少しだけ早くひたすら長い別れの手紙。
こんなにタイトルでふざける遺書は世界初だろう。
私の根本的な不真面目さがよく出ている。
周りの人間から、ずっと真面目な人間だと勘違いされてきた。
ひょっとしたら、今もされているかもしれない。
規範に従うのは楽だった。それは間違いない。
「何もしないのが得意だった」と言い換えてもいいだろう。
自分から何かをしたいという欲求がほとんどなかったので、おとなしく黙っていれば勝手に『真面目』という評価が返ってくる社会は都合がよかったかもしれない。
逆に、能動的に何かをする、この世界に影響を与えるようななにがしかをすることは苦手だった。
物心ついたときから、私は世界とか社会とか、そういったものと関わりあいになりたくなかった。
どうせロクなことにならんと分かっていたからだ。
前回の手紙にも書いたように、私は何を行っても迷惑にしかならない人間だ。
自分の生命にも価値を感じぬ人間は、価値あるものをもたらせない。
客観的にはあったとしても、それをいくら褒めていただいたとしても、私にとっては無価値である。
ならば、迷惑さえも無価値だ。
苦手意識が消えていった。
もともと規範に従うのは得意だ。
適当に「よさそう」なことだけしていればいいのだ。
生きることに「つらさ」が無くなっていった。
何をしても無価値、それはとても気楽なことだ。
私は、だいたいにおいて、そう生きられるようになった。
では、なぜ死ぬのか。
産まれたからだ。
生きているからだ。
より正確には、「産まれちゃったから」だ。
なんとなく「生きてこれちゃったから」だ。
私にとって唯一といっていい、真面目に考え続けたことだ。
すべてが無に帰す(としか思えない)世に産まれてしまったのは何故か。
いつまでたっても死なずに生きてこられてしまっているのは、何故か。
答えはない。
なんとなれば、その問いこそが無価値だったからだ。
価値のない問いに答えはないのだ。
ここで、友に語りかけたい。
「問いが無価値なので答えはない」という“解答”は、私が思索の果てに辿り着いたものなので、あなたがそれを了解する必要はない。
というか、こんな自己流に納得した答えだけを出されたところで、なんとも思えないだろう。
あなたには、あなたの問いがあるはずだ。
実存的な問いは問われたときから考えねばならないものとなる。
面倒だが、言葉が尽きるまで考え続けて欲しい。
その言葉が尽き果てた先に、真の言葉がある。
それが答えだ。
最後の最後に、偉そうなエールを送っておく。
頑張ってほしい。娑婆かあの世か分からぬが、応援している。
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