賢者とわたし

2019/10/27。

カクヨムで、賢者を名乗るエッセイストを見かけました。

いちおうは、冒頭近くを読んでみたのですが、

聖書の歴史的・常識的なことを 知らなかったようでした

(カゲキでムチな記述が見られたからです)。

しかし、わたしには、そういう欠点はあるにせよ、

誠実な持論で展開する論理が、面白かったです。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、

目からウロコみたいなことも、書いてました。(さすが賢者)


聖書の解釈にもいろいろあるんだなと感じ入りました。

キリスト教的神さまを否定しているスタンスのため、

いちいち、聖書の言葉を取り上げては、

ああじゃないか、こうじゃないか、と推測したり、批判的に解釈したり。

かなり、聖書がお好きなようです。


賢者と名乗るその人は、牧師を経験した上で、その経験を活かし、

自分の悟ったことをエッセイに書いているそうです。

神の霊感を得て書かれた聖書なのに、記述に矛盾がある、と彼は批判しました。

50年代の聖書学でも取り上げられている、古い話です。いまさらです。つまんない話です。

教養のある人ならだれでも知っていることですが、知らないようなので、

わたしが、神は聖書を自分で書かず、誤謬をおかす人間を使ったのだという説があるよ、と感想を書いたら、

「なぜ、神は誤謬を冒す人間に、聖書を書かせたのか

神のおぼしめしと言うのか、しょせん自分と信者とは平行線だ」(この記述は、大意です)

と言って来ました。


ほんとうに、平行線でしょうか。

対話は、成立しないのでしょうか。

神はあえて人間を完璧に創らなかったんじゃなかろうか、

と、信者なのにわたしは思ってます。

アダムとイブが誘惑に負けたのが、その証拠(げほげほ)


人間に神の霊(息)を吹きかけて、命を吹き込んだ神さま。

神の霊を持った人間が間違いをするなら、

息を吹き込んだ神そのものも、誤謬があってふしぎはない。

全知全能って、ほんとかな。


土くれに神の霊が入ったから、『劣化』したのかもしれない。

という反論もあろうが、

神自体は完璧なのに、土に入れたら劣化するんですか? (汗)

地球や宇宙は、ふしぎに均衡を保っているようですが……。


信者だからってみながみな同じじゃない、

読者を信頼しているのなら配慮してくださいよ、

とその人にわたしが書いたら、

[配慮して書いたものは人を癒します。それは書物の大事な役割の一つです。

イエスは言いました。「わたしは剣を投げ込むために来た。仲違いさせ対立させるために来た」

この書は、一部の読者を不快にさせる可能性はありますが、それは揺さぶるためです。人は多少揺さぶられる経験でもしないと、重い腰を起こして考えようとしません。今のやりとりのようなことになりますが、人は不完全なので常にバージョンアップが必要なのです。もちろん、上段から人に言うのではなく、私もそうです。

ご意見は胸に止めますが、言ってしまうと配慮する気はありません。

私は、書きたいように書きます。あなたにとっての基準をこちらに要求するのではなく、そこは置いといて残りのどこが役だつ情報なのか、といいところ取りをしてください。それができなければ、読むのをおやめになり私と関わらないほうが大人です。 」

というお返事でした。


対話できないのは だれ なのか。

疑問が解明したので、満足しました。

自分で自分の限界をはっきり表明するのは、勇気の要ることです。

いいとこ取りするか、放置してほしい、と言うのは、意志が強い証拠にも見えます。

読者に対して、自分の作品を読むなとか、いいとこ取りしろと突っぱねるのは、

よほどの自信がないと、わたしには出来ません。

「しょせん創作じゃないか」 という逃げ口上もあるでしょうが

エッセイはノンフィクですからねえ。


自分の基準でものをいうのは、人の常であります。

そこを否定するなら、賢者さんも、自分の基準を否定しなければならないでしょうね。

逆に考えてみましょう。

「信者はこうだ」

という思い込み(常識)を揺さぶられ、

慌てて「構ってくれるな」と自己保存に走った、という可能性です。

人を変えるには、自分が変わらねばと言う説もあります。

イエスもまた、最初の説法とのちの説法では、変化しています。

(最初は、幸いなるかな……という説法だったのに、後の方になると 災いなるかな……

だったりする)


この賢者さんの記述を縮めると、こうなります。

自分は、覚醒したことを書いた。

人がそれを書いて批評を書いた。

それを見て、作者は、『いいとこ取りか、放っておいてくれ』と言った。

応援コメントを見た他人がそれで覚醒するなら、イエスも驚く奇跡でしょう。


せっかくだから、ご要望どおり、

いいとこ取りしましょうか。

創作上に、登場させるんです(笑)

自分の説法を路上で主張して 「時間」 というお金をもらい、

批判されたら、「聴いたおまえが悪い」 とうそぶく、乞食坊主の話(笑)

日本の古い昔話にありそうだなぁ(一休さんは、屁を放いて、仏教なんてこんなもの、と言ったとか 笑)


だれでも、子どものようにならなければ、天国には入れないとイエスは言いました。

民主主義の世界です。意見は色々あった方が、豊かです。

表現することの難しさ、読まれることの大切さ、読者との距離の取り方など、

考えさせることは多々ありました。

勉強になったな。

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