90.三度目の選択―過去か、現在か

 宿を出るとロウは一人、その足を空き地へと向けた。

 既に日は沈み、辺りは暗くなってきている。見上げた空に雲はなく、悩みすらも包み込むような優しさと、そして温かさを纏った月が綺麗に見えた。


 客引きの声もロウには届かず、家々の窓から零れる発光石の光を浴びながら歩く姿に覇気はない。そうして歩いている内に、人はどんどん疎らになっていく。

 夜の賑わう街の喧騒を置き去りに、心地よい夜風が優しく髪をなでる中、聞こえてくるのは虫の音だけだ。


 空き地に辿り着くと、ロウは静かに腰を下ろした。


「……俺の記憶か」


 ロウはブラッドたちとの会話を思い返していた。

 失った記憶。それを取り戻すことでその結果、少女たちの助けになるのなら答えは半ば決まっている。そして、理由はそれだけではない。

 待ってくれている人がいるかもしれないのなら、早く思い出すべきだ。

 そう強く思えたのは、やはりブラッドの冷たい言葉があったからだろう。


”知っていますよ。それが何か?”


 過るのはスキアとリンの悲しい瞳。

 帰りを待つ者がどんな思いでいるのか、今のロウにはよくわかる。

 だから思い出さなければいけない。いや、思い出したいと強く思うのだ。

 それがたとえ、どれだけ辛い記憶だったとしても。

 

 そんな思いに耽るロウの背中に、話しかける一人の男。


「よっ、背中に哀愁が漂ってるぜ? 何かあったのか?」


 ロウが振り向くと、そこにいたのはスキアだった。

 白い歯を見せながら、前に会った時と変わらない屈託ない笑顔を向けている。


「スキア? どうしてこんなところに……」

「まぁ、ちょっと用事ができてな。隣、座るぜ」


 言って、スキアはロウの隣に腰を下ろした。


「用事ってのは仲間のことか?」


 そんなロウの問いかけに、彼は苦笑いを浮かべた。



 ……――――――――――


 静寂に包まれた宮殿内の廊下にコツコツと響く堅い靴の音。

 白く光る大理石の上をスキアが歩いていると、その向かいからアフティが歩いてくるのが見えた。


「報告は無事に済みましたか?」

「アフティか。今さっき終わったとこだ」

「リンを止められなくて、すみませんでした」

「そりゃ仕方ねぇよ。あの状態のリンは誰にも止められねぇさ。それより、次の情報を手に入れたって言ってたよな? 早速行ってくるぜ」

「忙しい人ですね」


 逸るスキアに、アフティは呆れたような困り顔で資料を手渡した。


「反応のあった場所はそれです」

「なっ……ちょっと待て。これって俺たちが降魔に襲われた地点じゃねぇか」


 戸惑いを隠せず混乱するスキアに、アフティは冷静さを装いながらさらに新しい情報を伝える。


「次のページを見て下さい。ついさっき、反応のあった場所です」


 スキアが次のページを見た瞬間、彼の顔が強張った。

 資料を持つ手が震え、大きく見開いた瞳。鼓動が早鐘のように脈打っている。

 何故なら資料の示すその地点は、ロウたちを送った先――王都クレイオだった。


「偶然がこうも続くとは思えません。スキア、貴方が会ったブラッドに似たロウと言う人物はもしかすると……もしかするかもしれませんね」

「で、でもよ。ロウは俺たちのことを知らねぇって……」


 俯けた顔。出る声は震えている。

 スキアが冷静さを保つのも困難な中、アフティは一つの可能性を提示した。


「俺たちは口に出しませんでしたが、常々思っていたはずです。無事ならばなぜ帰って来ないのか。何か理由があるのかもしれません。ブラッドは嘘を吐かない男でした。それを考慮すれば、可能性として有り得るのは……記憶がないのかもれません」


 その言葉に、スキアは資料を強く握り締めた。と、同時に押し寄せる自責の念。

 可能性としてはあったはずだ。船の中でスキア自身がリンにかけた言葉。それはまさに今、アフティが言ったものと同じだったのだから。

 あの隊長が帰って来れない理由がある。それならば、記憶の有無は真っ先に思いつかなければいけない理由だった。


(そうだ……そうだよ。なんで俺はこんなことに気付かなかった。あの男が家族を置いて消えるわけがねぇ。そんなこと、絶対にありえねぇじゃねぇかよ!) 


 ぐしゃりと資料ごと握り締めた拳で、強く自分の額を殴りつける。

 そして、ゆっくりと持ち上げた顔に浮かんでいるのは、確かな強い想いだった。 


「行くんですね」

「当然だ」

「……俺たちの隊長を頼みます。必ず、連れ戻して下さい」


 その言葉に頷くと、これまでの疲れすら感じさせない様子で、スキアはすぐさま全速力で駆けだした。


 ……――――――――――



「用事ってのは仲間のことか?」

「……そう、だな」


 その言葉に、ロウはブラッドのことを伝えるべきかを迷った。

 ブラッドの反応を見るに、帰れないわけではなく、自らの意思で帰っていないのは明白だ。

 そこにどんな理由があるのかはわからないが、それを伝えることはスキアたちが傷つく結果になるのではないか。


 傷つくくらいならいっそ……そう思った瞬間、ロウは自分を強く責めた。


 違う、そうじゃない。

 生死のわからない人を、あてもなく探し続けるほうが辛いに決まっているのだ。たとえどんな結果になろうとも、過去に囚われたままよりかは良いに違いない。

 そう自分に言い聞かし、ロウは意を決したように口を開く。


「それなら情報がある。ちょうどこの場所で……ブラッドに会った」

「――なっ」


 スキアの目が驚愕に見開く。

 そんな馬鹿な話があるはずがない。そう、彼は思った。

 なぜなら彼の中で、ロウがブラッドであると半ば確信していたのだ。


 容姿と声が瓜二つでも魔憑まつきとしての能力が異なったため、スキアはロウを候補から外し、ただ似ているだけだと思い込んでいた。

 本来、一度魔憑となった者が、他の能力を所持するなど有り得ないからだ。


 しかしアフティの情報を信じるなら、ロウのいた地点でブラッドの反応が出ている。

 だとすると、魔憑の能力が変わる何かがあったのだと、そう考えて直していた。

 だがロウの告げた言葉は、その推測を完全に否定するものだった。


「ここで……ブラッドにあった? そいつは本当に偽物じゃなく、本人だったのか?」


 問いかけた声は掠れ、僅かに震えを帯びていた。

 そしてスキアの縋るような瞳は、真っ直ぐにロウへと向けられている。


「わからない。ただ、黄金の鎧を身に纏い、白銀の鎧を着たヴォルクという男と一緒にいた」


 この言葉でスキアは確信する。……その男は本物だと。

 しかしそれは、ロウが嘘を吐いていなければの話だ。

 何かの理由で帰れないのなら、ロウの正体に勘づいたスキアを誤魔化すために、そう証言しているのかもしれない。

 スキアの中で、ロウがブラッドだという可能性を、どうしても捨てきることができないでいた。


 だがそれも、現実的ではないと自分の中で理解もしている。

 なぜならブラッドという男は、決して嘘を吐かない男だったからだ。


 そんなちぐはぐな考えの中、彼はアフティの言葉を思い出し、最後の確認としてロウに問いかける。


「一つ……突拍子もないことを聞いてもいいか?」

「なんだ?」

「ロウ、お前……過去の記憶はあるのか?」


 二人の視線が交わる中、ロウはすぐには答えなかった。

 だが、このときのスキアの眼は真剣そのもので、ロウの中の真実を切に求めていた。

 そんな彼を前に、誤魔化すことなどとてもできない。だから――


「……俺に過去の記憶はない」


 その言葉にスキアは強い衝撃を受けたと同時に、余計に訳がわからなくなった。

 記憶のない者が、ブラッドの特徴を言えるわけがないのだ。

 つまりそれは、ロウがブラッドと確かに出会ったということになる。

 ならばやはり……ロウとブラッドは別人なのだろうか。


「そ、その記憶がないのは、いつから前が……ないんだ?」


 無自覚の内に手に力が入り、掌は汗ばんでいる。

 息苦しいほど心臓が脈打ち、ごくりと唾を飲み込んだ。


「そうだな。たぶん、今から七年くらい前だ」

 

 襲いかかるさらなる衝撃。

 これは果たして本当に偶然なのだろうか。偶然で片付けていいのだろうか。

 七年前……それは、ブラッドが姿を消した時期と同じだった。


「俺からもスキアに尋ねたいことがある」

「あ、あぁ……いいぜ」


 答えたスキアの声は酷く乾いていた。


「ブラッド。お前の仲間は、俺のことを知ってるみたいだった。俺に記憶がないのも知っていた。俺に記憶を取り戻せと……そう言ってきた。スキアは俺の名に……本当に聞き覚えはないか?」


 その問いかけに、スキアは頭を悩ませた。

 ロウの話を聞けば聞くほど、やはりブラッドとは別人だと思わされる。

 しかし、七年前という同じ時期にブラッドが消え、ロウが記憶を失くし、ロウのいた地点にブラッドの反応がでている。そしてその容姿と声は、ブラッドを知る者なら誰が見ても本人と見紛う程に瓜二つときた。これが本当に偶然なのか。


 だが仮に、ロウの正体が実はブラッドで、スキアを誤魔化すために嘘を吐いているのだとしたら、七年前などと馬鹿正直に答えるのもおかしな話だ。

 それに今のロウの様子を見ても、とても嘘を吐いているようには思えない。

 だからこそ、スキアの中で出した結論は一つだった。


 本当にブラッドがロウにそう告げたのであれば、ロウと関わり続けることでブラッドと出会えるかもしれない。

 それならばと、スキアはロウに一つの提案を持ちかける。


「ロウ、俺と……来ないか?」

「どういうことだ?」

「ロウが過去にブラッドと関わっていたのなら、俺たちの都に来れば何か思い出すかもしれねぇだろ? 月は迷花を照らし出す。迷ったなら、まずは月に照らしてもらえ」


 その言葉に、今度はロウが驚いた表情を浮かべた。


「ブラッド一緒にいたヴォルクも、同じことを言っていた」

「そうか。なら決まりでいいんじゃねぇか?」


 だが、ロウはゆっくりと首を左右に振りながら……


「俺はシンカたちの道を手助けすると約束した。簡単には決められない」


 そう言いながらも、ロウはブラッドたちの言葉を思い出していた。

 このままでは世界を救えず、シンカたちとの約束は果たされないと言うことを。

 ならば約束を果たすために、たとえ遠回りになったとしても、先に記憶を取り戻すべきなのかもしれない。二人の少女の為にも、自分を待つ人たちの為にも。

 そう自分の中で半ば決めかけていたのは本当だ。


 しかし、今のロウたちの戦力が心もとないのは事実だ。

 セリスが魔憑に目醒めたとはいえ、今までの戦いはずっと危機に陥っていた。

 快勝したことなど一度もない。

 そんな中、今ロウが抜けることで戦力を低下させるのは望ましくないだろう。


 たとえ自分の記憶を思い出してから戻っても、それまでシンカたちが無事でいられる保証はどこにもないのだ。

 今のロウに、どうすればいいのかを安易に決断することはできなかった。


「時間をくれないか? 明日までに答えを出す」

「そうか……そうだな、了解だ」


 頷きながら、スキアは立ち上がって服についた砂を手で払い落とした。


「それじゃあ明日、ロウがいる宿までこっちから出向くからよ」

「場所はわかるのか?」

「セリスが魔憑に目醒めたろ? まだ力をコントロールできてねぇから、魔力がダダ漏れだ。心配しなくても迷わねぇよ。それじゃ、またな」


 そう言い残し、スキアはその場を後にした。


 ロウはしばらく一人で考えたあと、ゆっくりとした足取りで宿へと戻った。

 その道中ずっと、どうするべきか二つの中で揺れていた。

 結局、天秤に乗せるものは危険度リスクだ。どちらがより、危険度リスクが少ないか。


 二つの中、という選択は当初のものとは異なっていた。

 記憶を取り戻すかどうかの二択ではなく、記憶を求める事を前提として皆に付き合ってもらうのか、否か。


 そうして宿に着くまで、いったいどれほどの時間を要しただろうか。

 答えが出た頃には、宿を出てかなりの時間が経過していた。

 そんな中、扉を開けると、急に飛んで来たのは怒鳴り声だ。


「ちょっと、ロウ! 散歩にしては帰って来るの遅くない!?」

「す、すごく心配しました」

「そうだぜ。この二人の心配っぷりときたら――ぶへっ!」


 セリスの言葉が、頭に落とされたシンカの拳に寄って途切れた。


「貴方はいつも一言余計なの」

「い、いてぇ……」


 頭を押さえて蹲る姿を見て、カグラが苦笑している。


「心配していたのは本当だ。もう少しで探しに行くところだった」


 そう言いながら、リアンは椅子に座って静かにお茶を飲んでいた。

 本当に心配していたのか疑わしくなるような態度だが、それも実に彼らしい。


「すまない」


 苦笑を浮かべながらそう口にしたロウは、心の中に温かいものを感じていた。

 本当に大切な仲間だ。

 それはここにいる皆の為なら、なんだってしてみせると思えるほどに。

 

 だからこそ、ロウは意を決したように、ゆっくりと口を開く。


「いきなりなんだが……みんなに話したいことがある」

「どうしたの、改まって」


 シンカが少し首を傾げるが、ロウの表情はいつになく真剣だった。

 皆は丸椅子を持ち出すと一つの四角机テーブルを囲み、真面目に話を聞く態勢を作る。

 そして静かな緊迫した空気の中、リアンが話を促した。


「で、話とはなんだ?」

「あぁ……実はさっき、スキアに会った。要点を先に言えば、スキアに一緒に来ないかと、そう言われた」


 面々は一瞬驚いた様子だったが、すぐに平静を保つと、


「そうか。もちろん断ったんだろ?」

「……考えさせてくれと、そう答えた」

「どういうつもりだ、ロウ」


 リアンの声を聞いて二人の少女は驚を隠せず、咄嗟に彼へと視線を向ける。

 真剣に怒りを押し殺したような声をリアンがロウに向けるなど、今までに一度も聞いたことがなかったからだ。


「そのままの意味だ」

「っ、どうして迷う必要があるのかと聞いているんだ!」


 この広くはない空間に大きな音が響く。

 バンッ、と四角机テーブルを叩いたリアンが勢いよく立ち上がった。


「ちょ、ちょっと! どうしちゃったのよ、リアン!」

「そ、そうです! 落ち着いて下さい! セ、セリスさんもリアンさんに何か言って下さい!」


 そんなリアンを宥める二人の少女をよそに、セリスの返って来た言葉もまた、二人にとってはあまりにも意外なものだった。


「……ロウ、悪い。今回の件に関しちゃ、俺もリアンと同じだ」

「そ、そんな……」


 冷静にそう返すセリスに、カグラは惑う視線を泳がせた。

 あれだけ互いを信頼し合っていたはずだ。この五人でいる時間は、本当にとても心地の良いものだった。

 それなのにどうして……そんな悲しい気持ちが少女の胸を締め付けていく。


「逆にお前たちは、どうしてそんなに落ちついているんだ」


 リアンからしてみれば、今の少女たちの方が信じられなかった。

 彼が怒りを露わにしたのは、ロウが悩んでいた理由と図らずも同じことだ。

 それは悔しくも、圧倒的に足りない戦力……それに尽きる。


 そして特に、彼らはロウの少女たちに対する覚悟を知っている。

 少女たちにかける想いの深さを、痛いほどに知っている。

 そんなロウが二人を危険に晒すという行為は、どうしても信じられなかった。いや、信じたくなかった。だからこそ、納得がいかなかったのだ。


 だが、二人の少女はロウの覚悟の底を知らない。

 たとえそれを差し引いたとしても、共に世界を救うと言ったロウの今の発言に対して、ここまで冷静にいられるものなのか。

 そんなリアンに、シンカは真っすぐな瞳を向けて答えた。


「リアンもセリスも、今までロウがどれだけ突拍子のない言動をとっても、いつも冷静だったわよね。でも、今回のことばかりはロウの気持ちがわからない。だからそんなに焦っているのよね?」


 その問いかけに、二人は悔しそうに押し黙る。それは図星だった。

 確かにこれまでのロウは、何度も突拍子のない言動をしていた。

 そんな中、いつも冷静でいられたのは、ロウの気持ちがわかっていたからに他ならない。誰かの為にしか動けないお人好しの行動など、手に取るようにわかる。


 しかしシンカの言った通り、今回ばかりは違った。

 何故ならロウが迷う理由など、いくら仲間とはいえ想像できるはずもなかったからだ。記憶がないことも、ブラッドたちとの会話もリアンたちは聞かされていないのだから。


 だが、それをいうならシンカも同じことだろう。

 むしろ付き合いの短い分、彼女の方こそ想像できるはずがないのだ。

 それなのに、どうしてそう冷静でいられるのか。

 リアンとセリスの二人には、それがどうしてもわからなかった。


「私はね、いつも突拍子もないロウに戸惑っていたわ。でも、それにはいつも必ず理由があった。二人にとっては違うかもしれないけど、今回の件も私にしてみればいつもと何も変わらない。いつものロウが、いつもの突拍子もないことを言ってる。だから、いつものようにちゃんと理由がある」


 確かに言いたいことはわかる。しかしそれでも――


「だがな、もう導きもでたんだぞ。次の目的地がわかったというのにここから先、この四人で向かうのはあまりにも危険すぎる。ミステルの時のように、ロウがすぐ助けに来てくれるわけじゃないんだぞ。これまでは偶然命を拾えていただけに過ぎない。それはこの場の誰もがわかっているはずだ」

「そうか……次の行き先が決まったのか」


 ロウがぽつりと言葉を漏らす。


「そうだ、それだと言うのにお前は――」

「待ってください!」


 強い口調でリアンの言葉を遮ったのは、意外にもカグラだった。

 何故なら彼女だけは知っている。

 ロウの言葉の意味をこの場でただ一人、彼女だけが知っているのだから。


「ま、待ってください。ロウさんには……ちゃんと理由があるんです」

「カグラ、何か知ってるの?」


 シンカがそう問いかけると、カグラはロウに視線を向けた。

 そんな少女にロウは首を左右に振って答える。


「俺たちに言えないような理由なのか?」


 リアンは少し落ち着きを取り戻し、再び椅子に腰を下ろした。


「っ……じ、実は……」

「カグラ」


 話そうとしたカグラを遮るロウの言葉に、カグラは胸に手を当て、辛そうな表情を浮かべながらぎゅっと握り締めた。


 カグラは自分に自信がなく、人と関わることに臆病だ。

 自分の意見をはっきりと告げるのは苦手で、一度否定されれば、どうしても引っ込んでしまう。今までずっとそうだった。そしてそれは、今回も変わらない。

 ロウの強い瞳と声に気圧されるように、少女はどうしていいかわからなくなっていた。


 そんなとき……脳裏を過ったあの日の光景。

 臆病で自分に自信を持てない小さな少女。確かにそれは今も変わらない。


 だが、小さき少女もまた、ロウたちと同じ戦場にいたのだ。

 たとえ戦う力がなくとも、ロウたちと同じ景色を見てきたのだ。

 過るのはフィデリタスとトレイトの最後の姿。そのときの強い言葉。

 過るのはそのときに感じた恐怖と悲しみ。

 そのとき願った、もう二度と仲間を失いたくないという大切な想い。


 あの日の経験が、小さな少女の背中を強く押した。

 そして何かを決意したように、再びその口を開く。


「実はロウさんは――」

「カグラ」


 そんな少女が勇気を出して振り絞った声を、再び遮る冷めた声。

 しかし、ここで負けるわけにはいかない。決して、引くわけにはいかないのだ。


 カグラは勢いよく立ち上がり、ロウを強く睨み付けた。

 姉と同じ琥珀色の双眸。普段は可愛らしいその瞳も今は鋭さを増し、その真剣な眼差しには確たる想いが鮮明に滲み出ている。

 これは、今までずっと護り続けてくれたロウに対する、カグラの初めての反抗だった。

 そして両眼に強く込められた想いを、言葉として口にする。


「私は言うべきだと思います! ロウさんにたとえ嫌われても、私は言います! ロウさんが一人で傷つくより、そのほうがずっといいです! ロウさんは、私たちを巻き込みたくないだけですよね!?」

「ど、どういうことなの……ロウ」


 カグラこれほどまでに声を荒げた事に驚きつつも、皆の視線がロウへと集まった。

 そんな中、このとき彼のとった行動は、口での返答ではなく行動だった。

 瞬時に扉へ向かい、スキアの元へと駆けようとするロウだったが、それよりも早く、ロウより窓側にいたはずのセリスが扉の前に立ちふさがった。


「っ!?」

「行かせねぇよ、ロウ。今回ばかりは……行かせらんねぇ」


 その速さはロウにとってあまりにも予想外だった。

 なぜならロウは、セリスが魔憑として仲間を繋ぎとめるために目醒めた力を、正確に把握できていなかったのだから。


 足に纏わせた風が消えていく中、絶対に行かせない、行かせるわけにはいかない。そんな想いを込めた瞳でセイスはじっとロウを見据えている。

 彼とて二年前、ロウをみすみす行かせてしまったあのときとは違うのだ。


「……カグラ。俺たちを巻き込まないためとは、どういうことだ?」


 セリスがロウを止めたのを確認すると、リアンは努めて冷静に話の続きを促した。そして――


「ロウさんには……過去の記憶がないんです」


 観念したかのように影を落とすロウを一瞥し、意を決したように告げたカグラの言葉は、皆に強い衝撃を与えるものだった。

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