長年付き合えば、俺も信じざるを得ない。
勇者として単身呼び出された俺は、女神の思惑通り魔物と死闘を繰り広げた。
死んだことだって、幾度もある。その度に、魔法にしても目を疑う蘇生の力が、俺を現世へ引き戻した。
死んで苦悶のうちに闇へ沈めば、必ずこの神殿に連れ戻され、五体満足にして送り出される。
エンドレス戦闘マシーンだな。
最後まで死ぬのには慣れなかったけど。
俺にそこまでの神業は無くとも、回復の魔法は授けられた。
魔物を制するのに、他にも神の加護は色々とあったさ。勝手に向こうが授けてきた。
小汚いゴブリンを焼き払う火炎、リザードたちを打ち据える雷鎚、自身を邪法から守る乳白色の壁。
全て女神が、自身の力を分け与えてくれたものだ。
そして、光の神剣――腰に携えた神域の刃をベルトから外し、女神の前に据えられた台座へと戻す。
剣は役割を終えた。
魔の王は、塵となって四散したのだから。
「お疲れさまでした、アゼルグラン。この世界を救ってくれたのは、誰でもない貴方です」
「十年掛かりだからな。さすがに疲れたよ」
「いきなり召喚して重責を与えたことを、恨んでいますか?」
「ん……いや」
記憶を消され、異能と剣を授かった直後、俺は魔物が
口で説明するより早い、そんな横着な理由でだ。
アゼルグランという名前も女神に教えられたもので、意味は偉大なる光の剣、だったか。
本名なんて知る
当初は生き延びるのに必死で、恨み言すら浮かばない日々だった。
魔法に習熟し、剣が手に馴染み始めた頃、俺はようやく文句を言う余裕を得る。
そうさ、天に叫んだとも、「出てこい、ババア!」ってね。
豚の化け物を斬り殺し、女神へ罵声を放つ。
巨大イカを凍らせ、女神を盛大に罵る。
そんな毎日が変わったのは、大陸の半分ほどを走破して、初めて人の住む街に出くわした時だった。
髪が緑色だったり、耳が尖っていたりしたが、
彼らは俺を伝説の英雄として、迎え入れた。
魔に進攻され、滅びの縁にいる王国を救うのは俺だと言われる。
別に人助けと聞いて、義憤に駆られたわけじゃない。
最初はビジネスライクなものだった。
食糧と水。雨露のかからない、屋根のある寝所。それらを得る交換条件として、俺は街を狙う魔物を退治した。
みんな、馬鹿みたいに喜ぶんだよ。泣いて礼を言う者までいた。
街の防衛は、すぐに国の各所へ伝わり、あちこちから救援の依頼が入るようになる。
兵たちの先鋒を務め、国境を押し返し、常人では対処できない強大な敵を討つ。
ザコなら一般兵でも相手が可能だ。勇者の仕事は本丸だろう。
俺は根源を絶つため、選抜隊と一緒に魔王の根城を急襲した。
親玉を倒したのは、そこから更に一か月後。
仲間は全員、やられちまったよ。
あの時ほど、魔王を憎んだことはない。気のいい連中だったから、思い出すと少し泣ける。
単身、王都に戻った俺を、市民全員が待ち構えていた。
魔王は霧散したと伝えると、彼らは爆発するような歓声を上げる。
無数の敬礼と笑顔が、俺への報酬だ。
満足だよ。
ああ、これで満足だ。女神のバアさん。
「貴方を元の世界へ帰します」
「ここでのことは、また忘れちまうのか?」
「お望みなら」
「出来れば……覚えておきたいな」
宝物だから――そんな台詞は気恥ずかしく、口に出したりはしない。
俺の内心を知ってか知らずか、女神は優しく
「いいでしょう。しかし、少し苦しいかもしれませんよ。元の世界とここでの記憶が、ぶつかり合うわけですから」
「構わない」
「では、帰還の陣を張ります」
俺を中心として、神殿の床に丸い紋様が
立ち上がった光が、体の中に染み込むようだ。筋肉が弛緩し、頭はボンヤリと曇り出す。
ブツブツと何やら唱えていた女神が、やがて顔を上げて俺を見つめた。
「魔力は全て、返してもらいました」
「あ、ああ……」
「元の世界には、魔法が存在しません。持ったままでは、無用な混乱を引き起こしてしまう」
「それで……いい……」
しかしながら――そう彼女は一拍置いて付け加える。
今まで俺を助けてきた神域の力を、一つだけ残すつもりだと。
「貴方なら、それを向こうで悪用したりはしないでしょう。私からの餞別です」
「そりゃ……ありがた……」
「希望はありますか?」
不確かな思い出ではあるものの、元の世界ではずっと平穏な生活を送っていたはずだ。雷鎚や業火は、必要としないだろう。
役に立つのは身を守る
「ひ……」
「なんですか?」
「ヒー……」
「分かりました」
女神は両手を俺の方へ掲げて、今一度、詠唱を始める。
魔法陣から発せられる光が勢いを増し、女神の姿は淡く
「喋るのは、つらそうですね。私が選びましょう」
「え……?」
「闇を消し去った最後の一撃」
「いや……」
「予想だにしない勇者の切り札に、私も震えました。滅魔の力と共に、お逝きなさい!」
ちょ。それって、アレだろ。
耐性お化けの魔王を倒すのに使った、アレ。
アカンって。
やめろって、ヒールにしてくれって!
最後の最後でまた横着かよ、ババアァーッ!
十年の死闘は思い出の海へ。光が俺を包み、世界は暗転した。
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