先輩ちゃんと後輩くん
高山 椛
ある先輩ちゃんの話
「先輩――恋をしましょう!」
とは、後輩の言葉だ。
放課後。部室でコーヒーを飲みながら読む小説は最高だ。
運動部が外で大きな声を出し、運動に精を出す声は心地よい雑音で、僕の集中力を高めてくれる。
だが、彼女の存在は僕の心を乱す。
「先輩、聞いてますか? 恋をしましょう! って」
聞いてる聞いてるといつも通りあしらうと、彼女はまくしたてる。
「大体、花の高校二年生ですよ! 今、恋をしなくていつ、恋をするんですか?」
「高校生は勉強で忙しい。大学生に成ったら、いくらでも時間があるからその時すれば良いとか思ってませんか? 大きな間違いですよ、『今』やらない人は将来でもやらないんですよ」
「チャンスは今なんですよ! とある調査によると、十代の九割は告白されたいと思っているんです。十代を逃したら二十代、三十代と恋愛できずに、大魔導師まっしぐらですよ! 危機感を持ってください!!」
「わかったら、とっとと優しい彼女を見つけて、私に紹介してください。できれば、身長は百七十センチくらいで。できれば、お胸が豊満な方で。できれば、美しいお御足をお持ちな方で。私に甘えさせてください!」
彼女の言葉に対して――いや、自分に対する苛立ちで集中できない僕は途中で、本を閉じ、大きくため息を吐く。
これは彼女の奸計だ。
僕に対してイタズラしたい時の典型的なパターンだ。
取り合うだけ僕の苛立ちは高ぶる一方だ。
「君の話はさっぱり分からないけど、百合なんて馬鹿らしいことを考えずに家に帰れ」
ぶっきらぼうにそう言い放ち彼女はアホ毛をプイプイと揺らす。
いつもなら、顔を真赤にして言い返して来て、話が有耶無耶となるが今日は違った。
似合わない、にへら笑いを浮かべ、
「先輩、言葉には気をつけたほうが良いですよ。最近の風向きはLGBTへの批判に対して厳しいですからね」
いつもの僕を煽るときの嘲笑を浮かべる後輩。
うざい……コイツの嘲笑はどうしてこんなにうざいんだ。
一瞬ムキになりそうになるのを堪える。
「君の彼氏はどうした?」
「うっ……」
「付き合って一ヶ月の彼氏がかわいそうだ、同性愛でも浮気は浮気だろう」
押し黙る後輩。
数秒の沈黙に勝ちを確信した僕は再び本を開き、読書を再開する。
再び物語の世界に没入しようとしたが、再び彼女の大きな咳払いに阻まれる。
「それはさておき、恋をしましょう! って話ですよ」
「最初に戻ったか……」
大きくため息をつき興味の無さをアピールするが、彼女には通じないらしい。
「先にも言いましたが、今やらないことは将来的にもやらないんですよ! この言葉は先輩だって言ってるじゃないですか!」
「だとしても、どうして君に恋愛すべきだと諭されるんだ」
「だって、先輩――最近、ずっと一人、部室で本を読んでるじゃないですか! かまってくれなきゃ暇で死んじゃいます!!」
「は……?」
不意打ちに空いた口が塞がらない。
「他の先輩達は、みんな兼部してる部活の試合やら発表会やらで忙しいんで、先輩がかまってください!」
言いたいことは沢山ある。
なぜ本ばかり読んでいるか。後輩の苛立たしい仕草。恋をしろという言葉に対する敵意。
言い返す言葉を自分の中で反芻し選定するが、どれも不適切に感じて、言葉が出てこない。
数秒の沈黙に、少女はいじらしい笑みを浮かべ、
「良いですか――先輩、ハグは気持ちいいですよ」
「話変わってないか?」
「いえ、変わってませんよ、彼女がいれば慰めて欲しい時に慰めてもらい放題です」
後輩の、妙に鋭い言葉に、再度硬直しそうになるが、コーヒーを一口含み、誤魔化す。
口に含んだコーヒーの香りが喉から鼻に抜け、僕を落ち着かせる。
自分に言い聞かせるようにじっくりと、口に含んだコーヒーを飲み込み、笑みを浮かべる。
「そうだな、わかった。とは言えだ――何事にも練習は必要だと思わないか?」
「恋の練習ですか? 流石に恋は本番しかないと思いますが……」
僕の言葉に彼女は形の良い眉を寄せ、少し困ったような表情を浮かべる。
乱されていたペースをこちらに引き寄せるために攻勢に出る。
「いや、恋は本番しかないだろうけど、ハグの練習は必要だと思わないか?」
「はあ?」
意味がわからんと言わんばかりにアホ毛を揺らす後輩。
僕にとっても、意味不明な論理だが、こういう時は勢いが大切だ。
「だから、ハグと単に言っても抱き締める腕の強さとか、難しいだろ。一般に男性が女性を抱きしめる強さは少し強すぎると聞く。いくら彼女とは言え、あまりに強い力では、嫌がられて二度とハグしてくれなくなるかもしれない。いや、二度とということは無いかもしれないが、ハグして慰めてくれる頻度は少なくなるだろう。彼女は優しいから、僕に痛いと不平を漏らすことなく、それでも痛いからあまりしたくは無いなと無意識に回数を減らされてしまうだろう。少なくとも週に一回はしたいと僕が思っていても、痛いからできれば二週に一回、できれば月に一回と段々減ってしまうかもしれないが、それは嫌だ――」
「いや、先輩長いです、ガッツリ恋したいと思ってたんですね……何かごめんなさい」
少し勢いを付けすぎたらしい。
自分の顔が赤くなるのがわかる。
それでも、ここで辞めたら恥のかき損だ。
「だから、君でハグの練習をさせてくれ――っと君は彼氏がいるから駄目だな。やはり僕に恋は早かったらしい」
と言い切った。これで乗り切ったろう。
そう確信するも甘かったらしい。
「良いですよ」
僕は目を向いた。
マジ……
後輩の顔を見ても赤らめる様子すらなく、だからどうした、と言わんばかりだ。
「――彼氏は?」
「大丈夫でしょ」
「――マジ?」
「ええ、付き合いだしてから先輩と部室でボディコンタクトの激しいラテンダンス踊ってたの見られたけど、楽しそうだねって一言だけでしたし」
良い彼氏だな……僕の後輩でもあるから、すごく複雑だ。
っていうかあんな前から付き合ってたのか……
一ヶ月と三週間じゃほぼ二ヶ月じゃないか……
複雑だ……
「先輩、ハグしないんですか?」
「――ぐ……ぬぬ」
「彼の心配はしなくていいから――さあ、さあ! さあ――」
最初は優しい声音だったものがだんだんと強くなっていき、終いには押し売りのようだ。
彼女は両手を広げ、言葉の通りさあ来いという状態だ。
雰囲気もクソもないが、これは練習だ。
座っていた椅子から恐る恐る立ち上がり、大きく息を吸い込んで彼女の前に立つ。
頭一個分だけ高い僕の目線に彼女のピョコピョコと揺れるアホ毛がちらつく。
視線を下ろせば、つむじと華奢な肩が見える。
丸みを帯びて女性らしい肩だ。
そして、ふいに香る甘い、クリームのような薫り。
改めて意識しだすと、心臓が早鐘を鳴らすかのようだ。
呼吸もそれに伴って早くなってしまいそうだが、そうあってはただの変態だ。
息を止め、無理矢理に平静を装うも長くは保たない。
意を決して、彼女の背に腕を回す。
抱き寄せることははばかられたので、右手で左手の手首を掴み囲いを作る。
作った囲いは彼女を少しだけ僕の、背中に回した腕から彼女の体温を感じる。
温かい。
「先輩、これだけじゃ足りないのです。女子的にはもう少しだけ――ギュッと力を入れてくれたほうが、良いのです」
彼女から注文が入る。
彼女の背に回した腕は十分に力が入って――むしろ強張っているせいか、どう力を入れたらいいのか分からない。
ラテンダンスを踊ったときは後輩に完全にリードされていたせいか分からなかったけれども、自分から人に触れるというのは思いの外、緊張することらしい。
僕が四苦八苦していると、彼女はクスリと笑う。
「先輩。一度、背に回した腕を離して、今度は両腕共、私の体に付けてください。ボディコンタクトです」
「あ、ああ――って、これは僕が慰められる時じゃなくて、僕が君を慰める時のやり方じゃないか……?」
「あはっ、先輩にしては鋭いですね」
「おい……」
いつも通り、彼女のイタズラにしてやられたらしい。
大きくため息をついて、背に回していた両腕を外して、元々座っていた椅子に腰掛ける。
少し頭を抱えて再度、大きくため息を吐く。
「もうお終いですか?」
「そうだよ……」
「あら、残念。もう少し先輩の可愛い挙動を楽しめると思ったのに」
三度、大きなため息を吐く。
してやられたというショック以上に、自分がしていた行動を思い返してみると酷く恥ずかしい。
穴があったら入りたいほどだ。
「まあ、いいですけど。そうやって自分の行動を顧みて、恥ずかしがってる先輩ちゃんも可愛いですから」
「先輩ちゃんなんて、呼ぶんじゃないよ――後輩くん……」
僕がこうして項垂れると、いつも彼女は僕のことを先輩ちゃんと呼ぶ。
明らかに馬鹿にしているのだろうけれども、僕はその呼び方が嫌いでない。
ある意味、彼女の特別だからだろうか。
「そろそろ下校時刻だし、みんなの所寄って一緒に帰るか……」
「そうですね! 帰りましょう!」
そう言って、僕は本を鞄にしまって、部室を後にした。
先輩ちゃんと後輩くん 高山 椛 @t_momiji
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