黒猫アニーと見習いテトの魔力捜査始めます。

草詩

第1話「アニーと僕」

 僕が黒猫のアニーと出会ったのは一ヶ月ほど前の話だ。


 その日は満月で、作業で少し遅れていた僕は慌てて橋を渡ろうとしていたんだ。街の西にある、整備された小川を渡るちょっとした石造りアーチの橋。


 そこにいた彼女は、ただ月を見上げていた。欄干の上で、月明かりに浮かぶ黒いシルエット。

 鳴きもせずじっと空を見上げるその姿が何というか神々しくて、僕は思わず声をかけてしまったんだ。


 まさか返事があるだなんて思っていなかったけれど。


「テト、今日はどうするの?」

「やぁアニー」


 今日も宿を出た僕へアニーが落ち着いた声をかけてくれる。その姿は相変わらず美しく、曲線美を描いた四肢でしなやかに僕の前へ降り立った。

 黒く艶やかな毛並みは上品で、つい撫でてしまいたくなるのだが、それをすると彼女は怒る。


「早起きは気持ちが良いね。そういえば猫は夜が本番だけど、妖精に成ると違うの?」

「どうかしら。そんな良いものじゃなくてよ?」


 彼女はツンッとそっぽを向いて歩きだす。尻尾がゆらゆらと揺れているのが可愛らしい。僕もそっとその一歩後ろについて歩きだした。


 彼女は黒猫の妖精。見た感じは小柄ですらっとした細身の綺麗な猫さんだ。


 自分が猫好きだというのを置いておいても、見かけただけでつい声をかけてしまって。まさか普通に返事があるだなんて思ってなくて。

 そこから一ヶ月ほど、たまに出会うと声を掛け合う程度には親しくなったつもりだ。


 個人的に猫とお話が出来て仲良く出来るのが嬉しい。ついにやけてしまいそうになる。にやけるだけじゃなく、そのちょっとセクシーで白が入った胸元に顔を埋めてもふもふしてみたい……。


「テト。あなた何か、よからぬ事を考えていなくて?」

「ごめんごめん」

「まさか変な趣味はないと思うけど、そういう欲に私たちは敏感なんだから、気を付けなさい?」


 危なかった。僕が頭の中でアニーにあんなことやこんなことをしたり、顔を埋めていたりしていたのが見抜かれたのかと思った。


 ところでそういう欲ってなんだろう?


「それで、今日はどうするのかしら」

「歪なマナ溜まりはだいたい見たからね。基本的な作業は終えたつもりだけど、その辺何か意見ある?」

「そうね。随分風通しが良くなって、住みやすくなったのは間違いないんじゃないかしら」


 真新しい石造りの家を抜け、通りを歩く。戦火に見舞われてから三ヶ月の街は復興途中であり、朝早くから多くの人が行き交っていた。

 しばらく人が途切れそうにもなかったので僕と彼女は黙って進む。とりあえず街の中心広場へ向かうのがいつもの始まりだ。


 時々飛び出して来た子供に触られそうになり、アニーは塀に飛び上がって居なくなることもあったが、それでもだいたい傍についていてくれた。


「さて、どうかな」


 広場についた僕らは、まず中心にある魔法陣をチェックした。まるで休憩しているかのように、設置されていた木製ベンチに座って。仰々しく行動して警戒されても困るので、僕の作業は割と秘密裏だった。


「そろそろ作業はおしまい?」

「そうかも。師匠との約束は一ヶ月だったし」

「ならお別れね」


 それは嫌だなと思った。この街に一人でやって来て、最初の作業を終えてからずっと心細かった。それを支えてくれたのが彼女だったから。


「とにかく一度議長さんに会ってくるよ」

「そう。なら私は行くわ。またあとでね」


 そんな僕の気持ちは知らず、アニーはさっさとその場をあとにしてしまった。アニーは議長さんが嫌いらしいし、向こうも猫嫌いだそうだから仕方ないけれど。



~~~~~



「やぁテト君。仕事をしながらで済まない。問題は解決しそうかね」

「どうぞ気にせず続けてください議長」


 部屋に通されたものの、議長は少し顔を上げただけでひたすら書類と向き合っていた。人員の手配や食糧、流通。生活必需品の流れ等、まだまだ数値とにらめっこするので忙しそうだ。


「今朝も中央の陣を確認しましたが、各方面淀みなく。もうアンデッドやモンスターの心配はないと思います」

「そうかそうか。それは良かった。少なくともその件について考えなくて良くなったのは朗報だ」


 議長は疲れた顔を上げ、嬉しそうに笑ってくれた。目の下のクマが酷い。秘書を雇った方が良いんじゃないだろうか。


「いやー、ただでさえやることが山積みなのに。戦死者や歪んだマナなんて専門外過ぎてね。魔女のお弟子さんが来てくれて助かったよ」

「あ、いえ。師匠は魔女ではないですが。戦のあとは過度の魔術でただでさえ荒れますから。それらを均すのは僕らの生業ですし、こちらこそ宿の手配までしてくれて助かりました」


 本当、はじめ師匠に荒れた街に放り込まれた時はどうなることかと思ったものだ。何せ宿泊出来そうな所は復興のために集まった人員で埋まっていて、このご時世表立って名乗りにくい僕は門前払いである。


「いやいや青き灰の魔女の高名は私も知っているさ。10年前にも吸血鬼に襲われた街を救ったと聞いているよ」


 随分尾ひれがついているみたいだ。吸血鬼退治をやったのは軍で、師匠はその事後処理に出ただけだったはず。もちろん、一介の術士に吸血鬼化の処理なんて出来ないから師匠の功績は大きいとは思うけれど。


「夜の墓場で君を見た時は驚いたがね」

「一刻も早く遺体の処理をしなければならなかったので、その節はご迷惑を……」


 最初はそれこそモンスターに間違えられて大変だった。戦死者や被害者をいちいち弔ってられなかったのだろう。まとめて埋められていたため、一体一体処置をするにしても掘り返すしかなく、酷い有様だったのだ。


「一段落ついたところでテト君、頼みたいことがあるんだが……」

「はい?」


 議長はとても良い笑顔で一つの書類をこちらへ差し出していた。なんだろう。何やら嫌な予感がする気がしなくもないのだけれど。

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