俺は、アキラくん。今、お前の後ろにいるよ
桐谷淑蓮の兄は、唯一無二の無二無三。欠けるわけもなく増えるわけもない。衣笠由羅の言葉を借りて言うならば、唯一神。
つまるところ、空港内にいるふたりの兄、もしくは目の前にいる女装した兄は、
電話、電話で、先生に確認をとれば――兄からの着信。
「…………」
このタイミング、間違いなく見計らっている。
周囲に目線を走らせる。
双眼鏡などを用いて、遠方から淑蓮の姿を目視可能な高層建築物は見当たらない。正確に言えば、現実的に考えられる倍率で目視可能な角度、距離、状態の建造物は存在しなかった。
いる。
淑蓮は、目を細める。
この場に、私を視る“眼”がいる。
「……もしもし」
淑蓮は、静かに、口を開いた。
「淑蓮ちゃん?」
マリア――大事な兄を掠め取っていった女の声、一気に頭に血が上りながら、濃厚な怒気が手足に下がっていく。
「殺しますよ?」
愛を
「貴女は、なんにも現状を理解してないって理解できてます? 理解出来ないことに対して、理解することを求めようとは思わないけれど、理解外にある理解をすくい上げようと思う理解はありますか?」
「時間を稼いでも無駄だよ。そこに、あたしはいないから」
淑蓮は、ベンチ前に陣取って、周囲にいる人間の口元を睨めつける。
「
「…………」
「同一人物が三箇所に、同時に存在してるわけがない。貴女は、私に電話をかけることで、先生たちへの連絡手段を封じている。もしくは、私の“視覚”を固定化させるために、情報を限定させようとしている」
「…………」
どうする、この電話自体が罠か? お兄ちゃんの携帯をマリアが持っている?
兄へと繋がる唯一の手がかりを、簡単に断ち切るわけにもいかない。電話をかけてきたタイミングから言っても、目に捉えられる範囲内に“兄の協力者”がいる。その反応を引き出して、協力者を特定するためにも電話を切ることは出来ない。
「…………」
電話口から、アナウンス音は聞こえない。自然音も皆無だ。どこか、室内。だとすれば、この場にいる兄の協力者はマリアではない。
電話を切って、渚たちに確認をとれば、本物の兄を断定することは可能だ。だが、どの兄が本物であろうとも、三人とも確保している以上、急ぐ必要性はない。
だとすれば、可能な限り通話を引き伸ばして、協力者を確定させるのが
「用があって、電話をかけてきたんですよね?」
「スピーカーにしてくれる?」
「……なぜ?」
マリアの声音が、切り替わって――
「お前の後ろにいるからだよ」
思わず、振り向く。
目の前には――衣笠由羅が立っていた。
「ひ、ひさしぶり……」
さすがの淑蓮も、彼女の存在は理解外にあった。
だからこそ、容易に揺さぶられる。
どういうこと? なんで、衣笠由羅がココに? どうして、マリアの声がお兄ちゃんの声に変わったの? どれが、本物のお兄ちゃん? そもそも、マリアとお兄ちゃんは、同じところにいるっていうこと?
混乱に次ぐ混乱、情報を整理できないうちに、新たな
「ココにいていいの……み、水無月結も……フィーネ・アルムホルトも……無力化したよ……あ、アキラ様は、もう、搭乗待合室にいる……飛行機、乗っちゃうよ……み、皆で止めるんでしょ……?」
待って!? 待って待って待って待ってよ!?
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、大量の思考が渦を巻く。
どうするべき!? 今直ぐ、この電話を切って、先生たちと連絡をとる!? 衣笠由羅は、味方!? だとしても、なんで、こんなところにまで忠告にくるの!? 自分で止めればいいじゃん!!
そう考えれば、彼女は、お兄ちゃんの――
「き、聞こえない……?」
はっきりと、電話口を通して、淑蓮の耳朶に届く。
大きなアナウンス音……搭乗待合室で、飛行機を待っている人たちの、多種多様な言語によるゲート確認の会話の内容。
国際線――瞬間、淑蓮は電話を切ろうとして――
「だ、だろうね……」
「あっ!?」
その手から、スマートフォンを奪われる。
刹那、猛然と、衣笠由羅は逃げ出した。同じ
あっという間、彼女の全身は人混みの中へ……霧散する。
焦燥が、呆けていた淑蓮の心臓を掴み上げた。
マズい……マズいマズいマズいっ!! 予備の端末なんてない!! 電話中に奪われたから、ロックは外れたままだし、チャットツールにはログインしたままだ!! チャットを通して、偽の情報を流される!!
即席のチームの上、不倶戴天の有象無象ども、淑蓮は、渚たちの連絡先なんて把握していない。チャットツールやらに、連絡先を登録してやっただけだ。
当然、電話番号なんて暗記していないから、通行人の携帯を借りて連絡することも出来ない。
淑蓮に許されている行動は、たったのひとつ。
一刻も早く、空港内に戻って、口頭で渚たちに伝えるしかない。
だが――
「淑蓮、行くなよ」
目の前には、
「俺を確保しなくていいのか? 本物かもしれないぞ?」
「ぐっ……うっ……!」
くぐもった声のアキラに煽られて、淑蓮は呻き声を上げる。
どうする、私はどうすればいい、お兄ちゃんを無理矢理にでも連行して、でも、お兄ちゃん相手に、私がそんなことを出来るわ――くぐもった声?
「…………」
項垂れているから、口元が視えていない。
悪寒に急かされながら、淑蓮は、ウィッグをかぶっているアキラの頭に手をかけた。
「行っちゃやだぁ~、アキラ、さびしぃ~!」
視えてない――勢いよく、彼の“
『やだぁ~、やだやだやだぁ~、やだぁ~ん!!』
喉元に仕掛けられている、“
新鮮なアキラ様――精巧に作られたシリコンマスクと筋電義手に義足、電動アクチュエータが全身に仕掛けられ、頭部や脇に仕掛けられたアロマデュフューザーからは『兄の匂い』が垂れ流されている。
等身大の電動マネキンとも言える、衣笠由羅の最高傑作『新鮮なアキラ様』は、アキラの表面筋電図を元に組まれたアルゴリズムを基に、全身に仕組まれた電動アクチュエータを用いて、一定時間ごとに擬似的な筋肉の動きを再現する。
つまり、傍目から見れば、座り込んでいる
「…………」
「あれ? もしかして、バレた? やっべ、逃げよ」
「ちくしょう……」
顔を伏せて、立ち尽くしていた淑蓮は、歯を食いしばりながら呻く。
「ちくしょうっ!!」
そして、脱兎のごとく、空港へと駆け出した。
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