第百二十八話 メドヴィーからの来訪者(前編)
ある日、ラステカのミナヅキ一家の元に、二人の子供を連れた女性が訪れた。
女性の名はリュドミラ。かつて不当な婚約破棄を受けて追放された、アレクサンドロフ家の元令嬢。
ひょんなことからミナヅキやアヤメと知り合い、王家や家族を巡る大きな騒動に巻き込まれたことは、今となってはいい思い出であった。
「アヤメさん、この紅茶美味しいわ。かなりいい茶葉を使ってるんじゃない?」
リュドミラが浮かべる笑顔に、アヤメは得意げにウィンクする。
「ご明察。知り合いに分けてもらった、フレッド王国限定の特別なヤツなのよ」
「なるほどねぇ」
味わったことのない風味であるのも納得できた。その知り合いというのが、王宮に勤める人間であることを、リュドミラは知る由もない。
「ウチの子たち……あまり迷惑かけてなければいいんだけど」
ふとリュドミラは、ここにはいない自分の子供たちのことを心配し出す。
「聞き分けいいように見えて、結構イタズラ好きなところあるから」
はぁ、と小さなため息を出すリュドミラに、ミナヅキとアヤメが揃って小さな笑みを浮かべる。
「ハハッ、五歳の子供ならむしろ普通だろ」
「双子なら尚更よね」
リュドミラの子供は双子の姉妹。姉のジーナと妹のユリアであった。
顔立ちも背丈も殆ど一緒で、それこそ服やアクセサリーなどの違いがなければ分からないほど。ただし、『黙っていれば』という言葉が付く。
姉妹の性格が完全に正反対なのだ。
ジーナは大人しくて消極的、ユリアは活発で積極的。ここまで中身が正反対になるのかと、周りの人々は驚きを隠せないという。
しかしそんな双子姉妹と初対面したミナヅキとアヤメは、紹介された時こそ驚いてはいたが、これまでの反応に比べると明らかにすんなり受け入れていた。
正反対なのはウチの子供たちも一緒だから、と。
「旦那さん、今回は来れなくて残念だったな」
「そりゃ仕方ないよ。どう考えても学会のほうが大切なんだから」
ミナヅキの言葉にリュドミラは小さなため息をつく。彼女の旦那は、メドヴィー学院で教授を務めているのだった。
彼の年齢はリュドミラとさほど離れておらず、若くして教授の座に就いた、いわばエリートである。
「まぁ、私たちだけで行くって聞いたときは、最後まで渋ってたけどね」
普段は教授として魔法の研究に情熱を注いでいる。しかしそれと同じくらい、家族のこともこよなく愛しているのだった。
今回の不参加も、本当に泣く泣く了承したとのこと。
船に乗って旅立つ妻と子供たちを、旦那は号泣しながら手を大きく振って見送っていたのだとか。
その姿に、五歳になった双子姉妹でさえも、恥ずかしく思ったのだという。
話を聞いたミナヅキとアヤメは、まぁ無理もない話だと思いながら、引きつった笑みを浮かべていた。
「とりあえずお土産は買って帰るつもりでいるんだけどね」
「旦那さんなら、アンタら親子が無事に帰るだけで、大いに喜ぶと思うがな」
「……否定できないわ」
メドヴィーの港に着いた瞬間、号泣しながら抱き着いてくる旦那の姿が、リュドミラにはハッキリと想像できてしまう。
いくら幼子二人を連れて遠出するのが初めてとは言え、まさかあんなに出発で大騒ぎするとは思わなかった。
子供より旦那のほうが騒ぐとは何事かと、本気で呆れる日が来ようとは。
「でもまぁ、家族を大切に想ってくれてるのは、いいことじゃないか」
「確かにそうなんだけどねぇ」
ミナヅキの言葉は正論だと思った。リュドミラ自身、呆れはしているものの、決して嫌悪感を抱いてもいない。むしろ旦那らしいと感じるほどである。
何だかんだで、旦那を大切に想っているのは間違いない――それだけはリュドミラの中で、確実に胸に抱いていることだから。
「それにしても、ずっと前に手紙をもらったときは驚いたもんだよ」
頬杖をつきながらミナヅキが笑い出した。
「まさかリュドミラがアレクサンドロフ家に戻って、結婚までするなんてな」
「えー、驚くのそっち?」
予想していなかったことを言われ、リュドミラは軽く噴き出す。紅茶を口に含んでなくて良かったと思ったのは、ここだけの話だ。
「むしろメドヴィーが王国じゃなくなった事件のほうが、何倍も大きいニュースになってたと思うけど?」
「いや、そっちのほうは、いつかはそうなるんじゃないかと思ってた」
「実を言うと私も」
ミナヅキに続いて、アヤメも苦笑しながら言う。
「あのロディオンって王子様が、そう簡単に改心するとも思えなかったし」
「そこんところは把握してないけど、多分ダメだったんだろ?」
「……まぁ、恐らくね」
リュドミラはため息交じりに頷きながら、当時のことを軽く思い出す。
メドヴィー王家が失脚したのは、数年前のこと。
王家による不祥事が原因とされてはいるが、その詳細については、何一つ明かされることはなかった。
一説には、唯一の跡取りであったロディオンが、とんでもない悪さをしてそれをもみ消した代償であるともされていたが、あくまでそれは人々が流したウワサの一つに過ぎない。
王家の失脚とともに、メドヴィーは王国ではなくなった。
しかしそのことについて、実のところあまり嘆く者もいなかったのである。
その理由は魔法学院の存在だ。むしろ王国と一緒に、魔法学院も跡形もなく消えてしまうのではないかと、そちらのほうを心配する声のほうが、国内国外問わず圧倒的に多かったのだ。
「結構騒ぎは続くと思ってたけど、魔法学院がこれまでどおり運営するって発表された瞬間、なんかピタリと止んじゃったよな」
ミナヅキの言うとおり、本当にその正式発表が成された瞬間、全世界で安心する声が飛び交っていた。
失脚した王家に対する興味関心は、貴族平民問わず、人々の中から瞬く間に消え失せてしまった。いかにメドヴィー王家が人々の興味の対象外だったか、それがよく分かる瞬間でもあった。
「元々メドヴィーは、魔法学院で地位を確立していたからね。王家はそれを成すための形でしかなかったってことよ」
リュドミラは紅茶を一口飲みながら言う。
「まぁ要するに、学院が無事ならそれで良いってのが、人々の率直な気持ちね」
「……それ聞かされると、もう大分前から国は崩壊していたも同然って、感じに思えてくるんだがな」
「確かに」
ミナヅキの言葉にアヤメも苦笑しながら同意する。まさに王家は飾りでしかなかったということだ。遅かれ早かれ、メドヴィーの王国という形は崩壊していたに違いないと、やはりどうしても思えてきてしまう。
「そういえば、その時にいた貴族連中は、それからどうなったんだろうな?」
ミナヅキはふと疑問に思った。王国制度でなくなり、メドヴィーの貴族制度も撤廃されたと、新聞で読んだことがあったのだ。
流石に撤廃をすんなり受け入れたとは思えない。貴族としての立場を振る舞えなくなることを嫌がり、異議を唱える者たちが出てくると予想していた。
しかしミナヅキの記憶上、その手の騒ぎは殆ど出ていない。
出たとしても火事で言うボヤ程度であり、すぐに鎮静化して何事もなかったかのように時が過ぎていった。
「正直、俺には無関係だったから、全然気にしてこなかったんだけど……」
「でしょうね」
どこか言いにくそうにしているミナヅキに、リュドミラは小さく笑う。
「当時の貴族には、魔法学院で教授をしていたり、名誉研究員やらで大きな実績を残している家もたくさんあったからね。そーゆー人たちは、上流階級の立場を保つことに成功していた感じよ」
「そうだったのか」
リュドミラの言葉でミナヅキは納得する。要は仕える相手が、王家から魔法学院に切り替わったということなのだと。
貴族という扱いにこそならなくとも、これまでと似たような暮らしはできる。当事者たちもそれで手を打つ姿が、なんとなく想像できた。
「でも、全ての貴族がそうだったとも思えんけど……」
「そうね。魔法学院に関わっていなかった家は、自然と没落していったわ。ちなみにアレクサンドロフ家もその一つよ」
リュドミラがそう言いながら、小さなため息をついた。そこにアヤメが紅茶のお代わりを注ぎながら、前々から気になっていたことを尋ねてみる。
「よく実家に戻ろうと思ったわよね? 今でもちゃんと名乗ってるんでしょ?」
「えぇ。旦那も婿養子だから、立派にアレクサンドロフ家の一員だよ」
リュドミラ・アレクサンドロフ――今のリュドミラのフルネームである。
勘当されて一度は捨てた苗字を、再び名乗る日が来ようとは思わず、今でも彼女は不思議に思うほどであった。
「私も両親のあんな姿を見せられていなければ、戻ろうなんて思わなかったわ」
旅の途中、冒険者ギルドを通して、実家の両親から連絡があった。
是非とも会って話がしたい――内容はそれだけだった。
追い出した元娘に、今更何の用事があるのか――そう思いながらも、両親に会うことを決意した。
ちゃんと向き合って話し、立派に決別してやろうじゃないかと。
今更、実家に対する恨みもないことを、自分自身で確認するいい機会だと、リュドミラは思ったのだった。
そしていざ両親と再会した瞬間――両親は土下座をして謝ってきた。
――頼む! 我がアレクサンドロフ家に帰ってきてくれ!
――私たちにはあなたが必要なのよ!
そう願い出られ、リュドミラは戸惑いを覚えた。
両親曰く、アレクサンドロフ家の名が消えるのを恐れたらしい。リュドミラの妹であるレギーナが永久追放され、もう既に家としての価値は地に落ちていたが、せめて家の名だけは継続させたいと思っていた。
正直、そんなことをして意味があるのかとリュドミラは思っていた。
明らかに両親の自己満足でしかないし、また自分を苦しめようとしているだけなのではないかと。
しかしリュドミラは、両親を突っぱねてやろうという気持ちが、どうにも湧き上がってこなかった。
「私にも家族への情が残ってたのね。想像以上に老けた両親の姿を見て、それまでのモヤモヤが全部吹き飛んじゃったくらいだもの」
「それで、戻ることにしたのか?」
「えぇ。あなたたちの言うことは聞かず、私の自由にやらせてもらうことを絶対的な条件としてね。そうしたらすんなり受け入れてもらえたわ。お前が戻って来てくれるならそれで構わない――そう泣きながら言ってね」
呆れながらも笑みを浮かべるリュドミラ。その時のことを思い出してみたが、やはり嫌悪感は湧き上がってこない。
むしろ泣きついてきた小さな子供のような印象に近かった。
あれだけ何年も冷たい表情を向けられ、家族としての愛を与えられることなどなかったというのに、そう思えてしまう自分自身も不思議に感じてしまう。
「親御さん、ただ単に戻ってきてほしかっただけなのかもしれんな」
「うん。私もなんとなくそう思った」
ミナヅキとアヤメの言葉も、どことなく遠くを見ているような物言いだった。それが何を意味しているのかは分からなかったが、リュドミラは特に何かを言及するつもりはなかった。
二人も駆け落ちしている身なのだから、色々あるのだろうと。
「でも当時は大変だったよ? レギーナの起こした騒ぎの影響で、家の財産は殆ど消えちゃってたからね。おかげで私が頑張るしかなかったし」
クッキーを一枚手に取りながら話すリュドミラに、アヤメが尋ねる。
「借金はあったの?」
「少しだけね。それはすぐに返せたよ」
リュドミラは紅茶のカップを両手で持ち、揺れ動く液体をジッと見つめた。
「でもまぁ、結果的には良かったと思ってるけどね。旦那とも出会えたし、元気でヤンチャな子供にも恵まれたし」
新たに魔法学院都市となったメドヴィーで、リュドミラはアレクサンドロフ家を立て直しつつ、冒険者特別講師として学院に勤めていた。
その縁で今の旦那と出会った。
エリート教授として誰もが持ち上げようとする中、リュドミラだけは対等に接していた。コネを作ることも考えておらず、自分の言いたいことを伝え、間違っていることも容赦なく指摘する。
そんなまっすぐな彼女の姿に、エリート教授の男は惚れたとのことだった。
「今は育児休業中なんでしょ?」
「うん。今は旦那も頑張ってくれてて助かってる。教授としての成績もかなり評価されてるみたいでね。最近じゃ周りから、新生アレクサンドロフ家みたいなことも言われ始めてるんだから」
「へぇー、それは凄いじゃない」
アヤメの賞賛にリュドミラも少し得意げな笑みを見せる。ここで彼女は思い出したような反応を示した。
「学院と言えば、グリゴリーさんが特別研究員に抜擢されてたよ」
「え、そうなのか?」
突如出てきた知り合いの名に、ミナヅキが反応する。
「なんか、魔力草の調合師として評価されたってのは聞いてたんだけど……」
「その評価が、特別研究員の席だったのよ」
魔力草とディスペルピュアの研究を進める傍ら、魔力草と調合の研究ゼミも開かれているのだという。
グリゴリーはそこで、指導員兼相談役を担っているのだった。
学生の間でもグリゴリーの人気は高く、薬草や魔力草を愛するおじいちゃん先生として慕われているのだとか。
現に今も、彼のゼミに入りたいという学生が後を絶たないとのことだった。
「今じゃ魔法学院において、グリゴリーさんはなくてはならない存在よ。近々、正式な教授として採用されるかもしれないって、旦那が言ってたわ」
「そっか。それは本当に良かった」
出会った時は町から追いやられていたも同然であった老人が、今では多くの人から必要とされている。
ロディオンが起こした事件が影響したというのも勿論あるだろう。しかしそれだけではない。最後まで自分の信念を曲げなかった、グリゴリー自身の強い気持ちも大きかったとミナヅキは思う。
自分のことをファンと言って持ち上げてくれているが、ミナヅキからすれば、グリゴリーという老人は、立派な調合師の先輩でありライバルであった。
それを改めて感じていたその時――ガチャっと玄関のドアを開く音が聞こえる。
「ただいまー」
ヤヨイの声が聞こえてきた。それと同時に、ドタドタと廊下をけたたましく走る音が聞こえ、リビングに通じるドアがバタンと勢いよく開かれる。
「ママッ、聞いて聞いて!!」
「ただいま、ママ」
顔立ちのそっくりな二人の少女が、リビングに飛び込んできた。
リュドミラの双子の娘たちであるユリアとジーナである。
片方は活発で目をキラキラと輝かせており、もう片方は大人しい様子で、ちゃんと帰った時の挨拶も忘れていない。
明らかに正反対だなぁと、ミナヅキとアヤメは改めて思った。
「シオンくんすごいのよ! わたしたちの入れ替わりを全部見抜いちゃうの!」
「うん。ホントに分かっちゃうの」
妹のユリアが捲し立て、姉のジーナがコクコクと頷く。
それに対して母親であるリュドミラは――
「分かった。分かったからひとまず落ち着きなさい。お話はちゃんと聞くから」
流石に慣れた様子で、双子姉妹の肩にそれぞれ手を置きながら、二人をあっという間に落ち着かせるのだった。
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