世界はルールが支配する

雪世 明楽

第1話 恋愛免許

 その日、高校生の早瀬正人はやせまさとはずっと憧れていたクラスメイトの相崎美奈子あいざきみなこに告白するべく、校舎の裏に彼女を呼び出した。


「み、美奈子」

「あ。正人くん。どうしたの? 話があるっていう事だったけど」

「実は、俺、前から美奈子のことがその、気になっていて。……付き合ってくれないか?」


 美奈子は正人と入学当初から席が近く、しかも偶然にも同じミュージシャンのファンであることもわかり、雑談をして盛り上がったことも何度かあった。


 美奈子は宝石のように美しい瞳、程よく高い鼻梁と花びらのような上品な唇を備えたクラスでも最も容姿が整った少女である。顔ばかりか、形の良い大きめのバストとスカート下からすらりとした脚線美をのぞかせており、その目映い外見はクラスの男子から常に熱視線を送られるほどだった。


 当然、正人も彼女に心を惹かれており、親しい間柄になれたことを日ごろから神様に感謝していたほどである。そしてついにその関係を進展させるべく行動を起こしたのだった。


 しかし今、正人の言葉に美奈子は困ったように眉をしかめ、数秒ほど沈黙してから口を開く。


「あの、ごめんなさい」

「えっ! あの、もしかして俺、やっぱりそういう感じじゃなかった、とか」


 彼女と自分より親しくしている男子はいないと自認していた正人にとって、それは予想外の発言であった。


「いや、そうじゃなくて。正人くん。無免許だよね」

「無免許? 何のこと?」

「だから、恋愛免許。まだ持っていないでしょう。やっぱりそれはまずいと思うの。法律違反になっちゃうし」

「恋愛免許?」


 正人は困惑して首をかしげた。





「いつの間にか、そんな法律ができていたのか……」


 家に帰って、正人はパソコンで恋愛免許について調べた。


 その概要はこうである。


 数年前から、異性との付き合い方がわからない男性が増加し、少子化の遠因にもなっているとして社会的に問題視されつつあった。また、その一方で相手との距離の取り方がわからないためにストーカーや性犯罪に走る事件がニュースの報道で目立つようになる。


 こういった社会問題に対応するために男性が恋愛することについての免許制度が実現に至った。既に結婚している男性を除き、女性と恋愛を希望する男性は近隣の教習所に通い恋愛免許を取得しなくてはならないのだという。


 正人は今日聞いた美奈子の言葉を思い出す。


 彼女は「私は正人くんのこと好きだよ。……だから、ちゃんと免許を取得するまで待っているから」と約束してくれたのだ。


 取得資格は十六歳からである。幸い正人は既に条件を満たしている。


「よし。早速明日から教習所に通うぞ」


 正人は決意を固めたのだった。





 

「はい。それじゃあ教官の真田です」

「は、はい。よろしくお願いします」


 正人が教習所に通い始め、二週間が過ぎていた。


 貯金を下ろして授業料を払い、親の許可を得て入学したのがずいぶん前のことにすら感じる。


 初めての声のかけ方や連絡先交換のマナー。約束を取り付けるときのメールの文面などを座学で勉強させられ、そして今日はいよいよ実際のエスコートの教習。つまりデートの教習であった。デート教習は教習所内の実際の街を再現した小さな映画セットのようなスペースで行われる。


 教官の真田という人物は美人ではあるが、メタルフレームの眼鏡をかけた少しきつい雰囲気の三十前くらいの女性だ。


 何だかドラマに出てくる厳しめの女上司みたいだ、と正人は思った。


 それに高校生の自分が一回り年上の女性と歩くというのも変な気分だ。だが実際のデートを想定するとなれば、自分が相手をエスコートしなくてはいけないのだから頑張らなくては。


 心中でそう呟いて、正人は教習で合格をもらうために自分に気合を入れる。


「それじゃあ行きましょうか?」

「はい。減点」

「えっ」


 腕に「恋愛教習中」という腕章をつけた真田教官は、手に持ったクリップボードに挟んだ用紙にボールペンで何やらチェックをした。


「女性は男性のために時間を作り、お洒落をしてきているんです。デートの最初はまず、女性の外見を褒める。『その髪型、素敵だね』『そのスカーフ、似合っているね』目に付いたところを褒めてあげる。これ常識です」

「は、はい」


 いきなり出鼻をくじかれた正人であった。


 その後も路上教習は続く。


「それじゃあ、映画でも」

「はい。駄目です。減点」

「な、何故ですか?」

「今回は初めてのデートという想定でしょう。相手との趣味がある程度一致していると確認できていれば問題ありませんが、そうでないならいきなり映画は厳しいでしょう。見ても面白いかどうか判らないものを、まだ親しくない人間と見に行く。これはちょっとしたストレスです。最初は食事だけが無難ですね」

「は、はい」


 その後、正人は真田と連れてレストランへ入るが、そこでも厳しい指導が飛んでくる。


「はい。減点。自分が奥に座ってどうするんです。女性を上座にするのが当たり前です」

「は、はい」


 食事を終えた後でも、指導は続く。


「はい、減点。支払いは女性が席を外している間に済ませておくのが当たり前です」

「……はい」


 レストランを出た後で、歩いている途中も唐突に真田から声が上がる。


「はい。減点」

「俺、何かやりました!?」

「歩道を歩くときは男性が車道側を歩く。これは当然です。これがデートだったら相手はもう怒って帰っています」

「ええ……」


 事あるごとにクリップボードのチェック欄にバツをつけられる有様である。結局、その日の教習結果は合格点からは程遠いものであった。


 結果通知を見た正人は悔しさに身を震わせた。


 今に見ていろ。絶対に合格してやる。


 心にそう誓う正人であった。

 




「その髪型、綺麗ですね。女優が歩いているのかと思いました」

「あら。そう? ファッション誌で流行っていたから合わせてみたの。軽い女だと思う?」

「そんなまさか! そりゃ、他の人なら周りに流されているような印象ですけど、真田さんならますます魅力的に見えて。自分が見劣りしないかと心配になります」


 真田はその言葉ににっこり笑ってクリップボードの上にペンで何やら書き込む。今回は丸が付いているのだろう。


 その後も正人は無難にデートをこなしていく。


 予約したレストランで、スムーズにエスコートし、料理が来る間も話題を盛り上げ、会計も相手に気を遣わせずに済ませる。


 初めてのデート教習から一か月。正人は既に仮免許を取得し、実際の街に出る路上のデート教習も何度も受講し良い評価を受けていた。懸命に努力した甲斐もあり、どうやら合格が目の前に見えてきつつある。


「それじゃあ、食事の後で少し公園でも散歩しましょうか。園内に話題の美術館があるんです。真田さんみたいに知的な女性ともう少し話をしていたくて。……駄目ですか?」

「ふふ。まあ、いいわ? もう少し早瀬くんのために時間を作りましょう」


 真田はそう言いながらクリップボードのチェック欄にまた書き込んでからカバンにしまった。


 正人はレストランを出ると、公園の方へ歩く。


 通りを歩きながら周囲を見ると、二人で歩いている男女を何組か見かけた。


 自分と同じく恋愛教習中という腕章をつけている者もいるが、そうでないものも当然いる。


 その中の一組が、警察官に捕まって何やら色々責められていた。


「真田さん? あれは何です?」

「ああ。どうやら年齢制限違反みたいね」

「年齢制限?」

「ほら。あの女の子、交際標識を付けているでしょう」

「ああ。はい」


 交際標識は、恋愛をするにあたりトラブルが発生しないように取り決められた標識で女性側が身に着けるバッジである。警察官に捕まっていた女性の方は「20」という数字を赤丸で囲んだバッジをつけていた。


「彼女きっと未成年なのね。だから未成年保護の観点から、二十歳以上の相手はあの女の子と付き合ってはいけないということよ。教本に書いてあったでしょう」

「ああ。そういえば」


 女性本人の意志で三十以上、四十以上は恋愛対象外の場合、あの交際標識は「30」や「40」を赤丸で囲んだデザインになる。また女性が特に異性と付き合いたくない場合は「恋愛的な意味合いで進入禁止」ということで赤地に白い横棒のバッジを付けるらしい。


 とはいえ、実際にああいう標識を付けているのを見るのはまだまだ珍しいのだが。


 さらに少し歩くと、またも警察官に捕まっている男女を見かける。


「勘弁してくださいよ。問題ないかと思ったんです」

「そうはいってもねえ。これは大型免許が必要だから。悪いけど無免許恋愛ってことになっちゃうんだよ。赤切符を切らせてもらうから」


 何やら今度はさっきより不穏な雰囲気が漂っている。


 正人は気になって隣の教官に質問する。


「真田さん。あれは?」

「ああ。ほらあの女の子、スタイル良くてバストもFカップはあるでしょう」

「ああ。はい」

「Eカップ以上は大型扱いだから中型とかだと駄目なの。大型免許じゃないと」

「大型免許? ……あの、一定以上の収入と学歴があったうえでクルージングとかバーベキューとかレベルの高いデートスキルがないと取れないという」


 それで無免許恋愛になってしまったということのようだった。


 おそらく違反で高額の罰金を科せられるのだろう。可哀そうに、と心の中で同情しながら正人はその場を通り過ぎた。




 その後、美術館でのデートを終えて、公園のベンチで正人は真田と二人きりになる。


「さて、路上の教習は今日で終了よ」


 そういって真田はにっこりと微笑む。


「それじゃあ、もしかして」

「ええ。卒業検定終了よ。あとは学科試験を受けるだけ。でも早瀬くんなら問題ないでしょう」

「はい。……ありがとうございました」


 最初は憎らしくも思えた教官だったが、今思うとあれは自分を成長させる愛の鞭だったと正人は確信した。


「本当ならこのあとホテルでベッドの上のマナーも教えたいところだけど」

「えっ」

「冗談よ。それをやったら色々と問題でしょう。特にあなた未成年だし」

「ですよね。ははは」


 一瞬、本気にしかけて乾いた笑いを浮かべる正人であった。


 だが、これで美奈子との交際までもう少しだ。急がないと他の誰かのものになって「中古」になってしまうかもしれないではないか。絶対に一発で合格しなくては、と正人は決心する。


「好きな女の子と付き合うのはいいけれど、浮気とかしたら駄目よ? 複数の女性と交際している登録があったら交際違反で減点になって、免停になるんだから」


 女性の方は恋愛にあたり固有のナンバーを取得し、交際相手を役所に登録する。ナンバーは地域ごとに分かれ、世田谷や品川ナンバーが人気らしい。交際相手も恋愛免許証の番号と合わせて登録するので、男女ともに浮気している場合はすぐにばれるわけだ。


「じゃあね。恋愛を楽しんで」

「はい」


 正人は目の前の教官に改めて頭を下げた。





 かくして数週間後、正人は無事に恋愛免許を取得した。


 彼はさっそく自信満々に美奈子を校舎裏に呼び出す。


「待たせて済まなかった。ついに恋愛免許を取得したんだ。これで俺たち、正式に付き合えるよな?」


 だが喜ばしい報告をしたにも関わらず、美奈子は前と同じように困ったような顔で眉をしかめていた。


「……美奈子?」

「あの、ごめんね。正人くん」

「な、何?」

「実は、私。ここ数か月でバストのカップが大きくなって。この前の全国模擬テスト結果も偏差値七十以上で。……それと黙っていたけどお父さんが社長をしていて家の年間の世帯収入も一千万以上で。家柄も皇族の外戚でもあるの」

「え?」

「だから、付き合うには『特殊免許』が必要なの。正人くんのそれ『普通免許』だよね?」

「えーっ!」


 それから正人が一流大学を卒業し、一部上場企業に就職した後に特殊免許を取得して美奈子との交際にこぎつけるまで更に五年の歳月がかかったのであった。

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