第7話 インターネットの塩対応

 これは、世界一の最先端技術を駆使するはずの重要な産業従事者が、もしそうなら即物的な物理学を信仰するはずなのに、なぜかみんな、神を信じるようになってしまったおかしな時代の話だ。

 妻が死んで三年はたった。娘の種葉は五歳だ。母親をなくしても娘は元気に育っている。


塩対応:最近、妙な話で職場が盛り上がってる。インターネットで神を見つけたっていうんだ。信じられないだろ。そんなことを信じているやつは、かなり頭のいかれたやつだとは思うが、もちろん、ぼくはそんな話は信じない。現代文明は科学によって進歩する。プログラマーならそう考えるはずだ。少なくても、この日本では。文明化されたこの社会では、神秘とか宗教とかは勘弁してもらいたい。

哲学書:塩対応さんはやっぱりスピノザとか読んで、アインシュタインのごとく、神を理解するなら自然を研究しろというタイプなんですか。

塩対応:当然だよ。娘にも神なんて信じちゃダメだときつくいい聞かせているよ。うちの会社の連中は、本当にバカばっかりだ。なにがインターネットで神を見ただよ。考えられない。

哲学書:非科学的イデオロギーなんてとんでもないですよね。そんなバカ親父どもは現代社会を無人島からやりなおせっていってやりたいです。

塩対応:哲学書さんは本当に文明人だよね。ハンドルネームの『哲学書』は、どうしてそんな名前にしたんですか。

哲学書:彼氏が哲学書を読むプログラマーなんです。

塩対応:ぼくも哲学書を読むよ。どんな哲学者が好きなの?

哲学書:わたしは読まないんです。彼氏に聞いているだけしかわからないです。

塩対応:その彼氏は元気ですか。

哲学書:もちろん生きてますよ。


哲学書:いたいた、塩対応さん。娘は元気ですか。

塩対応:ああ、元気だよ。(ひどい言い方だな。他人の子供をいうなら「娘さん」だろ?)

哲学書:インターネットで神さま、見つかりましたか。

塩対応:見つかるわけないでしょ。探さないよ、神なんて。

哲学書:でも、仕事でしょ。会社に、インターネットで神を探せっていわれてるんでしょ。

塩対応:上司の冗談だよ。

哲学書:えええ、仕事でそんな冗談いいますか。

塩対応:いういう。アホな会社なんだよ。

哲学書:がんばってください。仕事うまくいきますように。

塩対応:いや、疲れちゃってさ。哲学書さんに疲れ癒してほしいよ。

哲学書:喜んで。


 娘にネットの『哲学書』さんの話をしたら、びっくりしたことを言い出した。

「お父さんも新しい女の人を探すの?」

 くそ。子供のくせになんて言い草だ。

「お母さんの旧姓って、なんだったっけ。忘れちゃった。教えて。黒石だったっけ?」

「そうだ。お母さんの名前は、黒石朽葉だ」

「お父さんの名前は、大庭葉治で、あたしの名前は、大庭種葉。『哲学書』さんの名前は何?」

「知らないよ」

「新しい女の人探すより、お母さんを生き返らせて」

「無茶いうなよ」

「お父さん、会社ぐるみでインターネットで神さまを探しているんでしょ。神さまに頼んで。それじゃなければ、凄腕のお医者さんにお母さんを生き返らせるように頼んで」

「無理だ。生き返るわけないだろ」

「情けない会社だなあ」

「うるせえ。お父さんの会社だぞ」


 そして、一カ月くらいがたった。

「種葉(たねは)。たいへんだ。『哲学書』さんの名前は、黒石朽葉だ。『哲学書』さんは、お母さんと同じ名前だ」

 娘がびっくりしたような表情をした。

「それ、どういうこと」

「わからない」

「もっとちゃんと考えてよ、お父さん。お母さんは本当に死んだの?」

 ぼくはかなり考えこんでしまった。

「お父さん、あたし、まだ子供でわからないけど、こういうことかな。お母さんは、死んでなくて、生きてる。お母さんの死は、偽装工作だ」

「わからない」

「どんな人?」

「種葉、実は、『哲学書』さんは、お母さんに性格や話し方のくせとかそっくりなんだ。それで、お父さんは積極的に話しかけていたんだ」

 娘は、十分くらい考えてから、いった。

「お父さん、インターネットで神さま見つかった?」

 ぼくはびっくりした。子供の前で神の話なんてするべきじゃない。現代的な科学思想を身に着けて成長すべきだ。

 それと、なんだっけ。娘は何をいったんだっけ。

「いや、神さまは見つかってない」

 ぼくがそういうと、娘が興奮した声を出した。

「だって、神さまがいるとしか思えないんだよ。お父さんいったよね。神さまなんていないって。もっと現実的に考えろって。あたし、ずっと学校でも無神論者を名のってて、それなのに、もし本当に神さまがいたらどうするの。あたしたち、かなり恥ずかしいよ。お父さんもかなり恥ずかしいよ。そんなことあるわけないと信じているけど、お父さん、10:0で神さまはいないっていえる? あたし、まだ9:1くらいなんだけど。」

「神さまの話より、お母さんの話が重要だ」

「お父さん、考えてよ。その『哲学書』って人、お母さんの同姓同名で、別人なんじゃないの」

 ぼくは、娘に何をいうべきか悩んだ。現代は科学の時代だ。科学思想の重大さは、加速的に重要になっていて、娘が狂信に落ちてしまってはたいへんだ。

 だが、ぼくも実は、神の存在の否定には成功していないんだ。

「種葉、落ち着いて聞いてくれ。」

「うん、お父さん」

 ぼくらはゆっくりと会話した。

「十分の一の奇跡だ。神さまはいないが、死んだはずのお母さんが、インターネットの向こう側にいる。」

 ぼくは娘をじっと見つめていた。

 娘は、だんだん涙を流して泣き出した。

「うれしい。うれしいよ、あたし。お母さん、生きているんだ」

「ああ、お父さんもうれしい」

「どこに隠れて居やがったんだ、バカやろう」

「落ち着け、種葉」

「うん」


 ぼくは会社を休んだ。課長が「インターネットで神を探せ」とうるさいから、神より妻を探さなければならないので、会社は休んだ。


塩対応:『哲学書』さん、今、どこにいるんですか。

哲学書:えっと、『塩対応』さんの近所ですよ。

塩対応:会いたいです。

哲学書:わたしも会いたいですよ。

塩対応:連絡先を交換しませんか。

哲学書:それは無理です。

塩対応:お願いです。

哲学書:無理です。

塩対応:どうしても。

哲学書:『塩対応』さんに愛のパワーがあれば会えますよ。

塩対応:『哲学書』さんを愛しています。

哲学書:わたしも『塩対応』さん、愛してますよ。

塩対応:会いましょう。今すぐにでも。

哲学書:無理です。では、わたしの正体を明かします。

塩対応:はい。

哲学書:わたしの正体は、あなたの三年前に死んだ妻、黒石朽葉です。

塩対応:会いたい。

哲学書:無理です。インターネットでつながってるけど、わたしは死後の世界にいるんです。

塩対応:種葉も元気だぞ。

哲学書:その報告はとても安心します。

塩対応:どんなところに住んでるんだ? 近所って?

哲学書:死後の世界です。会うことはできないけど、インターネットで話すことはできますよ。

塩対応:愛してる。

哲学書:わたしもですよ。


塩対応:うちの会社はもうダメだ。ずっと、インターネットで神を探せっていってる。日本のプログラマーはもうおしまいだよ、朽葉。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る