第三節『これは集約した運命の始支点』

47.九月十三日―静かなる開戦

 星歴せいれき七七四年――九月十三日

 中立国アイリスオウス最大都市ミソロギア正門前――フロン平原


 日は昇っているというのに空は少し薄暗く、厚い雲が流れていく。

 嵐の前の静けさ、とでもいうのか、妙な静けさが一帯を支配していた。


 なびくアヤメの旗に集いしは、覚悟の炎を灯した屈強なる兵士たち。

 思わず息を呑むほどのその数はアリスオウスの軍人、その約九割が集結していた。緊張を色濃く浮かべた兵士たちは、それぞれがすでに配置に着いている。


 普段貿易で使われているミソロギアを交差して流れる川には、大砲を積んだ軍艦が左右の川それぞれに五隻ずつの計十隻。これを指揮するのは領海監視部隊。


 西門、東門、正門前には戦闘車チャリオット大型弩弓バリスタを扱う部隊が展開し、ミロソギアを囲う防壁の上には弓、銃を用いた支援部隊が配置されている。

 戦闘車チャリオット大型弩弓バリスタ部隊が等間隔で配置されている間には歩兵部隊。


 配置された部隊の中に騎馬隊が一つもないのは、相手か人間でない以上、馬上での有利をまったく生かすことができないからだ。むしろ、馬上にいてはただの的にしかならない。

 歩兵部隊の先頭に立つのは、ロウがこの日までに適性を見定めた対降魔部隊だ。ナイト級、バロン級相手に二人一組ツーマンセルで戦えば勝てると見込んだ猛者たち。


 西門を都市保安部隊、東門を境界警備部隊、そして正門には中央守護部隊。

 リアンとセリスは境界警備部隊所属だが、今回は正門に展開する対降魔部隊の一員のため、歩兵部隊の先頭にいた。


 正門の先頭部隊の少し先、ここにシンカは一人で配置されている。

 カグラはその能力から、正門の内側に配置された衛生兵の中にいた。


 戦力が圧倒的に中央の正門に集中しているのには理由がある。

 今朝方、ロウが正門の先から魔力の乱れのようなものを感じたからだ。

 しかし、確信がない上に左右に展開されれば、すべての降魔の侵攻を防ぎきるのは困難なため、西門東門の配置も完全に疎かにすることはできない。

 

 静かに時間だけが過ぎていくだけで、皆の精神には大きな負担がかかっていた。

 胸の中にある緊張感が、不安が、恐怖が、皆の精神を徐々にすり減らしていく。


 そんな中、シンカはずっと先で一人立つ男の背中を見つめていた。

 ロウは少しも動かず、ただじっと集中力を高めたまま時が来るのを待っている。

 その背中を見ていると、不思議とシンカの心は驚くほどに穏やかだった。

 


 ――時刻は今より少し前


 持ち場に着く前の兵士たち、その皆の視線は前に立つロウへと向けられていた。

 ずらりと並んだ兵士たちの先頭には、各隊の隊長たちが並んでいる。

 息を飲む程の光景を前にしても、ロウが毅然とした態度を崩すことはない。


「おさらいだ。まず、魔門ゲートが開くのは正門の可能性が一番高い。俺は開いた魔門の傍でできるだけ降魔こうまを食い止める。魔門はその特性上、一気に開き切ることはないから、最初は俺一人でも捌ききれるだろう。それをまずは観察してくれ。そこで敵の姿を見て、恐怖を克服してほしい。慌てるな、恐怖に呑まれるな。それができない奴は真っ先に死ぬ」


 緊迫した空気が満ちていく。

 誰もが生唾を飲み込む中、ロウはさらに言葉を重ねた。


「俺をどれだけ罵っても構わないが、歩兵部隊のみんなにはこれだけは守ってもらう。余程の理由がない限り、わざわざ他の小隊の仲間を助けに向かうな」

 

 言った瞬間、周囲が騒めいた。……予想通りの反応だ。

 今の言葉で逆に平然といられるのなら、皆はここに立っていないだろう。

 そんな動揺を前に、ロウは構わず続けた。


「これは命をかけた戦いだ。俺は必ずみんなが冷静になれるまでの時間を稼ぐ。俺が撃ち漏らした降魔は、次に控えるシンカが相手取る。それからさらに漏れる降魔は戦闘車チャリオット大型弩弓バリスタ部隊と軍艦の砲撃で制圧。そこから漏れる降魔はほんの少数に過ぎないだろう。予定通り二人一組ツーマンセルで戦えば勝てる相手だ」


 そう、これから開く魔門がこれまで通り、ただの魔扉リムなら話は簡単だった。

 しかしミソロギアが滅びる規模を考えれば、そう甘くはないだろう。

 

「だが、油断すれば一瞬。みんなはそれぞれ自分の役割に集中してほしい。少しでも周囲に目を逸らした瞬間、降魔はその隙を見逃さない。持ち場を離れれば、その後ろに控える仲間がそのせいで危険に晒される。目の前の敵を、必ず、確実にそれぞれが仕留めれば、それがより多くの仲間の命を救うことに繋がるのを忘れないでくれ」


 魔憑まつきにとってなんてことないナイト級の降魔でさえも、常人からすれば驚異なのだ。それで他人を気にしている余裕などあるはずがない。

 誰かを守ることができるのは強者だけだ。

 自分の身を守ることで精一杯の者が、他者を気にかけている余裕などあるはずもない。

 戦の経験のない者たちが空いた穴、一度崩壊した戦線を立て直すのは困難だ。

 いや、降魔の群れを前に立て直すのは不可能に近いだろう。

 

 ロウの言葉の意味を理解した兵たちに、先程のよう騒めきはない。

 皆がロウの言葉に耳を澄ませている。


「それに、後ろには支援部隊が控えている。お前たちの仲間は、支援があってもお前たちが気にしなければならないほど弱い部隊なのか? 出会ってよく知りもしない俺のことが信じなくても、お前たちの仲間は信じられるだろ」


 敢えて挑発的な台詞を言ったロウに答えたのは、最前の中央に立つ男だった。

 アイリスオウス最強の名誉称号である光明闘士ホープ

 その名を背負うフィデリタス・ジェールトバー。


「馬鹿言うなよ、兄ちゃん。俺たちは皆、兄ちゃんの苦労も熱意も、想いもその覚悟も知ってる。俺も皆も兄ちゃんのことは信じてる。そうだろ!? お前らっ!」


 フィデリタスの言葉に、兵士たちが同意を示す言葉を次々に投げかけた。

 ロウはその言葉一つ一つを噛み締めると、フィデリタスへと視線を送る。


「中央守護部隊所属第一小隊隊長……いや、対降魔部隊隊長フィデリタス・ジェールトバー。最後は貴方に頼む」


 ロウの言葉に頷くと、彼は前に出て全兵士たちを強く見据えた。


「難しい話はなしだ。俺たちは軍人……だったらやることは一つしかないよな? 相手が降魔だろうがなんだろうが関係ない! この国を脅かす者、その全てを排除する! ただそれだけだ! 俺たちに決して敗北は許されん! 俺たちに危機を知らせてくれた、少女たちと共に! 最前線をかってでた、戦友と共に! 俺たちは必ず勝つ!」


「「「おおぉぉぉ――――ッ!!」」」


 地鳴りのように鳴り響く気迫の籠ったときの声が木霊する。

 それは、これだけ大勢の人間の心が一つになった瞬間だった。


 負けられない。負けるわけにはいかない。

 国の為、家族の為、仲間の為、大切な人の為。決して敗北の許されない戦だ。

 皆が皆、それぞれの思いを胸に、成すべきことを成す。


 夢にまで見た、ずっと願い続けていた。

 シンカとカグラ、二人の少女の胸は、この光景を前に熱く滾っていた。

 

 



 シンカはそっと胸に手を当て、未だ冷めることのない胸の熱を感じていた。

 緊張の色はなく、頭は冷静で穏やかに、胸には熱いものを秘め、強い意志と覚悟をもって、ただ静かに佇んでいる。


 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 時間の感覚はすでになく、いっそこのまま魔門なんて開かなければ。

 そう思ったそのとき、ロウのすぐ前方の空間に歪が生じた。

 エクスィが言うには、今まで見て来たものはただの扉にすぎない。

 そして今、開いているそれこそが真の魔門グリム・ゲート


 しかし、その真実を疑ってしまうほど、開いた魔門はいつもと変わらなかった。

 

 飛び出してきたのはナイト級が五体にバロン級が三体。

 当然、その本能から一番近くにいたロウへと狙いを定めて襲いかかるが、ロウはひたすらにそれを躱すのみで反撃しようとはしなかった。そのままロウを無視して行こうとすれば魔弾を足元に撃ち込み、決して後ろには通さない。


 シンカが後ろを振り返ると、兵士の反応は様々だった。

 腰を抜かす者、目を見開き硬直する者、体の震えを必死に抑える者。その場に踏み留まるのが精一杯といったところか。

 初めて実物の異形を前に、当然ともいえるその反応は予想通りのものだった。

 そのまま戦っていれば、この一瞬で幾人の命が奪われることになっただろうか。いや、鞘から剣を抜くこともなく、散り散りに逃げ出していたかもしれない。


 しかしそんな中、彼らをその場に踏みとどまらせたのは、防衛戦の最前線で戦うロウ、シンカ、そして選ばれし者たちの姿だった。


 ロウに選ばれ、降魔との戦い方を学んだ対降魔部隊の面々は、必死にロウと降魔の戦闘を見据え、降魔の動きに慣れようとしている。

 彼らは両足で地面を強く踏みしめたまま、微動だにせず前を向いていた。


 その頼もしい姿にシンカは視線を戻すと、起こりえた光景を思い浮かべた。

 もしロウがいなければ、兵たちに的確なアドバイスもできず、このような作戦を立てることもできなかっただろう。その結果が導くのは、あまりに凄惨な光景だったに違いない。

 この場にいる兵士たちは戦争はおろか、そのほとんどが命の懸かった実戦自体、初めての経験だったのだから。


 想像するだけで背筋に悪寒が走るような光景をシンカが振り払うと、ちょうど魔門から新たな降魔が現れた。


 その瞬間、ロウは即座に次の行動へ移した。

 先に現れていたナイト級、バロン級の計八体を、一瞬の内にまとめて地面から突き出した鋭利な氷柱で葬り去る。そして新たに現れたナイト級、バロン級相手に再び逃げの一手を繰り返した。

 それもすべては当初の作戦通り、兵たちを降魔に慣れさせるために他ならない。

 

 暫くの間その動作を繰り返していると、魔門に異変が生じる。

 弾けるような音を立てながら、空間の歪み……魔門の規模が拡大した。

 その直径はおよそ三倍もある六メートルほどに達し、つまりは中から現れる降魔の数が急激に増加したことを意味する。


 ここまでくると、ロウにも逃げ続けるなどといった余裕はなくなっていた。

 攻撃を回避し続けること自体は可能だが、多くの数を前に一体も後ろへ逃がさないという保証はできない。現れる降魔を次々に片っぱしから葬り去っていく。


 ナイト級、バロン級にカウント級が混じり始めたころ、ロウにも僅かな疲れの色が見え始めた。

 それも当然だ。戦いだしてからかなりの時間、ロウは一人前線で降魔の行く手を阻止しているのだから。

 

 再び魔門が拡大することを視野に入れ、そろそろだと言わんばかりにロウは襟首に付けた伝達石へと魔力を流し、周囲を見渡せる正門防壁上に待機している総合管制部隊第一小隊隊長タキア・リュニオンへと接続した。


 魔力を扱えない者たちの持つ伝達石は、ロウが事前に魔力を注ぎ込むことで、以前にルインのエプタが行っていたように開放状態にされている。

 その都度、光と振動のあった後に接続していては指示が遅れるからだ。


「こちらロウ。聞こえるか?」

『こちら正門管制部タキア・リュニオン。良好です』

「おそらくまた魔門が拡大する。次はどれほど大きくなるか予想がつかない。一気に溢れた降魔をいきなり相手にするには危険すぎる。だから、敢えて少数の降魔をそっちへと流す。各隊に伝えてくれ。落ち着いて対処すれば大丈夫だ」

『了解しました。ロウさん……無理はしないでくださいね』

「あぁ」


 そうしてタキアとの通信が切れると、ロウは次にシンカへと繋いだ。


「シンカ。今のを聞いていたか?」

『えぇ、聞いてたわ。これくらいの距離なら大丈夫』

「そうか。ならわかってると思うが、そっちに行った降魔を流してくれ。危ない時の援護は任せた。その判断は君に委ねる」

『了解よ。こっちは私に任せて、ロウは前に集中してね』

「頼もしいな。了解だ」


 言って、ロウは駆けて来たナイト級の群れの一塊を敢えて大きく躱し、追撃せずに後ろへと流した。そしてすぐさま前を見据え、カウント級を中心に交戦を開始する。



「いいかお前らっ! 今からナイト級がこっちに向かってくる! 命をかけた実戦の中、兄ちゃんがわざわざ訓練用に送ってくれた土産だ! ありがたく受け取るぞ! まだ腰の引けてる奴は後ろに下がれ! まずはやれる奴だけで叩く! いいな!」


「「「了解!」」」


 フィデリタスの声に兵たちが答えると、前方から迫り来る五体のナイト級降魔を視界に捉えた。それを凝視し、フィデリタスは即座に指示を飛ばす。


「リアン、セリス、お前らで一体。俺の第一小隊で一体。カルフの第二小隊で一体。トレイトの第三小隊で一体。第四、第五小隊で一体だ。小手調べだからと言って油断するなよ!」


 ナイト級が先頭集団に突入した瞬間、大きな叫び声と甲高い鞘走りの重唱が鳴り響く。

 シンカがいつでも魔弾で援護できるよう手に魔力を集めて見守る中、一番最初に降魔を倒したのはやはりフィデリタスの部隊だった。次にリアンの部隊、そしてカルフ隊、トレイト隊と続き、五体の降魔を倒しきるのにそう時間はかからなかった。


「ふふ……はははははっ! 降魔如き、恐れるに足りんわ!」


 最初は若干腰の引けていたトレイトだが、いざ戦いとなればさすが中央守護部隊在籍といったところだろう。その力は実に頼もしいものだった。

 そんな中、カルフの叱咤が彼へと飛んだ。


「トレイト、油断は大敵ってやつだ」

「しかし、カルフ隊長。先ほどから氷の魔憑だけであれだけ戦えているのですよ? その後ろには女の魔憑。大砲に銃もあっては、この程度の力しか持たぬ降魔など何も怖いことなどありますまい」

「……死にたくないならその考えをあらためろ。戦いが始まってまだ一時間近くしか経ってないんだ。降魔の恐ろしさはこれからだろうよ」


 ロウの戦いを見つめながら言った、フィデリタスの言葉は正しかった。

 楽勝で勝てたと言っても、本来二人で当たることを想定した降魔相手に一小隊……つまりは六人がかりで得た戦果だ。

 だというのに、降魔一体を倒すのにかかった時間は約一分弱だった。


 降魔の力はやはり強くて重く、その素早さは想像以上に捉えずらい。

 初の交戦で一分弱と言えば十分なものではあるが、今後降魔が増え続ければ、たかが一体にそれだけの時間をかけている余裕などないのだ。

 

 そんな降魔、それもナイト級以上の降魔を難なく倒していく魔憑という存在の強さを、皆は頼もしく思うと共に改めて実感した。

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