第百十三話 リュートの決断



 誘拐事件の収束から数日――ミナヅキたちとエルヴァスティ一家は、ラステカでのんびりとした日々を送っていた。

 ベラやスラポンも元気になり、今ではリュートやレノと一緒に、毎日のように外を駆けまわっている。王都の騎士団たちによって、ラステカの町の警備が大幅に強化されたため、安心して外に出られるようになったのだ。

 ――ケガをしていた時のほうが、何倍も女の子らしかったわねぇ。

 ベラを見ながら呟いていたミルドレッドに対し、三人の大人たちは苦笑を浮かべることしかできなかったが、それは些細な話でしかない。

 一方、王都でも誘拐事件の調査が正式に行われた。

 結果はミナヅキたちの想像どおりである。あくまでエイムズ家の令嬢が身勝手に起こした行動、という形ではあるが。

 三人の盗賊たちは、やはり叩けば埃が出る存在であった。取り調べで得た情報を辿った結果、エイムズ家全体の責任問題に発展するほどの重要な証拠が、次から次へと出てきてしまったのである。

 エイムズ家の当主は、娘を切り捨てることで家を守った気になっていたが、それも無意味になってしまう事態に陥ることは、もはや時間の問題であった。

 そして、その令嬢だが――


「巨大な魚の魔物に喰われちまった、ねぇ……」


 ミナヅキが頬杖をつきながら、今しがた聞いた情報を思い返す。

 最近フレッド王都の近海に住み着いた巨大な魚の魔物。このままでは船が満足に出せないということで、ギルドから緊急クエストが発行された。デュークたち精鋭の活躍により、先日見事に討伐されたのだった。

 その仕留めた魔物を解体した際に、船の残骸が出てきたらしい。

 同時に無残な姿と化した、二人の人間らしき姿も。

 辛うじて判別できた服装からして、令嬢と専属の執事ではないかという推測が立てられた。二人が小型船で人知れず出航したことは判明しており、その可能性は極めて高いと見なされている。

 二人の身元調査は未だ継続して行われており、判明するのも時間の問題だから安心してほしいと、ミナヅキたちの元へ知らせが届いたのだった。


「――なんてゆーか、もういっそ哀れにすら思えてくるな」


 話が殆どまとまったところで、ミナヅキが改めてため息をついた。


「その当主さまってのは、娘さんのことに気づいてなかったんですかね?」

「いえ、流石に気づいてはいたみたいですよ」


 バージルがクッキーを手に取りながら答える。


「ただ、甘い汁の誘惑に勝てなかったとでも言いましょうか」

「……バカな親ではなかったけど、愚かな親ではあったってことかな」

「言い得て妙な気がするわね」


 自分の娘の行動に気づいておきながら見て見ぬフリをした。そういう点では、ミナヅキの言葉も頷けてくると、アヤメは思う。


「ところで、ちょいと話は大きく変わるんですが――」


 ミナヅキがカップをテーブルに置き、目の前に座るエルヴァスティ家の夫婦に、真剣な表情を向ける。


「弟を養子として引き取りたい、というのは……本気ですか?」

「無論です」


 バージルもまた、真剣な表情でミナヅキの問いに即答する。


「あの子の素質は素晴らしい。次世代の竜の一族として相応しいほどだ。私たちであれば、彼がのびのびと暮らしつつ、秘めたる能力を引き出し、存分に伸ばしていく環境を作ることが出来ます!」

「リュート君の経緯は、私からアヤメさんに無理を言って教えてもらいました」


 そしてミルドレッドも笑みこそ浮かべていたが、その目には強い意志がしっかりと宿っていた。


「同情が全くないと言えばウソになります。しかしそれ以上に、私たちはあの子を息子として迎え入れ、心から愛そうと思っています」

「たとえ……リュート君に私たちが見込んだ才がなかったとしても、その気持ちは決して変えるつもりはありません」


 どこまでもまっすぐな目でしっかりと言い切ってくる夫妻。

 本気だ――ミナヅキもアヤメも、理屈抜きにそうとしか思えなかった。

 しかし返答はできなかった。あまりにも内容が大き過ぎる。少しの間とはいえ、一緒に暮らしてきた家族と離れることになるのだ。

 とはいえ――


(リュートにとっては、またとない良い道かもしれないんだよな)


 むしろそうとしか思えない気もしていた。今のリュートに必要なモノが、全て与えられるのだから。

 エルヴァスティ家としても、将来性の高い竜の一族候補を手に入れられる。今回のように、少しでも才能を見込んだ子供を取り入れるケースは、竜の一族にとっては珍しくもなんともない。

 言わば利害が一致しているということだ。

 どう考えても、リュートにとっては望ましいチャンスそのものだろう。

 しかし――


「このことをリュートに話します。一番大事なのは、あの子の気持ちですので」


 ミナヅキがそう答えると、夫妻は表情を明るくさせた。


「はい。私たちもリュート君の気持ちを尊重します」

「決して無理強いは致しませんわ」


 二人は善意で話してくれている――ミナヅキとアヤメも、改めてそれを感じたような気がした。

 子供たちと魔物が、家に戻って来たのは、ちょうどその時であった。



 ◇ ◇ ◇



 その夜――ミナヅキからリュートに、改めて説明をした。

 しかしリュートには、才能を伸ばすことや竜の一族云々などについての話は難しかったらしく、純粋に意味が分からず首をかしげるばかりであった。


「んー……つまりどーゆーこと?」

「あぁ、要するにだな――」


 ミナヅキは苦笑しつつ、分かりやすい選択肢を述べることにした。


「この家で兄ちゃんたちと暮らしていくか、オジサンたちと一緒にドラゴンに乗って暮らしていくか……それを選んでほしいってことさ」

「一緒に……」


 リュートは俯きながら呟く。一応意味は理解したようだが、やはりすぐに答えは出せないよなぁと、ミナヅキは思っていた。

 すると、ベラが目を丸くしながらミルドレッドに尋ねる。


「パパたちと一緒に来るとなったら、あたしが本当にお姉ちゃんってこと?」

「えぇ、そうなるわね」


 ミルドレッドが笑顔で答えると、ベラも表情を眩しく輝かせた。


「それすっごい良いじゃない。ねぇねぇリュートくんそうしよ? あたしたちと一緒に竜の国で暮らそうよ!」

「コラコラ。決めるのはリュート君だ。無理やり引っ張るのは止めなさい」

「でもぉ~」


 バージルに制され、ベラは不貞腐れる。しかし理解もしているのか、それ以上強く出ようとはしなかった。

 ベラの発言で再び迷いが生じたのか、リュートは周囲を見渡し、そしてミナヅキを見上げる。


「おにーちゃん、ぼくはどうすればいいの?」

「リュートが自分で決めればいいんだ」


 ミナヅキはリュートの頭を優しく撫でた。


「兄ちゃんたちのことや、オジサンたちのことは気にせず、リュートがどっちを選びたいのかを、リュート自身が決めてほしいんだよ」

「ぼくが……」


 リュートは視線をレノに向ける。すると――


「キュクゥ~」


 レノは寂しそうな鳴き声を上げながら、リュートの胸元に飛び込んだ。それをリュートが抱き留めると、クリッとした目で見上げてくる。


「そうね。どちらにしてもレノは、もうすぐこのお家ともお別れだもんね」

「キュクキュクゥ~」


 アヤメの言葉にレノが反応する。

 もっと一緒にいたい、もっと遊びたい――リュートには何故か、レノがそう言っているような気がした。

 ジッとレノはリュートを見つめている。その眼差しから目が逸らせなかった。

 まるで不思議な力で吸い込まれるようであった。これまで結構な頻度で抱きかかえてきたレノの体温が、ここに来ていつもよりも温かく感じてならない。


「まぁ幸い、大移動まではまだ少しだけ時間はある」


 バージルが明るい声で切り出した。実際、エルヴァスティ一家の出発まで、まだ数日もの期間があるのだ。


「もう少しゆっくり考えて、改めてリュート君の考えを――」

「いく!」

「そうかそうか。行ってくれるか……え?」


 バージルは素で微笑ましそうに頷き、数秒後にようやく気づいた。大人たち全員が目を丸くする中、リュートは顔を上げてハッキリと告げる。


「ぼくはレノと一緒に行く。オジサンたちの家族になる!」


 言い切った。それはもう清々しいほどに。

 流石に自分が何を言っているのか分からないとは思えないが、それでもミナヅキは確認せずにはいられなかった。


「……決めてほしいとは言ったけど、そんなアッサリ決めちゃっていいのか?」

「うん!」


 戸惑いながら尋ねるミナヅキに、リュートは迷うことなく頷いた。


「レノがぼくともっと一緒にいたいって言った。ぼくもレノと一緒にいたい。だからオジサンたちと一緒に行く!」

「キュルルゥ~♪」


 レノがやったぁと言わんばかりに鳴き声を上げながら、リュートに飛びついた。


「キュルキュル、キュルルキュルルッ♪」

「うん。一緒にいようねー♪」


 ご機嫌よろしく頬ずりするリュートとレノ。とても幸せそうな笑顔であった。そこにようやくバージルが再起動し、改めて確認を込めて尋ねる。


「こちらから誘っておいてなんだが、本当にいいのかい? 私たちの家族になるということは、お兄さんたちとも近いうちにお別れするということなんだよ?」

「うーん……」


 やや慌て気味なその言葉に、リュートはしばし考える。そして改めてバージルに向けて顔を上げた。


「ちょっと寂しいけど、もう決めたから」

「そ、そうか。うん、分かった。どうやら意志は固そうだね」


 笑みを浮かべるバージルだったが、やはり戸惑いは隠しきれていなかった。その傍らでミナヅキは、苦笑しながら思っていたことを言う。


「まぁ、リュートにとっては、いい判断だったかもしれないですね」

「そうですね。竜の国は自然が豊かで、ドラゴンと共存している魔物もたくさんいますから」


 ミルドレッドは頷きながら思った。リュートの判断力と意志の固さも、また貴重な素質であると。

 恐らく目的のためなら、本人も努力を惜しまないだろう。興味があることに対する探究心も相当なレベルだと見受けられる。頑張り次第では相当な竜の国の冒険者ないし竜使いになれる可能性も、十分あるように思えてならなかった。


「ポヨポヨー!」


 ここでずっと傍観していたスラポンが、リュートに飛びついた。


「分かってるよ。スラポンも一緒に行こうねー」

「ポヨッ♪」


 抱き留めながら笑顔で答えるリュートに、スラポンも嬉しそうに笑う。そしてリュートの肩に乗っているレノとも、改めてじゃれ合い出すのだった。


「さてと――」


 バージルが勢いよく立ち上がった。


「話も決まったことだし、竜の国の族長に報告の手紙を出さんとな」

「その前に、外にいるジェロスにも伝えときなよ?」

「分かってるさ」


 ミルドレッドの言葉に反応しつつ、バージルも意気揚々とリビングを出ていく。そしてミルドレッドも、連絡するところがあると言って、荷物を置いている部屋へと向かって行った。

 するとここでベラが、ワクワクした表情でリュートに話しかける。


「リュートくん、これからは家族だね。お姉ちゃん、いっぱい頑張るから!」


 両手の拳を握って気合いを入れるベラ。しかし――


「キュルルッ、キュルアァー」


 レノがリュートの肩にしがみついたまま、何かを言った。リュートには理解できず首をかしげるばかりだったが、ベラの表情は完全に硬直していた。


「……それはどーゆー意味なのかな、レノくん?」

「キュルキュル?」

「何のことかな、じゃないよ! 誤魔化すならもう少しマシなこと言おうよ!」

「キュルル、キュルキュルキュルルァー」

「誰のせいで騒がしくしてると思ってんのよぉ、もーっ!」


 全く、相変わらず騒がしいんだから――そんなレノに対するツッコミは、もはや単なる雄たけびに等しかった。

 しかしながら、このやり取りもここ数日で、幾度となく起こったことだった。

 故にリュートも自然と理解したのか、下手に止めなくても大丈夫だと思い、傍観に徹している。スラポンも同様であった。


「やっぱりミナヅキの弟よね」


 そんな子供たちの様子を見ながら、アヤメがポツリと呟く。


「好きなことになると迷わずアッサリ決める部分なんて、ホントそっくりだわ」

「……そうか?」

「うん。少なくとも私にはそう見えるわよ」


 そう言いながら立ち上がり、アヤメはキッチンに向かう。今日は久々に気分が良いので、夕食を作ろうと思ったのだ。

 もう少しで小さな弟ともお別れになるのだから、作れるうちに料理を作って食べさせてあげたい、という気持ちも働いていた。


(リュートがエルヴァスティ家の養子になることが決まった、か……)


 ミナヅキは頬杖をつきながらそんなことを思っていると、ベラとレノがスラポンを抱えてきょとんとしているリュートに詰め寄る。


「ねぇ、リュートくんはもちろん、お姉ちゃんの味方だよね?」

「キュルル! キュルキュルキュルアァッ!」


 恐らくレノもベラと同じようなことを言ってるのだろうと、流石のミナヅキもなんとなく察した。それはリュートも同じだったらしく、困ったような表情でベラとレノを見比べている。


「……どーしてもどっちかに味方しないとダメ?」


 純粋に決められなかったため、リュートはそう尋ねた。それに対してベラは少々言葉を詰まらせるような反応を示す。


「べ、別にどうしてもってワケじゃ……」

「キュルキュルー♪」

「って、ちょっとレノ! 隙をついて調子に乗るんじゃないの!」

「……キュルァ」

「ムキー! いつか絶対に言い負かしてやるんだからぁ!」


 ベラが両手を突き上げながら叫び、レノが再びリュートに後ろからしがみついて頬ずりをしている。

 かなり騒がしくしているが、子供たちのやり取りとしては自然であった。


(まぁ、あの様子なら、アイツもなんとかやっていくだろうな)


 なんやかんやで溶け込むのも時間はかからないだろう――少なくともその点については、ミナヅキは少しだけ安心していた。



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