第百九話 迫る魔の手



 翌日――スラポンやレノを連れて、ベラとリュートは外を歩いていた。

 あてもない散歩だったが、ベラはとても楽しそうにしていた。笑顔を絶やさず、ルンルンと鼻歌交じりで踊るような足取り。まさしく最高潮の気分を味わっていると言ってもいいくらいであった。

 それに対して、隣――正確には彼女のやや斜め後ろ――を手を引かれるがままに歩くリュートはというと、浮かない表情をしていた。


「ベラねーちゃん、どこ行くの?」

「んー? 別に決めてないよ。外で遊ぶのが目的だったもん」

「……だったらウチの庭でも良かったじゃん」

「えーっ? お庭なんてつまんないよ。パパやママが見てるかもだし、ちっとも落ち着きやしないんだから」


 やや拗ねた口調でいうリュートに対して、ベラは惜しみなく文句を言う。それに対してリュートは、もう追及を諦めることにした。


「はぁ……」


 ベラに気づかれないよう、ひっそりと小さなため息をつく。地面をポムポムと跳ねながら進んでいたスラポンが、そんなリュートの様子に気づいた。


「ポヨ?」

「ん、どうしたのー?」


 スラポンに声をかけられて、リュートは嬉しそうに笑いながら両手を広げる。ピョンと大きく飛び跳ね、スラポンの体はポフッとリュートの胸元に収まった。

 まるでそれが当然と言わんばかりの流れる動き。思わず手を放す形を取らされたベラも、ナチュラルにスラポンとじゃれ合い出したリュートを見て、呆気に取られてしまうのだった。


「ポヨポヨー♪」

「ふふー、今日もプニプニだねー♪」


 リュートは楽しそうにスラポンの頬を手のひらでまさぐる。さっきまで見せていた戸惑いの様子は、一体どこへ行ってしまったのか。

 すると――


「キュルウゥーッ!!」


 自由に周囲を飛び回っていたレノが、リュートとスラポンの様子に気づき、頬を膨らませながらリュートに飛びつく。

 除け者にするなんてズルいぞ――と訴えているのは考えるまでもない。


「キュルキュル! キュル、キュルルゥーッ!!」

「わわっ、ゴメンってばレノ。謝るから落ち着いてよぉ~」


 慌ててスラポンを地面に降ろして、飛びついたレノを抱き寄せる。その小さな頭をポンポンと撫でながら、リュートが必死に笑顔を取り繕うと、レノは不機嫌さを全開にしつつもしっかりと甘えだす。


「キュルゥ~」

「よしよし」


 リュートの胸元にグリグリと頭を押し込むレノ。まるで拗ねた子供をあやしている親のように思えなくもない。

 やがて少しだけ機嫌が戻ったレノは、再びリュートの肩にしがみつく。

 そして長く首を伸ばしてリュートの頬にすり寄った。すると今度は、スラポンもリュートに飛びついた。


「ポヨッ!」


 構ってよ、と聞こえたような気がした。空いた両手でスラポンを抱き留め、再びそのポヨポヨした体をリュートは両手でまさぐり始める。


「よーしよーし。スラポンも構ってあげるからねー」

「ポヨポヨ♪」

「キュル!」

「あぁ、分かってるよ。レノもちゃんと見てるから。放っておいたりしないから」

「キュルルゥー♪」


 二匹の魔物たちがリュートに甘え出す。完全にベラは、置いてけぼり状態を喰らってしまっていた。


(何よこれぇ、あたしがお散歩に誘ったっていうのに……)


 レノが機嫌を取り戻す代わりに、今度はベラが不機嫌となっていく。


「ちょっとリュートくん! 少しはあたしも――」


 構ってよ――そう言おうとした瞬間、球体のような何かが投げ込まれた。それが地面に落ちると同時に、白い煙が大量に噴き出した。


「きゃっ!?」


 ベラが驚いて顔を背ける中、煙がリュートたちの周囲に充満していく。


「え……うわあぁっ!?」


 リュートも突然の煙に驚いて、抱きかかえていたスラポンを手放してしまった。

 そして――


「わぷっ!」

「ちょ、ま、何するの……きゃあぁっ!」

「キュルゥッ!!」


 リュートとベラ、そしてレノまでもが、叫びつつもぐぐもった声となる。何かに抑えられたりしているようであった。


「ポヨーッ!」


 唯一、自由の身であるスラポンが、リュートたちを助けるべく動き出す。しかし煙でよく見えず、闇雲に向かうことしかできなかった。

 その時――


「リーダー、捕らえやしたぜ!」

「こっちもオーケーだ」

「よし。煙が晴れる前に、とっととズラかるぞ!」


 三人の男の声が聞こえてきた。スラポンは瞬時のその声の方角を突き止め、迷いなくそこに向かって、思いっきり飛び出した。


「ポヨォッ!!」

「うわっ!」


 スラポンの体が一人の男の真ん前を横切った。体当たりは外れたが、スラポンは着地すると同時に向きを変える。

 バンダナを巻いた男、ローブを羽織った男、小柄なスキンヘッドの男の三人の姿を確認しつつ、スラポンは威勢よく飛び込んでいった。


「んだよコイツ――スライムか?」

「そういや、ちっこいガキが一匹連れてたな」

「運良く逃れやがったッスね」


 もぞもぞ動く大きな麻袋を抱えつつ、三人の男たちはスラポンの体当たりを軽い動きで躱していく。

 スラポンは諦めずに立ち向かい続けるが――


「邪魔だぁっ!」


 男の大きな拳によって、思いっきり吹き飛ばされてしまった。


「トドメは任せろ」


 冷静な声とともに、ローブの男の指先から炎の弾が生み出される。それは魔法であった。放たれた炎の魔弾が倒れているスラポンに直撃。小さな爆発とともに更に吹き飛ばされてしまった。

 スラポンはそのまま倒れて、動かなくなった。


「片付いたぞ」


 ローブの男が振り向くと、バンダナの男は満足そうに頷く。


「よし、とっととズラかれ!」

「へいっ!」


 スキンヘッドの小柄男が頷き、三人は麻袋を抱えたまま走り出していった。


「ポ……ポヨ……」


 まだ辛うじて意識が残っていたスラポン。目の前が真っ黒になりゆく中、最後に見たのは、三人が山の方角へ逃げていく場面であった。



 ◇ ◇ ◇



「――ポヨ?」

「あっ、目ぇ覚めた?」


 スラポンが目を覚ますと、そこはミナヅキたちの家のリビングだった。聞こえてきたのはアヤメの声。見上げるとソファーに座っている彼女がいた。


「どうやら、なんともなさそうね」


 別の方向からも声が聞こえてきた。振り向くと、見たことがある二人の医者が顔を覗き込んできている。

 スラポンが首を傾げていると、アヤメが苦笑しながら言った。


「ビリー先生とモニカさんよ。スラポンの治療をしにきてくれたの」

「ポヨ?」


 スラポンは一鳴きしつつ首を傾げる。そこにミナヅキがリビングに入ってきた。


「おぉ、スラポン起きたのか」


 そして嬉しそうな反応とともに、彼はスラポンの前にやってくる。


「ボロボロになったお前を見つけた時は驚いたぞ? 命に別条がなくて良かった」


 散歩に出かけた子供たちが、昼食の時間になっても戻ってこなかった。少し心配になったミナヅキが探しに出たところで、道端に倒れている傷だらけのスラポンを発見したのだった。

 ちょうど通りかかった診療所のビリーとモニカに声をかけ、一緒に家まで来てもらった。そしてスラポンが目覚めて、今に至るということであった。


「ポヨー……ポヨッ! ポヨポヨポヨーッ!!」


 最初はボーっとしていたスラポンだったが、すぐに何が起きてこうなったのかを思い出した。必死に飛び跳ねながら、何かを伝えようとしているそれに、ミナヅキたちも表情を引き締める。


「やっぱり何かあったんだな?」

「ポヨッ!」


 ミナヅキの言葉に頷き、スラポンは飛び出そうとする。しかしまだ治療したばかりの体であるため、上手く動けないでいた。


「あぁ、いきなり動くなよ」


 ミナヅキが慌ててスラポンを抱きかかえた。


「ちなみに聞くけど、リュートたちは悪いヤツに連れ去れたんじゃないか?」

「ポヨポヨ!」

「……やっぱりそうだったか」


 強く頷くスラポンに、ミナヅキは顔をしかめる。

 姿を消したリュートたちに、ボロボロになって倒れていたスラポン。その状況からして、悪い予感しかしていなかったのだ。


「すみませんが、少し出てきます。バージルさんたちにこのことを伝えないと」


 ミナヅキは立ち上がりながら言った。バージルとミルドレッドは、行方不明になった子供たちの行方について、聞き込みをしているのだ。

 無論、ミナヅキが抱いていた悪い予感についても、二人は共通している。


「私も行こう。スラポン君に無理はさせられない。モニカ、少し頼む」

「はい。アヤメさんと留守番をしてますね」


 モニカが笑顔で頷くと、ソファーに座ったままアヤメがミナヅキを見上げた。


「行ってらっしゃい」

「――あぁ、行ってきます」

「ポヨッ!」


 ミナヅキとスラポンが強く頷き、ビリーを伴って家を飛び出した。

 スラポンが倒れていた場所にやってくると、そこにはバージルとミルドレッドの二人がいた。傍らには、ジェロスもしっかりと待機している。息子の危機を直感したとバージルが通訳していた。

 そこでミナヅキが、先ほど見せたスラポンの反応について話すと、二人もやはりかと言わんばかりに顔をしかめた。


「私たちも今しがた、農場のトムスさんという方から話を聞きましてね」

「怪しい三人組の男たちが、袋を担いで山のほうへ向かったと言ったんですよ」

「ポヨポヨー!!」


 バージルとミルドレッドの言葉に、スラポンが強く反応を示す。


「どうやら決まりみたいだな」


 ミナヅキが厳しい表情で山のほうを見る。


「恐らくソイツらが、リュートたちを連れ去ったんだ。急いで追いかけないと」

「ミナヅキ君」


 走り出そうとしたその瞬間、ビリーが呼び止めた。


「急ぐ前に一つ――スラポン君はここまでです。ケガをしたまま行かせることは、医者として認めるワケにはいきません」

「……分かりました」

「ポヨッ!?」


 どうして――と言わんばかりにスラポンが叫ぶ。それに対してミナヅキが、優しい笑顔で見下ろした。


「そのケガじゃ無理だってビリー先生は言ってるんだ。俺たちが必ずリュートたちを連れて帰る。だから大人しく待っててくれ」

「ポヨ……ポヨポヨ」


 頭を撫でられながら説得され、スラポンは渋々と頷く。それに安堵したような笑みを浮かべつつ、ミナヅキはビリーに言う。


「ビリー先生。スラポンをお願いします」

「えぇ。僕が責任をもって、家に送り届けます。皆さんもお気をつけて」

「はい!」


 ミナヅキが強い返事を返し、バージルとミルドレッドも頷きを返した。そしてビリーとスラポンに見送られる形で、三人は山へ向かって走り出す。ジェロスも上空から探すべく、大きく羽ばたいて飛びあがるのだった。


(待ってろよリュート。兄ちゃんが今、助けに行くからな!)


 今頃、怖くて泣いているかもしれない小さな弟の姿を思い浮かべ、ミナヅキはより一層気合いを入れるのだった。



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