言葉は肉体を超えられない。
歳を取ると、運動後にやって来る筋肉痛が遅れるとよく聞く。
しかしこれは誤りで、年齢に関係なく筋肉痛は運動した一日か二日後にやってくる。若い頃、筋肉痛が運動直後にやってきた気がしたのは、常日頃から走る投げるといった動作を続けていたからだ。
運動の習慣がなくなっているせいで、痛みが遅れてきたように思え、また久しく感じていなかったせいで身体が痛みに耐え切れず動けなくなってしまう。
逆にいえば、習慣づけられていれば身体は痛みにも慣れていく。また無理のない範囲で適度に動かさないとより激しい痛みに襲われることも学習できる。
私の中で勝手に『迎え筋トレ』と呼んでいる。二日酔いの迎え酒と同じく、痛いときほど動いた方がいい。個人の感想である。
ここまで読んで察していただけた通り、今私は筋肉痛に襲われている。
だが、我ながら偉いことに割かし運動は習慣づいていたために、それほど酷くはない。
むしろ、痛みを避けようと普段より体の動かし方が丁寧になっている。
全身が痛いと、くしゃみの仕方ひとつにも気を遣う。
くしゃみは危険だ。反射なので身体が予想もつかない動きをする。くしゃみの拍子に腰を痛めたなどという笑えない話もある。
ひとつひとつの動きに身体と相談する感覚が生まれる。
そこへきて、私は肉体の雄弁さに愕然としてしまうのである。
この手紙を書き始めて三年と三ヶ月である。
今ふと確認したら、244,495文字書いているそうだ。
このサイトで書き始める前にもブログで同タイトルの手紙を書いていたので、総文字数は、うむ、考えたくもない。
手前味噌ながら、少々以上にどうかしてしまっている人間の所業である。
しかしながら。
これだけ己の内面を延々と書き連ねていても、たった一日の筋肉痛に及ばない。
肉体の絶対性に驚くやら
そうしてまた確信を深める。
言葉は何があったとしても肉体を超えられない。
痛みという確かな感触に、観念の産物である言葉が敵う道理などない。
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