少しだけ早い少しだけではなく長い別れの手紙。

 世界最長の遺書は何文字だろう。


 そんなことがちらと脳裏をよぎる手紙の三通目である。


 祖父江直人、この存在にはまさしく文字通り往生した。


  私は『自己肯定感』なる概念に否定的である。ので、『自己受容』とするが、こんなものが産まれてきてしまったことを受け入れるのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。


 肉体の存在は絶対的かつ圧倒的だ。肯定も否定もない。曖昧な感覚が割り込む隙間もない。


 仮に我々の世界が水槽の中の脳とか『マトリックス』とか『プリンセスコネクト』とかであったとして、それでも我は在るし、我は思ってしまう。そこには仏教が説く苦しみが、ひたすらに、ただただ重く鎮座している。


 私の話をしよう。


 私が私の在ることへの最も大きな苦しみは、他者の期待や望みに応えられないことだった。


 他者、それは家族と呼んでもいいし、単に年長者と呼んでもいい。彼ら彼女らが大枠として「このように育ってほしい」と思ったような人間に、どうしてもなれないことが苦しみであった。


 もっと大きな表現をするなら、人類なる社会動物として産まれた上で、その繁栄や発展にまったく貢献することができない人間に産まれてしまったことだ。


 ここで、長らくこの手紙を読み続けてくれた奇特な友は思うだろう。


「お前はそんな風に生きたいなどと思ったことは無いだろう」と。


 その通りである。


 私は誰の期待にも応えようと思ったことがないし、人類の繁栄やら社会の発展やらには何の興味もない。


 とはいえ、だ。


 とはいえなのだよ、友よ。


 私がそういう人間であるからといって、やるべき仕事は厳然とあるのだ。


 誰であれ他者の思うような人間になりたくないというならば、人里離れた山奥島嶼孤島にひきこもって自給自足の生活を送るべきであって、それをしないのであれば、私の内心などとは関係なく“人間”をこなさねばならんのだ。


 それも嫌だというならば、人生のすべてが無意味であるとしか感じられないのなら、さっさと死なねばならないのだ。

 

 私は、どれも嫌だった。


 いずれの義務をも果たしたくなかった。


 なんとなれば、何もかもに納得できなかったからだ。


「なんでこんなものが産まれてきてしまったのだ」


 という、この懊悩が晴れない限りは私は何もできないと思った。


 そして、それは達成された。


 なにがあったわけでもない、気がする。


 時間が解決してしまったのかもしれない。


 こうしてひたすらに考え続け書き続ける日々が、頭をすっきりとさせてくれたのかもしれない。


 ただ、これもまた圧倒的な事実として、私は私のことを受容している。


「祖父江直人、ロクでもないが、まぁ、しょうがない奴だと認めてやろう」


 と、そう思えている。


 そこにきてようやく、私は私を終わらせる準備を終えたのである。


 おそらくだが、もう少し続く。


 

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