天皇とヒロシマ その1/3

2019年2月5日から5日間にわたって中国新聞に連載されていた、

『退位のまえに「天皇とヒロシマ」』 の話題です。

シリアス路線です。疲れるかもよ。

それに、結論もいつも通りだから、読んでいて時間の無駄かもしれません。

まあ、お時間のあるときに、読んでね。

3回シリーズです。


平成元年(1989)年に、天皇陛下が広島を訪れて和歌を詠まれたこと、

お言葉を述べられたことが、この「天皇とヒロシマ」には書かれています。

「あの惨劇に2度と人類をおとし入れぬよう、私たちはかたい決意を持って、平和に向きあわねばなりません……」

 自分も勉強や修養に努力したい、とおっしゃったとか。

1960(日本安保条約の改定批准をめぐり、列島が騒然とし、ヒロシマも揺れた)年に、皇太子だった陛下が、

「(犠牲者を悼み)今後再びこのようなことのないよう、世界の平和を念願してやみません」

みたいなことをおっしゃられていたそうです。


これは理想論で、現実には北朝鮮、ロシア、中国など、

周囲には核を持っている国がいるわけです。

日本核武装論を唱える人は、そこんところを論拠にしている。

力には、力を!

日本の安上がりな安全としては、核がもっとも適してる!


もちろんこれも事実でしょう。他国からエジキにされたくない、

だから核武装する。それは論理的にも思えます。説得力がかなりある。

核を持っていれば無理が通り、道理が引っ込みます。

しかし、ナチスのゲーリングはこう言ってます。


「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、

つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあるといい、

平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると

主張する以外には、なにもする必要がない。

この方法はどんな国でも有効だ」


恐怖を利用して、人をコントロールする。

わたしはそんな単純な方法でコントロールされるのは、ごめんだな。

そりゃあ、無防備じゃあ、舐められますよ。

だからって、核武装はごめんだな。

一度つかってしまったら、後に残るのは種の絶滅だけだからなぁ。

核で相手を徹底的にぶっつぶして、平気でいられるその神経。

相手への差別意識やストレス解消願望がありませんかね。

なんでもシロクロつけりゃ済むって問題でもないでしょ。


独裁主義が悪というのなら、石油産出国の中東や

エジプト、南米はどーなるんでしょーかねえ。

北朝鮮ばっか悪党みたいなこと言ってるけど、

核武装して対決するって、

相手と同じ悪になるってことだよね。


武器はつかわれるためにある。

外に向けた武器が、国民を脅す武器になりかねない。

権力は、腐敗するものです。

核兵器で自衛する、というタテマエで、自国民を脅すことも可能です。

(監視カメラと最新技術のAIで、個別の人間を特定するのは簡単になりました)。

核武装論を唱える人は、北朝鮮への道のりのマネをしたいのですかね。


批判するのは表現の自由の使いすぎ、と言った自民党の人がいるそうです。

表現の自由を制約した結果独裁主義になる、という道のりは、

よくあるパターンです。

批判されたくなかったら、発表しなさんな。

わたしもこの記事に責任を持って、甘んじて批判を受ける所存です。

(でも反論したり、怒ったりはするぞ! それぐらいの権利はある!)


ご意見・ご感想お待ちしています。

次回は、沖縄の話です。

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