白紙因子 ブランクファクター
亜未田久志
第1話 地平線まで広がる白
白色に染まった世界、そのおぞましさは体験した者にしか理解できない。
空が青くなかったら恐らく発狂していた。
つるつるとした地面が歩けども歩けども、そこにあり続ける。
遠く見える都市は蜃気楼なんじゃないかとまで思った。
子供の足では、その白から出るには限度があった。
結局、俺は倒れていたところを救助ヘリによって助けられた。
今では「ホワイト・ゼロ」と呼ばれる爆心地。
その中心に、俺はいた。
時は経ち、あの災害の事は風化しつつあった。
『白紙化現象』と呼ばれた、それを今更、わざわざ話題に出す人間はいない。
原因も何もかも不明なモノを人々は忘れることで、その不安から逃れようとした。
黒い壁紙の部屋、暖色の明かり、家具のどれ一つ見ても、白い物は無い。
黒い机の上、黒いパソコンに向かう少年。
彼は日課であるブログ更新をしていた。
白紙化現象の当事者である彼、
そのタイピング速度はとても速い。
プログラマーでも、小説家でもない彼は長文のブログを毎日更新するだけで、こうなった。
特にそれが役に立つこともなく。
彼は学校に通ってはいなかった。
学校は白いからだ。
外には滅多に出れない。
ネット通販もある現代じゃ、その必要もない。
白いモノにトラウマ、いわゆるPTSDのようなものを抱えていた。
医者に診断書を貰い、彼は今の閉じこもる状況に正当性を得た。
尚且つ、彼は被災者だ。
親の遺産と、国からの援助で生きながらえていた。
「……っと」
キーボードを叩く音が止む。
今日の更新を終えて、ほっと一息を吐く。
椅子にもたれかかり、黒い天井を見上げる。
「外に出てみたら……か」
様子を見に来るケースワーカーに
彼の中にも、その気持ちはあった。
いつまでもこのままではいけない。
社会復帰、したくないわけではない。
だけど世界には白い物が多すぎる。
前に外出した時は、白い家を見ただけで、恐怖で腰が抜けた。
自分が体験したのは、ただただ白い平面を倒れるまで歩いた。
ただそれだけだったはずなのに、
「どうして……」
自問する、どうして俺は、こんなにも弱いのか。
たかだか「白い」だけで、足がすくむのか。
だけど今日だけは、チャレンジしてみる事にした。
どうしてかは、分からない。
椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
特に外に予定もない、少し散歩して戻ってくる。
前に覚えた「なるべく白いモノの無いルート」は頭に入っている。
鍵を開け、ドアノブに手をかけ、外へ、踏み出した。
太陽の光。
それだってもちろん白い。
熱さのせいではない汗が額に
それくらいは乗り越える、じゃないと外で生きられない、吸血鬼のようにはなりたくはなかった。
わざわざ、
ちょうど、改修工事の予定も入っていたから、ついでと聞かされていたが、大きくなった今では改修工事の工程に塗装の工程を追加する事が「ついで」で済ませられる事には思えなかった。
だけど幼かった自分は、ただその厚意に甘んじるしかなかった。
今年で
高校には通えるだろうか、そんな事を考えながら、団地の外に出る。
そこはまだ住宅街だ。ちらほらと白い壁が見える。
少し、息が荒くなる。
「まだ、まだ大丈夫」
胸を押さえながら、前へと進む。
公園の横を過ぎて、いよいよコンビニやファミレスのある通りに出る。
白い横断歩道、息を深く吸い込み渡る。
コンビニの看板、その配色には一部、白が使われていた。
なるべく見ないようにする。
ルートの四分の一ぐらいまで来た。
ここから駅の方へと向かう。
ここ、末凪町は、一つ大きな駅があり、その周りに店や家が広がっていた。
その駅がルートの中間地点だ。
なるべく視界を狭く、目を細めて、歩みを進める。
他人から見られたら、睨んでるように映ってしまうのだろうか。
そんな心配をしながら、だんだんと増えてくる人々とすれ違う。
もうすぐ駅だ。
その時だった。
恐ろしいまでのデジャヴ。
地平線まで広がる白。
それを連想させる何か。
――来る。
第六感とでもいえばいいのか、五感とは別の感覚でソレの到来を感じた。
まるで爆発。爆風がこちらまで届く。
遅れて悲鳴が広がっていく。
しかし、それが爆発ではないことに聯は気づいていた。
アレは着地の衝撃だ。細かい白い道路だったものの瓦礫がこちらまで飛んで来ている。
だがおかしな点があった。
その土煙は、不気味なまでに白かった。
土煙というより白煙、というよりもホワイトのインクが地面から噴き出しているようにさえ見える。
「白紙化現象……!」
確信だった。
アレは間違いなく十年前に起きた災害と同質のモノだと。
恐怖が臨界点を超える。
何とか、その場にへたり込むことだけはせず、だが、その場に立ち尽くしていた。
なおも『白』は広がり続ける。
白煙の中からナニカが出てくる。
しかし、その姿は人間と呼べるものではなかった。
全身を真白に染めた、
身体のあちこちをパイプでつないでいるその異形は、手に当たる部分が出てくるノズルのようになっていた。数百メートル先にいるそれはのそりと動き出す。ノズルから『白』が噴き出す。
辺りをつるつるとした白へと変えていく。
止めなくては。
そう思った。なんの力もない、引きこもり。
だけど、あの災害から唯一、生き残った自分が、やらなくては、誰がやるというのだ。
「頼む、動いてくれよ! 俺の足!」
白への恐怖、今、乗り越えなければ、いつ乗り越えるというんだ。
でも動いてはくれない。
むしろ、その声に気づいたアンドロイドが、こちらに気づく。
「そ、そっちから来るっていうなら、願ったり叶ったりだぜ!」
強がりだった。
足の震えが強くなる。
白に襲われ、閉じこもっていた自分の人生。
ここで再び、白によって消されてしまうのだろうか。
そんな弱気な事を考え始めていた時だった。
横から声がした。
「なんの力も持たない勇気は『蛮勇』だけど、力があれば、それを本当の勇気に出来る」
白い髪の少女だった。
正直、
少女は続ける、震えが増す聯も、近づいてくるアンドロイドも気にせずに。
「私の名前は『ハク』、あの敵の名前は『イレイザー』、そして、これは『タイプ:ライター』、これを付ければあなたは戦うことが出来る」
手渡されたのは、キーボードを腕輪の形に丸めたような機械だった。
「戦える? 俺が?」
もはや状況についていけない、だが心の奥底から湧く無意識な使命感が、そのタイプ:ライターを受け取る事を、
「君だけが、戦える。君だけしか、戦うことは出来ない」
ハクが
そこにアンドロイドのガシャガシャとした歩行音が迫って来ていた。
「……どうすればいい」
ハクは頷き、答える。
「ソレを腕に巻いて、こう打ち込んで『overwrite』」
スマホの画面を見せられた。
そこに表示された文字列を、すぐさま腕に巻いたタイプ:ライターで打った。
秒もかからなかったと思う。
日課がまさか、こんなところで役に立つとは思わなかった。
『OK overwrite to the factor』
タイプ:ライターが電子音声でそんなことを言った、その瞬間。
アルファベットや記号の乱舞が続く。
そして終わった頃、そこに
代わりにいたのは、目の前のアンドロイドと似て非なるナニカ。
アンドロイドと違ってあちこちにパイプは無くすっきりとしている。
手も五指があり、ノズル状ではない。
銀色のその姿には、各所にアルファベットの意匠が施されていた。
騎士甲冑じみているが、その頭は『V』の字のバイザーが付いているフルフェイスのヘルメットのようだった。
ハクはそれに向かって叫ぶ。
「後はお願い、『ファクター』!」
『任せろ』
返ってきたのは、
アンドロイド、イレイザーと対峙する。
『write weapon』
タイプ:ライタ―の電子音声がファクターという名の鎧の中で放たれる。
「武器か……なら、とりあえず」
打ち込むのは『sword』
『OK sword born』
虚空にswordの文字列が浮かぶ。
それを掴むと、たちまち剣へと変化した。
『よし』
猶予はそこまでだった。
幽鬼のようにふらりふらりと近づいていたイレイザーが剣を見た途端にノズルをこちらに向けて構えた。
もう、その白の化け物は怖くなかった。
戦える、
ノズルから白が放たれる。
世界を消すような空白、それに向かって剣を振るう。
動きは素人のソレだったが、効果はあった。
白は真っ二つになって消滅していた。
イレイザーが、その事実に驚いたように後ずさる。
『今度は、お前が怖がる番か、不思議なもんだな』
再び剣を構える。
その視線はイレイザーを捉えて離さない。
イレイザーが逃げ出す、だが、そうはさせない。
駆け出す、いつもの何倍も速く走れる。
いや、いつもは部屋に籠っているのだが。
そんな事はもう関係ない。
背後から斬り付けるのに少し抵抗はあったが、相手は、因縁の白紙化現象を使う化け物だ。
容赦はしない。
一閃、袈裟斬りにした。
イレイザーは白い火花を散らし倒れ込む。
その傷口は真っ黒に染まっていた。
倒れ込むイレイザー、何度か痙攣した後、動かなくなる。
『倒した……のか?』
それに答えるハクの声。
「まだ、打ち込んで『restoration』間違えないでね」
今度はファクター内に打ち込むべきワードが表示された。
『わ、わかった』
タイプ:ライターに打ち込む。
『OK restoration start』
すると、今度はイレイザーが黒い文字列に包み込まれていく。
文字の乱舞が終わった後、そこには――
『人、それも普通のスーツの……、俺、人殺しを……』
聯が驚き、不安に陥りそうになる。
ハクがファクターの肩を掴む。
「大丈夫、生きてる。あなたが助けた」
言われてよく見てみれば、確かに仰向けに倒れたスーツの男性の胸は微かに上下しており息をしているようだった。
『なんだ……良かった……いや、良くない良くない』
「どうして? 無事、解決」
『説明してくれよ! 全部! イレイザーとかタイプ:ライターとかファクターとか!』
得心したように頷くハク。
「それなら『本部』でしよう」
小首を傾げる
『……本部?』
「うん、対イレイザー作戦本部『AoB』で」
わざわざそのアルファベット三文字のためにスマホを向けてきた」
『エーオービー……何の略?』
「Authors of Black」
『アーサーズ?』
余計分からないとお手上げのジェスチャー。
「黒の著者たち……ってとこかな」
白髪に白のワンピースの少女が言うにはちょっと説得力がなかったけれど。
『黒、か。いいね、気に入った。行こう』
こうして少年少女は出会う。
今はまだ互いの因縁も知らないまま。
ファクターの姿が自動的に解け、
ハクと二人、揃って歩き出す。
その未来が何色か、それは誰にも知ることは出来ないだろう。
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