71.第一回魔憑育成講座

 ……――――――――


「アフティ」


 宮殿内の精巧な装飾の施された長い廊下。

 そこでスキアは一人の男に声をかけ、一つの封筒を手渡した。

 封筒の閉じ口には、月と薔薇の紋章のような印が押されている。


「スキアですか。この印……重要な内容のようですね」

「見るなら覚悟しろよ。その中身はリンに絶対教えられない情報だ」

「まさか……」


 アフティと呼ばれた男の目が見開いた。水浅葱色の髪と瞳。少し吊り上がった目付きは近寄り難さを感じさせ、外見的にいえば丁寧な口調で話すとは思えない印象を受ける。

 とはいえ、スキアと同じ軍服に身を包んでいるが彼とは違い、きっちりと着ていることやその口調から、おそらく真面目な性格なのだろう。


「どうする?」

「答えるまでもないですね」


 言って、アフティは迷いなく封筒の中身を確認した。


「……なるほど、この情報はクローフィ様ですか。行くんですよね?」

「当然だろ。でも……」

「わかってますよ。リンに言えるはずもない」

「あぁ、人違いの可能性もある。変に期待させないほうがいい」

「そうですね」

「じゃあ、行ってくる」

「はい。ルインの動きも気になります。気をつけて下さい」

「わかってるって」


 にっと笑い、今度こそ……そういった期待を胸に、スキアは走り出した。

 この数年間の深い暗闇から抜け出すために。


 ……――――――――――




「……ははっ(アフティ……やっぱ上手くは行かねぇよ)」


 スキアはロウを見た後、静かに空を見上げて小さく乾いた声を零した。

 そんな心此処に在らずといった彼に、ロウがそっと声をかける。


「……スキア」

「ん? あっ、わりぃな。大丈夫だ」


 さっきの表情がまるで嘘のように、スキアは笑顔をみせた。


「俺たちも旅をしている。写真か何かがあれば、俺たちも力になれるかもしれない」

「そうね、助けてくれた恩もあるし。名前はなんて言うの?」

「サンキュ。名前はブラッド。でも、残念ながら今手元に写真はねぇんだ」

「ブラッドか、覚えておく」

「う……んっ……」


 ロウがその名を記憶に刻んだところで、セリスの口から小さな声が漏れた。

 どうやら意識が戻ったようだ。ゆっくりとその瞼を開いていく。


「セ、セリスさん」

「みんな……あいつらは……」


 力のない声を出しながら上半身を起こすと、まだ少し意識がはっきりしていないのか、セリスはゆっくりとした動作で周囲を見渡した。


「もう大丈夫だ」

「この人が助けてくれた」


 リアンとロウの言葉にセリスは小さく安堵の息を吐き出すと、視線をスキアに向けた。


「あんたは……」

「俺はスキア。よろしくな」

「ありがとな。俺はセリスだ」

「もう体は平気なのか?」

「あぁ……でもよ、実は全然覚えてねぇんだ。なんで俺は気絶してたんだ?」


 セリスは困惑した表情でロウを見上げた。

 一瞬とはいえ、あれだけの力をまだ魔憑まつきに覚醒しきっていない状態で酷使したのだ。そしてすぐ気を失ったのだから、覚えていなくても無理はない。


「おそらくセリスの力が発動したんだろう。すぐに収まってしまったようだけどな。セリスの諦めない心が助けてくれたんだ。お前の力がなかったらスキアも間に合わず、シンカとカグラは連れて行かれてたかもしれない」


 その言葉に、セリスは信じられないといった様子でポカンとした表情を浮かべていた。

 自分よりも強いロウたちが勝てなかった相手に一矢報いたと言われても、覚えていなければぴんとくるはずもないだろう。


「……俺が力を? そうか……俺はロウが言ってたことを思い出しただけなんだけどな」


 苦笑いを浮かべるセリスの表情は優れなかった。自分のお陰だと言われても、ロウとリアンが戦っている間に恐怖で動けなかったのは紛れもない事実だ。

 いくら相手が魔憑といえど、それが彼にはとってはとても情けないことだと感じていた。


「それって、諦めないってこと?」

「あぁ……だから、諦めなければきっとまた出会える。そうだろ?」

「……ロウ」


 ロウがシンカの問いに答えながらその視線をスキアへと向けると、戸惑うように目を丸くしたスキアがロウを見返した。 

 答えのないことに首を傾げ、ロウは再度問いかける。


「諦めきれないから探してるんじゃないのか?」

「……そうだ。俺の探してる人も、よくロウと同じことを言ってたよ。だから、俺も諦めない……っても、もう七年になるけどな」


 眉を下げ、少し微笑むその姿はとても寂しげな印象を受けた。


「……な、七年」

「そんなにも前から探し続けてるのね」


 七年――その年月に、二人の少女は自分たちが過去に来たときのことを思い返した。

 シンカたちが過去に来たのは、およそ五年前だ。

 五年という時間の長さを彼女たちはよくわかっていただけに、それを越える七年という歳月に対し、とても強い衝撃を受けた。


「……七年探し続けても、生きてるかどうかすらわからない。むしろいなくなった時に、そいつは死んだと言われた。でもよ、そんなの信じれる訳がねぇよな。あいつはきっと生きてる。そう思えてならねぇんだ」


 その言葉だけでも、スキアがどれだけその人を大切に思っていたかが窺える。

 死んだと言われて何一つ当てもないまま、七年もの長い年月を探し続けられるだろうか。


 スキアの仲間に対するその思いがどれだけ強いのか。

 本当の仲間というものが、どれほどの信頼で結ばれているのか。

 それをこのとき、シンカとカグラは強く感じていた。

 横目でロウたちに視線を向けながら、二人の少女は自分たちもこうありたいと、強く強く心の内にそれを思うのだった。


「……そんだけ大切なんだな」

「……」


 そしてそれは、セリスとリアンも同様だった。

 ロウが過去、何も言わず彼らの前から去ったのは二年前。何も言わず消えた人を思う二年の歳月が、短かったとはとても言えないだろう。

 しかし、少なくとも生きていることは、心のどこかでわかっていた。

 それでも長く……とても長く感じていたのだ。


 だとしたら、死んだと告げられた仲間を当てもなく探す七年。

 それを想像したとき、彼らは思った。

 自分たちでも同じことができるのだろうか、と。


「そりゃ大切だ。今の俺があるのはあいつのおかげだ。本当に信頼できて頼れる、俺たちの……大切な仲間だ」

「俺たち?」


 リアンが少し眉を寄せながら聞き返した。


「あぁ、俺には他にも仲間がいるからな。てわけで、俺は仲間んとこに戻らねぇと。アンタらと出会えてよかった。これも何かの縁だし、よかったら送ってくぜ?」


 言って、スキアは親指を波止場へと向けてみせる。


「だが……」

「まぁいいじゃねぇか。確か、港に船は一隻もなかったぜ。困ってんだろ?」


 ロウが困惑の表情を見せると、それに対して言ったスキアの言葉に、皆は何かを思い出したようにハッと顔を見合わせた。

 ロウたちの乗ってきた船の出港時間はとうに過ぎている。

 アイリスオウスからケラスメリザまでの船の便は一日二便出ているが、もう一便はこことは違う小島を経由しているのだ。となれば、次にこの島に来る便は明日ということになる。

 それはあまりに大きな時間の損失だ。


「でも、送るといってくれるのはありがたいけど、私たちの行き先はケラスメリザ王国のレサーカよ?」

「あの港町か。俺の目的は果たしたし、特に問題はないぜ。どっちかってと俺が向かうのもそっち方面だからな」


 今のスキアの話に、ロウたちが疑問を抱いたのは言うまでもないだろう。

 船というのは一個人が簡単に所有できるものではない。スキアの見た目からして、当然ながら漁師というわけではないだろう。

 スキアの属している国所有の船ということになるのだろうが、アイリスオウスの使者という役割を担っている今、他の国との問題は慎重に行う必要がある。

 スキア個人が悪い人間には見えなくとも、その背後がどうなのかはわからないのだ。


 そしてその国は少なくとも、ルインと魔憑の存在を把握している。スキア自身の強さからも、その国に協力を持ちかければ心強いことこの上ないだろう。

 ロウはスキアにその事を、ずっと尋ねあぐねていた。訳ありだと答えたとき、真剣な表情で考え込んでいたのはまさにそのこのことだ。

 そんなロウの気持ちを代弁するかのように、リアンが静かに問いかける。


「その前に少し質問させて貰うぞ」

「おう、なんだ?」

「お前は魔憑の力を完全にコントロールしてたな。それにはルインが現れる前からその力を持ってたとしか考えられない。詠唱のこともしっていたようだしな。正直、お前の力は凄いものだった。仲間も全員お前ほどに強いのか? どこの国の者だ? ルインと敵対する勢力と、そう考えていいのか?」

「……」


 続けざまの問いかけに、スキアは押し黙った。

 二人の真剣な色を浮かべた視線が交差し、互いに互いの腹を探るような空気が包み込む。

 そんな中、ロウの声が割って入った。


「すまない、俺たちにも事情があるんだ。正直なところ……俺も気になる」


 申し訳なさそうに言ったロウへと視線を投げ、スキアは少し口元を緩めた。


「ロウには俺の質問に答えてもらったしな。ただし、その質問だけだ。それ以上の詮索はなしだぜ」


 その言葉にその場の全員が頷くと、


「俺は確かに、ルインが現れる前からこの力を持ってる。でも、決して珍しいわけじゃないんだ。なぜなら……」


 ――俺の仲間もみんな魔憑だ。


 驚愕、というには少し言葉が足りないだろう。

 魔憑という存在はとても稀有な存在だ。実際にシンカたちも旅の中で魔憑と出会ったことはなかったし、そういった仲間を集めることが目的でもあった。

 それが何人もいるとなると、スキアの国としての力は計り知れない。


「特に俺の探してる奴の力は俺よりすげぇよ。俺が所属している国はシークレットだ。でも別に、悪い組織とかそんなんじゃねぇから心配しないでくれ。どっちかってと、アンタもルインと敵対してるなら俺たちは味方だぜ。んで、俺たちの組織はずっと昔から存在している。っと、こんなところか」


 国を明かせないということは、協力を持ちかけるのは難しいだろう。こちらと敵対するという危惧がないのであれば、一先ずはここで納得しておくべきだ。

 そうロウたちは判断するものの、ロウとリアンには少し引っかかることがあった。それはスキアの服に刺繍されている紋章だ。


 月と薔薇の紋章。それをロウとリアンはどこかで見たような気がしていたのだ。

 しかしこの世界における七大陸、そのうちの大国である六国はそのような紋章ではない。スキアがと言ったからには、どこかの傭兵というわけでもないのだろうが……。


 思い出そうと顎に手を当て記憶を辿っていく中、それを思い出せない内にスキアが声を発した。


「あと国は明かせねぇけど、敵じゃないと信じて貰うために、ついでに詠唱のことも教えてやるよ」

「ルインが使ってたあれか……それを教えてお前になんのメリットがある?」


 そう、リアンが訝しげな視線を送ると、


「だから、敵じゃねぇって少しは信じてもらうためだ。もう会うこともないのに、とか野暮なことは言うなよ? それにまぁ……なんだ。俺の探してる奴ってのが、すげぇ面倒見のいい奴でよ。……俺もそうなりてぇっつか、わ、わかるだろ?」


 ぽりぽりと頬を掻きながら恥ずかし気に視線を逸らす彼を見て、ロウたちは少し微笑んだ。先の話からしてもそうだが、余程その人のことが大切で、憧れのようなものを抱いているのだろう。

 そんなスキアが悪い人間にはやはり見えなかったし、そう思いたくもなかった。


 それは一番警戒していたリアンも同様のようで、スキアに向ける視線に棘はもう含まれていない。むしろ、呆れたような視線をなぜかロウへと向けている。

 お人好しのロウと面倒見のいいブラッドという者が、少し似ていると感じたのだろう。


「とにかくだ。第一回、スキアの魔憑育成講座~! 拍手~!」


 …………

 ……


 唖然とする皆を前に、スキアが笑顔のまま頬を引きつらせた。

 すると、セリスが首を傾げながら……


「第二回もあるのか?」

「セリス……そうじゃねぇよ。そこは素直に、嘘でもノッて拍手でいいんだよ」

「確かにそうだな。よし、拍手~!」


 虚しく響く、一人分の手を叩く乾いた音。

 スキアは内心「遅せぇよ」と突っ込みを入れつつ気を取り直した。

 実にわざとらしく一度咳ばらいをし、始まった育成講座。


「コホン。俺は説明が下手だから上手く伝わるかわかんねぇけど、まずはそうだな……魔力を高めるのに必要なのはなんだと思う? はい、ロウ」

「俺か? イメージ……だな」


 結局講座っぽく説明を始めたことに一瞬戸惑いながらも、いつも自分が魔力を高める時のことを思い返しながらロウは答えた。


「そう、イメージだ。なら、どうすればそのイメージを瞬時に、正解に思い描くことができる? はい、リアン」

「……なるほど、それで名か」

「正解だ。名前ってのは大事なんだよ。たとえば魔憑の基本技の魔弾。魔弾ってのは、単に魔力の塊のことな。作れる人は作ってみよう。はい、スタート」


 開始の合図と共に、ロウたちは顔を見合わせた。そして、セリス以外の四人が困惑気味にそれぞれに魔弾を作る。


 カグラの作った魔弾は小さく密度のないものだったが、それは単に慣れていないだけだ。シンカとは違い、戦うことのなかったカグラが戦う為の魔力の扱いに慣れていないのは当然といえるだろう。


 しかし、他の三人の魔弾の大きさはばらばらだった。

 そんな四人を、唯一魔憑でないセリスが真剣な表情で見ている。

 いつもなら軽口の一つもで叩きそうなものだが、このときばかりは違っていた。いずれ自分も、と思っているのだろう。

 やはりテッセラとの戦いで自分が動けなかったことに対して、強い負い目を感じているようだ。


「はい、いったん消して。もう一回ゴー」


 これになんの意味があるのかと思いつつも、四人は言われた通りに魔弾を作り直す。

 と、ここで違いが現れた。

 ロウの魔弾はさっきと同じ大きさであるにも関わらず、シンカとリアン、そしてカグラの魔弾は先ほどとは大きさが異なっていたのだ。


「はい、終わり。これでわかっただろうけど、ロウは魔弾って技のイメージが固まってるから同じ大きさだったにも関わらず、三人の大きさが違ったのは正確なイメージが固まってないからだ」


 モノへの想像力イメージ。例えば犬、と言われた時に思い浮かべるのは人それぞれだ。そして違う日にまた犬、と言われた時に思いうかべるのが先日思い浮かべた同じ種類の犬とは限らないだろう。

 しかし、大型犬や小型犬と絞れば浮かべる幅は狭まり、さらにその犬種を言われれば、思い浮かべるものは決まってくる。

 要は連想遊戯ゲーム、すぐに同一イコールで繋がるかどうかという話だ。


「いいか? 今のは魔弾って技だ。戦闘中で咄嗟にそれを使うとき、それを作るまでの時間、魔力の消費力、威力、それぞれ自分にあった大きさを見つける。そしてそれを魔弾としてのイメージに固定するってわけだ。すると、魔弾! って思ったときに、無意識下でそれが出せるようになる」

 

 脳内構成イメージを固定化させる、させないということは、命を懸けた戦況では重要なものだ。

 必要な時に必要な技を、できるだけ無駄な時間や魔力を使わずに繰り出す。

 それができる相手と戦った時、身体的能力と魔力量が仮に互角だったとしても、自身にそれができなければ勝つことは難しいだろう。


 単に魔力を飛ばす技、というだけの認識では毎回の魔弾に差が出てきてしまう。

 それらの無駄な部分が、長期戦になればなるほど顕著なものとなるのは当然の話だった。

 今の自分の力量に適した魔弾はこれだ、というのを固定化させていれば、それを中心とした応用で様々な面での有利性メリットがでてくるのだ。


 基本的な技である魔弾でさえそうなのだから、各々が持つ能力を生かした技だった場合、それはさらに重要性が高くなってくるのも必然だといえる。


 確かにそれは理解した。確かにその通りなのだろう。だが、しかし……


「確かに自分に合った技を見つけ、名をつけるのが重要というのは理解した。だが……その名というのは、なんだ……その、だな……」


 実に言いにくそうに、珍しく歯切れを悪くしながら視線を逸らして言ったリアンを見て、彼の言わんとすることを察したセリスがその先を補足する。


「自分で考えるのが恥ずかしってことだろ?」

「た、確かに……そのっ、は、恥ずかしいですね」

「……私には無理だわ」

 

 シンカとカグラもはやり同じ考えのようだ。

 自ら技の名前を考えるなど、戦う度に恥を晒すようなものだろう。恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、命を懸けた戦いをするところを想像するとあまりにも滑稽だ。正直、あまり見たくはない。


 と、一瞬目を丸くしながら唖然としていたスキアが、急に笑い出した。


「っ、ぷっ、あははははっ! た、確かに自分で必死に考えて技を叫ぶとか恥ずかしわな! あははははっ! あ~、腹いてぇ……ま、まぁ心配しなくていいぜ。自分に合った技を見つけるのは己自身だけどよ、名は考えるんじゃねぇ。与えてもらうのさ」

「どういうことだ?」


 疑問の色を濃く浮かべたリアンの問いかけに、スキアは微笑んだ。


「お前らはなんだよ。魔憑だろ? なら、与えてくれる奴は決まってる」


 ――魔獣だ。

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