「働く女は、結局中身、オスである。」

今回は、ジェンダーについてです。

2019年6月22日の朝日新聞で、『働く=男』 透ける決めつけ

とタイトルで、小学館の女性誌ドマーニのコピー、

「働く女は、結局中身、オスである。」

がネットでの批判を受けて、

「炎上」する事例があったそうです。

「女性差別をあおりかねない」 「不快だ」

という声のほかに、

「そこまで批判するほどのことか」

「なぜ炎上するのかわからない」

という反論もあるそうです。


批判された側は、表現の自由を口にし、

批判する側は、批判の自由を口にする。

でも朝日新聞の論説では、

憲法で保障しているのは、「国家が表現を規制しない」 という意味であって、

企業が何を言おうと自由だし、

個人がそれに対して好き嫌いを表現するのも、

自由だと言っています。


ある人びとを不快にさせる表現で注目させるという手口は、広告としては三流ですが、

こうして新聞に取り上げられているんだから、成功していると言えるでしょう。

わたしもひとの感情をさかなでして喜ぶ悪いクセがある。

キラワレルよ、と夫から言われてます。反省しきり。

でも、欠点のいない人間なんていない。

おおらかに許してくれる夫って、すごいのかな。


そんなわたしの解釈を申しますと、

「働く女は、結局中身、オスである。」

逆に言えば、

働かない女は、結局中身、オス以外である。ということですね。

では聞きましょう。

働く、の本質とはなにか。その意味することはどういうことか。

専業主婦(主夫)にだって家事労働があります。

身の回りのこともせず、旅行だグルメだSNSだサークル活動だと

働かないで消費ばかりしている人の中身が、メスであるというのなら

怠け者のお金持ちしかメスはいないんだね。と思ったり。

働くのは男性だけという差別的意味も含まれているかも知れませんが、

わたしには、格差社会という要素も視野に入れたい。

そして、さらに、男社会になじもうと必死の女性や性的マイノリティたちには

エールを送りたいと思ってます。

男以外という個性を、日本社会は受け付けてくれませんから。


どういう意図でこのコピーが作られたのかは知りませんが、わたしは素直に感心しました。

「大企業ってノンキねえ、

不買運動されたら困るのはそっちだろうに」

わたしにはお金もないし、こんな三流広告しか出せない雑誌には

興味もありませんが、ドマーニって名前は覚えました。


宣伝って、怖いですよね。わたしはコピーライターでなくて良かったです。

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